知里はもともとサバサバした性格で、人に対しても誠実だ。 颯太と付き合うつもりなら、誠健との関係についてもきちんと話しておくべきだと、彼女は思っていた。 二人はお酒を飲みながら、のんびりと会話を楽しんでいた。 気がつけば、テーブルの上には酒瓶がずらりと並んでいる。 颯太が心配そうに言った。 「もうやめとこう。送ってくよ」 知里は少し赤らんだ顔で彼を見て言った。 「トイレに行ってくる。それから帰ろう」 「一人で大丈夫?」 「うん、平気」 お酒はかなり飲んでいたものの、知里の意識はまだはっきりしていた。 彼女はトイレに向かい、用を足したあと、洗面台で手を洗い、簡単にメイクを直した。 ちょうど出ようとしたそのとき、突然、目の前に黒い影が現れた。 その人の顔を確認する間もなく、口を塞がれ―― そのまま意識が遠のいた。 再び目を覚ましたとき、知里はホテルの大きなベッドで横になっていた。 全身が火照って、まるで体中が焼けるように熱い。 それでも意識はしっかりしていた。 ――薬を盛られた。 知里はすぐに起き上がろうとしたが、体がまるで骨を抜かれたように力が入らない。 全身がだるくて、言うことをきかない。 嫌な予感がして、彼女は携帯を探そうとしたが、近くには見当たらなかった。 どうすればいいか分からずにいると、部屋のドアが開いた。 颯太がふらつきながら入ってきた。 シャツのボタンは何個も外れていて、白い鎖骨があらわになっている。 ベッドに横たわる知里を見つけた瞬間、彼は駆け寄ってきた。 目は真っ赤に染まり、切羽詰まったように彼女を見つめる。 「知里、ここにいたのか……ずっと探してたんだ」 大きな手を伸ばして知里を引き寄せようとしたその瞬間、 肌が触れ合ったことで、彼の中に潜んでいた獣が暴れ出した。 その目は、もはや理性を失っていた。 かすれた声で言う。 「知里……キスしたい……」 知里は怯えて身を引いた。 わずかに残った理性が告げていた――颯太も薬を盛られている。 「颯太……電話して……私たち、薬を盛られたみたい……」 けれど、颯太はまるで彼女の声が聞こえていないかのように、ネクタイを引きちぎり、ジャケットを脱ぎ捨てた。 そして知里に向
大きなウェーブヘアの女性も続けて言った。「そうなんですよ、知里さん。石井さんの投資は今まで一度も失敗したことがありません。このプロジェクトも、石井さんはかなり前から調査していて、私にもいろいろ調べさせたうえで、ようやく投資を決めたんです」知里は心の中で冷たく鼻を鳴らした。誠健がただの投資目的だなんて、そんな話を信じるわけがない。どうせ別の狙いがあるに決まってる。でもここまで言われたら、それ以上疑ってみせるのも少しあざとい。彼女は隣の颯太に目を向けて、小声で尋ねた。「投資家としての目線で見て、この話、私は乗ったほうがいいと思う?」颯太は穏やかに微笑んだ。「俺の立場から言えば、正直あまり乗ってほしくはない。だってそうすると、君が石井さんともっと関わることになるから。でも、君のためを思うなら、石井さんの投資を受けるのが最善の選択だと思う。この投資があれば、すぐにプロジェクトを動かせる。それが一番早く成果を出す近道だからね」知里は満足げにうなずいた。「うん、あなたの言う通りにする」そう言われて、颯太は少し驚いたように口元を緩めた。「そんなに俺のこと信じてくれるの?」「会った回数は少ないけど、あなたの人柄は信じられる。この投資、受けるわ」その会話を聞いていた誠健は、手に持っていたグラスをぎゅっと握りしめた。ずっと一緒にいた自分より、数日しか知らない男を信じるなんて――今日なんて、手術で一日中忙しかったのに、わざわざ彼女に会いに来て仕事の話までしに来たのに。この怒りは、どこにもぶつけられずに誠健の中でもやもやと渦巻いていく。誠健は口元に意味深な笑みを浮かべ、冷たい声で言った。「そいつは君にとって何なんだ?俺のことは信じないのに、どうして彼のことは信じられる?」知里は眉を少し上げて彼を見た。「彼と付き合うって決めた以上、信じるべきだと思っただけよ」「じゃあ、なんで俺のことは信じてくれなかった?」「だって、他の女といちゃいちゃしてる男を、どうやって信じろっていうの?」二人は火花を散らすように睨み合った。一歩も引かず、互いに譲らない。最後に誠健は悔しそうに歯を食いしばりながら言った。「いいよ。そんなに彼を信じてるなら、この契約書にサインすればいい。分からないことがあれば、彼
