子どもを持たないと決めていた五年間。それがある日、夫の桐島 時臣(きりしま ときおみ)が突然、双子の赤ちゃんを養子に迎え入れた。 それだけではない。彼は葉山 綾乃(はやま あやの)に、その双子を「実の子ども」として育ててほしいと言い出し、将来、自分の莫大な遺産をすべて彼らに継がせるつもりだというのだ。 もしかして、時臣は気持ちを変えて子どもを望むようになったのかもしれない。そう思った綾乃は、避妊リングを外し、妊娠の準備をするため病院を訪れた。 ところが、医師から告げられたのは――あまりにも衝撃的な事実だった。綾乃の子宮は、五年前にすでに摘出されていたのである。
View More「……吐きそう。まさか時臣が、こんな最低な男だったなんて!」「愛妻家を売りにしてたくせに、裏では女遊び三昧? どの口が言ってたのか、ほんと笑える」「ウケる! あいつ、理想の夫ランキングで一位になったことあったよね? みんなの理想の夫とか、見る目なさすぎ!」……かつて時臣は、愛妻家キャラを前面に押し出すことで、桐島グループは飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していた。けれど、インターネットは諸刃の剣。栄光と共に破滅もまたもたらす。今や、時臣の愛妻家という仮面は完全に崩れ、グループの株価は大暴落。一か月以上にわたり下落が止まらず、数千億円規模の資産が消えていった。時臣にとっては、まさに壊滅的な損失だった。だが――綾乃は違った。彼の不倫動画が暴かれる前に、すでに離婚も財産分与も完了していたのだ。そのため、彼女の資産には一切影響がなかった。むしろ世間の同情と応援が彼女に集まり始めていた。離婚後に手元に残ったのは、いくつかの小規模なアパレル会社だけだったが、SNS上の支援が追い風となり、売上は右肩上がりに。「綾乃さん、応援してます! クズ男なんか捨てて、キレイに生きてください!」「子宮まで奪われたなんて……涙が止まりません。絶対応援します!」「綾乃さん、前を向いて。あなたには明るい未来がある!」……そんな言葉たちが、少しずつ、綾乃の傷を癒していった。もちろん、すべてを乗り越えたわけではない。けれど、時間とともに、この痛みもきっと癒える。そう信じられるようになった。美貌も、才能も、そして十分な時間もある。立ち直れないはずがない。そして綾乃は、しばらくして世界一周の旅に出ることを決めた。それは、時臣から距離を置くためであり、自分の心を癒すための旅でもあった。出発の日。空港のロビーに、思いがけない人影が現れた。「綾乃ちゃん、旅のお供……必要だったりする?」そう言って微笑んだのは――言成だった。彼の瞳はまっすぐで、どこまでも誠実だった。綾乃も思わず笑みを返した。「……先輩、もし旅の相棒として来るなら歓迎します。でも、もしそれが恋愛目的なら、お断りしますね」「私は今、失恋直後で、正直、心がぐちゃぐちゃで」「しばらく恋愛は考えたくないです……ごめんなさい」それは、優しさを込めた精一杯の拒絶だ
すべて、終わった――時臣はそう思っていた。自分自身で、この茶番劇に終止符を打ったのだと。美月にはふさわしい報いを与え、子どもたちもすでに送り出した。だからこそ、綾乃もそろそろもう一度、自分にチャンスを与えるべきではないかと。人は誰しも、やり直す機会が必要だと、彼は信じていた。「綾乃……君のために、悠人と安奈を手放したんだ」時臣は語気を強める。「俺にとって本当に大事なのは君だけだ。君が望むなら、自分の子どもすら捨てられる!」「それほどに、君を愛している。君のためなら、何だってできるんだ!」