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結婚七年目、夫の初恋が戻ってきた

結婚七年目、夫の初恋が戻ってきた

作家:  匿名完了
言語: Japanese
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概要

高嶺の花

ひいき/自己中

クズ男

目覚め

ドロドロ展開

遠藤真白(えんどう ましろ)は夫・河野拓見(こうの たくみ)との結婚生活七年目、拓見の初恋・小林雨音(こばやし あまね)が戻ってきた。 人気女優となった雨音は、真白の家の玄関先でずぶ濡れになり、泣きじゃくっていた。 「拓見さん、彼と喧嘩して、行くところがないの……」 いつも穏やかで優雅だった拓見が、初めてグラスを叩きつけた。 「今すぐあいつにケリつけてやる!」 真白の七歳の息子さえ、おもちゃを放り出して雨音のもとへ駆け寄った。 「お姉ちゃん、泣かないで!僕、大きくなったらお姉ちゃんと結婚する!」 皆が雨音を笑顔にしようと必死になっている。 その頃、真白はスーパーの入口で大雨に足止めされ、必死に拓見に電話をかけても、繋がらなかった。 そんな中、一台のタクシーが真白の目の前に止まった。 「お客様、ご乗車なさいますでしょうか?」 食材の入った袋と、スマホの「残高1万円」の画面を見下ろしながら、真白は尋ねた。 「1万円でどこまで行けますか?」

