Mag-log in12月にはいっても小春日和が続いたある日の夕暮れ時、渡辺家に初の子供が産まれた。
「こんな良い日にこんな太陽みたいな子が産まれてくるなんて」
すやすやと眠る娘のぷくりと膨らんだ頬を触りながら父が言った。
「名前、少し考えたのだけど…」
ベッドに腰かけていた母はこの父も、両家の祖父母も沢山の候補を考えているコトを知っていたので控えめに言った。
「はるひ…春の陽光の陽で「春陽」なんてどう?」
ベビーベッドですやすやと眠る愛娘に両親は優しい目をむける。父もいくつかは候補を考えていたのだが、この心の暖かさを与えてくれた娘に「春陽」という名はピッタリだと思った。これから娘の日々にも春の様な暖かさが降り注ぎ続けばいいと思った。
「春陽ちゃんか、いい名前だ…」
優しく、愛おしく父が言った。
その後病室に駆けつけた両家の祖父母も春陽という名をとても気にいり快諾してくれた。
渡辺家は春陽を中心に病室で幸せなひとときを過ごした。
それなのに。
その幸せが数時間後には全て崩れてしまった。
母、香織が家族を見送って暫く経った頃、窓の外からかすかに緊急車両のサイレン音が複数きこえてきた。そちらに視線をむけると再び緊急車両が病院前を通過していった。
事故でも近くであったのかしら?香織はそう思いながら春陽の眠るベビーベッドを覗き込み愛らしい愛娘を見つめながら微笑んだ。どれだけ長い時間見つめていても飽きるコトはなかった。
「春陽ちゃん、早くお家に帰ってパパと3人で暮らしたいね。 貴女の為にベビーベッドもベビーカーも色々用意してあるの。ベビーベッドの枕元にはパパが貴女のはじめての友達になるウサギさんのぬいぐるみがいるのよ、とても楽しみでしょう?パパはきっとまた明日もすぐに会いにきてくれるよ」
今現在の幸せを噛みしめながら、更に未来の幸せを思って愛娘に語る声をドアのノック音が制止させた。
「渡辺さん…」
看護師がドアを開け入ってくる。その顔には何時もの笑顔は無く、次の言葉も出してよいのか悩んでいる様だった。
「どうかしましたか?」
「……」
「何か、ありましたか?」
看護師の態度に香織に緊張が走る。
先程きいた緊急車両のサイレン音が頭の中で響く。
これは聞いてはいけない話しだと自身の中から警告音がする。
ドクン、ドクン、ドクン…。鼓動がはやくなる。
「あの…、先程病院の直ぐ近くの交差点で事故があったんです」
緊急車両サイレンの音が更に大きくなって香織の頭の中で響きわたる。
「ウチの病院に運ばれた方が…」
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……。
「渡辺さんの旦那様で……」
ワタナベサンノダンナサマデ…… ダ、ン、ナ、サ、マ、デ……!? その言葉を聞いた瞬間、香織の意識は闇に消えた。 高齢運転手が急に反対車線へでてきたことが事故原因だったらしい。ハンドルをきり避ける暇もなく正面衝突した車には旦那である敦と後部座席に敦の両親が乗車していた。助けだされた時には既に敦は意識が無く、両親も微かな反応をみせるだけだったらしい。病院での蘇生治療のかいもなく死亡診断がされた。
渡辺の義父には兄弟がいなかった。義母には妹が2人いたのだがお互い遠い県外に嫁いでいた。そして敦には兄弟がいなかった。遺体の状態の為にも早めに葬儀をあげる事になった。喪主となる香織は退院前の産後の身で春陽を病院に預けたまま敦と義両親の葬儀を行ったのだ。香織の両親が心配をして色々と手を貸したがそれでも身内である香織にしかできない手続きも多くまともに休む時間をとれないまま春陽と共に退院して自宅であるアパートへ帰ったのだ。
それからは3人の役所手続きをし、義母の妹達の了解を得た上で2人の遺品を片付け住んでいた賃貸マンションを解約した。
敦の遺品にはまだ手がつけられなかった。
そうしてあっという間に49日の法要も終わった。
無事に納骨を終えると香織は本当に大事な遺品だけを残し敦の衣類や日常品の整理も終えた。
両親は香織にアパートをひきはらい自宅へ戻る事をすすめた。
「産まれたばかりの春陽ちゃんをあなた1人が面倒みるなんてむりよ、古いけど家もあるしお父さんもまだ定年まで少しあるから収入があるわ。遠慮なんてしなくていいのよ」
