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失って初めて知った、君の輝きを

失って初めて知った、君の輝きを

By:  ミズキCompleted
Language: Japanese
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小松紗江(こまつ さえ)は看守に一通の手紙を手渡した。そこには三文字、自白書と書かれていた。 薄手の囚人用ジャケットを羽織った彼女の瞳には、半分は無感情、もう半分は絶望が浮かんでいた。 「この手紙を篠田家に届けてください。彼が私を出してくれるなら、どんな罪でも認めます」 看守は嫌な顔をしながらそれを受け取り、去り際にツバを吐き捨てた。「今さら後悔しても遅いだろ?篠田さんが情けをかけたから、この程度で済んでるんだぞ」 紗江は口元を引きつらせながら、泣くよりもひどい笑みを浮かべた。 吉岡雛乃(よしおか ひなの)の前で、篠田晃(しのだ ひかる)が自分に情けをかけたことなんて、一度でもない。 「お嬢様、ご安心を。出所したら、すぐに家に帰りましょう」 山口(やまぐち)の声には抑えきれない興奮がにじんでいた。その言葉を聞いた瞬間、紗江の目に涙が浮かんだ。白く整った顔には青アザがいくつもでき、無残なほどやつれていた。かつては活き活きしていた美しい瞳も、今は虚ろで疲れ切っている。 あれほど大切に育てられたお嬢様が、今やこんな姿に。 あの日、彼女はその男の手によって刑務所に送られた。相手が許さぬ限り、一生出ることはできなかった。山口に見つけられるまで、紗江は、ここで一生を終える覚悟だった。 「山口さん、両親に伝えて。私は手塚家に嫁ぐ覚悟ができた。家にも戻る。数日後、迎えに来て」

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Chapter 1

第1話

小松紗江(こまつ さえ)は看守に一通の手紙を手渡した。そこには三文字、自白書と書かれていた。

薄手の囚人用ジャケットを羽織った彼女の瞳には、半分は無感情、もう半分は絶望が浮かんでいた。

「この手紙を篠田家に届けてください。彼が私を出してくれるなら、どんな罪でも認めます」

看守は嫌な顔をしながらそれを受け取り、去り際にツバを吐き捨てた。「今さら後悔しても遅いだろ?篠田さんが情けをかけたから、この程度で済んでるんだぞ」

紗江は口元を引きつらせながら、泣くよりもひどい笑みを浮かべた。

吉岡雛乃(よしおか ひなの)の前で、篠田晃(しのだ ひかる)が自分に情けをかけたことなんて、一度でもない。

「お嬢様、ご安心を。出所したら、すぐに家に帰りましょう」

山口(やまぐち)の声には抑えきれない興奮がにじんでいた。その言葉を聞いた瞬間、紗江の目に涙が浮かんだ。白く整った顔には青アザがいくつもでき、無残なほどやつれていた。かつては活き活きしていた美しい瞳も、今は虚ろで疲れ切っている。