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第1話

第1話

遠藤真白(えんどう ましろ)は夫・河野拓見(こうの たくみ)との結婚生活七年目、拓見の初恋・小林雨音(こばやし あまね)が戻ってきた。

人気女優となった雨音は、真白の家の玄関先でずぶ濡れになり、泣きじゃくっていた。

「拓見さん、彼と喧嘩して、行くところがないの……」

いつも穏やかで優雅だった拓見が、初めてグラスを叩きつけた。

「今すぐあいつにケリつけてやる!」

真白の七歳の息子さえ、おもちゃを放り出して雨音のもとへ駆け寄った。

「お姉ちゃん、泣かないで!僕、大きくなったらお姉ちゃんと結婚する!」

皆が雨音を笑顔にしようと必死になっている。

その頃、真白はスーパーの入口で大雨に足止めされ、必死に拓見に電話をかけても、繋がらなかった。

そんな中、一台のタクシーが真白の目の前に止まった。

「お客様、ご乗車なさいますでしょうか?」

食材の入った袋と、スマホの「残高1万円」の画面を見下ろしながら、真白は尋ねた。

「1万円でどこまで行けますか?」

「1万円ほどお預かりすれば、隣の県までご案内可能でございますよ」

運転手が振り返って彼女を見た。

「青市までご利用なさいますか?」

真白は小さく頷いた。

本当は、どこでもよかった。

運転手は真白を上から下まで一瞥した。普段着姿に、大きな袋を抱え、その袋からは三つのアイスクリームが顔をのぞかせていた。

「青市まででしたら、6千円ほどで到着いたしますが、他にお荷物はお持ちでしょうか?何かお手伝いできることがございましたら、申し付けください」

運転手が降りようとしたのを、真白は慌てて制止した。

「荷物はこれだけです。早く出発してください」

運転手はそれ以上聞かず、車を出した。

「青市までは少々お時間をいただきますので、あらかじめご了承くださいませ」

真白は小さく返事をし、袋を見下ろした。冷えたアイスが袋越しに脚に触れ、身震いするほど冷たかった。

少し、軽率だったかもしれない。

思い返せば、昨日から息子の河野宏(こうの ひろし)がチョコアイスを食べたがっていた。

今朝、夫もこう言った。

「ちょうど雨音も食べたいって言ってたし、一緒に食べよう。真白も宏くんと一緒に食べたらいい。四つ買ってきて」

慌ただしくスーパーへ駆け込んだ真白に、店主は告げた。

「残り三個しかないよ」

まるで狙ったかのように三つ。四人で、どう分ければいいのかもわからなかった。

いっそ、逃げてしまった方がいい。

「ぐう――」

考え込んでいると、腹の虫が鳴った。真白は唯一口にできそうなアイスを取り出し、スプーンですくった。

「空腹でアイス食べるなって、また忘れたのか?」

ふいに、拓見がまるで幻のように目の前に現れた。真白を見下ろし、困ったようにため息をつく。

手が震え、アイスを落としそうになった。

真白は反抗心が芽生え、スプーンで山盛りすくって口に押し込んだ。

「ご主人と喧嘩して実家に帰られるんですか?」

運転手がルームミラー越しに真白を見ながら、話しかけてきた。

拓見は穏やかな性格で、結婚して七年間、二人は礼儀正しく平穏に過ごしてきた。

真白は首を振った。

「喧嘩じゃない、離婚するんです」

運転手は驚き、つい好奇心を抑えられなかった。

「どうされたんですか? まさか、浮気とか……?」

真白は一瞬固まった。

どうしたのだろう。

今さらながら考えた。

半月前に、拓見が雨音の空港送迎役を買って出たから?

一昨日、宏くんが手作りのブレスレットを雨音に贈ったから?

それとも、今日、自分を困らせた三つのアイスのせい?

