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第290話

Author: 藤原 白乃介
四大家族には大森家と白川家のほかに、橘家と瀬名家がある。

それぞれの家族が老若男女集まって、ざっと二百人はいるだろう。

それでも佳奈が車を降りた瞬間、すぐに見覚えのある人影が目に入った。

美桜が叔父湊の腕にしなだれかかりながら、にこやかにこちらへ歩いてくる。

知里は思わず奥歯を噛みしめた。

「どこにでもいるな、あの女……顔見るだけで吐き気する」

佳奈は静かに笑って言った。

「きっと、ただの挨拶じゃ済まないわ。警戒して」

その言葉の直後、美桜の澄ました笑い声が聞こえてきた。

「叔父様、この方が私が話していた藤崎弁護士です。B市の法律業界でも有名な方でして、何か案件があればお任せしてもいいかと。元カノの仕事を少しでも助けてあげれば、智哉兄さんも喜ぶかと思って」

その一言で、智哉と佳奈の関係は終わっていると印象付けつつ、自分の立場をぐっと高く見せつける。

佳奈はさらりと微笑んだ。

「お気遣いありがとうございます、美桜さん。でも、私の案件は手一杯でして、橘家のご依頼はお受けできません」

美桜は明るく笑いながら続けた。

「藤崎弁護士、橘家はC市の四大家族の筆頭ですよ? 毎年法務案件も山ほどありますし、一度ご検討されては?」

「申し訳ありませんが、私は仕事相手を選びます。どれだけ報酬が高くても、好きになれない相手とは組みません。以前あなたのご家族からの依頼をお断りした理由もそれです。お忘れですか?」

その言葉は、かつて美桜のスキャンダルが露呈した件を明らかに思い出させるものだった。

美桜の顔から一気に血の気が引いた。

佳奈は丁寧に湊に頭を下げた。

「橘社長、お気を悪くされたらすみません。私が苦手なのは彼女だけです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

そう言い残し、知里の手を取ってその場を後にした。

湊は去っていく佳奈の後ろ姿を見つめながら、どこか意味深な笑みを浮かべた。

「智哉のフィアンセは、口も達者だが度胸もある。いい子だな。あの子の母親が若い頃を思い出す」

その言葉に、美桜は内心で歯噛みした。

どうして誰もかれもが佳奈と美智子を重ねたがるのか。

不満げに唇を尖らせて言った。

「叔父様、どうしてあの女の肩を持つんですか。
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千恵
あの子の母親  って、美智子の娘って知ってるの?叔父さん
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