Masuk胡桃は再びシャワールームに入ると、急いで自分の母親の名前を呼び出し、電話をかけた。 数コールで電話に出た母親に、胡桃は弾む声で話し出す。 「もしもし、お母さん?」 〈ええ。元気にやってるの、胡桃?〉 「うん、元気元気。誠司が常に私の傍に居てくれるからね」 〈ふん……良くやったわ。早くもみじと誠司が別れて、胡桃と一緒になってくれるといいんだけど……〉 「それももうすぐ実現するわよ、きっと。でね、それよりお母さんに朗報よ」 〈なに?〉 「お姉ちゃん──もみじを、家事手伝いで実家に行かせる事になるわ」 〈もみじを?〉 「うん。誠司が帰国するまで、もみじをこき使ってやればいいわ。それと、もみじが実家にいる間に、お母さんはもみじの家に行って、死んだ母親の未発表のデザインを盗んで」 〈だけど、鍵が……〉 「それなら大丈夫。私が鍵の番号を知ってるから、いつでも入れるわ」 〈本当!?それなら、舞奈のデザインを盗む事が出来るわね。良くやってくれたわ、胡桃!〉 「ふふふ。私に出来ない事はないわよ。そのデザインを盗んで、私の作品だと発表すれば誰もが認めるデザイナーになれるし、私が偽物のSeaだってふざけた事を言っている奴らを黙らせる事が出来るわ!」 〈ええ、ええ。そうしなさい。死んだ女のデザインなんて使ってやれば良いのよ〉 「そう言う事だからお母さん、もみじがそっちに行く事が決定したらまた連絡するわね」 〈ええ、待ってるわ〉 「はーい、じゃあまた!」 そう言って通話を切った胡桃は、にんまりと笑みを浮かべた。 ◇ 一方、もみじの寝室。 早朝に、もみじのスマホが着信を知らせる。 「んん……もう、また何事……?」 もみじはころり、とベッドの上で寝返りを打ち、スマホを手に取る。 すると、スマホの画面に表示されていた名前を見て、もみじは顔を顰めた。 「何でまた誠司から……」 無視をしてしまおうかと思ったもみじだったが、暫く出ないでいてもずっと電話は鳴り続けている。 「ああ、もう……!眠いのにっ」 もみじはこれを無視しても執拗く電話されそうで、それは嫌だと判断して渋々電話に出た。 「もしも──」 〈遅い!何をぐうたらと寝ているんだ!?そっちはもう朝だろう、俺がいないからと言ってだらしなくなっているんじゃないか!?もみじ、お前はこの間か
◇ 「やだー、何これ面白ーい♡」 胡桃は歪んだ笑みを浮かべながら、その投稿にハートを送ると、誠司が居るであろう寝室に向かった。 とんとん、と軽い足取りで寝室の扉を開けて仕事をしている誠司の背中に抱きついた。 「ねえねえ、誠司。私、凄く面白い投稿を見つけたの」 「……それは良かったな。今は仕事で忙しい、その話は後でにしてくれるか、胡桃?」 胡桃の方へ振り向く事なくパソコンに向いたままの誠司に、頬をぷくっと膨らませた胡桃はずいっと自分のスマホを誠司の目の前に出した。 「お姉ちゃん、バイトを始めたみたいよ?こんな事を許していいの、誠司?」 「──バイト?もみじが?」 もみじの名前を出された誠司は、パソコンに向いていた視線を胡桃のスマホに向けた。 胡桃のスマホ画面を見た誠司の目に、カフェ店のエプロンをつけて飲み物を運ぶ姿のもみじが映っている。 その姿を見た瞬間、誠司の眉間が不愉快そうにぐっと顰められた。 「もう、お姉ちゃんったら誠司のお嫁さんだって自覚がないのかなぁ。誠司ほどの男の人のお嫁さんなのに、外で働いたりして……みっともなーい」 「……そうだな」 「ねえ、誠司。今後、誠司のお嫁さんはお姉ちゃんだって分かるでしょ?その時に誠司ほどの凄い男の人の奥さんが、カフェでバイトをしてたってバレちゃったら……恥ずかしくない?」 胡桃は誠司を覗き込み、まるで心配している風を装い、助言する。 「きっとお姉ちゃん、誠司がいなくて暇だし、寂しいのよ」 「もみじが、寂しがってるのか?」 「ええ、きっとそうだわ。いえ、絶対にそうよ。お姉ちゃんは誠司の事が大好きなんだから!」 「そう、か。そうだよな。だからこそこんな風に毎日俺のために食事や服を手配してくれてて……」 「そうそう。だから、誠司がいなくて暇なお姉ちゃんには、実家の家事手伝いをしてもらうのってどう?」 胡桃はいい事を思いついた、とばかりに自分の両手を合わせて可愛らしく誠司に微笑んで見せる。 「お母さんも私が海外に出ちゃって……お姉ちゃんも誠司と結婚したから家を出ちゃったから、きっと今は家で寂しい思いをしてるかも……」 だからね、と瞳を潤ませて胡桃は誠司に懇願する。 「誠司が帰国するまで、お姉ちゃんに実家の家事手伝いをしてもらったらどうかな?そうすればきっとお母さんも喜ぶし、お姉ちゃ
