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私が殺された後、兄は後悔した

私が殺された後、兄は後悔した

Par:  ちょうどいいComplété
Langue: Japanese
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私は殺人者に水槽の中に閉じ込められたあの時、兄が夏目美瑠(なつめ みる)と一緒にケーキを作っていた。 気管がゆっくり切り裂かれて、苦しい呼吸しかできなかった時。 電話越しの兄は冷たく言い放った。「小木曾雨芽(おぎそ うめ)、父さんの命日なのに帰ってこないなんて。ほんと恩知らずだな。 美瑠が頼んでるのに父さんのところ行かないどころか、彼女を殴ったって?お前、死ぬ前にまず美瑠に謝ってから地獄に落ちろ!」 そのあと、兄は自分の手で私の死体を解剖し、事件を分析した。 でも目の前のこの死体が、自分の実の妹だなんて、彼は夢にも思っていなかった。

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Chapitre 1

第1話

私は殺人者に水槽の中に閉じ込められたあの時、兄が夏目美瑠(なつめ みる)と一緒にケーキを作っていた。

気管がゆっくり切り裂かれて、苦しい呼吸しかできなかった時。

電話越しの兄は冷たく言い放った。「小木曾雨芽(おぎそ うめ)、父さんの命日なのに帰ってこないなんて。ほんと恩知らずだな。

美瑠が頼んでるのに父さんのところ行かないどころか、彼女を殴ったって?お前、死ぬ前にまず美瑠に謝ってから地獄に落ちろ!」

そのあと、兄は自分の手で私の死体を解剖し、事件を分析した。

でも目の前のこの死体が、自分の実の妹だなんて、彼は夢にも思っていなかった。

……

私の死体は川から引き上げられた。

引き上げた作業員は顔面蒼白で警察に説明している。

「暗くなる前にゴミをちょっと拾っとこうと思って……そしたら何かが網に引っかかって……」

監察医界のエースである兄は、隊長の電話で慌てて現場へ駆けつけた。

まだ小麦粉のついたエプロンを付けたまま。

隊長は眉をひそめ、低い声でつぶやく。「雨芽の誕生日を祝ってたんじゃないのか?」

兄は一瞬ぽかんとしてから首を振る。「美瑠は僕が作るケーキを食べたいって言うからさ。雨芽はどこで遊んでるんだか、何日も帰ってこねぇし。放っとけばいいだろ」

彼はもう、今日が私の誕生日だということすら忘れてしまうらしい。

なんて皮肉なの。

涙で私の視界がにじむ。

ふっと昔の光景がよぎる。幼い兄が小さなケーキを私の前に置いて、笑っていた。「雨芽、これから君の誕生日は、毎年ずっと一緒に祝うからな」

今の私は、兄が可笑しなエプロンを外し、真剣な表情で手袋をはめて仕事モードに切り替える姿を見つめる。

黒い袋に包まれた私の死体は、鼻につく腐臭を放っている。

袋を開けた兄は、巨体の姿になった死体を見て一瞬だけ止まる。

皮膚はほとんどなく、白くふやけた肉をむき出す。

顔のパーツは鼻だけが残り、一目見ただけで心臓が縮むような形相だ。

けれど兄は眉ひとつ動かさず、助手に指示を出す。「DNAを採取しろ。ここまで損壊してるとデータベース照合しかない」

助手が「あれ?」と声を上げる。「風真(ふうま)さん、この靴……雨芽さんが履いてたのに似てません?」

以前、私が兄に弁当を届けた時、この助手に踏まれたことがあった。

その時、彼は気まずそうに「靴がかわいいね」なんて言ってきた。まさか覚えてるとは。

この靴、実は兄の分も買って渡したやつだ。

だが、彼は一度も開封してくれなかった。

兄は不機嫌そうに言い捨てる。「関係ない奴の名前出すな。死者への侮辱だ」