誠健はビシッとスーツを着こなし、主賓の席に座っていた。驚いたような知里の小さな顔を見つめながら、口元に軽く不敵な笑みを浮かべる。隣の席を手で示して「知里さん、どうぞお座りください」と言った。知里はそのまま席を立とうとしたが、紹介者がすかさず口を開いた。「おや、知り合いだったんですね。それなら話が早い。石井さんはこの作品に40億円投資する予定です。これでプロジェクトは動かせますね」その金額を聞いて、知里は冷ややかな表情で誠健を見つめた。「申し訳ありませんが、私は石井メディアとは協力したくありません」彼女が当初、誠健の誘いを断って石井メディアに入らなかったのは、石井家との関わりを避けたかったからだ。結衣は成人してすぐに会社に入社した。それだけでも、彼女の野心の大きさが窺える。謝罪のために誠健が会社を辞めたとはいえ、結衣は石井家のお嬢様。将来、石井メディアの後継者になる可能性は極めて高い。簡単に会社を離れるわけがない。いずれ戻ってくる――そして会社の人間たちも、その流れを理解している。誠健は本来の後継者でありながら、医学の道を選んだ。だからこそ、後継者という肩書きは自然と結衣の手に渡るはずだ。それは知里だけでなく、石井家全体、そして会社全体がそう考えているのだろう。そうでなければ、石井お爺さんがあの年齢の彼女を会社に入れるはずがない。そんなことを考えれば考えるほど、知里は誠健の援助に対して強い拒否感を覚えた。そのとき――誠健が温かい生姜茶を手渡してきた。優しい眼差しで彼女を見つめながら言う。「これを飲んでから、改めて話そうか」「誠健、私は前にも言ったはず。石井メディアとは組まない」誠健は笑いながら彼女に視線を向けた。「誰が石井メディアと組めって言った?これは俺の金だよ、知里。まさか、俺が毎月あの医者の給料だけで生きてると思ってるのか?」知里は少し驚いた顔で彼を見つめた。「……違うの?」彼女の中の誠健は、まさに自由奔放な御曹司。後継の座を放り出してまで、医者になった変わり者。野性的で、誰にも制御できない男。金遣いも荒く、使う金はすべて石井家からのもの。給料なんて、彼の服一着にも足りないだろうとさえ思っていた。誠健は呆れたように笑い、隣にいた巻き髪の女性に顎
もう一方。知里はちょうど撮影現場から出てきたところで、秘書と仕事の話をしていた。そのとき、耳元にふんわりと優しい声が届いた。「知里」彼女はハッと顔を上げ、目の前に現れたのは、穏やかで上品な顔立ちの颯太だった。知里は笑顔で歩み寄った。「どうしたの?さっきあとで会おうって言ってたじゃない?」颯太は口元に微笑みを浮かべながら言った。「付き合ってみるって言ってくれたんだ、俺から距離を詰めなきゃ、知ってもらえないでしょ?」そう言いながら、颯太は助手席のドアを開け、手を添えて「どうぞ、お姫様」とエスコートしてきた。その姿はまさに、礼儀正しくて優雅な男そのもの。品があって、顔も良くて、お金もある――世の女性たちが理想とする夫像、まさにそのものだろう。なのに、知里はなぜか彼に対して、ときめきを感じなかった。胸が高鳴るような、火花が散るような感覚が、どうしても湧いてこない。誠健との関係で、自分の情熱はすり減っちゃったのかな……?知里は小さく微笑んで、秘書にいくつか指示を出してから車に乗り込んだ。すると颯太は後部座席から花束を取り出し、彼女に手渡した。「今日は一応仕事の話だけど、初めてのデートでもあるから。良かったら、受け取って」知里は思わず胸が温かくなった。大きなローズの花束を抱きしめながら、驚いたように颯太を見つめた。「なんで私がローズ好きって知ってるの?」颯太は優しく笑った。「ちょっと下調べしたんだ。君が出てたバラエティやインタビュー動画を全部見て、そこから好みをメモしておいた……気持ち悪くないかな?」知里は首を横に振った。「ううん。そんなに細かく気を配れる男性って、なかなかいないよ。こんなに素敵なのに、なんで今まで彼女いなかったの?」「俺の話、信じてない?」「信じてるけど……信じられない、が正直なところ。だって、完璧すぎるじゃん。モテないわけがないでしょ」「モテるのと、好きな人が現れるのは別だろう。俺が初めて一目惚れしたのが、君だったんだ」その言葉を聞いた瞬間、知里の顔がぱっと赤くなった。こんなに心が温まる言葉、いつ以来だろう。颯太の言葉は真っ直ぐで、全然いやらしさがない。もしこれを誠健が言ってたら、きっと「また軽口かよ」って思ってた。やっぱり、持って