母のあたたかい言葉に香織は涙を流しながら首を縦に振った。
実家に戻った香織は春陽を母に預けながら昼はスーパー、夜はファミレスで働きはじめた。
父が現役で働けるのもあと数年。子育てにどんどんお金はかかっていくのだからと少しずつの貯金もはじめた。
子育てと仕事の忙しさもあり香織は悲しみに陥る事も少なくはなった。
ただたまに敦が用意したベビーベッドで敦が選んだウサギのぬいぐるみを抱きしめる春陽の姿を見ると強い喪失感を感じてしまうのは仕方がなかった。
そうして日々は過ぎ。
春陽の初めての誕生日がやってきた。
春陽の誕生日は敦とその両親3人の命日でもあった。
しかし3人は沢山春陽を愛していたからその日は何よりも春陽を大事にして欲しいと願っているはずだ。
だから12月6日は春陽の誕生日が最優先された。
真面目な仕事人だった香織の父もこの日は有給をとったため午前中のうちに4人でお寺へ行き僧侶に一周忌法要をしてもらい墓参りをすませた。その後帰り際にある寿司屋で昼食を済ませ帰宅した。
「さて、プレゼントでも買いに行くか」
休む間もなく父が母に言った。
春陽の誕生日プレゼントを買いに行くと出て行った両親は孫への買物だと楽しそうに家を出て行った。
それなのに。
両親が出てから2時間少しが経ちそろそろ帰宅する頃だろうと思い香織はキッチンでお湯を沸かしはじめた。
その時、スマホの着信音が聞こえてきた。慌ててリビングに戻るとスマホを持った。
「もしもし、お母さん?」
発信者の名前は母になっていた。
「どうしたの?」
返事は無く、代わりに微かな嗚咽する音が聞こえてくる。
「お母さん?何があったの⁉︎どうしたの⁈」
不安がよぎる。それは1年前に味わったそれと同じものだった。
「今、……総合病院にいるの」
母は泣きながら声を出した。
香織はすぐにタクシーを呼び財布とスマホ、春陽の小さな靴とブランケットをバッグに投げ入れると春陽を抱きかかえて外に出た。数分待つとタクシーが到着しすぐに乗り込むと「花塚総合病院に行ってください!」叫んだ。
2人は商店街でプレゼントを買い終え帰宅する為に駅前のバス停へむかっていた。夜にはケーキも食べるけど帰宅したら飲むお茶の供にお団子でも欲しい、ちょうど駅前にはお気に入りの和菓子屋がある。「駅前でお団子買っていきましょう」と言いまだ青だった横断歩道を渡りはじめた。その時2人に気づかなかった左折車が2人を襲った。
母は軽症ですんだものの車に直接ぶつかった父は重症で運ばれたのだ。
昏睡状態が続いた父は2週間後、息をひきっとった。
たった1年で大事な家族4人を見送ることになり香織はたまらずに大泣きしてしまった。
「香織、あなたには春陽ちゃんがいるのよ。泣くのは今日だけにしなさい……」
葬儀の日、父を亡くし今は自分よりも辛いだろう母は香織の頭を撫でてそう言った。
「お母さん……」
優しい母の手に香織は今まで以上に強くならないといけない、そう思って愛娘をみつめた。
春陽は香織の横にちょこんと座り抱っこして欲しいと手を伸ばしてくる。
春陽をギュッと抱きしめると春陽はニコリと笑った。
春陽がいる、お母さんもいる。大丈夫、頑張れる。
1年前に行なった数々の手続きを早い段階で終える。慣れなくてもいい、慣れたくなんて無い事に香織は少しばかり慣れてしまっていた。
そして春陽の保育所をなんとかみつけ香織はスーパーのパート時間を延ばしてもらった。母も知人が経営する食堂で昼のパートをはじめた。
大変ではあったが平穏な3人の生活がはじまったのだ。
春陽が小学3年生になった頃、香織はある変化に気づいた。春陽が小学生になり文章を書けるようになると香織の帰りが遅くなってしまう事もあり2人は交換日記を始めた。春陽はそれまで沢山友達の名前を書き誰と何をしたのかを書いていた。
それがいつの頃からか友達の名前が書かれなくなっていた。
--いつ頃からだっただろうか?そんなには前でなかったはず。
香織は交換日記のページを1日、1日と毎戻りながらながめた。はっきりとはしなかったがどうやら8歳の誕生日あたりからだとはわかった。
--この頃に何があった?