そうこうしている内に、火傷をしてしまった店員が申し訳なさそうに戻ってきた。 「お客様方に手伝わせてしまい、大変申し訳ございません……!」 「腕の火傷は大丈夫ですか?」 「はい。沢山冷やしましたので、大丈夫です!」 元気よく答える店員だが、どう見ても腕の火傷は痛そうだし、人手が足りなく今すぐ病院には行けなさそうだった。 その間、色々と手伝ってくれていた女の子達はぺこぺこと頭を下げ、店員に謝罪をすると店を出て行ってしまった。 その女の子達を見送りつつ、もみじは考えていた事を店員に告げる。 「……店員さんは、その腕だとグラスを運べませんよね?もし良ければ運ぶくらいでしたら、お手伝いしますよ?テーブルの番号とかは覚えていないので、教えていただく事になると思いますが……」 もみじの申し出に、店員は恐縮してしまい、必死に断っていたが、キッチンに居たこの店の店長だろうか──。 その男性が出て来て、もみじに申し訳なさそうに話しかける。 「すみません、お客様。片付けの手伝いをしていただいた上に、そのような有難いお心遣いまで……」 「店長……!」 「もしよろしければ、お言葉に甘えさせていただいてもよろしいですか?ほんの2時間、2時間だけお手伝いいただいても……?」 「店長、それは──」 「だが、君はその腕だ。品物を運べないだろう?それより、いつも来て下さっている常連のお客様がお手伝いを申し出て下さっている。お言葉に甘えさせていただこう」 女性が必死に店長の言葉を止めようとしているが、店長はもみじに手伝ってもらえるのが有難い雰囲気だ。 もみじは店長の言葉に頷き、答えた。 「もちろんお手伝いしますよ。お店のエプロンをした方がいいですよね?どちらにありますか?」 「──ありがとうございます!お詫びはしっかりとさせていただきますね。エプロンはこちらです……!」 店長はそう言うと、困ったようにおろおろしている女性に顔を向けて告げる。 「ほら、君は病院に行ってきなさい。あと2時間もしたら次のシフトの子が来てくれるから」 「て、店長……すみません。お客様にも、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」 深々と頭を下げる女性に、もみじは慌てて両手を振った。 「いいえ、大丈夫ですよ。早く病院に行ってください」 そうして、もみじが店長に案内されてお店
女の子達の叫び声と、食器類が大きな音を立てて落ちて、割れる。 中にはホットの飲み物もあったのだろう。 店員の腕はホット飲料をまともに浴びてしまっていた。 「ごっ、ごめんなさい──!」 「だ、大丈夫です……っ」 女の子達が真っ青な顔で店員に謝罪をする。 店員もすぐに返事をしたが、店員の顔色はどんどんと悪くなって行く。 その様子を見たもみじは、迷わずに席を立つと店員の元に向かった。 「大丈夫ですか?腕、火傷していますよね?すぐに冷やした方がいいと思います」 「あ、ありがとうございます。申し訳ございません、お客様に……」 「いえ、お気になさらず」 もみじと店員が話している間も、他の店員が出てくる気配が無い。 もしかして、今日は店員の数が少ないのだろうか。 カウンターに居る他の店員は、他のお客への対応で手一杯。 心配そうにこちらに顔を向ける様子が見えるが、レジにはずらり、と人が並んでおり1人で捌き切るのには大変だろう。 なら、中には──。 そう考えたもみじが顔を向けようとした所で、火傷をした店員が痛みに耐えるような顔をしつつ、口を開いた。 「申し訳ございません、本日は中には1人しかおらず……。お客様にご心配をおかけしてしまい、申し訳ございません。すぐに床を片付けますので──」 「火傷をした腕で!?