私はため息をついて、唇が思わず震える。

兄にとって、彼の担当するどんな死者よりも、私は価値がない。

私は、彼の人生の汚れだから。

兄は手際よく一次解剖を終え、ため息まじりに言う。「胃の内容物と肝温は戻ってから再確認だな」

死体が袋に戻されるのを見て、隊長は兄の肩を叩く。「風真、この死体……虐待殺人だろ。こりゃ厄介だぞ」

夕暮れ時に死体が発見され、人だかりはすぐにできた。

公園で死体が見つかったという噂はあっという間に広まる。

署長は「社会不安を抑えるため早く解決しろ」の命令を出した。

隊長はまた兄の肩を叩く。「どうだ?どれくらい掛かりそうだ?」

兄は眉間を揉みながら、少し悩んだ声で答える。「公園の川に死体遺棄、損壊もひどい……期待すんな」

今にも手を伸ばして、兄の眉間の皺を伸ばしてあげたい。

でも私の指先は、空を切るだけだ。

私はずっと、拗れた関係こそが私たちの距離を遠ざけてるんだと思っていた。

だけど今になってわかる。

生と死こそが、私たちの間に横たわるどうしようもない溝なんだ。

そして私はもう、兄に「妹」と呼ばれるチャンスすら、永遠に失ってしまう。
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第1話
私は殺人者に水槽の中に閉じ込められたあの時、兄が夏目美瑠(なつめ みる)と一緒にケーキを作っていた。気管がゆっくり切り裂かれて、苦しい呼吸しかできなかった時。電話越しの兄は冷たく言い放った。「小木曾雨芽(おぎそ うめ)、父さんの命日なのに帰ってこないなんて。ほんと恩知らずだな。美瑠が頼んでるのに父さんのところ行かないどころか、彼女を殴ったって?お前、死ぬ前にまず美瑠に謝ってから地獄に落ちろ!」そのあと、兄は自分の手で私の死体を解剖し、事件を分析した。でも目の前のこの死体が、自分の実の妹だなんて、彼は夢にも思っていなかった。……私の死体は川から引き上げられた。引き上げた作業員は顔面蒼白で警察に説明している。「暗くなる前にゴミをちょっと拾っとこうと思って……そしたら何かが網に引っかかって……」監察医界のエースである兄は、隊長の電話で慌てて現場へ駆けつけた。まだ小麦粉のついたエプロンを付けたまま。隊長は眉をひそめ、低い声でつぶやく。「雨芽の誕生日を祝ってたんじゃないのか?」兄は一瞬ぽかんとしてから首を振る。「美瑠は僕が作るケーキを食べたいって言うからさ。雨芽はどこで遊んでるんだか、何日も帰ってこねぇし。放っとけばいいだろ」彼はもう、今日が私の誕生日だということすら忘れてしまうらしい。なんて皮肉なの。涙で私の視界がにじむ。ふっと昔の光景がよぎる。幼い兄が小さなケーキを私の前に置いて、笑っていた。「雨芽、これから君の誕生日は、毎年ずっと一緒に祝うからな」今の私は、兄が可笑しなエプロンを外し、真剣な表情で手袋をはめて仕事モードに切り替える姿を見つめる。黒い袋に包まれた私の死体は、鼻につく腐臭を放っている。袋を開けた兄は、巨体の姿になった死体を見て一瞬だけ止まる。皮膚はほとんどなく、白くふやけた肉をむき出す。顔のパーツは鼻だけが残り、一目見ただけで心臓が縮むような形相だ。けれど兄は眉ひとつ動かさず、助手に指示を出す。「DNAを採取しろ。ここまで損壊してるとデータベース照合しかない」助手が「あれ?」と声を上げる。「風真(ふうま)さん、この靴……雨芽さんが履いてたのに似てません?」以前、私が兄に弁当を届けた時、この助手に踏まれたことがあった。その時、彼は気まずそうに「靴がかわいいね
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第2話