どれも違った。

窓の外を流れていく夜景を見つめながら、真白はようやく思い至った。

「ラーメンのせいです。

今朝食べたラーメンが、急にしょっぱく感じたんです。

しょっぱすぎて、こんな生活もう嫌だなって思ったんです」

運転手は目を丸くした。

「それだけ?」

真白は頷いた。

「それだけです」

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第1話
遠藤真白(えんどう ましろ)は夫・河野拓見(こうの たくみ)との結婚生活七年目、拓見の初恋・小林雨音(こばやし あまね)が戻ってきた。人気女優となった雨音は、真白の家の玄関先でずぶ濡れになり、泣きじゃくっていた。「拓見さん、彼と喧嘩して、行くところがないの……」いつも穏やかで優雅だった拓見が、初めてグラスを叩きつけた。「今すぐあいつにケリつけてやる!」真白の七歳の息子さえ、おもちゃを放り出して雨音のもとへ駆け寄った。「お姉ちゃん、泣かないで!僕、大きくなったらお姉ちゃんと結婚する!」皆が雨音を笑顔にしようと必死になっている。その頃、真白はスーパーの入口で大雨に足止めされ、必死に拓見に電話をかけても、繋がらなかった。そんな中、一台のタクシーが真白の目の前に止まった。「お客様、ご乗車なさいますでしょうか?」食材の入った袋と、スマホの「残高1万円」の画面を見下ろしながら、真白は尋ねた。「1万円でどこまで行けますか?」「1万円ほどお預かりすれば、隣の県までご案内可能でございますよ」運転手が振り返って彼女を見た。「青市までご利用なさいますか?」真白は小さく頷いた。本当は、どこでもよかった。運転手は真白を上から下まで一瞥した。普段着姿に、大きな袋を抱え、その袋からは三つのアイスクリームが顔をのぞかせていた。「青市まででしたら、6千円ほどで到着いたしますが、他にお荷物はお持ちでしょうか?何かお手伝いできることがございましたら、申し付けください」運転手が降りようとしたのを、真白は慌てて制止した。「荷物はこれだけです。早く出発してください」運転手はそれ以上聞かず、車を出した。「青市までは少々お時間をいただきますので、あらかじめご了承くださいませ」真白は小さく返事をし、袋を見下ろした。冷えたアイスが袋越しに脚に触れ、身震いするほど冷たかった。少し、軽率だったかもしれない。思い返せば、昨日から息子の河野宏(こうの ひろし)がチョコアイスを食べたがっていた。今朝、夫もこう言った。「ちょうど雨音も食べたいって言ってたし、一緒に食べよう。真白も宏くんと一緒に食べたらいい。四つ買ってきて」慌ただしくスーパーへ駆け込んだ真白に、店主は告げた。「残り三個しかないよ」まるで狙った
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第2話
一週間前の雨の夜、真白の家のインターホンが鳴った。全身ずぶ濡れになった雨音は、まるで雨に打たれた白い薔薇のようだった。「拓見、もう本当に行くところがないの」その夜、拓見は病院の当直で、救急室で患者の対応に追われていた。最近は悪天候が続き、交通事故の患者も多く、真白が届けた食事さえ口にできないほど忙しかった。ようやく少し手が空いた拓見は、三日間も熱を出していた真白を連れて診察を受けに行った。点滴を打ちながら真白が隣に座っていると、看護師が冗談めかして声をかけてきた。「まぁ、河野先生がいても、奥さんも病気になるんですね?」カルテを書きながら、拓見は苦笑した。「この前、息子に引っ張られて外で水遊びをしたせいで、風邪をひいたんです」その時、宏専用の着信音がけたたましく鳴った。拓見が電話に出ると宏の声が飛び込んできた。「パパ、家にきれいなお姉ちゃんが来たよ!雨音って名前だって!」その名前を聞いた瞬間、拓見の手が止まり、持っていたペンからインクがノートに広がった。宏はなおも急かしていて、拓見はほとんど跳ねるように部屋を飛び出した。診察室に残された真白は、看護師と顔を見合わせ、居心地の悪さに立ち尽くすしかなかった。ほどなくして、傘を抱えた拓見が慌てた様子で戻ってきた。しかし、それは、真白の気まずさを気遣ってのことではない。家の鍵が真白の手元にあるのを思い出したからだった。「ごめん真白、焦って忘れた」息を切らしながらも、雨音に傘を差し出すことは忘れなかった。