あれほど大切に育てられたお嬢様が、今やこんな姿に。

あの日、彼女はその男の手によって刑務所に送られた。相手が許さぬ限り、一生出ることはできなかった。山口に見つけられるまで、紗江は、ここで一生を終える覚悟だった。

「山口さん、両親に伝えて。私は手塚家に嫁ぐ覚悟ができた。家にも戻る。数日後、迎えに来て」

山口は連絡手段を残し、涙をぬぐいながら立ち去った。

翌日、重い鉄の扉が開き、紗江は風雪の中を歩き出した。

路肩には一台のマイバッハが停まっていた。車の傍には、黒い傘を差した男が立っている。

入所して三年、紗江の肌はすでに荒れ、かつての誇り高い性格も完全に打ち砕かれていた。

だが、晃は何ひとつ変わっていなかった。

相変わらず美しく、誰もが見上げる存在のようだった。

冷たい風が彼のコートの裾を舞わせる。その気高く冷ややかな顔立ちは、より一層鋭さを増していた。

二人は遠くから目を合わせたが、しばらく言葉が出なかった。

晃は再会の場面を想像していた。彼女のわがままで泣き虫な性格からすれば、会った瞬間に大泣きして自分の辛さを訴えると思っていた。

この三年間、彼は彼女が早く非を認めるよう、刑務所側に性格を叩き直すよう命じていたのだ。

その効果はあったらしい。

再会した紗江は、ただ黙って彼を見つめた後、吹雪の中をよろめくように歩き出した。

彼女は元々痩せていた上、温かさのない囚人服のままでは、見るからに寒そうだった。まるで、風にさらわれて消えてしまいそうなほどに。

あと三歩のところで、晃はついに心を動かされた。傘を持って彼女に近づき、思わず手を取ろうとしたが、その声には無意識の嫌悪が滲んでいた。

「歩けなくなったのか?なんでそんなに遅いんだ」

紗江はすぐにその手を避け、うつむいたまま、素直でありながらどこか拒絶の混じった声で答えた。

「はい、私が悪いんです。ご迷惑おかけしません、篠田さん」

篠田さんという呼び方に、晃の眉をぴくりと動かした。

ちょうどその時、車の窓が開き、中から暖かい空気とともに冷風が入り込む。

白のタートルネックニットワンピースを着た少女が、思わずくしゃみをした。

晃はすぐに振り返り、隠せない心配そうな表情で声をかけた。

「雛乃、元々体が弱いのに無理してついて来たんだから、防寒もしっかりしないと」

車内からは、少女の甘えたような、澄んだ声が聞こえた。「私は大丈夫だよ、晃くん。

それに、紗江さんもちゃんと反省してくれたし、私も一歩譲るべきだと思って。だから一緒に迎えに来たの。仲直りできたら、晃くんも嬉しいでしょ?」

晃は険しい顔つきのまま、「彼女と君を一緒にするな。とにかく、先に毛布をかけて……」と答えた。

二人の会話が続く。

背後で凍え、頬を真っ赤に震わせている紗江のことをすっかり忘れていた。

雪に覆われたまつげを伏せ、彼女は小さく息を吐いた。

白い息は、すぐに空へと消えていった。

まるで、彼への最後の愛情のように。

紗江は何も言わず、そっと背を向け、深く積もった雪を踏みしめながら歩き出した。

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第1話
小松紗江(こまつ さえ)は看守に一通の手紙を手渡した。そこには三文字、自白書と書かれていた。薄手の囚人用ジャケットを羽織った彼女の瞳には、半分は無感情、もう半分は絶望が浮かんでいた。「この手紙を篠田家に届けてください。彼が私を出してくれるなら、どんな罪でも認めます」看守は嫌な顔をしながらそれを受け取り、去り際にツバを吐き捨てた。「今さら後悔しても遅いだろ?篠田さんが情けをかけたから、この程度で済んでるんだぞ」紗江は口元を引きつらせながら、泣くよりもひどい笑みを浮かべた。吉岡雛乃(よしおか ひなの)の前で、篠田晃(しのだ ひかる)が自分に情けをかけたことなんて、一度でもない。「お嬢様、ご安心を。出所したら、すぐに家に帰りましょう」山口(やまぐち)の声には抑えきれない興奮がにじんでいた。その言葉を聞いた瞬間、紗江の目に涙が浮かんだ。