隊長は会議室で眉間に深い皺を刻みながら座り込んでいる。彼の手には火をつけていないタバコを握りしめている。「こういう身元不明の死体事件が、一番厄介なんだよな」警察の一人が推測する。「ここまで無惨ってなると……感情のもつれとか?」兄は首を横に振る。「死亡推定時刻は三日前前後。死者は虐待されたあと溺死した。殺人動機をちゃんと解明する必要がある」隊長が何か思い出したように、兄を見上げる。「風真、雨芽は心理学の専門家だろ?この前なんか河上県に呼ばれて犯罪心理の講義してたじゃねぇか。今回の事件、彼女に……」言い終わる前に、兄の鋭い声が遮る。「雨芽?あいつは名前だけのなんちゃって専門家だ。あんな無慈悲なやつ、誰が使うんだよ」隣で助手が唇をかみながら小声でつぶやく。「雨芽さん、そんな人じゃないですよ……」兄は鼻で笑うと、手にしていたペンを机に叩きつける。「恩知らずだよ、あいつは。僕が一番知ってる。この事件、あいつが関わるなら僕は降りる!別の用がないなら、解剖してくる」隊長は首を横に振って、深いため息をつきながら指示を飛ばす。「ぼさっとすんな!現場の痕跡を取れ。目撃者を分担して回れ、聞き取りは丁寧にな!」そして彼は去っていく兄の背中を見ながら、ぼそっとつぶやく。「実の妹にあの態度……いつか絶対後悔するぞ、あいつ」私は鼻をすすり、涙がまたにじむ。後悔なんて、するわけないよね。兄は私のこと、憎んで憎んで仕方ないんだから。誤解を解こうと何度も口を開いたのに、返ってくるのはいつも兄の冷たい声だった。「お前のせいで父さんが死んで、母さんが植物状態になったんだ。言い訳なんか聞きたくねぇ!」毎回、兄の嫌気で不信感があった目つきを見るたびに、私は真実を飲み込むしかなかった。兄の誕生日に、思い切って全部話そうと思っていたのに。もう、その機会すら永遠に失った。解剖室に、兄はメスを握ったまま、ほんの一瞬だけ黙祷した。そして何事もないかのように胸腔を切り開く。鼻をつく腐臭が鼻腔に広がったが、兄の顔色は変わらない。ただ、死体の左腕を見た瞬間だけ「ん?」と小さく声を漏らした。助手が覗き込みながら言う。「これ……犯人が彫ったやつですか?」兄はゴム手袋越しに、その浮腫んだ腕の上の灰色のタトゥーを撫でる。「いや、違う。相当
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第3話
兄のスマホが鳴る。助手がちらっと画面を見て、ためらいがちに言う。「風真さん、あなたの妹です」兄は舌打ちして、露骨に苛立った声を出す。「今忙しいの分かんないのか?あいつには、もう二度と僕に電話してくんなって言っとけ」「風真さん、雨芽さんじゃないです」兄は一瞬だけ固まった。あれだけ何日も私が連絡してこないことに、さすがに不思議に思ったのだろう。でもすぐに、彼の目の奥に柔らかい笑みが浮かぶ。彼は慌てて手袋を外し、優しい声で言う。「美瑠?どうしたんだ?僕は今忙しくないよ。言ってごらん」私は嘲るように口元を吊り上げる。兄が私と美瑠に向ける態度なんて、いつだって雲泥の差がある。もう慣れてるはずなのに。美瑠の可哀想な声が震える。「お兄ちゃん、あたしは部屋を片づけたとき、リビングのお姉ちゃんのトロフィーをうっかり割っちゃった。怒られたらどうしよう……」私は目を見開いて、視界は怒りでじわりと赤く染まっていく。あのトロフィーは、私が子どもの頃に試合で獲ったものだ。兄はあの時、誇ってトロフィーをリビングに置いて、それを磨きながら言ってくれた。「雨芽は世界一だ。うちの自慢の妹なんだって、みんなに見せたいくらいだ!」なのに今、彼はただ怯えてるふりをする美瑠を慰めている。「美瑠、怖がるな。あいつが少しでも文句つけてきたら、僕があいつを一生家に入れないようにしてやる」私がもう二度と家に帰れないってこと、彼は知らない。