雨音を大切にすることは、彼にとってもはや習慣だった。……「ごめんなさい、拓見さん」雨音は彼から受け取ったタオルで髪を拭きながら言った。「葉川暁(はがわ あきら)と口喧嘩して、あなたしか頼れる人がいなかったの」「うちに来てくれてよかった。妊娠三ヶ月なのに外を出歩くなんて、もう少し自分を大事にしないと!」普段は穏やかな拓見が、このときばかりは声を荒げた。「葉川も全く……俺が説教してやらないと!」宏はぴょんぴょん跳ねながら雨音の周りを回り、目を輝かせていた。「お姉ちゃん、すっごくきれいで、いい匂いがする!」雨音は宏の頭を撫で、にっこり笑った。「拓見さんにそっくりだね。これからは拓見さんが二人だわ」その言葉
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第3話
暁は映画の撮影に入ることになり、一か月間、外部との連絡を断つことになった。この間、特別に重要な用件でない限り、彼に連絡を取ることは禁止された。雨音の妊娠でさえ、大したことではないとされた。「真白、少しだけ我慢してくれないか」そう言われ、真白は小さくうなずいた。仕方がない、と心の中で呟いた。気のせいかもしれないが、真白は雨音が自分をあまり好いていない気がしていた。雨音は甘えるように「真白さん」と呼び、真白が料理をしていると手伝ってくれた。そして料理が出来上がると、目を輝かせて誰よりも早く褒めた。「真白さんの料理、すごく美味しい!拓見さんも宏くんも、そりゃあ大好きになるわけですね!」拓見も宏も、彼女が心から褒めていると感じた。だが、普段は真白の作る料理を何より楽しみにしていた宏が、その日初めて食器を叩き落とした。「ママの料理なんて食べたくない!ピザがいい!」床一面に散った破片を見つめながら、真白は叱った。「まだ成長期なのに、好き嫌いしてどうするの。誰に教わったの、こんなこと!」宏はまったく悪びれることなく、真白をじっと睨みつけ、決して引く気配を見せなかった。雨音が歩み寄り、宏の肩を優しく抱きながら言った。「真白さん、そんなにきつく叱らなくてもいいじゃないですか。子供がたまに違うものを食べたくなるの、普通のことですよ」すると宏も声を荒げた。「そうだよ!ママは僕のこと全然わかってない!どうしてママなの?お姉ちゃんがママだったらいいのに!」真白はその場に立ち尽くしたまま、呆然とした。ちょうどその時、台所から料理を運んできた拓見も動きを止め、そしてそっと目を逸らした。真白は瞬きをし、そして静かに涙をこぼした。宏を身ごもった時、真白は酷いつわりに苦しみ、日に日にやせ細り、八ヶ月に入っても腹は小さかった。拓見はそんな彼女を気遣い、出産を待たずに自らパイプカット手術を受け、「この子だけでいい」と言った。それ以降、宏が悪さをするたび、拓見は厳しく言い聞かせた。「ママの身体の栄養を全部吸って生まれてきたんだぞ。だから、絶対にママを泣かせないでよ」宏も毎回、真白の腹に顔を寄せ、「ごめんね」と囁いていた。翌日は真白の誕生日だった。真白は拓見の好物を並べ、宏のためにピザも用意した。
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第4話
「ガソリン代だけで二千円で結構ですよ。お客様一人だと、なんか寂しそうですからね」運転手は真白の送金をきっぱりと断り、そのまま走り去っていった。民宿のそばに立ち尽くした真白は、大声で叫んだ。「ありがとうございました!」心の奥がほのかに温かくなった。真白は身の回りを整えると、青市で就職活動を始めた。七年間の主婦生活で、唯一得意なのは料理だけだった。だが、今の厳しい社会情勢では、中年女性というだけで給与を低く抑えられ、基本的な生活すらできない。ようやく、ある料亭のマネージャーが真白を上から下までじろじろと眺めた。「試してみなよ。うまくできたら、月給12万円だ」目を輝かせた真白は、すぐにエプロンをつけて仕事に取りかかった。その晩は企業の貸切があり、きちんと仕上げればご祝儀も出ると言われた。励まされた真白は、夜十時まで必死に働き、息を切らしていた。マネージャーは満足げに頷き、明日も来るようにと言った。だが翌日、真白が出勤すると態度が一変し、鬼の形相で追い払われた。「さっさと出て行け!お前のせいでクレームが入ったんだぞ、賠償金請求しないだけありがたいと思え!」