白く整った顔には青アザがいくつもでき、無残なほどやつれていた。かつては活き活きしていた美しい瞳も、今は虚ろで疲れ切っている。あれほど大切に育てられたお嬢様が、今やこんな姿に。あの日、彼女はその男の手によって刑務所に送られた。相手が許さぬ限り、一生出ることはできなかった。山口に見つけられるまで、紗江は、ここで一生を終える覚悟だった。「山口さん、両親に伝えて。私は手塚家に嫁ぐ覚悟ができた。家にも戻る。数日後、迎えに来て」山口は連絡手段を残し、涙をぬぐいながら立ち去った。翌日、重い鉄の扉が開き、紗江は風雪の中を歩き出した。路肩には一台のマイバッハが停まっていた。車の傍には、黒い傘を差した男が立っている。入所して三年、紗江の肌はすでに荒れ、かつての誇り高い性格も完全に打ち砕かれていた。だが、晃は何ひとつ変わっていなかった。相変わらず美しく、誰もが見上げる存在のようだった。冷たい風が彼のコートの裾を舞わせる。その気高く冷ややかな顔立ちは、より一層鋭さを増していた。二人は遠くから目を合わせたが、しばらく言葉が出なかった。晃は再会の場面を想像していた。彼女のわがままで泣き虫な性格からすれば、会った瞬間に大泣きして自分の辛さを訴えると思っていた。この三年間、彼は彼女が早く非を認めるよう、刑務所側に性格を叩き直すよう命じていたのだ。その効果はあったらしい。再会した紗江は、た
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第2話
篠田家の別荘。目の前にある懐かしくもあり、どこか他人行儀な建物を見つめながら、紗江の心は一瞬遠くへ飛んだ。初めてここへ晃と一緒に来たときの気持ちは、今でも鮮明に覚えている。あの時は、本当に嬉しかった。まるで子供のようにはしゃいでいた。理由は一つ。好きな人と家を持てることが、ただただ幸せだったのだ。まるで長い間贅沢三昧に慣れすぎたせいか、紗江は苦汁をなめるような真似をしたがった。本来の彼女は、浜市四大家のひとつ、小松家の令嬢だ。本来なら、いくら篠田家が裕福でも、彼女に会う資格すらなかったはず。六年前、紗江は怖いもの知らずの性格で、ひとり山登りに出かけた。経験はあったが、自然の力を甘く見ていた。ひとりで山に閉じ込められ、次の瞬間には低体温症になる瀬戸際だった。そんなとき、晃が現れた。自分の防寒具をすべて差し出し、一人増えれば、それだけ負担になると分かっていながらも、彼女を背負って山を下りたのだ。紗江は、彼に命を救われた。その瞬間から、彼に夢中になった。彼女は両親と激しく言い争い、浜市から遠く離れたこの見知らぬ土地まで来た。身分を隠し、彼のそばにいることを選び、彼だけを頼りに、全ての愛を注いだ。けれど、待っていたのはかつて高嶺の花と呼ばれた小松家の令嬢が、囚人へと堕ちる未来だった。二人は三年もの間、恋人として幸せな時間を過ごした。紗江は、いずれ両親を説得して、篠田家を受け入れてもらおうと考え始めていた。だが、突如としてすべてが狂った。晃の両親が亡くなる前に、晃には見合いが決まっていた。相手は吉岡家の令嬢、雛乃だ。彼女が帰国し、晃との婚約を履行しようとしていた。その時のことを、紗江は今でも忘れない。晃は彼女を見つめ、真剣な瞳でこう言った。「紗江、大丈夫だ。俺の心の中には、君しかいない。たとえ親戚たちが俺にどれだけプレッシャーをかけても、妥協なんてしない。篠田家なんていらない、君さえいればそれでいい」その言葉に、紗江は涙を浮かべて感動した。だが、その裏で彼の心は、すでに明るく可愛らしい雛乃に傾いていた。なにしろ、家柄が同じ者同士、自然と話題も多かった。やがて晃は家に帰る時間が少しずつ遅くなった。最初のうちは言い訳をしていた。だが、次第に態度は変わり、不機嫌さすら
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第3話
