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結婚8年目、指輪を他の女に贈る夫に未練はない
結婚8年目、指輪を他の女に贈る夫に未練はない
Author: 狐坂

第1話

Author: 狐坂
一ノ瀬柊也(いちのせ しゅうや)が主演男優賞を受賞した夜、私・一ノ瀬紬(いちのせ つむぎ)は控室の隅で、彼の99回目の熱愛スキャンダルに対応していた。

記者が「このトロフィーを真っ先に見せたい相手はいますか?」と尋ねると、彼は穏やかに微笑み、こう答えた。「長い間、僕を待ち続けてくれた人です。そして、その人を長い間待たせてしまったことを、ずっと後悔していました。このトロフィーは、その人に最初に見せたいです」

陰の中に立っていた私の胸が、小さく跳ねた。

なにしろ、私たちは8年間も内密に結婚しているのだから。

彼がまだ売れていなくて苦労していた頃、私は母の遺品を売って、彼の演技のレッスン代を工面した。

彼がネットで大炎上した時、私は徹夜で釈明文を書き、監督に頭を下げて彼を降板させないよう懇願した。

その後、彼は少しずつ人気を得るようになったが、私の存在は彼にとって隠しておきたい過去になってしまった。

彼は「主演男優賞を取ったら、君のことを公表するよ」と言った。

私はてっきり、今夜こそ8年越しの約束が果たされる時だと思った。

授賞式がまだ続いている中、私は柊也のコートを届けるために彼の控室へ向かったが、そこでマネージャーと彼の会話を聞いてしまった。

「浅倉さんが泣いてるんだよ。君が彼女のことを世間に知らせるって約束したはずだって」

柊也はしばらく沈黙した後、こう答えた。

「萌香には借りがある。僕があの日、紬と入籍するために萌香の父親の最期の電話に出られなかったせいで、萌香はずっと僕を憎んでいるんだ」

「じゃあ、紬さんのことはどうするの?」

彼は言った。「紬は大人しいから、揉めるようなことはしない」

扉の外で聞いていた私は、ふと笑みをこぼした。

そうか、私の8年間の献身は、彼の中では「大人しい」と片付けられたんだ。

深夜3時、ネット中がざわついた。

トレンドには彼が浅倉萌香(あさくら もえか)と一緒にホテルから出てきた写真が載せられていた。そして、私にくれたはずの結婚指輪を、彼女の指にはめていた。

写真に添えられたのは【ようやく出した答え】という短い文章だった。

私は彼に電話もせず、追及もしなかった。

私はただ、黙々とS国行きの飛行機のチケットを予約した。

柊也。今日を最後に、もう柊也のことを追っかけるのをやめるね。

午前4時30分、玄関の扉を開ける音がした。

私はリビングのカーペットに座り、最後の契約書類をスキャンしてメールに添付した。

酒の匂いがする柊也が、私の姿を見て立ち止まった。

「まだ起きてたのか?」

私は顔も上げずに言った。

「ちょっと仕事をしてたの」

彼は上機嫌な様子で冷蔵庫へ向かい、飲み物を取り出すと、どこか気だるげな調子で言った。

「今日は一日中バタバタだったよ。ようやく賞も取れたし、これからは仕事ももっと順調に行くはずだ。事務所側もあれこれ言わなくなるだろうしな」

私はただ「そうなんだ」と相槌を打った。

彼はコップを持つ手を止めて、こちらを見た。

「紬、今日なんか機嫌が悪いな?」

以前なら、彼が少しでも良いニュースを持って帰れば、私の方が先に嬉しさで目を潤ませたものだった。

抱きしめて何度も「すごいね」と褒め、撮影中に怪我した彼の手を何度も覗き込んでは、手当をしたものだ。

けれど今夜の私は、スマホを凝視しているだけだった。

私はスマホの画面を裏返した。

「別に、何も」

柊也は、人を喜ばせることに長けていた。

彼は歩み寄って腰を下ろすと、垂れた私の髪を耳にかけてくれた。

「せっかく主演男優賞を取ったのに、一言も祝ってくれないの?」

以前の私なら、この優しさに溺れてしまっていたのだろう。

だけど今は、私はただこう答えた。

「おめでとう」

一言だけの、心のこもっていない言葉だった。

柊也は数秒間じっと私を睨むと、いきなり私のスマホを奪った。

私は本能的にスマホをロックした。

彼の目がスッと鋭くなった。

「僕に隠し事か?」

「違うよ」

「じゃあロック解除して」

私は顔を上げた。

「言ったでしょ。仕事なの」

柊也はフッと小さく笑った。淡々とした笑い声だが、周囲の空気が重苦しく凍りついたようだった。

「紬。結婚して8年だよ?君はいつから、僕に知られてはいけない秘密なんてものができたんだ?」

彼はスマホを突き出してきた。

「パスワードを教えろ」

私は少し沈黙してから答えた。

「私の誕生日だよ」

リビングが、一瞬にして静まり返った。

彼の指先が画面の上でしばらく動かなくなった。

結局、彼は適当な数字を打ち込んだ。

間違いだった。

もう一度入力する。

それも違った。

3回目で、彼はもう試そうとしなかった。

ふと結婚して1年目のことを思い出した。彼が撮影で肋骨を折って倒れた時、麻酔から覚めて最初の言葉がこれだった。

「紬、今日は何日だ?そろそろ君の誕生日だな。ケーキの予約、まだしてなかったか?」

当時の彼は、激痛で額に汗を浮かべていながらも、私の好きな栗のケーキのことを覚えていた。

それなのに後になって忙しくなるにつれ、私の誕生日を祝うのはアプリの自動送信だけになってしまった。

彼はスマホを返すと、少し声のトーンを下げた。

「いつパスワードを変えたんだ?」

私は受け取って答えた。

「ずっと前だよ」

「どうして教えてくれなかったんだ?」

私は彼を見上げて、なんだか可笑しくなった。

「一度でも聞いたことがあった?」

柊也の表情が一気に暗く沈んだ。

彼が何かを言おうと口を開きかけた時、電話が鳴った。

画面に浮かび上がる着信相手の名前。

「萌香」

表示されているその名前は鋭いナイフのように、私の心に突き刺さった気がした。

柊也は少しだけ私のほうを見てから、そのままベランダへ向かった。

電話越しに、焦り泣く萌香の声が聞こえた。

「柊也、指が痛いの。指輪が指に食い込んで取れなくなって……」

彼はすぐに顔を曇らせた。

「泣かないで。すぐ行くから」

私はカーペットに座って、契約書類の送信が完了するのを待っていた。

彼がこちらを振り返り、何か説明しようとしたが、そんな必要はないと感じたのか、結局一言だけ言った。

「萌香のほうで少しトラブルがあってな」

私は頷いた。

「行ってきなよ」

すると逆に、彼は不満そうな表情になった。

「紬、いちいち嫌味を言わないといけないのか?もううんざりなんだよ、その態度には」

私は顔を上げて、淡々と問いかけた。

「私の言葉のどこが嫌味だったの?」

彼は喉仏を震わせ、答えることができなかった。

出掛ける前に、彼は主演男優賞のトロフィーを手に取ったが、少し迷ってから元に戻した。

ドアが閉まったその瞬間、スマホに航空会社からのメッセージが届いた。

【航空券のご予約が完了しました】

私はスマホの電源を切った。

リビングに残されたのはあのトロフィーだけで、まるで演じ終わった滑稽な舞台を見ているようだった。

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