だが、時臣の熱烈な告白を前に、綾乃はただ滑稽に感じた。彼女は冷ややかな目で時臣を見て、無表情にそう言った。「それで、私に黙って子宮を切除したのね?知ってた?子宮筋腫って、命に関わる病気じゃないの。ほとんどの女性が持っているものよ」「それを隠してまで、私の体に勝手なことをして……それが、愛しているっていうの?時臣、あなたの愛は――恐ろしいわ」時臣の顔色がぱっと青ざめた。「な、なんだって……?命の危険はなかった?」「そんなはずは……誰がそんなことを……どうして君が……」綾乃は沈黙したまま、その瞳だけがどんどん冷たくなっていった。その気配に怯んだ時臣は、話題を逸らそうとした。「いや、もういいんだ。過ぎたことだ」「綾乃、もし君が子どもを望むなら……養子を迎えよう。君と一緒に新しい家族を作りたいんだ」「命を懸けて、君とその子を守る。そう誓うよ!」「時臣、もうあなたに何を言っても無駄よ」綾乃はそれ以上聞かず、携帯を手に取って警察に通報した。だが、実は――綾乃が電話をかけるまでもなかった。時臣にはK国での前科があり、入国と同時に電子式の監視装置が装着されていた。その装置は、彼が綾乃に近づいた瞬間に自動で通報していたのだ。ほどなく警察が駆けつけ、時臣は再び手錠をかけられた。それでも時臣は執念深く叫び続ける。「綾乃!俺は絶対に諦めない!」「俺の愛は本物だ!俺が愛しているのは、この世界で君だけだ!」「必ずもう一度、君を取り戻してみせる!」そして――彼は本当に、その言葉を行動に示した。監視装置が警告音を鳴らし、10分以内に警察が駆けつけて毎回拘束されても、釈放されればすぐにまた綾乃のもとへ向かった。やがて時
「時臣、悠人と安奈はあなたの実の子よ!こんなことをして、絶対に報いを受けるわよ!」美月は狂ったように叫び続けたが、その声に耳を貸す者は誰一人としていなかった。白衣をまとった医師たちが、彼女の両腕をつかみ、無理やり引きずり去っていく。時臣は外では美月が癌を患い、化学療法が必要だと説明していた。だが実際には、美月に癌など一切なかった。本来、癌患者のための化学療法は、特殊な機器を使って体内の癌細胞を破壊する処置だ。しかし同時に、正常な細胞も傷つけてしまうため、その副作用は想像を絶する。だから化学療法の過程は非常に苦しいものだ。化学に耐える患者たちは、次第に体力を失い、髪が抜け落ち、肌はやつれ果て、日に日に老け込んでいく。美月もまさにその苦痛を味わっていた。癌でないにもかかわらず、彼女は毎日無理やり化学を受けさせられていたのだ。副作用は容赦なく彼女の身体を蝕み、豊かだった髪は束ごと抜け落ち、肌には黒ずみや皺が浮き始めていた。わずか一ヶ月も経っていないのに、美月はまるで数十年も老け込んだかのような姿になっていた。だが、それはまだ序の口に過ぎなかった。時臣は医師たちにさらなる命令を下していた――美月の子宮を摘出しろと。子宮を失えば、女性の身体は一気に老化が進む。綾乃がそうならなかったのは、当時、時臣が莫大な費用をかけて海外から特効薬を取り寄せ、それを毎日の食事に混ぜるよう使用人に命じていたからだった。その薬のおかげで、綾乃の身体は衰えを免れていたのだ。しかし、美月には――そんな配慮は一切なかった。時臣の中で、美月はすでに不要な存在になっていた。愛情どころか、今や見るのも嫌なのだろう。だからこそ薬も与えられず、美月の老化は加速していった。そして、彼女が産んだ双子――悠人と安奈は、時臣の言う通り桐島家の分家へと送られた。たとえ分家とはいえ、桐島家は一大財閥であり、その庇護のもとなら普通は二人とも不自由なく暮らせるはずだった。だが、そうはならなかった。桐島家の多くの人は、すでにこの二人の子どもが美月と時臣の間に生まれた私生児だと気づいていた。美月は綾乃の立場を脅かす存在であり、離婚の原因となった女。綾乃は時臣にとって何より大切な存在だ。時臣を怒らせても、綾乃に頼めば命を助けてもらえるかもしれない。しかし綾