一年目、紗江はまだ希望を捨てきれず、晃が自分を迎えに来てくれる夢を毎日のように見ていた。二年目になると、刑務所の中で他の囚人たちのいじめや嫌がらせが始まった。まともに食べられず、寒さで震えるのは当たり前になった。時には殴られて、這わないと動けないこともあった。そうやって彼女を痛めつける人間たちはこう言った。「篠田さんから頼まれてやってるのよ。吉岡さんを喜ばせるためだってさ」三年目、紗江はようやく悟った。愛も希望も、すべては嘘にすぎなかったのだと。ここから出たいなら、誰にも頼らず自分の力で出るしかない。だから彼女は、罪を認めてでも外に出ることを選んだ。あの事件の真相を、自分の手で突き止めるために。鼻先で雪が溶ける。その冷たさに、彼女は過去から現実へと引き戻された。別荘の中へ足を踏み入れ、記憶を頼りにかつての部屋へ向かう。だが、階段を上がったところで異様な光景が目に飛び込んできた。彼女の昔の部屋のドアは大きく開け放たれ、中の物がまるでゴミのように放り出されている。「何してるの?」紗江の声は鋭く冷たかった。使用人たちが振り返ってようやく彼女の存在に気づいた。一人がわざとらしく叫んだ。「え、どこからのホームレス?警備は何してんのよ、こんなのまで入れて」すると、くすくすと笑う声が空気を満たした。誰かが、わざとらしく「気をつけなよ、小松さんだよ」と告げた。だが、先ほど失礼なことを言った使用人は謝る気配もない。むしろ居丈高に言い放った。「へぇ、小松さんだったね。でも帰ってくるなら一言くらい連絡してくれても、身なりくらい整えられればよかったのに。お祓いの塩も用意してた」露骨な嫌がらせにも、紗江は怒る様子を見せない。この家にやって来たときから、彼女のことを本気で受け入れてくれる人間など、最初からいなかった。田舎から出てきた女が、金持ちの男にすり寄ってきた。皆、心の中でそう思っていたのだ。紗江は黙って近づき、膝をついて自分の物を拾い始めた。彼女は手早く荷物をまとめ、早く片付けて客間で休もうと考えた。できれば、あの二人とは顔を合わせずに済ませたかった。だが、運命はそう甘くはなかった。背後から、耳障りな甘ったるい声が届いた。「紗江さん、怒らないでね?だって、いつ出てくるか分からなかったし、晃くん
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第4話
紗江の「結構です」という言葉がまだ口をついて出ないうちに、晃の慌ただしい声が響いた。「気をつけろ!彼女の物は雑然としている。怪我でもしたら大変だ」雛乃は振り返り、晃に向かってちゃっかり舌を出した。「晃くん、わかってるってば。私、そんなにドジじゃないもん!」まるで三年間も付き合ってきた恋人同士のような、慣れ親しんだやり取りだった。そんな自分の態度に気づいたのか、晃はどこかぎこちなく、紗江にも一言付け加えた。「君も気をつけろよ」彼の言葉に、紗江の睫毛が微かに揺れた。それでも何も言わず、まるで聞こえなかったかのように沈黙を貫く。「わあ、紗江さん、この翡翠のカップきれい!どこで買った偽物なの」雛乃が勝手に彼女の閉じていた箱を開け、中から緑色のカップを取り出して、わざとらしく振り回す。その瞬間、紗江の瞳孔が一気に縮んだ。「返して」彼女は急いで取り返そうとした。でも手が雛乃に触れるより早く、雛乃はわざとらしく転び倒れ、その瞬間、手にしていたカップを勢いよく投げつけた。床に粉々に砕け散ったカップを見て、紗江の目は瞬く間に赤く染まり、涙が溢れそうになった。「晃くん、痛いよ」雛乃の甘えた泣き声が耳に残る。次の瞬間、紗江は誰かに肩をぐっと掴まれた。そして、強い力で後ろへ突き飛ばされる。そのまま、そのまま雑物の山へと放り出された。三年間の刑務所暮らしで紗江の体はすでに衰弱しきっていた。この一撃で、彼女の顔色が一瞬で真っ白になり、額には冷たい汗が浮かぶ。浮かんでいた涙は堪えきれず、ぽろぽろとこぼれ落ちた。だが晃は、そんな彼女に一瞥すらくれず、すぐに地面に倒れた雛乃を抱き起こした。雛乃はその腕にしがみつき、顔を埋めて涙を流す。「晃くん、紗江さんが本当に反省したと思ってたの。ちゃんと仲良くなりたくて頑張ってたのに、なんで私にこんなことをするの。私、そんなに嫌われるの?押されたところ、本当に痛い」雛乃は手は震えながら、涙を流していた。見た目は痛々しいほど転んだように見えるが、髪が一本たりとも崩れていない。演技でもなんでもいい。晃が信じてくれさえすればそれでいい。案の定、彼の整った顔に、怒りの色が走る。地面に座り込んだままの紗江に向ける目は、明らかに怒りと憎しみに満ちていた。「雛乃を突き飛ばして