むしろ彼が私の死を知ったら、これで厄介者がいなくなったと、心のどこかでほっとするんじゃないか。兄は解剖記録を隊長に渡す。「隊長、僕ちょっと家に帰って飯食って着替える。何日も妹に構ってやれてないんで」隊長が軽く笑う。「口では気にしてないとか言ってるけどさ、お前だって雨芽のこと気にかけてんじゃないか。彼女にはもっと優しくしてやれよ。あの子だって、この何年間ずっと大変だったんだ」兄の顔が一瞬で陰り、嫌悪がにじむ。「僕に雨芽みたいな妹はいない。あいつが家をめちゃくちゃにして、可愛がる価値なんてない。美瑠は優しくて、雨芽はただのクズだ」隊長は意味深く言う。「お前の両親と俺は古い仲だ。お前と雨芽が育つのも見てきた。あの子の本音を聞いてやれ」兄はコートを着て、深いため息をつく。「隊長、説得しても無駄だよ。あいつ
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第4話
スマホが鳴って、兄と美瑠の甘ったるい空気はあっさり切れる。隊長の声が流れる。「新しい証拠が見つかった。風真、戻って解剖をやり直すぞ」兄は慌てて警察署に戻り、解剖台に置かれて切り取られた顔のパーツを見てため息をついた。「どんだけ恨んでたら、ここまでやれるんだよ……」彼は手袋越しにパーツを組み合わせていく。だが右耳を持った瞬間、兄の手が止まった。耳たぶには、三日月みたいな欠けがある。それは子どもの頃、兄が自転車で私を後ろに乗せていた時、転んだ拍子に私の耳についた傷跡だった。当時、私の耳から流れる血を見て、兄は泣きながら言ってくれた。「雨芽、怖くないよ。兄ちゃんがこれから守るから」兄が瞬きをして、まるで何かを思い出したみたいに。私は胸がぎゅっと縮まる。もしかして、兄が私のことに気づいたの?だが次の瞬間、兄は何事もなかったかのように静かに戻り、手元の作業を続けていた。兄さん、私たち……またすれ違っちゃったね。隊長が小さく息をのんで、不安そうに言う。「風真、雨芽の耳にも似た傷があったよな……」助手も続く。「そうそう。風真さん、胃が悪くなるたびに、雨芽さんは自分で作った薬膳弁当持ってきてくれてたじゃないですか。今回何日も苦しんでるのに、彼女が顔見せないなんて……」兄は昔から食生活が乱れ、胃痛も重い。私は薬膳のレシピを探して作り、兄が嫌がると困るから、隊長や助手にそっと託していた。私がどれほど兄を大切に思っていたか、みんな知っている。兄だけは、私が冷酷な恩知らずだと思っていた。兄は鼻で笑い、眉間に皮肉を滲ませる。「誰が死んでもあいつは死なねぇよ。あいつにとって、自分の命が一番大事だからな」隊長は眉間を押さえ、ため息をつく。「もういい。本部からの命令で、犯罪心理の専門家を入れるってさ。雨芽に連絡しろ。午後に来るように。仕事命令だから文句言うな」兄は渋々唇を噛み、私の番号を押す。だが返ってきたのは、冷たい不在通知だけだ。「こんな時まで駄々こねやがって。やっぱり頼りにならねぇ」そう言って彼はすぐにメッセージを送りつける。【雨芽。電話に出ないなら、もう家に戻るな。心が腐ったやつと僕は一緒に働かねぇ】私は目元をこすり、こぼれそうな涙を必死で拭った。兄さん。私は本当に堂々とあなたの隣に立っ
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第5話
