「あれからどうなの?」
最近、|四季《しき》ちゃんは他のお友達と離れて私のそばにいてくれることが多くなっている。 それを申し訳ないと思ってしまう反面、常に誰かと一緒にいられるという心地よさに、私は甘えてしまっていて、「実は……嘘みたいに何も感じないの」 ――もしかしたら私の気のせいだったのかも知れない。 そう付け加えたら、「そういう油断、よくないよ?」って眉根を寄せられてしまった。「あ、でも今でもちゃんとバイトの時なんかは送り迎えしてもらってて」 |奏芽《かなめ》さんが仕事で無理な時には|霧島《きりしま》さんご家族が来てくださるというのも、結構常態化している。 とある私立小学校で|教鞭《きょうべん》を取っておられるというお2人に、私は自分も将来小学校の先生になりたいんです、と話せるまでになっていた。 のぶちゃんにも以前同じ様に夢を語って色々相談に乗ってもらったけれど、会う頻度が圧倒的に高いからかな。 気が付けば私、霧島さんご夫妻から学校の先生になるためのコツや、実際の現場の様子なんかをたくさん教わっていた。 でも、お2人のお話を伺えば伺うほど。また、|奏芽《かなめ》さんと一緒に過ごせば過ごすほど――私の中にもうひとつ違った思いが込み上げるようになってきたのも事実で。「ねぇ|四季《しき》ちゃん。た、例えば……なんだけどね。大学の勉強をしながら通信講座を受けるのとかって……どう思う?」 何の気なしにそう言ったら、四季ちゃんに目をまん丸にされてしまった。「|凜子《りんこ》ちゃん! 今でも大学の勉強無茶苦茶頑張ってるよね? バイトも毎日のようにしてるし……この上さらに通信講座までって……寝る時間あるの!?」 確かにそれは四季ちゃんの言う通りで。 私、元々そんなに要領がいいわけじゃない。 成績がそこそこの位置をキープしているのだって、努力をした結果だからに他ならないわけで、恐らくやらなくなったらそれなりの成果しか出せないの。 何もしなくても何でも卒なくこなせてしまう、いわゆる天才気質の私はあまりの恐怖に男から離れるようにそっとベッドの向こう側に降りて、一歩ずつジリジリと距離をあけた。 足首に取り付けられた足枷が皮膚に擦れて、歩くたびにピリピリと痛んだけれど、そんなことを気にしている場合じゃないって思ったの。 ややして背中に冷たい壁が触れて、それ以上さがれないって分かったのに、諦められないみたいに壁にピッタリ背中を付けて張り付く。 と、男の背後で何かが床にぶつかるような音がして……次いでパタン……と扉が閉まる音がした。 見ると、さっきまで持っていたはずの私のスマホが手に握られていなくて……私から遠ざけるために鎖の届かない所へ投げ捨てられたのだと分かった。 そういうことをしたということは当然、男は私に近付く気満々ということだ。 足に鎖までつけられている私は、正にカゴの中の鳥状態。 どんなに頑張って逃げ惑ったとしても、必ず捕まってしまうだろう。 そう思ったけれど、諦めるなんて出来なかった。 万に1つでも可能性があるならば、私は綺麗な身体のままで奏芽さんと再会したい。***「部屋も暖かくなってきたし、そろそろいいよね?」 私との距離を詰めながら告げられた言葉に、背筋がゾクッとする。 部屋が暖まっただなんて嘘よ。 私、こんなに冷え冷えとした気持ちで、全身に鳥肌が立ってしまっているのに。「凜、どうしてベッドから降りてそんな隅っこに逃げたの? 大人しくベッドで待っててくれたらいいのに。ねぇ、僕を焦らして楽しい?」 焦らしてなんていない。 本気で嫌だから。本気で怖いから逃げてるだけなのに。何でそんなことも分からないの? それとも、分かっていて気づかないふりをしているだけ?「嫌なの、来ないで……」 男から目を離さないままに一生懸命拒絶の言葉を放ってみたけれど、まるで聞こえていないみたいにす