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第5話
晃は、紗江が必ず言い訳を始めると思っていた。だが、ふらつきながら立ち上がった紗江は、いきなり二人に向かって頭を下げた。彼女が顔を伏せていたせいで、表情は見えない。だが、耳に届いたのは一切の感情を排した冷たい声だった。「吉岡さん、すみません。私が慌ててしまって、ぶつかってしまいました。わざとじゃありません」その言葉に、晃も雛乃も思わず目を見開く。雛乃の泣き声も、ぴたりと止んだ。彼女は晃の胸に顔をうずめたまま、目に複雑な光を浮かべている。やがて、雛乃は晃の服の裾を軽くつまんで、上目遣いに甘えたように言った。「もういいよ、晃くん、彼女が本気かどうかは別として、謝ってくれたんだし。あなたのためにも、私は騒ぎたくないの」寛大な一言に、晃の目に一瞬浮かんだ迷いも消えた。卑屈に頭を下げる紗江の姿を見て、彼は冷笑を浮かべる。そういうことか。これまで一度でも、こいつがわきまえていたことがあったか?今だって、ただの芝居に過ぎない。やはり階層が違うのだ。雛乃のような器量は、いつまで経っても持てないのだろう。彼は紗江を愛しているのだ。ただ、彼女はあまりにも救えない。そう考えるほど、晃の胸はイラ立ちに満たされた。「謝るなら、もっと誠意を見せろ。君は彼女に借りがあるんだからな。この部屋は今後、雛乃に使わせる。お前には別の部屋を用意させる」そう吐き捨てると、彼は雛乃を抱きかかえたまま、その場を足早に去ろうとした。廊下はそう広くない。わざとなのか、偶然なのか。通り際、雛乃のハイヒールが紗江の頭を蹴った。紗江は何も言わず、ただ静かに屈辱を受け入れる。誰にも気づかれなかったが、その眼差しは氷のように冷たく凍てついていた。別の部屋を用意すると言っていたが、与えられたのは物置部屋だった。この屋敷の使用人たちは、もともと紗江を見下してる。彼女が刑務所から出てきたと知れば、将来の篠田夫人になる可能性などないと確信する。晃が今、彼女を追い出さないのはただの情けでしかない。だから、誰もが彼女に対してぞんざいだった。紗江はすべてを受け入れていた。なぜなら、さっき執事から送られてきた連絡を読んだからだ。すでに手続きは整っていて、問題がなければ、三日後には小松家に戻れる。さらに、執事からもう一つ知らせ
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第6話
「紗江、あんたってほんとに厚かましいわね。そんな立場になってまで、まだ晃くんのそばに居座ろうとするなんて」扉が乱暴に開かれたのと同時に、雛乃の軽蔑と傲慢が入り混じった声が部屋に響いた。彼女はいつだって紗江を見下している。晃の前でだけは猫を被っていただけだ。もともと雛乃にとって、紗江など敵にする価値もない存在だった。だが、晃が本気で紗江に惹かれていると思わなかった。だからこそ、被害者を演じて紗江を刑務所へ送り込んだのだ。せめて10年は刑務所の中で苦しんでいればいい。最悪、金を使って中で事故でも起こしてもらえばいい。なのに、たった三年で戻ってきた。しかも、ピンピンした姿だった。突然の来訪に、紗江はまだ荷物を片づけていなかった。その手に持っていた、重厚な装飾のある箱は、すぐに雛乃の目に留まった。もう隠そうとしても無駄だった。「何よ?」雛乃の笑みが、すぐに冷ややかなものへと変わる。眉を少しつり上げて、冷たい声で言い放った。「まさか、晃くんからもらったものって自慢したいわけ?バカみたい。そんなもの私ならいくらでも持ってるわ。貧乏人らしい発想ね。この家の女主人は私よ。晃くんがくれたものは返してもらう権利があるわ」そう言って、彼女は箱に手を伸ばした。だが紗江は、さっと身を引いてそれを避けた。無表情のまま冷たく言い放つ。「これは私の物よ」「あなたの?」