香織は記憶をさぐるけれど特に思いつく事は無かった。
春陽8歳の誕生日少し前。「春陽ちゃんの誕生日、12月でしょ?10月誕生日だった愛美ちゃんには誕生日会よんでもらったし私達も5月によんであげたでしょ?だから春陽ちゃんも愛美ちゃんや私達をよんでくれるよね?」
休み時間。
春陽の机に数人の女の子が寄ってきて言った。
確かに10月、友達である間宮愛美(まみやまなみ)の誕生日会が日曜日に行われて招待された春陽は出席した。
5月にも2人の誕生日会へ呼ばれ出席した。
特に愛美の家は父親が立派だとかでそれはそれは立派なバースデーケーキ、豪華な料理、色々な飲み物がだされ春陽はワクワクした。可愛らしい人形や新しいゲームで遊びとても楽しい日だった。
しかし、春陽は自分の家の事情も幼いながら理解していた。
祖母は持病のリウマチが少し悪化し食堂のパートを暫く前に辞めた。その為、母は仕事を入れていなかった土曜日の夜と日曜日も働きはじめた。
誕生日会したいなどとワガママを言いだす事はためらわれた。
「お母さんにきいてみるね」
顔はニコリと笑顔をつくりながらこたえる。
「私達楽しみにしてるからね!」
女の子達はそう言うと愛美の机へとむかった。
休みの日に皆で遊べるのは嬉しい、だから母にお願いしてみよう。そう考える春陽を見ながら愛美の机に集まった女の子達はクスクスと笑った。
「本当にやるのかな?」
春陽に最初に声をかけた浅田麻里(あさだまり)が言った。
「無理に決まってる!」
隣に立つ石川由宇(いしかわゆう)が確信したように言った。
麻里と由宇は愛美の横に何時もついていた。
「だってあんなに貧乏なんだもの!」
麻里と由宇は息が合ったように言う。
「麻里ちゃん、由宇ちゃん……そんな言い方悪いよ」
言葉はかばう様だけど口の端をわずかに上げて高橋小春(たかはしこはる)が言った。
「本当に春陽ちゃんに悪いよ」
愛美は3人に言う。
しかしその顔は微笑んでいた。
「だって、本当に貧乏じゃない?」
「ねー」
「着てる服だってボロの古着だし!」
「愛美ちゃんへのプレゼントなんて確か鉛筆と消しゴムだけだったよね!私達にもそうだったけど!」
「イラスト入りでもあれはないよね!」
「愛美ちゃんだってそう思うでしょ!」
ウサギのイラストが付いた鉛筆と同じイラストの消しゴム、可愛らしかったけれど愛美はそれを一度も使ってはいなかった。
「可愛かったよ?」
ニッコリと笑う。
「従妹のスミレちゃんが気に入っていたわ」
愛美は自分で封を開けることもなく5歳下の従妹にあげてしまっていた。
香織が家にいる時、春陽は誕生日会の話をした。期待せずに聞いた誕生日会を母は誕生日なのだからと快諾してくれた。
誕生日会に呼ぶ人数を香織と祖母に伝えておいた会の当日、2人はできうる限りで準備をしてくれていた。
呼ばれた4人はニコニコと春陽にプレゼントを渡し出されたケーキや料理を食べ、春陽の部屋で遊び帰っていった。
片付けをはじめたその時、愛美のスマホが忘れられているのに気づき春陽は家を出た。玄関から少し走ると話をしている4人の後ろ姿がみえた。
「まなみちゃ……」
呼びかけようとした春陽は言葉をとめた。
「思った以上だったね」「まぁ、料理は不味くなかったけどさぁ」
「ケーキ位は安くても普通ショートケーキが出ると思ったのに」
「ホットケーキって……」
アハハハ!