今すぐ冷やしに行ってください!」 「あっ、あのっ!ごめんなさい、床の掃除は私がやります……!」 ぶつかってしまった学生の女の子が今にも泣きそうな顔でおろおろとしつつ声を上げる。 「で、ですがお客様に──」 「あら、それじゃあ一緒に片付けましょう?すみません店員さん、掃除道具はどこですか?」 店員が断る前にもみじは言葉を遮り、店員に掃除用具がある場所を聞く。 「店員さんは早く腕を冷やしてください。火傷は早く冷やさないと治りが遅いですよ」 さあさあ、ともみじが店員を促すと、ぶつかってしまった女の子とその友人達が床に落ちて割れてしまったグラスを片付けようとしゃがみ込んだ。 「──あ!駄目よ、出て触れたら!硝子の破片で切ってしまうわ!」 そんな様子を見たもみじは、慌てて女の子達を止める。 そして、もみじは自分のバッグから厚手のハンカチを取り出すと、散らばってしまった硝子を集め始めた。 店員に許可を取り、紙ナプキンを貰ったもみじは
【自分の知らない所で画像が拡散されちゃってる🥺どうしよう、どうしたらいいのかなぁ。彼に迷惑をかけちゃう……】 そんな文章を投稿した胡桃は、スマホの画面を消して跳ねるように軽い足取りで誠司がいる寝室へ向かった──。 ◇ 国内、もみじの家。 もみじは弁護士への依頼も済み、デザインコンテストの1次審査の通過も終わり、駅舎のデザインに本腰を入れていた。 依頼主に複数パターン提出していたラフデザインの内、話し合いを経てデザインが決定したのだ。 そのため、依頼主と細かな打ち合わせなどで時間を取られていたもみじは、誠司と胡桃のキスしている写真がネット上から全て綺麗さっぱり削除された事など気付いていなかった。 いや、最早そんな事はどうでもいい、と思っていたのだ。 「──うう、目が疲れた……っ」 長時間パソコンに向き合っていたもみじの目が限界を迎える。 度々目薬を使用していたが、それだけでは解決せず、もみじはぐっと伸びをすると気分転換に出かけようと考える。 「確か、いつも行ってるカフェが新商品のラテを出したのよね?それでも飲みに行こうっと」 そう思い至ったもみじは、いそいそと支度をして家を出た。 最早、常連となっている程通っているカフェ。 このカフェは、もみじの家からも然程遠くなく、気分転換で良く利用していた。 髙野辺もこの辺で仕事をする事が多いのか、良く会う事が多い。 だが、今日は店内にも、外のテラス席にも髙野辺の姿は見えない。 「髙野辺さんと会えたら、久保田弁護士を紹介して下さった事についてお礼を伝えようとしたのだけど……。残念、今日は居ないわね」 偶然会う事が多かったから、もしかしたら今日も会う可能性があるかも、と考えていたもみじだったが、今日はその偶然は訪れなかった。 新商品のラテを注文し、それを受け取ったもみじは客席に向かう。 客席に着いて新しいラテの味をゆっくりと楽しむ。 「これは美味しいわ、リピート確実ね……!」 好みのラテの味にもみじの顔に自然と笑みが浮かぶ。 ラテの味を楽しみつつ、スマホで最近のニュースやSNSを確認する。 時折、外を歩く人達を眺めたりして外で過ごす時間を楽しみ、そろそろお店を出ようかな、ともみじが考え始めた頃。 学校帰りだろうか。 複数の女子が楽しそうにお喋りをしながら入店した。 女の子達
「──は?」 自分の口から間抜けな声が出てしまったが、そんな事を気にしている暇は無い。 「何だ、これは……っ」 誠司の顔が見る見るうちに真っ青になって行く。 震える指先である画像をタップした誠司は、画面にパッと大きく表示された画像を見て絶句した。 「ど、どうしてこの写真が……!」 真っ青になった誠司は、国内でトレンドに入っているそれに目を丸く見開いた。 ハッシュタグを辿って確認していけば「飛行機内で見つけたバカップル」「世紀のバカップルぶりだ」「指輪をしているからバカ夫婦じゃないか」などなど、好き勝手に書かれ、拡散されている。 画像に映る人物は、どこからどう見ても誠司と胡桃だ、と2人を知っている人が見れば一瞬で分かってしまう。 しかも、ただ写真に並んで映っているのならまだしも、写真の2人はキスをしているのだ。 