雛乃は一気に声を荒げた。先ほどの一瞥で、中身が何かは見えていた。翡翠のアクセサリーだ。しかも、高級品の琅かんだ。もしそれが晃の贈り物でないなら、偽物に違いない。とはいえ、その出来はよくできていた。彼女の脳裏に、さっと一つの計画が浮かぶ。だが顔には出さず、腕を組み、あごを少し上げて見下ろすように言う。「晃くんとちゃんと話し合ったの。明日、晃くんの友人たちが来るの。だから、明日が終わったら、さっさと出ていってちょうだい。まあ、どうしても出ていかないっていうなら、私と晃くんの結婚式にも参加させてあげなくもないけど」その皮肉に、紗江は珍しく顔を上げた。そして、薄笑いを浮かべた。「へえ、もう晃、結婚発表の相手の名前、差し替えたの?」刑務所に入る前、晃は篠田グループの公式サイトで、彼女との結婚を発表していた。あれは今もまだ、取り下げられ
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第7話
捨てるたびに、紗江の顔から少しずつ重苦しさが消えていく。……最後のものが水面から沈んで消えた瞬間、痩せた顔にふっと柔らかな笑みが浮かんだ。もうすぐ、彼女は生まれ変わる。だが、翌日、晃は紗江に無理やり宴会への参加を求めてくるとは思わなかった。ボディーガードがサイズの合わない服を2着届け、ドアの前で待機している。これを着て宴に出るか、それとも部屋に閉じ込められるか。紗江は一目で、それらが吉岡雛乃の着古した服だと気づいた。もしこれを拒めば、残るのは昨日着た汚れた服だけ。かつての彼女なら、この露骨な嫌がらせにすぐさま声を荒らげ、晃に泣きついていただろう。けれど今はもう違った。紗江は黙って、そのドレスをゴミ箱に突っ込み、昨日の服に着替えた。やがて部屋から出てきた紗江を見て、ボディーガードは一瞬呆気に取られた後、皮肉げに口元を歪めた。「小松さん、自分で選んだんですからね。誰にも強制されてませんよ?あとで篠田さんの前で泣きついたって知りませんから」その言葉に、紗江は冷ややかに彼を見返した。瞳に一瞬だけ閃いた険しさに、男は思わず身を引いた。陽光の中、彼女は痩せた背筋をピンと伸ばしていた。琥珀色の瞳には溶けない氷が張り詰めている。彼女は冷ややかに言い放った。「世の中の人間が全員、吉岡と同じだと思わないで」それだけ言い残して、紗江はまっすぐその場を後にした。宴にはすでに多くの人が集まっていた。ほとんどが晃の友人で、紗江にも見覚えのある顔ぶれだ。まだホールに着かないうちから、楽しげな笑い声が聞こえてくる。皆がテーブルを囲み、ゲームをしたり、昔話に花を咲かせたりと、実に賑やかだった。話題は晃の学生時代のことばかり。「晃さ、俺たちずっと思ってたんだよね。最終的には絶対、雛乃と一緒になるって。家柄も似てるし、同じ学校で育った幼馴染なんだし」「まあまあ、今日は楽しくやろうよ、そんな話はよそう」「はっきり言わせて、あの紗江、親の素性すら分からないような田舎育ちの孤児だろ?顔が綺麗でも、晃のためにならない」「やっぱ晃と雛乃の方がお似合いだって。あの女、しかも刑務所帰りなんだろ?晃、忠告しておくけど、たまには責任感を捨ててもいいんじゃないか。普通の人間なら、一生見られない世界を見せてやったんだから、
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第8話
何しろ、紗江と晃はまだ正式に別れたわけではない。彼が今ここで取った行動は、紗江の顔に平手打ちを食らわせるようなものだった。彼女は唇の端を皮肉に引き上げたが、何も言わなかった。だが晃は怒りをこめた黒い瞳で紗江を見据え、低く鋭い声をぶつけてきた。「どうして執事が用意したドレスを着なかった?そんな格好して、皆に自分が虐げられているとでもアピールしたいのか」紗江は、笑顔を浮かべながらも、その目は冷ややかだった。「送られてきたのは吉岡の服よ。汚らしくて着る気にならない」その瞬間、雛乃の目から涙が次々とこぼれ落ち、しゃくり上げながら声を絞り出した。