のぶちゃんへのアレは……男性に向けた恋慕というよりお兄ちゃんへ向けた思慕に近かったのかな? 奏芽《かなめ》さんのことはいちいち異性として意識してしまうけれど、のぶちゃんに対してもそうだったか?と考えてみると違和感があった。 って……今はそんなことを考えている場合じゃなくっ! サッとシャワーを浴びる時間ぐらいはあるかな。髪の毛は濡らさないようにするとしなくちゃ。 暑い中、うろうろした身体は、それなりにベタベタとして、気持ち悪い。 (奏芽さん、お待たせしてるのにごめんなさいっ!) そんなことを思いながらササッと裸になって、三つ編みをバレッタでアップにしてシャワーを浴びた。 タオルドライ後の身体に、ネイビーのノースリーブワンピースをまとう。 ハイウェストになっていて、襟元はVネックのロングスカート。 二の腕が剥き出しなので、薄手の七部袖のベージュカーディガンを合わせて、露出を抑え目に。 姿見の前に立って、少しは奏芽さんの横に立つに相応しい、大人っぽい女性に見えるかな?とドキドキする。(んー、何だかイマイチ……) ふとそんなことを思ってから、私はすごく迷って髪を一旦ほどくと、右サイドに寄せてひとつ結びのゆるふわ編みのおさげに結い直した。 考えてみたら、ふたつ分け以外の髪型を奏芽さんに見せるのは初めてかもしれない。 ふたつ分けにしているよりはひとつにまとめたほうが大人っぽく見える気がする。するけれど、急に髪型を変えたりしたら、変に背伸びしてるみたいで滑稽じゃないかな。 そこでふと時計に目をやった私は、帰宅後10分以上が経過しているのに気が付いてヒヤリとする。 10分くらいで支度しますって約束したのに! 15分越えたら嘘になっちゃうっ! 慌ててオフホワイトのマクラメ編みのショルダーバッグにお財布とハンカチ、ポケットティッシュ、それからスマホを移すと、ベージュのパンプスを履いて家を飛び出した。 階段を転がるように駆け降りて、奏芽さんの待つ車まで走ったら、中から身を乗り出すようにして助手席のドアを押し開けてくれながら、奏芽さんが笑う。「そんな急いでこなくても良かったんだぞ? 階段から落ちやしないかと冷や冷やしちまったじゃねぇか」 言って、うつむきがちに「凜子《りんこ》、反則……」と小声で付け足してくる。 一瞬何を
「えっ」 思わずびくっと肩を跳ねさせたら、「俺に家知られるの、嫌?」って真剣な顔で聞かれてしまう。 嫌なわけでは……ない――。 ただ……何となく。 そう、何となく、自分の中の倫理観と照らし合わせたら、そこもすべてが解決してから、のラインの向こう側に位置していただけで。 じゃあその境界線はどういう基準で引いているの?って考えたら結構曖昧で上手く説明できない――。「なぁ凜子《りんこ》、言い方変えていい?」 奏芽《かなめ》さんが私の迷いを悟ったみたいに、言い募ってくる。 彼の言葉に戸惑いながらも首肯したら、「幼なじみの〝のぶちゃん〟とやらは……凜子の家、知ってるのか?」って、痛いところを突かれてしまった。 私はグッと言葉に詰まる。「――こっち見ろよ、凜子」 私が後ろめたさで奏芽さんの方を向けないのを分かっていて、彼はそんな意地悪を言って私を追い詰める。 彼のほうを見られなくてじっと動けないでいたら、頬に手をかけられて奏芽さんのほうを向かされてしまった。「ね、答えて?」 本当に奏芽さんはずるい――。 いつもなら何でもないみたいに「答えろ」って言うはずなのに、本心から聞きたいことは、私にゆだねるみたいな聞き方をしてくるの。 そして私は、奏芽さんにそんな風に聞かれたら……逆に素直にならざるを得なくなってしまう。「……知って、います……」 何だか居たたまれなくて思わず視線だけ奏芽さんから逸らすと、それでもポツン……とこぼすように何とかそうつぶやいた。 のぶちゃんは幼なじみのお兄ちゃんです。 母からの人望も厚くて……私にとっては家族みたいな存在だから……。 だからお引越しを手伝ってもらったんです。 そういうのがなかったら、きっと彼にも住まいは知られていないと思います。 そう言い訳めいた言葉が頭の中をぐるぐる回るのに、何故か何ひとつ声にすることが出来なくて――。「だったら……」 ややして、奏芽さんが溜め息を落