「GPSってさ、スマホの電源を切った地点が表示されるって知ってた?」 私のスマホを弄ぶように見せ付けながら、男――金里明真が問うてくる。 私はその声にハッとして顔をあげた。 この家で電源が切られたんだとしたら……奏芽さんは私の元へ辿り着けると言うこと? 一瞬そう思って希望を抱きかけたけれど、それを知っていながらこの男がそんなバカなことを許すはずがないとすぐに気づいた。「さて、ここで問題です。これは何でしょう?」 ニヤリと笑顔を向けられて、私はその表情のいやらしさに寒気を覚える。 男が部屋の入り口の扉を開けたままそこに立って話しているから、廊下からの冷気が部屋に入ってきているのかも知れない。 でも、それだけではない心理的な悪寒の方が強い気がする。 嬉しそうに見せられたのは、私のバイト先のコンビニのロゴが入ったレジ袋。 今はレジ袋も有料化しているから、それを持っていると言うことはわざわざ買ったんだろう。 そうまでして、そこに行ったのだと私に知らせたい理由があるとしたら――。「凜の携帯の電源はね、セレストアで切ってきたんだ」 やはり、と思う。 セレストアまでは徒歩圏内ではあるけれど、履歴に残った私のスマホのロスト地点はここではないのだと言外に含ませるところに、この男の底意地の悪さを見た気がした。「ホントはもっと遠くまで持って行って切りたかったんだけどさ、キミをあまり長いことひとりぼっちにしておくのも心配でしょ? 凜に内緒でそっと出かけたし……なるべく早く帰ってきたかったんだ」 だから、近場で私がいてもおかしくなさそうな場所、奏芽さんがそう思って惑わされるであろう場所を選んで、そこで電源を切ってきたのだとクスクス笑うの。 心底吐き気がする男だと思った。 そうして、それに振り回されるかも知れない奏芽さんを思うと、私
切りながら、受話器側とは別の手で持ったスマホに片山さんの番号を打ち込んで、ワンコールだけして切る。 そのままもう一度例の追跡アプリを立ち上げて――。 やはり未だに凜子の位置を現す「泣きべそウサギ」がある一点から動かずにロスト表示のままなことを確認した俺は、スマホを握りしめる。 そうしながら白衣を脱ぎ捨てて椅子に放ると、第一診察室へ向かった。「院長、俺、ちょっと今日は診察できそうにないです」 いつもなら、身内という甘えもあって、もっと砕けた物言いになるところだが、今日は――いや、今だけは……そんな甘えで親父に接したくないと思った。「もうじき開院時刻だぞ。何を馬鹿なことを」 スタッフたちも親父と同じ意見らしく、冷ややかな視線が突き刺さる。「音芽が! あなたの娘が切迫した危機的状況にあるって言ったらどうしますか?」 こんな卑怯な手、使いたくなかったが仕方ない。 この親父が、娘を溺愛していることは周知の沙汰だ。 実際には音芽は何ともないんだが、俺にとって凜子は音芽と同じぐらい……いや下手したら音芽より大切なんだ。少しくらいの嘘、許して欲しい。「音芽に何かあったのか!?」 案の定食い気味に俺に詰め寄ってくる親父に、「音芽には旦那が付いてるから問題ないです」と告げてから、すぐに言葉を続ける。「けど! 俺にとって音芽と同じくらい……いや下手したらそれ以上に大事な女性のピンチかも知れないんです。だから――」 行かせてくれ。 そう言おうとしたら、皆まで言う前に「さっさと行け」と追い払うような仕草をされた。 いいのか?と言う言葉も出ないほどに、俺は親父からのその言葉を待ち望んでいたんだと思う。 正直な話、ダメだと言われても行く気満々だった。けど、やはり仕事に穴をあける以上、ちゃんと筋は通したかったから。「恩に着ます!」 言っ
いつもなら「大学に着きました」とメッセージが入ってもいい頃になっても、凜子からの連絡がない。 朝、「行ってきます」の連絡はいつも通りの時間にあったのに、だ。 朝礼の時刻――8時45分まであと5分。 スタッフみんな第一診察室に集まっている頃だと思う。 当然、俺も行かないといけないんだが。 妙な胸騒ぎに突き動かされて、俺はスマホを握りしめる。 とりあえず、と凜子の携帯に掛けてみたけれど、電源が落とされているのか、圏外に出てしまっているのか、繋がらなかった。 たまたまか? 普段公共の交通機関を利用する凜子は、それらに乗るときは、必ず携帯をマナーモードにしている。もっと言えば、大学構内にいるときもそう。 真面目な子だから、それは絶対だ。 でも、電源を切ったりはしていなかったはずだ。 前にGPSでお互いの居場所が分かるアプリを入れたけれど、あれにしたって相手先の電源が落とされていては使い物にならない。 一応確認のためにアプリを立ち上げてみたら、凜子を現す「泣きべそウサギ」のアイコンは数分前にある地点でロストした表示になっていた。「くそッ」 思わず舌打ちが漏れて――。 俺は携帯を握りしめたまましばし逡巡する。 *** 前に病院へ掛かってきた凜子の友人――片山さんの携帯番号は、登録こそしていないが記憶している。 基本的に一度見聞きしたものはそう簡単には忘れないんだが、それを今日ほどありがたく思ったことはない。 俺は少し考えて、片山さんに電話してみることにした。 知らない携帯番号からいきなり掛かってきたら、警戒されるかもしれねぇな。 そう思った俺は、病院の電話からかけることにした。 固定電話の番号なら、市外局番が通知されて市内だと分かるだろうし、市内からの着信なら出てくれる確率が格段に上がる気がしたからだ。 数コール目で「……もしもし?」と少し怪訝そうな声が応じてくれる。