美月は血だまりの中に倒れ、涙をこぼしながら必死に言葉を絞り出した。「……いや……嘘だよね……時臣、あなた……あんなに愛してるって言ってくれたじゃない……私のことを愛しすぎてるって……」「どうしてよ……私がこんな風に簡単に捨てられるような、価値のない女だったなんて……嘘よ!」泣きじゃくりながら、彼女は力なく地面を這い、時臣の足元に縋りついた。血まみれの手を伸ばし、そのすらりとした足に必死で触れようとする。「嘘でしょ……全部嘘でしょ……あなたは私を愛してる。そうでしょ?愛してるって言って……ねぇ、時臣!」だが時臣は眉をひそめ、うんざりしたように彼女を足で蹴り飛ばした。「確かに、お前のことは少しは好きだったよ」冷たい笑みを浮かべ、彼は言った。「でもそれは、お前がお利口で、素直で、俺を気持ちよくさせてくれる存在だったからにすぎない」「要するに――お前は俺にとって、ペットみたいなもんだ。気が向けば可愛がるし、気に入らなきゃ、いつでも踏み潰せる存在だ」「でも、綾乃は違う。綾乃は俺の運命の人で、この人生でただ一人、心から愛した女性だ。彼女みたいに気高くて、冷ややかで、美しい女神こそが、俺にふさわしい。お前は――ただの使い古した女に過ぎない」「昔は素直だったし、気も利いたから、少しくらい優しくしてやった。ちょっとくらい愛情を注いでもよかった」「もし、お前はずっと、大人しく俺に尽くしてくれるなら、養ってやっても構わないよ」「けどな、お前が絶対にやってはいけなかったのは――綾乃の前にしゃしゃり出たことだ!」「綾乃は俺の命だ。あの人なしじゃ俺は生きていけない。そんな彼女に向かって裏切りやがって……汚い動画まで送りつけて挑発して……お前は完全に――一線を越えたんだ、美月!」その言葉と同時に、時臣は彼女の首をわし掴みにし、低く怒りを押し殺すように言い放った。「お前のせいで、綾乃が離婚を突きつけてきた。警察にも通報されて、もう近づけない」「お前みたいな女のせいで、俺の人生はめちゃくちゃだ。なあ、どう償ってもらおうか?」その言葉に、美月の身体が震え、涙と嗚咽を混ぜながら懇願した。「ご、ごめんなさい……時臣、私が悪かった……もう絶対にしない、絶対に逆らわない、お願い許して……」「これからは大人しくするから、言うこと何でも聞くから……お
時臣の手が突然、ぐっと美月の首を締め上げた。驚きと恐怖で、美月は慌てて声を上げる。「……ちが……うの……時臣、私、だましてなんかない……」涙に濡れた瞳で懇願し、必死に訴えた。「お願い、痛い……手を離して……」けれど今の時臣に、その涙はもう何の意味も持たなかった。「だましてない?」冷たく笑って、彼は声を低く落とした。「なら、今すぐ病院で検査してみるか?」「俺がこの世で一番嫌いなのは、人に裏切られることなんだよ」「もし検査で異常がなかったら……その口に、発がん物質を叩き込んでやる」その言葉に、美月の顔から血の気が一気に引いた。「やだっ、お願い……やめて!」泣き崩れ、しゃがみ込みながら必死に訴えた。「私が悪かった……時臣、許して!」「本気でだまそうとしたわけじゃないの。あなたを愛しすぎたの」「あなたが私に夢中になってくれたように、私も狂おしいほど愛してるの!」「綾乃さんに嫉妬して、我慢できなくなったの……私はあなたの不倫相手なんかじゃなくて、堂々と隣に立ちたかった……」だがその涙も、時臣の心には届かなかった。