「どれだけ貧乏なの?って!」
「ホント」
3人の会話に春陽はその場にかたまってしまう。
気配を感じたのか愛美がゆっくりと振り返る。
春陽の姿をみつけるとニコリと笑顔をつくった。
「春陽ちゃん、私のスマホ持ってきてくれたの?ありがとう。忘れてママに連絡できないと思ってたところなの」
愛美の言葉に3人も春陽に気づき気不味そうな顔をする。
「……」
沈黙が暫く続いたが、愛美の声でその場の緊張がとかれる。
「春陽ちゃん、さっきの会話聞いちゃったの?でも仕方ないよね。全部本当の事だから。だからって私達は春陽ちゃんを無視とかイジメとかしていないでしょ?」
笑顔で言い切る為、正論だと思わされる。
実際に正論だった。春陽は彼女らにイジメられた記憶など無かった。言っていた事もただの感想だと言われればそうなのだ。
3人も直ぐに笑顔になって春陽に言った。
「春陽ちゃんが貧乏でも私達は友達だもんね!」
「ホットケーキも美味しかったよ!」
「誕生日会は楽しかったよね!」
「……」
春陽は何もこたえられなかった。自分ならば友達のそんな話はしないだろうから。
だから。
「忘れていたよ」
それだけを口にし春陽は愛美にスマホを渡すとクルリと向きをかえて走り出した。その目は真っ赤になりポロポロと涙が溢れ出していた。
その誕生日会の翌日から春陽は4人と話す事がなくなった。可愛くて頭の良い愛美はクラスの人気者で、今までその愛美のグループに属していた春陽を避ける子はいなかった。が、春陽が距離をとり愛美達も声をかけなくなると他の子達の態度も変化していった。
シングルマザーの家庭でギリギリの生活をする春陽はイジメの対象者としては最適だった。
「臭いお前の履き物だから」と、履き物をトイレの便器に捨てられていた事もあった。「ブスが近づくなよ」と、クラスで2人組やグループを作る時にどこにも入れてもらえない事もあった。「泥棒」と、何かが無くなると真っ先に疑われる事もあった。
春陽は学校という世界で完全に孤立してしまったのだ。
ウィルモットでゆっくり食後のドリンクを飲んでいると廉がやってきた。「これ。試作のプリンだけど食べてみて」「プリン、2個ある……」春陽と舞の前にそれぞれ2つのプリンが置かれた。「こっちのプリンは卵と牛乳と砂糖だけで作ったいわゆる昔ながらのプリン。こっちは卵黄と牛乳、生クリームと砂糖で作ったプリン。どちらがいいか決めかねてて。2人の意見聞こうとしているんだ」春陽と舞がそれぞれプリンを口にするのを廉は横で見ている。「もうすぐ春休みだし、公園が賑やかになると子供連れの客が増えるから作ってみたけどどちらがいいかな?」「私ならこっちが好きね」舞はトロっとした生クリームを使ったプリンを選んだ。「渡辺さんは?」ゆっくり味わっている春陽もトロっとした柔らかな生クリーム入りを美味しいと思ったが。「私はこっちが好きかな、コレに生クリームとチェリーがのっていたら最高」まさしく「昔ながら」のプリンだった。子供の頃に母と祖母3人で行ったレストランで食べた懐かしい味がした。食後に出される生クリームと缶詰の真っ赤なチェリーがのったプリンがとても好きだった。「懐かしい味がする」懐かしい風景を思い出して春陽の口元に笑みが溢れた。「そう、よかった」「まあ、私も硬めのプリン好きだからいいんじゃない?」「え、私も生クリームのプリンすきだよ?」舞の言葉に春陽が慌てて言ったが、舞が言った意味を理解して春陽が言ったわけでは無かった。--まだまだまったく眼中に入ってないわね。春陽の反応に舞はニコニコと笑っていた。「それじゃあ、そろそろ出ようか」気分がいいウチにさっさと帰ってしまおうとする。「そうだね」しばらくおとなしくしていた桜もさすがにそろそろぐずりだすかもしれない。ベビーカーを覗き込むと桜はまだスヤスヤと寝息をたてている。「桜ちゃん、まだ寝てるね。ならもう一杯何か飲む?」廉の言葉に断りの言葉を返したかったがプリンのおかげで何か飲みたいのが正直な感想だった。「なら私はコーヒー」遠慮と言う言葉は存在しないとばかりに頼んでいる。ウィルモットによく来店するようになり、廉からたまにサービスをしてもらいながら話しをするようになってこの感じが続いている。「じゃあ私はアイスコーヒーで」空いたコップをトレーにのせて廉は一度奥に戻って行った。「まったく、気があるなら