気がついたら、私は怒りと嫌悪感をあらわにして「いい加減にしてっ!」と叫んで男の手を払いのけて突き飛ばしていたの。 男の、奏芽さんと私とのかけがえのない時間を否定するような物言いと、下卑た笑顔に触れるのが心底嫌で、逃げ場なんてないという現状も忘れてそのまま這うようにベッドの端っこに|膝行《しっこう》してうずくまる。***「……これからずっと一緒に暮らしていかなきゃいけないご主人様にその態度。しつけが必要だね、凜」 ややして見下ろすようにしてそう告げられて、スタンガンを見せ付けられた私は、恐怖にギュッと目をつぶった。 ひやりとした感触が、今度は首筋に当てられる――。 バチッという音がすぐにでも聞こえてくる気がして身構えたけれど、音も衝撃も一向に襲ってこなくて、私は恐る恐る目を開ける。 と、すぐ目の前に男の顔があって、「ねぇ、怖かった?」って笑いながら聞いてくるの。 私は涙目になりながらそんな男を見返すしかできなかった。「|凜《りん》、|スタンガン《これをされる》のはもう懲り懲り? ――だったら……。僕にどうしたらいいか、分かるよね?」 電撃を見舞われたくなければ謝罪を乞えと言外に告げられて、私は瞳に溜まった涙をこぼさないよう、瞬きをこらえて言葉をつむいだ。「ごめ……なさ、……」 なのに男は私の両頬を片手でギュッと強く掴むと、顔を近づけてきてささやくの。「違うよ、凜。|明真《あすま》さん、ごめんなさい、だ」 頬を|鷲掴《わしづか》みにされた衝撃で、絶対にこぼしたくなかった涙がポロリと両頬を伝って、私は悔しさに唇を噛む。 その間も手にしたスタンガンを散らつかされて、その痛みを知っている私は、どうしても恐怖に支配されてしまうの。「あ、すまさ……ごめ、んなさい」 私、悪いことなんて何もしていないのに。 どうして謝らなきゃいけないの? |奏芽《かなめ》さん、お願い。一刻も早く……助
私は耳を引き千切られてしまうのではないかという思いに、身体が動かせなくなった。 それをいいことに、男が私の耳に吐息を吹き込むように声のトーンを低めてささやいてくる。「もしそれが|真実《ほんとう》ならチャンスだって思ったんだ」 言われた言葉に私は絶望しか感じなくて、「あのっ、耳、|痛《いた》ぃ……ので……、離、して……くださ……。お願……」 って小さく抗議の声を上げるので精一杯。「あー、ごめん、痛かった?」 絶対痛くしているという自覚はあると思うのに、さも気付いていなかったのだという風に笑うこの人が、心の底から怖いって思った。「けど……もし本当にセックス自体が初めてだとしたら……僕との行為、こんなの比にならないぐらい、もっともっと痛いと思うよ?」 ――僕は優しくほぐしてあげるつもりなんて微塵もないし。「その方が僕との初めての記憶を刻み込めるでしょう?」 さらりと恐ろしいことを言う男に、ギュッと縮こまるようにして身体を守る。 こんなことなら|奏芽《かなめ》さんに|二十歳《はたち》を待たずに私を奏芽さんのものにして欲しいと……強く迫っておけばよかった。 そんなことまで思ってしまうほど、この男に〝初めて〟を奪われてしまうと思うと嫌で嫌でたまらない。 お門違いだと分かっていても、|奏芽《かなめ》さんが頑なに私の成人を待ってくださったことでさえも恨めしく思えてしまう。「それにしても。なんで|凜《りん》の彼氏気取りのあの金髪男はキミを抱かなかったんだろうね? こんな風に横から|掻《か》っ|攫《さら》われちゃうとか思わなかったんだとしたら、相当なお人好しだよ。そもそも凜の魅力に惑わされないで|二十歳《はたち》の誕生日まで待つとか、僕からしたらあり得ないんだけど! だってさ、凜の誕生日、4月半ばでしょ? マジ先すぎるだろ。ね、ぶっちゃけあの男、何ヶ月待ったの?」 そこまで一気にまくしたてられて、私は奏芽さんとのことを全否定されたみたいな気持ちになる。 奏芽さんは……私を大