彼は片方の口角を歪め、冷酷に嘲った。「で……俺との行為をこっそり撮って、その動画を綾乃に送ったってわけか?」その言葉に、美月の顔が凍りつく。震える声で答えた。「そ、それも……知ってるの?」その一言で時臣の怒りが爆発し、振り上げた手が美月の頬をはじき飛ばす。「このクズ女が!何度言えばわかるんだ、綾乃の前に出るなって!」「俺はお前にここまでしてやったんだぞ? 綾乃の子宮を摘出させてまで、お前の子を受け入れたのに!」怒りが暴力となってあふれ、時臣は美月の腹を蹴った。「全部お前のせいだ! お前なんかいなけりゃ、綾乃に浮気なんてバレなかった!」「お前さえいなけりゃ、綾乃は俺のもとを離れたりしなかった!」蹴り続けても怒りは収まらず、時臣は美月の髪を掴み、壁にその頭を何度も叩きつけた。「動画じゃずいぶん得意げだったな? 綾乃がいなくなれば、本妻になれると思ってたのか?」「ふざけるな。お前なんか、綾乃の足元にも及ばないんだ」「なぜお前に子どもを産ませたか、教えてやろうか――出産は命をかけることだ」「俺は綾乃にそんな思いをさせたくなかった。だから代わりにお前を選んだ」「どうせお前が裂けよ
時臣は一週間、拘留されていた。出所の際には、警察によって足首に電子式の監視装置を取り付けられた。もし再び綾乃に近づこうものなら、その装置は鋭い警報音を鳴らし、周囲の警察に即時通知が入る――そういう仕組みだった。一方の言成はというと……たしかに、時臣に拳を振るった張本人ではあったが、綾乃が「正当防衛のためだった」と証言したおかげで、不起訴となり無罪放免となった。このあまりに明白な差に、さすがの時臣も苦しみを隠しきれなかった。それでも、綾乃を責める気にはなれなかった。出所してようやく携帯を手にした時臣は、綾乃との過去のメッセージを一つ一つ遡って読み返した。そして、その瞬間、すべての真相に気づいたのだ。「くそっ、全部――美月の仕業だったのか!」怒りに奥歯を噛みしめ、拳を震わせながら時臣は叫んだ。「綾乃に……あんな動画を送りつけるなんて!この女、どこまで腐ってやがる!」その動画は、目を背けたくなるようなものだった。だが、それ以上に胸がえぐられたのは、動画の下に添えられていた美月からの挑発的なメッセージの数々だった。【綾乃、ほんと臆病な女ね、旦那は今、私のベッドでぐっすりよ。迎えに来れば?】【あなたの旦那のアレ、本当に美味しくて、大好きなの】【お前とするのは義務みたいだったって、笑ってたわよ。あなた、ほんとに何の魅力もない女ね】【女として終わってるって自覚ある?私だったら、とっくに恥ずかしくて引きこもってるわ】……ひとつ、またひとつと毒々しいメッセージが表示されるたびに、時臣の表情はみるみるうちに険しくなっていった。「よくも……よくも、俺をこんな目に!」あれほど大事にしてきたというのに。自分のすべてを与える覚悟すらあった。彼女の子どもたちに、全財産を遺そうとさえ思っていたのに――その裏で、あんな裏切りを!怒りが限界に達した時臣は、すぐに航空券を手配し、国内へ飛んだ。目的はただひとつ。美月を、叩きのめすためだった。「時臣、帰ってきたの?」姿を見つけた美月は、にっこりと微笑みながら駆け寄ってきた。「どうだった?綾乃、見つかった?」その甘えた声に、時臣は冷ややかな視線を向けた。「美月。綾乃が突然、俺と離婚した理由……お前、知ってるよな?」その問いに、美月の表情が一瞬だけ凍りついた。――まさか、あのと
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