だが、兄はすぐに冷たく嗤う。「あいつがお前と組んで僕を騙すなんて?死んだ人に鞭打つような真似、よくできるな?」助手が困ったように電話を隣の人へ差し出す。「小木曾さん、こちら検査センターの木村(きむら)です。鑑定書に出ているのは、たしかに小木曾雨芽さんです」隊長が証拠袋を持って前に出て、兄の肩を叩く。「風真、この簪、雨芽も同じの持ってたよな?」兄の手からスマホが滑り落ち、鈍い音を立てて地面に落ちた。兄は震える唇で証拠袋を手に取る。「これ、どこで見つかった?」隊長は川沿いのぬかる場所を指す。「鑑識課の連中が掘り出したんだ。俺も見覚えがあってな」兄はその質素な簪を撫で、指先を止まらないほど震わせながら呟く。「これは僕が子どもの頃、自分で彫ったやつだ。ここの汚れ、僕が血つけちゃった跡なんだよ。なんで、なんでこんなところに?雨芽が死者だなんて、そんなわけ、あるはずないだろ……」空気が一瞬止まったかのように静まり返り、兄の荒い呼吸だけが響く。兄はふらつきながら車に向かう。「僕、署に戻る。雨芽は僕を騙してるだけだ。絶対、署で待ってて、驚かせようとしてるだけだろ!」隊長は察したようにため息をつく。「まず送っていく。副隊長はそのまま線を追ってくれ」兄は車が止まる前にドアを開けて飛び出した。足をひねったのに痛みすら感じないようで、一直線に解剖室へ駆け込む。彼は狂ったようにDNA鑑定書をめくり、私の名前の部分を何度も指でさすり続けた。死体には脂が浮いたのに、兄はマスクすらしていない。彼は腐敗した私の身体へ顔を近づけ、喉の奥で震えるように呟く。「雨芽、やめろよ、こんなの……兄ちゃんを驚かせんな」隊長が崩れ落ちそうな兄を支える。兄は真っ青な顔を上げ、光の消えた目で言う。「隊長、雨芽が、めっちゃオシャレ好きなんだよ?これが雨芽なわけないだろ?」隊長は兄の肩をぐっと掴む。「小木曽風真!しっかりしろ!犯人はまだ捕まってないんだぞ!雨芽のためにも最後までやり切るんだ!今のお前じゃこの事件追えない。帰って休め!」だが兄は隊長の腕を力強く掴み返す。「雨芽の死体、僕が自分で解剖したんだ。犯人が捕まるまで、僕が見届ける!」兄の魂が抜けたような姿を見て、私は胸の奥がじわっと痛んだ。兄さん、あれだけ「妹なんて認め
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第6話
兄が鑑識課を出ようとしたとき、また病院から電話がかかってくる。「はい、今すぐ支払いに……」しかし病院のスタッフが明るい声を上げる。「小木曽さん!お母様が目を覚まされました!」私は口を覆い、喜んで涙があふれる。けれどその喜びはすぐに痛みに変わっていく。何年間で意識不明の母が目を覚ましたのに、私はもうここにいない。母を抱きしめて「会いたかったよ」と言うこともできない。兄が病院へ駆けつけたとき、母は看護師の支えでゆっくり体を起こしていた。兄の姿を見るなり、母の目に怒りの色が浮かぶ。母は弱々しい声で言う。「風真、雨芽は?」兄は息を大きく吸い込んだが、言葉は一つも出てこない。母は目を閉じ、静かに続ける。「あんたは仕事で忙しいから、ずっと雨芽が来てくれてたのよ。私は眠っててもね、外の声はちゃんと聞こえてた。あんたが雨芽にどれだけひどい態度とってきたか、全部わかってるからね。あんた、他人の言葉ばっか信じて、実の妹のことは信じもしない」母の胸が怒りで上下に大きく揺れ、兄は慌てて彼女の背中をさすろうとした。だが母はその手を払いのけ、苛立ちを隠さず言う。「あの日の事故は、夏目美瑠のせいよ。ケーキ食べたいって駄々こねて、あなたの父親とハンドルを奪ったの!」兄は信じられないように目を見開き、眉を寄せる。「そんな……美瑠は、あれが雨芽のせいだって……」「美瑠美瑠って、あんた、自分の実の妹が誰か覚えてるの?彼女に騙されて識力がなくなるの?で、雨芽は?仕事?」母の言葉を聞いて、兄はもう我慢できず、崩れるように床に膝をついた。彼は手首に噛みつく勢いで、涙と声を押し殺した。母も何かを悟ったように、目元に涙が浮かぶ。「雨芽に、何かあったの?ねぇ、答えてよ!」「母さん、ごめん、全部僕のせいだ……雨芽は、もう亡くなったんだ」母はシーツを強く握りしめ、目に怒りを燃やす。「犯人は?捕まえたの?」兄が申し訳なさそうに視線を落とし、説明しようとしたそのとき。助手からの電話が入る。「風真さん!簪についた血痕、検出結果が出ました!夏目美瑠のものです!彼女、以前その簪に触れたことありますか?」兄は息をのんで、真夏だというのに震え始める。「雨芽はあの簪を大事にしてて、誰にも触らせたことなんかない」続いて隊長の声が聞こえてくる。
