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第9話

Author: エビチリ
陽菜は車の影が遠ざかっていくのをじっと見つめながら、悠翔が棠花のために自分を置き去りにしたことを思い出し、悔しさに拳を握りしめた。

歯ぎしりするほどの怒りを抑えきれず、彼女はスマホを取り出して棠花にメッセージを送った。

【棠花、自分の立場がわかってるなら、さっさと彼のそばから消えなよ。悠翔の隣には、障害者なんて必要ないの】

そう言い放つと、陽菜は満足げに鼻歌まじりで階段を上がり、ドラマの続きを見るために部屋へと戻った。

一方その頃、悠翔は猛スピードで車を走らせていた。夕方のラッシュにぶつかってしまったが、それでも通常一時間かかる道のりを四十分で走破した。

彼は急いで別荘の門を開け、家中を探し回ったが、棠花の姿はどこにも見当たらなかった。最後に彼は、固く閉ざされた寝室の前で足を止めた。中で眠っているのだろうと思い込み、深呼吸してから静かにドアを開けた。

靴を脱ぎ、裸足でそっと床を歩きながら、スマホのライトを掲げて部屋の中を照らす。棠花を起こさないようにと神経を使っていたが、枕が空っぽなのを見た瞬間、誰もいないことに気づいた。

ベッドサイドの棚には、かつて二人で撮った結婚写真の額が消えており、代わりにUSBメモリと一冊のファイルが置かれていた。

好奇心に駆られた悠翔は、USBを手に取りパソコンへ差し込む。そして、解読を待つ間にファイルを開いた。

一番上にあったのは紙の書類で、そこにははっきりと「離婚協議書」という文字が灰色で印刷されていた。数秒間、彼は呆然と立ち尽くし、震える手でその書類をめくっていった。

最後のページに、彼が最も見慣れた二文字――「棠花」の署名があった。

それは紛れもなく、彼女の筆跡だった。一文字一文字に、深く刻まれた感情の痕跡が残っていた。

その瞬間、彼の胸に彼女の絶望が突き刺さるように伝わってきた。しかし、悠翔は首を振り、現実を否定しようとした。

「そんなはずない……」

「棠花は、きっと俺にドッキリを仕掛けてるだけだ。USBの中身は、きっとサプライズのはずだ……」

不安が胸を締め付ける中、彼は最後の望みにすがるように、震える指でUSBのフォルダを開いた。

だが、その中身を目にした瞬間、すべての希望は無惨に打ち砕かれた。どんな言い訳も、意味をなさなかった。

【悠翔が一番愛してるのは私。棠花、空気読んで早く消えて】

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