執事はすぐに説明した。 「誠健坊ちゃんのご指示です。特に彼女のことを気にかけてほしいと、そう言われました」それを聞いた結衣は、悔しさにギリッと歯を食いしばった。自分の兄は、誰に対しても自分より優しくする。 咲良はただの赤の他人だ。どうしてそこまで何度も手を差し伸べる必要があるの?あの日、咲良と兄が一緒に出かけるのを見てしまった場面を思い出し、結衣の怒りは一気に爆発した。「あんた、こっちに来て。足を揉みなさい」 結衣は咲良の母にそう命じた。咲良の母は素直に従い、結衣の前で半分膝をついて、優しく足を叩き始めた。結衣は冷たい目で彼女を見下ろしながら言った。 「もっと力入れてよ。ご飯食べてないの?」咲良の母はすぐに力を強めた。しかし数回叩いたところで、結衣は突然彼女の腹を思いきり蹴り上げ、鋭い声で怒鳴りつけた。 「殺す気?こんなこともできないなんて、使えないわね!出ていきなさいよ!」咲良の母は驚き、すぐに頭を下げて謝った。 「申し訳ありません、お嬢様。もっと力を入れろとおっしゃったので、少し強くなってしまいました。すみません、もっと加減します……」彼女が立ち上がろうとした瞬間、床についていた手の甲がヒールのかかとで思いきり踏みつけられた。手の甲には血が滲みはじめた。その耳元に、結衣の冷たくて残忍な声が響く。 「あんたの娘に、うちの兄に近づくなって言っておいて。もし彼女が私の兄に手を出そうものなら、私、絶対に許さないからな」咲良の母は慌てて頭を下げながら言った。 「お嬢様、咲良はそんなことしません。石井先生とは患者と医者の関係だけです。誤解です、本当に……」「そうであってほしいわね」結衣がさらに追い打ちをかけようとしたところ、背後から冷たく鋭い声が響いた。 「なにしてる?なぜ彼女を跪かせてるんだ」その声を聞いた瞬間、結衣は慌てて立ち上がり、誠健のもとへ駆け寄って腕を取った。 「違うの、私じゃないよ。おばさんが咲良のことでお礼したいって、自分から足を揉みたいって言ったの。私止めたのに……」誠健は眉をひそめて彼女を見つめた。 「本当か?」「誤魔化したりしないよ、お兄ちゃん。源さんに頼んで、お兄ちゃんの好きな料理用意してるの。一緒に食事するの久しぶりだし……」誠
「でも、ここ数年でやっと気づいたの。咲良は孤児院から引き取った子じゃなくて、あの人がギャンブルで勝ち取った『賞品』だったって。だから、私が離婚すると言うたびに、『咲良には二度と会わせない』って脅してくるのです」誠健は眉間にしわを寄せた。「それは違法だろ。そんなことも分からないのか?」「証拠がないの。たとえあっても、告発する気がないんです。自分の子を借金のカタにできるような親がどれだけ冷血か、咲良には一生知らずにいてほしいです」その言葉を聞いて、誠健はそれ以上何も聞かなかった。咲良のような繊細で優しい子に、そんな残酷な真実を知らせるわけにはいかない。きっと心が壊れてしまう。誠健は執事に咲良の母を石井家に連れて行かせ、数点の指示を与えてから病室に戻った。咲良は絵筆を手に、静かに絵を描いていた。誠健が近づくと、声をかけた。「知里はどこ行った?」咲良は澄んだ瞳で彼を見上げた。「電話がかかってきて、急に用事ができたって帰っちゃった。でも声からして、相手はたぶん知里姉が昨日お見合いした西村社長」その名前を聞いた途端、誠健の表情が一気に険しくなる。「昨日お見合いしたばっかなのに、もうデートか。ずいぶん気合入ってるな」咲良はこくこくと頷いた。「そうなの!しかも知里姉の新作映画に投資するって言ってたよ。石井先生、知里姉の会社まだできたばっかで手が足りないんだから、今が助けるチャンスじゃない?」その言葉に誠健は思わず咲良の頭をコツンと叩いた。「ちっこいくせに、なかなかやるな。他に何か聞いたのか?」「うん、知里姉、今夜投資家の集まるパーティーに行くって言ってた。その西村社長も、多分行くと思う」「分かった。君のお母さん、もう石井家で働き始めたから、こっちは看護師にちゃんと見てもらうようにしてる。何かあったらすぐ電話して」咲良は感謝の気持ちを込めて彼を見つめた。「ありがとう、石井先生。お金稼げるようになったら、絶対ステーキ奢るからね!」「それまでにしっかり治せよ。じゃあ、仕事行ってくる」――一方その頃。結衣は祖父と一緒に大森家で昼食をとり、午後はずっと釣りをしていた。夕方になってようやく自宅に戻ると、玄関を開けてそのままソファに倒れ込んだ。「源さん、飲み物ちょうだい」執事はすぐに冷