--眠い。ただただ正直な思いはそれだけだった。生後4ヶ月を過ぎ桜の首もすわるようになり少しばかり離乳食も始めだした3月はじめ。母乳は完全にやめた事もあり春陽は教習所へ通いだしていた。その教習所の学科時間は春陽にはまるで子守唄の流れるベッドの中の様なものだった。眠気に必死にあらがうがまぶたが重い。なんとか耐えぬくと事務室の機械で空きの時間に次の予約を入れる。「あら?なんか見た事ある人がいる」後ろからそんな声が聞こえたので振り返ると2人の人影があった。「本当だ、こんな所で会うなんて」「……あ、浅田さんと石川さん?」中学校卒業ぶりでも誰だかはわかった。浅田麻里と石川由宇の2人だ。「久しぶりだね、渡辺さん」「いつぶりかな、中学?」「渡辺さんて何処の高校に行ったんだっけ?」「今何してるの?大学?」「え、大学?何処?」春陽の答えなどいらないとばかりに2人だけで会話が続いていく。小学生時代のあの事があってから会話を交わした記憶などほとんど無い。中学校に入ってからはクラスも別れた為顔すらほとんど合わせなかった2人だ。見かけたくらいで声などかけなくてもいいのに、と春陽は内心で思った。「渡辺さん?」黙り込みぼうっと2人を見ているだけの反応がつまらなかったようで麻里が呼んだ。「え?」2人の話しを大して聞いていなかった春陽は間の抜けた返事になってしまう。麻里て由宇がイラっとしたのがわかる。それでも春陽は気に留めようとはしなかった。「外に人を待たせているから私は帰るね」この場を去る為についた嘘ではないが、早くこの2人から離れたくて春陽はそう告げると出口に歩きだす。「ちょっと……!」待ちなさいよ、と追いかけてくる。「久しぶりに会えた事だし、いい話しをしてあげようって思ったんだから聞きなさいよ」ならば先に言えばいいのに、と思う。「渡辺さんて、確かエアネストのファンだったよね」春陽が周りに公言していなくてもちょっとした持ち物などでわかっていたのだろう。でも今更そうだった、でどんないい話しになるのだろうか。「愛美がお見合いしたのよ」--愛美ちゃん……。笑顔を絶やす事なく周りに接するけど多分誰よりも人を蔑みている人。春陽は日本人形の様だった愛美を思い出す。「相手は九条グループの跡取り九条慶司さん。渡辺さんにわかる様に言うと元エ
間宮愛美の元に友人などが集まり早めのクリスマス会という名のパーティーを楽しんでいた。「明日は何時に発つ予定なの?」長年の友人浅田麻里が聞いた。「9時発の予定よ」「年明けまでアメリカだなんてさみしくなるわ」豪華なメンバーの中にいても存在感が秀でている愛美の周りには自然と人が集まっていた。「愛美さんはアメリカに行かれるの?」「アメリカのどちらに?」質問がとぶが愛美本人は答えず隣に立つ麻里が皆の質問に答えていく。「明日からニューヨークに行くのよ」「この時期のニューヨークでは寒いのではないですか?」場所を聞いた女性の1人が不思議そうに問う。「愛美は観光に行くわけじゃないもの」「あら、じゃあ今の時期に態々ニューヨークにまで行く理由は?」他の女性が興味深気に聞いた。「お見合い相手に会われるんですよね」何故だか本人よりも勝ち誇ったように麻里が言った。「まぁ!」そんな話しが大好きな年頃の面々が更に興味深く聞く。「お相手は?」「相手は……」名前を言おうとしたところで愛美がそれを遮る。「まだ決まっていない相手の名前を言ってうまくいかなければ私が笑いものになってしまうわよ」ふふっと微笑みを浮かべて制した。「愛美をふるような相手はいないわよ」麻里は断固として言った。「そうだといいけれどね。