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第7話
兄は私の寝室に入ってきた。机の上には、今も四人家族だった頃の写真が置かれている。彼は手に取ってよく見ようとしたのに、まるで火でもついたみたいにすぐ戻してしまった。兄の唇が震え、かすれた声が漏れる。「雨芽、兄ちゃんが悪かった」でも、その声を私が聞けるのは、あまりにも遅すぎた。もう昔みたいに兄の肩を抱いて、「アイス十本奢ってくれたら許してあげる」なんてふざけることもできない。兄が寝室を出た時、美瑠が誰かと揉めている。彼女はベランダに立ち、声を押し殺している。「また金欲しいの?人を殺したのはあたし。でも車出して死体を捨てに行ったのはあんただよ?バレればあんたも逃げられないわよ!」その声は鋭く、普段の甘くて柔らかい姿とはまるで別人だ。相手が何か言うと、美瑠は軽く笑う。「そう、それでいいの。あたしたちは一蓮托生なんだから、この件で金を揺すろうなんて考えないでよ。こっちは忙しいんだから。あの婆が目を覚ましそうで、また片づけに行かなきゃなんないんだわ」兄の拳がぎゅっと閉じられ、指の関節がきしむほど白くなる。母が目を覚ましたという話を聞いて、美瑠はやっぱり落ち着いていられなくなった。彼女は自分の仮面を自分で破った。兄さん、これがあなたが何年も守ってきた「いい妹」の本性だよ。「一緒にご飯を食べないの?」兄の声が幽かで、視線は出て行こうとする美瑠の背中に向けて落ちた。彼女は帽子を不自然に深く被り、手を振る。「お兄ちゃん、友達に呼ばれたの。待たなくていいから」兄の声は優しいままなのに、その俯いた顔には笑みが一つもない。「夜は早く帰れよ。兄ちゃん飯食ったら署に戻る。事件が進んでないし、外も物騒だ」いつもと同じ気遣いを向けられて、美瑠の口元が緩む。彼女はほっとして、すべてが完璧に隠し通せたと信じ切っている。ドアが閉まる音がすると、兄はソファに座り込み、頭を抱え、押し殺したような叫びを漏らした。ふと視線を上げると、テーブルには彼と美瑠のツーショットがある。その瞬間、兄の目に怒りの火が弾ける。ガラスの写真立てが床に叩きつけられ、私のトロフィーと同じように散らばる。写真なら壊せる。でも、兄が美瑠のために私を何度も傷つけてきた過去だけは、どうやっても消えない。
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第8話
兄はもう迷わなく、美瑠の後を追い、そのままついて行った。彼女が花と果物を買うのを見て、兄の目に一瞬だけ疑いが浮かぶ。だが、美瑠が病院に入った瞬間、その疑いは憎悪へ変わった。病室には、美瑠の軽い声が響いている。「死に損ないの婆、まさか目を覚ます日が来るなんてね。意外だよ。あたしはもうあんたの大事な娘を殺した。あんた今、生きてて何の意味があんの?」くすくす笑った後、彼女の声は急に鋭く変わる。「今すぐ親子そろってあの世に送ってやる。死人だけが口を割らないんだから!」兄の背中が冷たい壁に貼りつき、寒さで体が震える。そして勢いよく病室の扉を押し開いた。美瑠は笑顔のまま、酸素マスクに手を伸ばしている。「何してる?」兄の怒声が病室に響き渡る。美瑠の目に一瞬怯えが走るが、すぐに落ち着いた。「お兄ちゃん、ママの様子を見に来たの。お姉ちゃんは来なくても、あたしはママを放っとけないから」反応が早い。