それも何枚も写真が撮られ、拡散されている。 「ふ、ふざけるな……!もみじが見たら……!」 そこまで口にした誠司ははっとする。 もしかして、もみじは既にこの画像を見たからこそこの数週間の間、自分に連絡を入れなかったのでは──。 そんな悪い考えが浮かんでしまった。 「さ、削除依頼を……!こんなもの、肖像権の侵害だ!プライバシーの侵害だ!これを拡散した奴も、最初に投稿した奴も訴えてやる!!」 誠司が顔を真っ赤にして叫び、スマホを操作する。 その間、いくら誠司を呼んでもやって来ない事に痺れを切らした胡桃は、バスルームから誠司がいる寝室のすぐ近くまでやって来ていた。 扉を開けようとドアノブに手を伸ばしていた胡桃は、怒り狂ったように叫ぶ誠司の声を聞いていた。 そして、どんな写真が拡散されているのかをある程度察した胡桃は、バスルームに戻り自分のスマホを手に取って操作する。 少しネットを確認してみれば、誠司と胡桃のキスシーンの画像がすぐに見つかった。 「あら、やだぁ♡」 胡桃はにんまり、と目を三日月形に歪め、歪む口元を隠すように手を添える。 「誰よ、こんな最高な事してくれたのは」 くすくす、と胡桃は楽しそうに笑う。 「これじゃあ、誠司の妻は私だって事が認知されちゃうわ。困ったわね、お姉ちゃんは益々外で誠司の横に立てないわ」 それに──、と胡桃は自分の下腹部をにやにやと
◇ 場所は変わって、もみじが入院している病室。 ベッドに横たわりながら、もみじは病室の真っ白な天井をぼうっと見つめつつ、ころりと寝返りを打った。 じっとしていると、昼間の事が思い出されて、もみじはぐっと強く目をつぶった。 (……誠司は、胡桃を優先した) あの時の光景を思い出して、もみじの唇が震えてくる。 (私が倒れても、誠司は見向きもせずに……胡桃を大事そうに抱えて……) そもそも、そんなに胡桃が大切なら。 どうして誠司は自分と結婚したのだろう、ともみじはどんどん暗くなってしまう。 (結婚しても……、誠司とはまだ本当の夫婦になっていない……。それに、結婚指輪だって──。会
「しゃ、社長?どうなさったんですか?」 「どうもこうも……!」 誠司は自分の秘書に妻を探せ、と命令をしようとしたがそこで言葉に詰まる。 目の前の秘書、田島は誠司の妻は胡桃だと思っている。 そして、誠司は田島が胡桃の事を「奥様」と呼ぶのを訂正した事は無いのだ。 本当は胡桃が妻ではなく、他の女性──しかも、昼間に追い払った女性が本当の妻だと知ったら。 田島が他の社員に言いふらす事はないだろうとは思うが、田島が胡桃の事をどう思うか。 それだけが、誠司は心配だった。 だが、誠司1人ではもみじを探し出す事は難しい。 人を使って調べさせようにも、もみじの事を妻だと告げねばならないのだ
そして、そんな声はもみじ以外の耳にも、当然入っていた。 それは、近くを歩いていた看護師の耳にも入っていたようで。 「いいなぁ、あそこの個室の奥さん。凄い格好いい旦那さんが、凄く心配して、精密検査やら何やら手配したのよ?」 「ええ?」 「どうやら、奥さん気絶しちゃったみたいで。多分低血圧とか、そう言う類だと思うんだけど、突然気を失ったって血相変えて来たんだから!」 「それ本当!?奥さん、旦那さんに凄く愛されているのね!」 「凄かったわよー、救急車に同乗して、奥さんがストレッチャーで運ばれてる間もぴったり横に寄り添って凄かったんだから!」 きゃいきゃい、と興奮気味に話す看護師の言
「社長?こんな時間にどうされたんですか?何か緊急の案件でも……?」 「──田島」 ひょこり、とやって来た秘書の田島は、部屋の中で立ち尽くしている誠司に首を傾げたが、ふと誠司の足元を見て「不味い」と顔色を変えた。 「申し訳ございません、社長!汚い血が残っておりましたね。業者に片付けを頼んだのですが、残しがあったようです。担当した者はクビにいたします!」 「片付け……?」 清掃業者に電話をかける田島に、誠司は唖然としつつ振り返る。 業者に片付けを頼むほど、室内は荒れていたのだろうか──。 誠司が唖然としていると、田島は彼の違和感には気付かずに清掃業者と電話が繋がった事で、喋り始め