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第3話

Autor: 望月晴
その夜、セレナ湖では急に風が強まった。

湖畔の道路が一時通行止めになると知らせが入り、翌日の予定も中止せざるを得なくなった。

裕真は何事もなかったように、パソコンをスイートルームのリビングに持ってきた。

「どうせ出かけられないんだし、卒業後のことを決めよう」

事業計画書を開き、続けてあのマンションの間取り図を表示した。

「大家さんから、本契約を急いでほしいって連絡が来てる。帰ったらすぐ引っ越そう。もう先延ばしにするのはやめようぜ」

私より先に、咲穂がパソコンを受け取った。

間取り図をスクロールする咲穂は、まるで自分の家のことを決めているかのように真剣だった。

「リビング、木目でそろえると地味じゃない?アイボリー系のほうが写真映えするよ。それに、この部屋がいちばん明るいから、配信用にしたらよさそう」

裕真はうなずいた。

「いいよ。好きなようにして」

私は咲穂を見た。

「私と裕真が借りる部屋なのに、どうして咲穂の好みに合わせるの?」

咲穂は言いすぎたことに今気づいたような顔をして、慌てて説明した。

「奈月、誤解しないで。卒業後に住む部屋が、まだ見つからなくて……裕真が、3部屋あるから、しばらくいてもいいって」

裕真は平然としていた。

「咲穂を一人で住まわせるのは心配だろ。どうせ部屋は空いてるんだし、しばらく泊めてやったっていいじゃないか」

当然だと言わんばかりだった。

まるで私のほうが、突然割り込んできた他人のように。

私はパソコンを閉じた。

「私は嫌」

裕真は明らかに面食らった。

この4年間、私は彼の頼みをほとんど断らなかった。

起業したいと言われれば、希望していた就職先を諦め、チーム作りに付き合った。

大地に機材がなければ、予備のカメラを貸した。

咲穂がプロジェクトに入りたがれば、応募書類を3回書き直してやった。

3人とも、私が譲ることにすっかり慣れていた。

だから私が「嫌」と言うと、誰もが私のほうをわがままだと思うのだ。

大地の顔が険しくなった。

「十何年も付き合ってる友達だろ。たった数か月泊めるだけなのに、そんなに心狭かったっけ?」

咲穂が目を赤くして立ち上がった。

「もういい。自分で探すから。私のせいで二人が喧嘩するのは嫌だよ」

そう言いながらも、視線はまだ、あのいちばん日当たりのいい部屋に向いていた。

裕真が彼女の肩を押さえた。

「お前が出ていくことはない」

そして冷たい目で私を見た。

「家賃はお前一人が払うわけじゃないだろ。どうしてお前の一言で決まるんだよ」

私は答えなかった。

気まずい空気を取り繕おうと、大地がスマホを取り出した。

「とりあえず部屋の動画でも見ようぜ。細かいことは、実際住んでから話せばいいだろ」

テレビにつなぎ、前に内見したときの動画を再生した。

カメラが玄関からリビングへと向けられる。

ソファはまだ届いていないのに、床にはスリッパが何足か置いてあった。

寝室が映ったとき、出窓にあぐらをかき、ケーキを食べる咲穂が見えた。

髪は濡れていて、裕真の白いシャツを着ている。

ローテーブルにはワイングラスが2脚。

バスルームのドアが開いた。

裕真がドライヤーを持って出てきて、慣れた手つきで彼女の髪をすくい上げた。

ほんの数秒の映像だった。

けれどリビングは、一瞬で静まり返った。

大地が慌ててテレビとの接続を切る。

裕真はその手からスマホを奪った。

「あの日は、水道と電気を確認しに行っただけだ」

咲穂が青ざめ、急いで言葉を重ねた。

「急に雨が降って、服がびしょ濡れになったの。それでシャツを借りただけだよ。奈月、何もしてないから。変なふうに取らないで」

映像が途切れる直前の光景が、目に焼きついていた。

出窓に座る咲穂。

その後ろに立ち、髪を乾かしてやる裕真。

ずっとそこで暮らしているかのように、二人は自然だった。

あの部屋は、私が街中を探し回って、ようやく見つけた場所だ。

立地も日当たりも、キッチンもベランダも。どこを見ても、これからの暮らしへの期待が詰まっていた。

私が引っ越すより先に、二人はそこでお酒を飲み、シャワーを浴び、互いの服まで身につけていた。

あの夜、何があったのか。もう知りたいとも思わなかった。

スマホを取り出し、不動産会社の担当者に電話をかけた。

「長谷川さん、あの部屋の申し込み、取り下げます」

裕真が手を伸ばし、スマホを奪おうとした。

「奈月、いい加減にしろよ!」

私はその手を避けた。

「申し込んだのも、予約金を振り込んだのも私だよ。やめるのに、誰の許可がいるの?」

彼の顔つきが、いっそう冷たくなった。

「たったこれだけの誤解で、卒業後の計画を全部台無しにするのか?嫉妬するにも限度があるだろ」

咲穂がうつむき、その手の甲に涙が落ちた。

大地はすぐにティッシュを渡した。

「咲穂はちゃんと説明しただろ。まだどうしろっていうんだよ」

私は、10年来の付き合いになる3人を見た。

これまでは、いちいち線を引く必要なんてないと思っていた。

私の人脈を使ってもいい。

機材を持っていってもいい。

私の時間や労力も、3人のために使われて当然だと思っていた。

けれど、想像もしなかった。

いつか恋人まで、「みんなで使っていいもの」にされるなんて。

私は4人の起業グループを抜け、自分が手配した撮影場所、機材の調達先、顧客とのつながりを、チームに提供するのをやめた。

裕真のスマホが、立て続けに震えた。

通知を読んだ彼が、ようやく顔色を変えた。

「俺への当てつけで、これからの仕事まで潰すつもりか?部屋のことはあとで話せばいい。まず取引を元に戻せよ」

「それは、あなたたちの将来でしょ」

私は彼を見た。

「私のじゃない」

そのとき、私のスマホが光った。

先生から、参加の最終確認書が届いていた。

【チームの車で、予定より1日早く迎えに行ける。明日の朝までに、迎えに行く場所を知らせてほしい】

私は書類に署名し、ホテルの住所を送った。

裕真はまだ、部屋の申し込みと取引を元に戻すよう求めていた。

私は最後に一つだけ尋ねた。

「私と咲穂が同時にあなたを必要としたら、どっちを選ぶ?」

彼は苛立たしげに眉間を揉んだ。

「咲穂は喘息があるし、体も弱いんだ。どうして張り合おうとするんだよ」

私はうなずいた。

もう尋ねなかった。

答えは、すでにもらっていたから。

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