皆さんには来年紹介できればよいと私も思うわ」ニコリと美しい唇に笑みをつくった。「楽しみにしていますわ」周りはそれ以上相手の追求はしなかった。麻里は相手の名を言えず残念そうだったがすぐに愛美の隣で笑顔を作り橋渡しを続けた。--九条慶司。次にこのメンバーが集まる時は必ず婚約者として隣に立っていてもらうわ。愛美は笑顔の下で獲物を狙う猛獣のような鋭さをその目に宿したが誰かが気づくことはなかった。12月25日17:30。レオナードピクチャーズ社内専務室で1人机にむかっているところへやってきたのは秘書という名のお目付け役、佐々木潤(ささきじゅん)だ。「あと30分で約束の時間になるぞ」その言葉をまったく気にする事なく書類に目を通していく。「慶司、いい加減用意してくれないか」「……」また1枚と書類をめくる。佐々木はハァァとため息をついた。「相手のお嬢さんはわざわざ日本から来ているのに、お前が行かないはないだろ」「ならばお前が行って相手を
店の入口は厨房からわずかに見えるようになっていた。客が来店するとどんな客層か程度に確認をしていた。店を開店させた直後位にベビーカーを押して来店した女性2人組も確認程度に見てそれだけの認識に留まっていたのだが。ふと、1ヶ月程前に大きなお腹を抱えて来店した女性を思い出した。--あの子か?何処かで見かけた事があるように感じたからか記憶していた子だった。髪型はかなり短くなっていたがクルッとカールした髪の感じに丸い瞳が身長の低さと相まって何かの小動物に見える。ウサギかリスか、いやハムスターか?冗談混じりに考えるがすべてにおいて可愛いという印象だった。自分よりいくつか若そうだがもう結婚して子供もいるなんて大変だな、と感じただけで。個人的な意見はそれだけだった。頼んだデザートにアイスとフルーツを加えたのも本当に他意はなく、出産に対してのサービスだったのだ。見た目も真逆と言っていい、彼女の連れがまさかナンパ扱いしてくるとは思いもよらなかった。アイドルをしている時も今もナンパするほど異性に困った事はなかったし、見た目のタイプというならば彼女の連れの方がタイプに近いだろう。しかし、あの子がシングルマザーだとは思いもよらなかった。イメージでは相手に好かれて優しくされて幸せな家庭をもっているのだが……。ランチ営業を終えて賄いの準備をしながらそんな事を考えていた。トゥルル、トゥルル。廉のスマホが鳴る。発信者をみてすぐにスマホを手にした。「もしもし」廉は懐かしい相手に話しかける。「そっちはまだ夜中だろ?」相手はニューヨーク在中。日本で14時をまわった時間ならばあちらは夜中の0時をまわったばかりだろう。『あぁ、0時になったばかりだよ』「珍しいな、忙しくて電話もできなかったんじゃないのか?」『忙しかったよ、早く日本に帰りたい』「……帰って来れそうなのか?」大学卒業式を待たずに父親の命令でアメリカの提携会社へ行かされた友人とは中々連絡もとれないでいた。電話も数ヶ月ぶりの事だ。「年内?」『嫌、それは流石に無理だな。早くても来年春かな』「そんな先じゃないだろ」『俺は今すぐ帰りたいけどな……』「仕事がうまくいってないのか?ずいぶんと弱気な声じゃないか?」『仕事は順調すぎる位だ、じゃなければまだ帰れそうなんて言えない。ただ……』「……ただ?」
「……ン、ギャア」桜の鳴声に反応してウトウトしていた春陽は身体を起こして桜の元へ寄った。桜を抱き上げて胸を除菌ペーパーで一拭きしてお乳をあげると待ってましたと桜は飲みはじめる。出産後一週間の入院だけで無事2人で退院できた。不慣れながらも必死に子育てをはじめたが、3時間毎に与えるお乳とオムツ交換、たまに愚図るのをあやしてと数日で子育ての大変さが身にしみた。それでもやはりこうして桜にお乳を与えている時は幸せだ。必死に飲む桜を見る目は優しく笑んでいる。満足した桜を抱えなおしポンポンと背を軽く叩いて刺激してあげると「ゲフッ」と立派なゲップをはいた。