「っちゅーことでさ、凜子《りんこ》が家に寄りたいってんなら、俺、雨宮《あまみや》にはちゃんと一報入れるぜ?」 スマホに視線を投げながらそう言ってくれる奏芽《かなめ》さんに、私は「貴方のそう言うところが大好きなんです」ともう1度、心の中でつぶやく。 だって、まだ声に出しては言えない。 のぶちゃんにちゃんと話をしてからでないと――。 私、今感じているような素直な気持ち、一刻も早く、奏芽さんにちゃんと胸を張って言えるようになりたい。 そのためにも、のぶちゃんに自分から連絡をしないと。 そう、思ったの。 *** 「なぁ凜子、聞いてる?」 奏芽さんに目の前でひらひらと手を振られて、ハッとする。 考え事に夢中になってしまって、彼の問いかけへの答えをちゃんと出来ていなかった。「あ、あの……えっと……」 ソワソワと視線を泳がせたら、「別の事考えてただろ」って正鵠《せいこく》を射られてしまった。 また、「俺と一緒にいるのに他の男のこと?」って叱られるかと身構えた私に、「急かす様なこと言っちまったけど……焦って結論出す必要はないんだからな?」って予想に反した言葉が続く。「え?」 思わず頓狂な声を出して奏芽さんを見つめたら、「生真面目な凜子のことだ。きっと俺への返事絡みであれこれ考えてんだろ?」って私をじっと見つめてくるの。 本当、この人には敵わない――。「……奏芽《かなめ》さんは……やっぱりエスパーか何かみたいです。――私、いま、のぶちゃんと……。えっと、幼なじみの彼と……ちゃんと話してからでないと、奏芽さんとのことにも向き合えないなって……そんなことを思ってました」 今までは、ただ漠然と「また連絡するね」と言ってくれたのぶちゃんからのコンタクトを待てばいいと思っていたのだけれど、自分のことなのにそんな受け身でいいのかな?って……。自分から動かないとダメなんじゃないかな?と思ってしまった。 ただ単に、自分の中で結論が出てしまったから、のぶちゃんに少しでも早くそれを伝えたくて堪らないだけなのかも知れない。 のぶちゃん側の気持ちの整理なんてお構いなしに、自分本位に動こうとしているに過ぎないんだと言うのも分かってるつもり。 でも、私がノブちゃんに伝えたい言葉は、それが遅くても早くても、きっと彼を傷つけるから。 だったら、いっそ早
「もしもし雨宮《あまみや》? ――鳥飼《とりかい》だけど……。うん。……なぁ、今から2人、大丈夫? ……あ? そう、だから2人だって。何度も確認してくんな」 二言三言電話先の相手――雨宮さん?と会話を交わしてから通話を切ると、「OKだって」と私の手をぽんぽん、と優しく叩く。 私はそこで初めて自分の格好を見て、「あ、あのっ、私こんな格好のままで大丈夫でしょうか?」 ソワソワと彼を見つめた。 袖口がフレアスリーブになった、胸元ロゴ入りのシンプルなベージュのTシャツ。 それに、黒のサスペンダーパンツ。 いわゆる、大学に行くためのコーディネート。 おまけにカバンも勉強道具のみっちり詰まった大きな帆布《はんぷ》のショルダーバッグで。 和懐石のお店って……こんな服装の子が入っても平気なの? 恐る恐る見詰めた視線の先、奏芽さんが瞳を見開いたのが分かった。「……俺、スーツに見える?」 言われて見た奏芽さんは、グレーのTシャツにネイビーのシャツを羽織っていて、ズボンは白。 スーツでは……ない。「気取った店じゃねぇし、大丈夫だよ。けど――」 そこで私の頭をクシャリと撫でると、「凜子《りんこ》が気になるってんなら一旦家まで連れて帰ってやるよ。どうする?」 聞かれて、私は考えた。「でも奏芽《かなめ》さん、さっき、お友達にすぐに行くって連絡してなかったですか?」 着替えさせてもらえるなら嬉しい。 出来たらもう少しお洒落して奏芽さんにほんのちょっとでも可愛いと思われたい。 でも……私のわがままで誰かに迷惑をかけるのはダメだ。「ああ。でもまぁ、凜子が着替えてどうこうの時間ぐらい誤差の範囲内だと思うぜ? 気にしなくていい。――店自体ここからなら車で5分とかからねぇし……」