突き飛ばされ、地面に倒れた真白は、ようやく事の次第を悟った。彼らは真白の労働をただで使っているんだ。証拠もないため、悔しさを飲み込み、体を払って立ち上がり、その場を後にした。午後になって、再び面接を受け歩いていたところ、ある中学校の前で掲示板に目を留めた。警備員に尋ねると、副校長に案内された。副校長はやや怖そうな雰囲気だったが、簡単にいくつか質問した後、言った。「ちょうど給食係が一人足りないところだった。一日三食、食事と寮付き、社会保険完備。ただし、給料は6万円しか出せない。それでもいいか?」躊躇していると、副校長は真白を連れて校門前の寮を一目見せてくれた。たとえ給食係であっても、個室が与えられるという。真白は少し考えた後、尋ねた。「ペットを飼ってもいいでしょうか?」真白は動物が大好きだった。だが拓見は嫌い、宏も動物の毛にアレルギーがあった。拓見が好むのは花を育てることで、ベランダには隅々まで鉢植えが並べられていた。しかしずっと後になって、真白は知ったのだ。本当に花が好きだったのは雨音であり、ペットを嫌っていたの
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第5話
翌日、真白はついに食堂で食べ物を盗もうとしていた武を捕まえた。武は口に肉まんじゅうをくわえ、慎重かつ手慣れた様子でテーブルを越えて逃げ出そうとしていた。真白はそっと背後に近づき、彼の手をがしっと掴んだ。「肉まんじゅう一つじゃ足りないでしょう?」次の瞬間、拳が真白の目の前でぴたりと止まり、その風圧で前髪がふわりと揺れた。真白は、目の前で止まったその手を握りしめた。「お粥も一杯、いる?」武は床に胡坐をかき、真白は小さな机を立てて、その前に一杯のお粥を運んできた。武は何も言わず、真白を何度か疑わしげに見たあと、死を覚悟したかのような表情で粥を両手で抱え込み、がつがつと食べ始めた。その慌てた様子を見て、真白はそっと武の背中をさすった。「ゆっくり食べて。まだたくさんあるよ。それに、あなたみたいな子どもに毒なんか盛らないから」武は最後の肉まんじゅうを飲み込んだ後、小さくゲップをした。かすれた声で、「ありがとう。お金を稼いで、ちゃんと返すから」と呟いた。その場に立ち尽くした真白は、武が口数少ない理由に思い至った。拓見と一緒に過ごしてきた経験から、武のかすれた声が後天的なものだとすぐに分かったのだ。「返さなくていいよ。これから食べたくなったら、あそこに立ってて。私が取りに行ってあげるから」武は小さく頷き、何かを言いかけたが、視線が真白の背後に移った。真白も振り返ると、箒を持って駆けてくる同僚の姿が目に入った。再び前を向いたときには、すでに武の姿はなかった。怒り心頭の同僚が叫んでいた。「いい度胸だな!一生俺に捕まらずにいろよ!」その後、彼は机を見下ろしながら言った。「真白、あいつには情けをかけるなよ。ああいう子どもは皆、恩知らずのガキだ!」だが真白は、武が悪い子どもだとは思えなかった。動物を助け、真白に本気で拳を振り下ろすこともしなかった子どもが、どうして本当に悪い子でいられるだろうか。しかし翌日、同僚が慌てて駆け寄り、真白に彼女の寮の窓ガラスが壊されたことを伝えた。すぐさま駆けつけると、大勢の人が真白の部屋の前に集まっていた。その中心に、うなだれた武が立っていた。彼の手には血が滲み、周囲の人々の非難を黙って受け止めていた。「真白、だから言っただろ!あいつは恩知らず
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第6話
気がつけば週末になっていた。生徒たちは皆、休みで帰省してしまい、校舎はひっそりとしていた。武は猫を連れて外をひと回りしてから、真白の部屋を掃除していた。真白は着替えを終えると、帽子を取り出して武の頭にかぶせた。「行くよ」「どこへ?」武が尋ねると、真白は鍵をかけながら答えた。「病院だ」武の喉は後天的に損傷していたが、まだ回復の可能性があった。「このまま放っておいたら、声が出なくなっちゃうよ。そしたら皆にいじめられるかも」「へっ、俺、喧嘩は得意だもん」武が強がると、真白は彼の額を軽く叩いた。「喧嘩ばかりしてもダメだよ。それに、また何かで濡れ衣を着せられたとき、私がいなかったら誰が助けてくれるの?」