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第2話

Autor: 望月晴
翌朝、熱がようやく38度まで下がった頃、裕真が部屋を訪ねてきた。

温かいミルクの入ったカップをテーブルに置き、何事もなかったように言う。

「着替えろよ。近くの病院まで送るから」

彼なりに歩み寄ったつもりなのだろう。

以前の私なら、彼が少しでも折れてくれれば、あとは全部、都合のいい理由をつけて許していた。

けれど私が上着を手に取った途端、隣の部屋から咲穂が出てきた。

白いサイクルウェアを着て、ヘルメットを抱えている。

「裕真、湖を回るレンタサイクル、届いたよ。でも私、昨日の夜、ずいぶん息苦しかったでしょ。大地が、一人で走るのは危ないって」

裕真はほとんどためらわなかった。

「俺がついていく」

そう言ってから、ようやく部屋にいる私を思い出した。

「奈月、病院は近いから、先にタクシーで行っててくれ」

私は彼を見た。

「送ってくれるって、今言ったよね」

「予定が変わることだってあるだろ」

苛立った声だった。

「咲穂は長距離に慣れてないんだ。途中で何かあったらどうする?」

咲穂はすぐにうつむいた。

「いいよ、私、行くのやめる。奈月の体のほうが大事だもん」

そう言いながら、着替えようとはしない。ヘルメットを抱く腕には、むしろ力がこもった。

ドアにもたれた大地が急かした。

「時間で料金かかってるんだぞ。ぐずぐずしてたら、3人分無駄になるだろ」

裕真は咲穂のヘルメットを取り、かぶせてバックルを留めた。

「行こう」

部屋を出る間際、私を振り返った。

「診察が終わったら連絡して。走り終わったら迎えに行く」

私はドアを閉めた。

「迎えはいらない」

廊下が少しの間、静かになった。

やがて3人は、笑いながら階下へ降りていった。

私は一人で病院に行った。

検査結果を見た医師は、厳しい顔をした。

「急性気管支炎ですね。高熱があるのに湖で冷たい風に当たるなんて、無理をしすぎですよ」

点滴を受けた2時間、スマートフォンは静かなままだった。

電話もなければ、具合を尋ねるメッセージもなかった。

代わりに、咲穂がSNSに写真を投稿していた。

走り疲れた彼女が、裕真の背中におぶさっている。

横では大地が飲み物を手に、意味ありげな笑みを浮かべていた。

添えられていたのは、こんな言葉だった。

【面倒だって言いながら、結局こうしてくれるんだよね】

裕真が「いいね」をつけていた。

私も一つ、つけた。

30秒もたたないうちに、その投稿は消えた。

すぐに咲穂からメッセージが届いた。

【奈月、誤解しないでね。足をくじいたから、おんぶしてもらっただけだよ】

返事はしなかった。

ホテルに戻り、フロントで予定より早くチェックアウトできるか尋ねた。

部屋の情報を確認したスタッフは、ふと思い出したように、棚から茶色い封筒を取り出した。

「高瀬様は半年前にもこちらにお泊まりになっていて、その際に記念撮影をされたんです。お渡しするはずのお写真が、まだ残っていまして。恋人の方ですよね?よろしければ、お持ち帰りいただけますか」

私の指が、ほんの少し止まった。

中には20枚あまりの写真が入っていた。

冬のセレナ湖は、一面真っ白だった。

赤いコートに誕生日用の帽子をかぶった咲穂が、裕真の胸にもたれている。

裕真は彼女のマフラーを直してやりながら、ごく自然にその腰に腕を回していた。

隣では大地がシャンパングラスを掲げている。

額にも手足にも、怪我をした様子はまったくなかった。

写真の右下には、日付が印刷されていた。

12月24日。

半年前、父が手術を受けた日だった。

付き添ってくれるはずだった裕真は、その日の未明、大地が飲酒運転で事故を起こしたから、駆けつけなければならないと言い出した。

大地からは、額から血を流した写真まで送られてきた。

私はすっかり信じ、一人で手術室の前に座って夜明けを待った。

父が運び出されたときには、足に力が入らず、立っているのもやっとだった。壁に体を預けながら、裕真に電話をした。

彼は出なかった。

30分後、病院が騒がしくて気づかなかったというメッセージが届いた。

今思えば、あの怪我の写真も、どこかから拾ってきたものだったのだろう。

大地は事故になど遭っていなかった。

裕真も病院にはいなかった。

咲穂の「おばあちゃんが具合を悪くして、付き添ってるの」という言葉まで嘘だった。

3人は私から遠く離れた場所で、咲穂の誕生日を祝っていた。

私は手術室の扉の前で、信じられる人たちがいてよかったと、何度も思っていたのに。

写真を封筒に戻した。

最後の1枚の裏には、撮影した人の手書きの言葉があった。

【高瀬様と恋人の方の、変わらぬ幸せを願って。これから先も、どうか一緒に夕日を眺められますように】

半年前から、知らない人にさえ、二人は恋人同士だと思われていた。

知らなかったのは、私だけだった。

夕方、3人がサイクリングから戻ってきた。

咲穂は裕真におぶわれていた。白いスニーカーには汚れ一つなく、本当に足をくじいたのかと疑いたくなる。

大地は入ってくるなり、腹が減ったと騒いだ。

私は彼を見て、何気なく尋ねた。

「大地、半年前の事故の傷、額に痕は残らなかったの?」

その笑みが一瞬こわばった。

無意識に、額に手が伸びる。

「とっくに治ったよ。何だよ、急に」

「別に」

私は淡々と答えた。

「ふと思い出しただけ」

大地は目をそらし、うつむいて靴を脱いだ。

「もともと、大した怪我じゃなかったんだ。見た目がひどかっただけで」

裕真が近づいてきて、話を遮った。

「いつの話だよ。今さら聞いてどうするんだ」

咲穂も私の腕に自分の腕を絡めた。

「奈月、お父さんの手術の日を思い出しちゃった?あの日、付き添えなかったこと、裕真もずっと気にしてたんだよ」

心から案じているような口調だった。心配そうなまなざしまで、実に自然だった。

10年来の友人の顔を見て、私はふっと笑った。

「そうだね。もう、済んだことだよね」

部屋に戻ると、封筒をスーツケースのいちばん下にしまった。

3人が私を騙したのは、あの夕日の日だけではなかった。

半年前にはもう、同じ側に立っていたのだ。

私だけが部外者として、3人から警戒されていた。

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