だが彼女は知らなかった。母がとっくに目を覚ましていたことを。「あんた、見に来たんじゃなくて殺しに来たんだろ?」弱々しいがはっきりとした母の声が、美瑠の耳を刺す。美瑠は信じられないように目を見開き、荒い息を吐く。「いつ目覚めたのよ!」その声は怯えに震え、もう冷静さを保てなくなっていた。兄は何も言わなかった。美瑠が駆けつけた警察に連れて行かれるまで、一度も彼女を見ようとしなかった。まだ弱々しい母を見て、兄は低い声で言う。「母さん、ごめん」だが、母は顔をそむけ、もう兄を見たくない。「謝る相手を間違えてるわ。本来支え合うべき兄妹なのに、あんたはあの非情の人の嘘に何年も踊らされて。もし私が雨芽だったら、一生許さないね」兄は魂が抜けたように署へ戻った。隊長が兄の様子を見て、首を横に振る。「夏目美瑠が、お前に会うまでは何も話さないって騒いでる」無垢な顔の美瑠を見ると、兄の胸の奥の怒りが一気にあふれる。「夏目美瑠……お前、よく父さんを殺して、雨芽まで殺して、まだそんな顔できるな!」美瑠は兄を不思議そうに見返す。「お兄ちゃん、何もなかったことにすればいいじゃん。なんで他の人のせいで、あたしたち兄妹の仲を壊さなきゃいけないの?あたしは注意深かったよ。指紋を残してなかった。雨芽はもう死んだ。あたしがお兄ちゃん
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第9話
兄はもう聞いていられなかったみたいで、目を真っ赤にして取調室から飛び出した。ふだんはメスを握る手で壁をぶん殴って、血がだらだら流れ落ちる。隊長がため息をつきながら言う。「風真、早く手当てして」だが、兄はまるで聞こえてないみたいに言う。「なぁ……あの時、雨芽もこんなに痛かったのか」私は鼻をすすり、じんじんする目を閉じる。もちろん痛かった。でも、美瑠に虐待された時の身体の痛みより、兄の冷たい言葉は、もっと胸に刺さったんだ。美瑠は、死体遺棄を手伝った共犯の名前を白状した。相手は、彼女の昔の隣人だ。そして、もっと恐ろしい真実が浮かび上がる。美瑠はずっと前からうちの家族を狙っていて、彼女は自分の両親と弟を焼き殺した。その知らせを聞いた兄は、しばらくの間、まるで魂が抜けたみたいだ。母は目を閉じて、涙を滲ませながら言う。「私たち夫婦の善意が、まさか、あんな悪魔を家に招くなんてね……」美瑠に死刑判決が下った日、兄は一人で私の墓の前に来た。彼は苦しそうに呟く。「雨芽……母さんは今、僕の顔見たくないって言ってた。『これからは一人で雨芽を弔うから、あんたは私の前に現れないで』って……全部僕のせいだ。君の心を傷つけて、君を死なせて……僕はもう監察医を辞める。解剖台を見るたびに、君の亡くなった姿が浮かぶんだ」兄は私の墓碑を抱きしめて、熱い涙をぼろぼろこぼす。「雨芽、守れなくてごめん。約束守れなかった」その後、母は療養所へ移り、兄の見舞いを拒絶した。兄は酒に溺れはじめた。彼はいつも空っぽの部屋に向かって、独り言をこぼしていた。「雨芽、一緒にアイス買いに行くか?父さんと母さんには内緒だぞ」「雨芽、夜は何食べたい?兄ちゃんが作ってやるから」そんな兄の崩れていく背中を見つめながら、私の胸はまるでつる草に締めつけられるようだ。兄はふいに宙へ向かって手を伸ばす。「雨芽、ほら、兄ちゃんとハイタッチ。これからは、僕がちゃんと守るから」涙が私の頬をつたって落ちていく。私は子どもの頃みたいに手を伸ばして、兄と空中でハイタッチをした。視界がゆっくりとぼやけていく。そろそろお別れの時間なんだ。兄さん、今回のハイタッチは、約束だよ。もし来世があるなら、また兄妹になろうね。今度は絶対に、私を守
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