武は一瞬、真白の服の裾を掴もうと手を伸ばしかけたが、結局引っ込めた。「……わかった」一緒に階下へ降りると、真白は日焼け止めを取り出し、武の顔に丁寧に塗ってやった。「肌がこんなに白いんだから、日焼けしないようにしないとね」そのとき、背後から真白を呼ぶ声が聞こえた。震えるような、信じられないといった歓喜の響きを伴っていた。「真白?」振り返ると、拓見が宏の手を引き、逆光の中を駆け寄ってきた。彼は真白の目の前で立ち止まると、まっすぐに彼女を見つめた。「本当に君なんだ」短い間に、彼はすっかり痩せてしまったようだった。妊婦の世話は大変だったのだろう。拓見の目は赤く滲んでいた。「会いたかった……」宏は拓見の手を振りほどき、真白に向かって飛びつこうとしたが、武に弾き飛ばされた。武は真白を背中にかばいながら、鋭い声で叫んだ。「お前ら、誰だ!」拓見ははっと我に返り、武の服装を見てようやく安心した様子だった。真白はバッグの紐を握りながら尋ねた。「何しに来たの?」この数日、里奈が進捗を伝えてきており、拓見には真白が失踪していないこと、離婚届にサインしたことが伝わっていた。真白もオンラインで離婚に同意していた。本来なら、司法手続きだけで婚姻関係は終わるはずだった。里奈は手際よく処理し、余計なことは何も言わなかったし、真白もまた、拓見が後悔しているなどと甘い期待は抱いていなかった。そう考えて、真白は冷静に続けた。「たまたま雨音をここに遊びに連れてきたってわけ?でも私も
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第7話
その関係から外に出てみると、そこには連日、雲一つない晴天が広がっていた。こんなに良い天気を、真白はこれまでほとんど見たことがなかった。真白が何も言わずにいると、拓見は歩み寄り、彼女の手を取ろうとした。真白は後ろへ下がって避ける。拓見は今にも泣き出しそうな顔で彼女を見つめた。「真白がいない生活にはもう耐えられないんだ」あの晩、真白がなかなか帰らなかったとき、彼は慌てて傘を持ち、車を飛ばして彼女を迎えに行こうとした。しかしスーパーの前に着いた時、店主から「とっくに帰りましたよ。行き先はわかりませんが」と告げられた。拓見は尋ねた。「自分の意思で車に乗ったんですか?」店主はうなずいた。「ああ、あの綺麗な姉ちゃんか?『1万円でどう?隣の県まで行けるか』って言ってるのを聞きましたよ」事情を知った拓見は、1万円で行ける範囲を急いで考え、青市からさらに遠い熊松市へ向かった。探す間もなく里奈からの電話を受け取ることになる。「もう探さないで。真白が離婚するって言ってるから、離婚届にサインしに帰ってきて」返事をする間もなく、電話は一方的に切られた。拓見は焦りながら戻り、里奈との待ち合わせ場所へと急いだ。しかし、そこにいたのは里奈と弁護士だけだった。拓見は、目の前に差し出された離婚届を見つめながら、必死に問いただした。「真白は?」里奈は冷たく言った。「会いたくないって。さっさとサインして、これ以上彼女を邪魔されないで」拓見は離婚届をテーブルに叩きつけた。「彼女に会わなきゃサインしない!」だが、里奈は彼の願いを一蹴した。どこからか現れた屈強なボディーガードたちによって、拓見は無理やりサインさせられた。「よし、あとは離婚証明書を自宅に送るから、もう会わないでね」里奈は上機嫌で笑い、離婚届を持って去っていった。拓見は腹を押さえながら、それでもなお真白に会うことを願っていた。翌日、彼は出張を口実に青市へ向かった。タクシー代を計算しながら、ここならきっと真白を見つけられると信じて。思い立ったらすぐに、彼は宏を連れて青市へと駆けつけた。仕事を終えた後も、ずっと外で真白の行方を尋ね回った。「君は心が清らかで、もう長い間社会から離れていたから、誰かに騙されたりしないか心配で、夜も
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第8話
