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2話. 夫婦の寝室でワインを飲む悪魔たち

作者: 6jay
last update 公開日: 2026-10-05 22:57:23

細かな鉄格子のはまった小窓から、冷たい明け方の空気が忍び込んでいた。四方を分厚い防音パッドで隙間なく覆われた、4畳ほどの隔離室。

民間救急車に乗せられ、埼玉県郊外の人里離れた私立精神科病院、その閉鎖病棟へ連れ込まれてから、まる3時間がたっていた。

病衣の中へ入り込む冷気が、体中の関節にしみる。

壁には、前にいた患者が爪で引っかいたのか、ぞっとするような血の跡と引っかき傷が、いくつも残っていた。

ここは人を治療する病院じゃない。金さえ払えば、まともな人間でも永遠に社会から消せる、違法な私設の監獄だった。

ガチャ、ギイ……。

重い鉄の扉が開き、白衣にマスク姿の看護師が、太い注射器を持って近づいてきた。後ろからは、いかつい体つきの男性職員が2人。出入り口をふさぐように立つ。

「おとなしく横になってください。鎮静剤を打ちます。暴れたら、手足を革のベルトでベッドに固定しますよ」

冷えきった声だった。

私は焦点の合わない目で宙を見つめ、震える手をやみくもに振った。口の端からよだれを垂らし、薬で頭がすっかり壊れ、ひどく錯乱している患者を演じる。

「う、うう……火、火が……天井に、化け物が……こっち見てる……助けて……!」

「まったく、まだ若いのに、完全にいかれちゃって。相沢課長から特別に頼まれて、最大量で処方してるんだから。あと何日かすれば、自分の名前だって思い出せなくなるわ」

看護師が私の左腕に針を刺した瞬間、私は急にけいれんしたふりをして、腕を激しくねじった。針が抜け、薬液が肌とシーツにこぼれる。看護師は悪態をのみ込みながら、残った分だけを慌てて注入した。

鉄の扉が閉まり、看護師と職員たちの足音が廊下の向こうへ消えると、私は注射の跡を押さえ、血を止めた。

全部は入っていない。

頭は重い。それでも、まだ考えられる。

全身に鈍く刺さる痛みの中で、私の理性は、ぞっとするほど冷たく研ぎ澄まされていった。

両親が不可解な高速道路の交通事故で亡くなってから、葬儀のときもずっと私に寄り添い、優しい涙を流していた夫、相沢修司。

あの涙も、献身も、何もかも。

両親が遺した港区のビルを含む10億円規模の遺産をのみ込むための、周到な芝居だったのだ。

相続財産の名義を整理する手続きが1週間後に迫り、修司は私を、正常な意思決定ができず成年後見を必要とする人間に仕立て上げようとした。私立病院と手を組み、無理やり閉じ込めたのは、そのためだった。

今ごろ、港区にある私たち夫婦のマンションでは、寝室で祝杯が上がっているに違いない。

修司は私が大切にしていた高級クリスタルのワイングラスに、値の張るヴィンテージワインをなみなみと注ぎ、玲奈へ渡しているのだろう。

『玲奈、もう美月は終わりだ。俺が成年後見人に選ばれたら、財産管理にも処分の委任にも手を出せる。そのときは、まず麻布台のペントハウスを契約しよう』

玲奈は私のクローゼットから、いちばん高いブランド物の毛皮のコートとダイヤのネックレスを引っ張り出して身につけ、鏡の前で顎を上げ、得意げに笑っているのだろう。

私の両親の遺産を、自分たちの取り分のように分け合う2人。

「相沢修司、篠原玲奈……」

暗闇でその名前をかみしめると、切れた唇から鉄臭い血が流れた。

けれど、恐怖より先に込み上げたのは、冷えきった怒りだった。

閉じ込めたからって、終わりじゃない。

ここにいるうちから、証拠を集めればいい。

私はそっと病衣の中へ手を入れ、スポーツブラの裾の二重に縫われた部分を、爪でほどき始めた。裏地に隠した小さく硬いスマートウォッチ。その冷たい金属の感触が、指先に触れた。

修司は、私には何もできないと信じているはずだ。

できるだけ長く、そう思わせておけばいい。

その間に、あの男が残した痕跡を、ひとつずつ拾い集めるつもりだった。

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