「お腹いっぱいになったからゆっくり寝んねしてね」とスヤスヤ寝息をたてるまで抱っこを続ける。静かに窓越しに敷いた布団に寝かせるとソファに戻る。「ウトウトしてたから少し昼寝でもする?」ゆり子がトレーにティーポットとカップを乗せてきた。「紅茶?」「カモミールとレモンバームのハーブティーよ」独特のスッキリした香りに貰うとこたえる。ゆり子はトレーを置くと2つのカップにハーブティーを注いでくれた。リラックス効果のあるハーブティーをゆっくり口にしていく。「寝ていると本当に天使ね」「よく寝てよく飲んで、たった1ヶ月で1キロ以上重くなるんだもん。腕とかぱんぱんになる時あるもん。凄い速さで大きくなって逞しくてすごいよね、赤ちゃんって」「小さな春陽が抱っこしているとお姉ちゃんが妹を抱っこしてあげてるみたいに見えるからねぇ、」買い物先などで背も低めで割りかし童顔の春陽がママだと言うと驚かれる事は多い。「私、ちゃんとお母さんしてるよ」そう言葉にしたけれど春陽の瞳には褒めて褒めてと甘えの感情があらわになっていた。「そうね、春陽はいいお母さんだわ」フフっと微笑みながら春陽の頭を撫でてあげる。それを気持ちよさげに受けいれながらその時間を楽しんだ。「そうだ」春陽は伝える事を思い出した。「明日は昼間に舞ちゃんと公園に散歩に行くからお昼はいらない」「明日は寒くないの?」「昼頃は風が吹かないみたいだし気温も18度位まで上がるみたいだから公園で少し散歩しようと思って」「そう、気をつけて行ってね」「うん、……それでね、おばあちゃん」「まだ何かあるの?」「私、車の免許を取ろうと思ってるの」ゆり子は目を見開いた。身
出産予定日2週間前となり今日も大きくなったお腹を抱えて石井産婦人科へやってきていた。「とくに異常はなく順調ね」診察が終わり石井医師が言った。「予定日まで2週間をきるからいつ陣痛がきてもおかしくないわ、いつでも入院できるようにそろそろ用意しておく方がいいわよ」「はい」初めてだらけで不安がいっぱいの春陽は全幅の信頼を石井医師にしている。いい医師に会えてよかったと思う。「入院に最低必要なモノと家に買っておいた方がいいモノを書いたパンフレットを渡してあげるから。何もなければまた来週で予約を入れておくけど、心配な事やもし陣痛がきたらすぐに病院にきてね」「ありがとうございます」春陽は頭を下げて診察室を出た。窓口で会計を済ましパンフレットをもらうと病院を後にしようとする。グウウウ……。お腹が勢いよく鳴った。お昼になろうかという時間ではあるが朝ごはんもしっかり食べた春陽は自分のお腹の音が恥ずかしくなる。家に帰ればゆり子が昼ごはんの用意をしてくれているだろうが。--今、何か食べたいよね。妊娠後期になり食欲がかなり旺盛になっていた。花塚公園の周りには飲食店も点在している。どこか一度店に入ろうとスマホで検索をかけた。--かつ屋はがっつりすぎるし、寿司は生物は控えておきたいし、バーガーは塩分取りすぎになるよね。中々決められないな、と思いながら次に出てきた店に目をとめた。花塚公園の駐車場近くにあるイタリアンレストランウィルモットに入ると可愛らしい店員の女の子がすぐに席へ案内してくれて水とメニューを置いていった。さっそくメニューを開き書かれたパスタの種類にワクワクする。軽くサイドメニューでもと考えていたが。「すみません、大根おろしとツナの和風パスタとオレンジジュースをお願いします」普通にパスタを頼んでしまっていた。「少々お待ちください」メニューをメモした店員は裏に消えていった。料理がくるまでとバッグの中から病院でもらったパンフレットを取り出しパラリてめくる。お腹の中にいる赤ちゃんが女の子だという事は事前にわかっていたのでいくつかの服と下着は買っていた。新生児用のオムツに哺乳瓶、哺乳瓶の消毒薬に乳パッドに搾乳機……。--搾乳機?何か色々書いてあり頭がいっぱいになりそうでパンフレットを閉じた。--店に買いに行って一つ一つ確認しよう。早くも