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第758話

Author: 風羽
しばらくして、澪安が小箱に手を伸ばした。

「俺が持つ」

慕美はぎゅっと抱きしめて、「いらない」と拒んだ。

だが次の瞬間、バスが水たまりに乗り上げて大きく揺れ、ハイヒールの彼女は体勢を崩し、そのまま背後の男の胸へと真っ直ぐ倒れ込んだ。

二人の体がぴたりと重なる。

厚いコート越しにも互いの熱が伝わってくる。澪安がふと視線を落とすと、白く柔らかな耳と、くっきりとした横顔が目に飛び込んだ。

幼い頃から大きく変わってはいないが、丸みを帯びていた顔立ちはすっかり削げ落ち、骨格の美しさが際立ち、そこに女としての艶やかさが加わっていた。

男はたいてい自分の本能に忠実だ。

澪安も分かっていた。慕美に執着するのは、生理的な欲望に近いものだった。手に入らなければ、一生引きずるかもしれない――そんな執念。

腕の中の彼女は驚くほど小さく、細い腰は片手で包めるほど。

車体の揺れが二人をさらに密着させ、ひどく艶めかしい空気を醸し出していた。

どこからともなく流れてきた切ない曲が重なり、二人はまるで恋人のように見えた。

――一枚目の写真……俺たち二人だけの、寄り添えず、君は左に、俺は右に……

……

やがて慕美が顔を上げ、澪安を見た。

今回は刃を交えるような視線ではなく、複雑に揺れる湿り気を帯びた眼差しだった。

澪安は何も言わず、静かに見返す。

緊張が極まった刹那、彼はゆっくりと顔を近づけ、唇を求めた。

だが慕美はわずかに顔をそらし、触れたのは口角だけだった。

二人は同時に視線を外し、何事もなかったかのように装う。

外は雨上がりで、街は湿り気を帯びていた。

――まるで初めて心が震えた瞬間のように。

だが二人は気づかなかった。その心の震えこそが恋であることに。

恐れゆえに現実から目を逸らし、欲望で心を覆い隠した。

片や計算を胸に、片や流されるままに。

そしてその曖昧な時が終われば、二人は再び別々の人生へ帰っていくのだった。

澪安にとっても異例だった。

女を口説くときは金をばらまくだけで、時間を割くことなどほとんどない。ましてや一緒にバスに乗るなど。

「おい、背の高いの!運賃払ったか?」

運転手の怒声に、車内の視線が一斉に澪安へ注がれた。

途端に顔をしかめる澪安。

生まれて初めてバスに乗った彼に、カードの使い方など分かるはずもない。

そのと
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