「でさ、本題。――飯、付き合うだろ? 凜子《りんこ》、何か食いたいもんあるか?」 付き合うだろ?は付き合うよな?と同義だよね?と思いつつ。 横暴にも聞こえる強引なその言い方が、私はやっぱり嫌いじゃない。 何か食べたいものがあるかって聞かれて、先日のぶちゃんとお寿司を食べに行ったのをふと思い出した私は、「お寿司以外なら」って自然に答えられていた。「あ、それ、俺も同感だわ」 奏芽《かなめ》さんが私の言葉に笑って、「あとはあれだ。ハンバーガーもパスだろ?」って言うの。 考えてみたら、私と奏芽さん、同じ日にお寿司を食べたんだった。 そこでふとあることに気付いた私は、思わず聞かずにはいられない。「そういえば奏芽さん、結局今日のお昼は何を食べたんですか?」 奏芽さんが買っていたハンバーガーは、私が食べてしまった。 奏芽さんはあの後どうしたんだろう?「んー? さて、どうしたでしょう?」 視界の端、奏芽さんがニヤッとしたのが見えて、私はもしかして、と思う。「同じのもう1セット……とか」 言ったら「よく分かってんじゃん。正解」って言うの。「そんなにあのハンバーガー、食べたかったんですね」 わー、それは奪ってしまうようになってしまって、申し訳なかったな。 そう思って、「ごめんなさい」って付け加えたら、「分かってねぇな、凜子」って一変してムスッとした顔をするの。「え? どういう……意味ですか?」 何でそこでそんな反応?って思った私は、奏芽さんにつられるように唇をとがらせていた。 怒る意味が分かんないっ! 私の言動に、ハンドルから身を起こした奏芽さんが、じっとこちらを見つめてきて……「凜子と同じの食って、色々共有したかったから、だよ。――言われなくても分かれよな」ってばつが悪そうな……でもすごく幸せそうな声音で言うの。 途端、心臓がうるさい
驚いて瞳を見開いた瞬間に、限界まで溜まっていた涙がポロリとこぼれ落ちる。 そのことに気づいただろうに、奏芽《かなめ》さんはあえて何も言わなくて……そのまま話を続けてくれた。「さっき……凜子《りんこ》が俺に脈があるかもって教えてくれただろう?」 言われて涙でぼんやり霞んだ視界のまま、小さく首肯する。頭を動かした途端、またポトリと涙が落ちる。「俺さ、こんなだから結構沢山の女と付き合ってきたわけ」 言われた瞬間、言いようのないモヤモヤがこみ上げてきて、涙目のまま思わず握られた手を引こうとしたけれど無理で。「まぁ、怒るなよ。過去の話だ」 ってそういうことをサラリと言えてしまえるところが嫌なんだと、何で気づけないんだろう。バカっ!「――べっ、別に怒ってませんっ」 唇を噛み締めてそう吐き出したら、悔しさのせいかもっともっと視界が霞んで。 そんな私に、「そっか」って何もかもお見通しみたいに奏芽《かなめ》さんがうなずくの。 そこで信号が青になって、奏芽さんの手が呆気なく私から離れる。 その瞬間、思わず「待って」って思ってしまって、私はそれが恥ずかしくて唇を噛み締めた。*** どこか無理矢理運転に集中するように前方を見つめたまま奏芽さんが続けるの。「けどさ、……何だろ。さっき凜子《りんこ》に……俺にもチャンスがあるかもって言葉をはっきりもらった瞬間、どうしようもなく嬉しいって思っちまって。――自分からそうなるように仕向けといてバカかって思われるかも知んねえけど……そんな風に思ったことに正直めちゃくちゃ戸惑ったんだよ」 その衝動が自分でも初めてで、訳が分からなくて困惑したのだと奏芽さんが言う。 あの「なんだ、これ」はそういう意味だったのねって思ったら、何だか今更のように照れてしまった。「凜子が結