「晃くん、私は本当に精一杯やってるのに、紗江さんが、どうしてこんなふうに私を責めるのか……」「責めてないわ」紗江は雛乃の芝居を遮り、堂々と皆と視線を合わせ、生まれながらの気高さと誇りを持って語った。「ただ、あなたの服は捨てるだけ。もし晃が送ってきたものなら燃やすわ。縁起でもないね」その最後の一言で、晃の表情は一気に冷えきった。彼は立ち上がり、まっすぐに紗江の前へと歩み寄る。その顔には怒気が満ち、黒い瞳には怒りと殺気が宿っていた。場の空気が一瞬で凍りつく。誰もが、晃がここまで激怒した姿を見るのは初めてだった。彼は紗江の肩をがっしりと掴み、一語一語をかみ砕くように言い放った。「本当に、俺が婚約を取り消すと思ってないのか?紗江、来週には式を挙げようと思ってたんだ。君がこんなふうにふざけてばかりだ。刑務所に入ったのは自業自得だろ。反省もしないで、ますます図に乗りやがって。もう一度、ぶち込まれてえのか?」紗江はふっと笑った。涙がにじみそうになるのを、鼻の奥のつんとした痛みをこらえて押し返す。たった一言を返した。「あなたに、その資格はない」晃の怒りはさらに増したが、それ以上に心に広がったのは不安だった。確かに、紗江は気が強く、誇り高い女だ。帰ってきてからの彼への態度も冷たかった。だが、晃はそれが駆け引きで、自分の気を引きたいだけだと思った。けれど今日の彼女は、何かが違った。彼女の言葉は怒りのせいではなく、本心から出たものだった。目に宿る軽蔑も、演技ではなかった。だが、その動揺も一瞬のこと。晃はすぐに冷静さを取り戻す。晃は知っていた。紗江が孤
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第9話
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第10話
紗江が去ったことで、宴会の空気はぐっと和らいだ。だが、晃の気分は晴れなかった。目を閉じるたび、紗江のあの無感情ながらも皮肉めいた視線が頭に浮かぶ。それに、ボディーガードに引きずられていく時の彼女の姿も。抵抗すらしなかった。むしろ、どこかで期待しているような目をしていた。まるで早くここを離れたかったかのように。晃はその様子を思い返せば思い返すほど、胸の奥がざわついた。ふと気を抜いた拍子に手元のグラスが滑り落ちる。大した高さではなかったのに、グラスは床で無残に砕け、二度と元には戻らなかった。その瞬間、晃の目の端がぴくりと揺れ、不安と焦りが心の底から湧き上がる。何か良くないことが起きる、そんな予感がした。周囲からは、からかうような笑い声が上がる。「どうした、晃?酒に弱くなったんじゃないの、酔ってる?」「酔ってなんかないだろ、ほら、雛乃がそばにいるんだし。酒じゃなくて気分が酔ってんじゃない?」周囲の茶化しに、雛乃は恥ずかしそうに唇を噛み、頬をほんのり染めた。彼女は晃の腕にそっと手を添え、甘えるように言う。「晃、少し休憩しない?付き添うから」けれど、晃の心にはイライラとした感情が渦巻いていた。無言のまま腕をすっと引き、冷ややかな口調で返す。「いや、まだそんなに酔ってない」雛乃の瞳に一瞬、微かな動揺が走ったが、すぐに笑顔に戻り、傍にあった箱を開ける。「そういえば、このセット、まだ一度も着けてないの。ねえ、このネックレス、つけてくれる?」彼女の瞳はキラキラと輝き、嬉しそうに晃を見つめる。期待に満ちた目だった。晃はそんな彼女を見下ろしながら、ふとまた紗江のことを思い出してしまう。まだ刑務所に入る前の彼女。その頃の彼女の目は、いつも希望に満ちていた。結婚後の生活を夢見て、いつも何かを計画していた。彼の腰に抱きついては、顔を上げ、にっこりと笑って見つめていた。そのときの彼女の瞳には、愛情が溢れていた。星空のように、眩しくて温かかった。もし、彼女がずっとあのままでいてくれたら、どんなによかったか。晃は思えば思うほど、胸が締めつけられる。どうして彼女が、あんなふうに変わってしまったのか。納得がいかない。彼は苛立ちを抑えきれず、思わず手を振り払うようにして言う。「そのネ
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