宏は突然大声で泣き出し、涙で潤んだ目で真白を見上げた。「じゃあ、僕は?ママは僕のこともいらないの?」武はもう止めに入ろうとはせず、腕を組んで道端に立っていた。真白が何の反応も示さないのを見て、宏は地面に寝転がって転げ回り始めた。「ママがかまってくれないなら、僕はこのまま道路の真ん中まで転がって行くからね!」武は足で宏の行く手を塞ぎ、鋭い口調で言った。「わがまま言って真白おばさんを困らせることしかできないのか」宏は怯えて震え、しばらく泣き止んだ。拓見は困ったように真白を見た。「ほら、宏くんだってこんなに……だから一緒に帰ろう?」「帰らない」真白は武の手を取り、バスが来ると迷わず乗り込んだ。拓見は地面にある宏を抱き上げ、バスのドアが閉まる前に乗ろうとした。そのとき、武がドアの前に立ち、二人に向かって大声で叫んだ。「乗るな!真白おばさんに迷惑かけるな!」その剣幕に拓見たちはその場に凍りつき、立ちすくんだ。バスのドアが完全に閉まったあと、武は遅れて耳まで真っ赤に染め、気まずそうに真白を見た。「さっき、息子さんに怒鳴っちゃった……」真白はうなずき、隣の席を軽く叩いて武を促した。「よくやったわ。あんなふうに付きまとわれたくないもの。気にすることない。好きなようにすればいい、私は武の味方だから。ただし、法律に違反しない範囲でね」真白が話すにつれ、武の顔はどんどん赤くなっていった。やがて、彼はぎこちなく答えた。「……わかった」病院で喉の検査を受けた武は、小さな腫瘍ができているが深刻なものではなく、簡単な手術で済むと医者から告げられた。その言葉に武は怯え、喉を押さえた。「お、俺……」真白は彼の頭を優しく撫でて慰めた。武は真白を一瞥すると、何かを決心したように言った。「うん、何とかしてお金を用意するよ」十四歳の少年ができる「金稼ぎ」がまともなものではないことを、真白はすぐに察した。彼女はぴしゃりと彼の頭を叩いた。「今の武の仕事は、勉強することだけ!お金のことなんて、私に任せなさい!」「はい……」普段の生意気な態度とは違い、武は珍しくおとなしく答えた。その様子がおかしくて、真白は思わず吹き出した。そして優しく言った。「手術が終わったら、思
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第9話
「まだ俺のことを気にかけてくれてるんだろう?」真白はため息をついた。「誰にだって気にかけるわよ。たとえ校内の警備員さんでも『傘を持ってね』って声をかけるくらいには。誰に対しても同じよ。だから、いちいち気にしないで」拓見はその場に固まったまま、傘を抱きしめるように持ちながら、戸惑い、目を赤くしていた。その後、彼は帰宅してすぐに高熱を出して倒れた。宏は慌てふためき、泣きながら真白に「パパを見に行って」と懇願した。実の子どもにそこまで頼まれて、真白も無下にはできず、結局一緒に拓見を見舞うことになった。真白は家の前に着くと、雨音が大きなお腹を抱えて座り込み、涙を流しているのが見えた。真白の姿を見つけると、彼女は目を見開いて睨みつけた。「どうしてそんなに冷たいの。拓見さんにあんな雨の中立たせたなんて!もう帰って、私が彼を看病するから」真白は黙って頷き、すぐに踵を返して立ち去ろうとした。だが、拓見はふらふらと起き上がり、よろめきながら駆け寄って、背後から真白を抱きしめた。火照った体が密着し、その熱さに真白は一瞬息を呑んだ。真白は腰に回された彼の腕を叩きながら焦った声をあげた。「離して……!」だが、拓見は首を横に振り、腕の力をさらに強めた。「行かないで……お願い、今は君だけが必要なんだ……雨音が来たのは俺のせいじゃない。無理に付いてきたんだ。俺にはどうする力もなかった、だから、誤解しないでくれ……」雨音は呆然とし、信じられないという顔で叫んだ。「拓見さん、どういうこと?今度は私まで見捨てるの?暁だって、外に女を作って私を捨てたのに、今度はあなたまで……!どうしてみんな、他人の家庭に割り込むことばかりするの!」その瞬間、宏が雨音を強く突き飛ばした。「パパとママの間に割り込んできたのは、あんたの方だ!」雨音はその場で凍りついた。「でも、拓見さんは違う……彼は私を恋人だって言った、結婚すると約束してくれたのに……」言葉を重ねるうちに、自身でもその言葉に自信がなくなっていった。拓見は慌てて彼女との関係を否定した。「昔の冗談に過ぎない。本気にするな。俺の妻は昔もこれからも真白だけだ」真白は一つ一つ、拓見の手をほどきながら静かに言った。「それはあなたの考えで、私には
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