「おやぁ……? アンタ…その気配…古の巫女の血を継いでるねぇ…?」
長老の一言が、その場にいた村人たちの間に、さざ波のような動揺を広げた。(巫女の血を引いているのに、男…!?)(そんなことが、ありえるのか…?)(つ、つまり、呪われていない、と…?) ひそひそと交わされる囁きと、奇異なものを見るような視線が、僕の肌に突き刺さる。居心地の悪さに、思わず身を竦めた。「おだまりぃぃぃっ!」 長老の雷鳴のような一喝で、場は水を打ったように静まり返った。その威圧感は、そばにいる僕の肌までビリビリと震わせる。「ふむ…。アンタからは、琴音様とよく似た気配がするねぇ」 長老の視線が、僕の魂の奥底まで見透かすように、まっすぐに向けられる。下手に言葉を濁せば、この老婆にはすぐに見抜かれる。その鋭い瞳が、そう確信させていた。 だから僕は、事実を口にした。「…琴音様の、遠い親戚の家系、だそうです」 僕の言葉に、長老の片目がギロリと光る。「なるほどねぇ…。アンタ…『沙月』様の、子孫かい」 えっ? 僕は驚きを隠せなかった。なぜ、それを知っている? 美琴の話では、沙月さんの記録はほとんど残っていないはずだった。この老婆は、一体どこまで見抜いているんだ。「ふふ。図星って顔だね。付いてきな」 長老は、僕の動揺を楽しんでいるかのように、にやりと笑った。僕は促されるまま、村で一番大きな、厳かな空気を纏った建物の中へと足を踏み入れる。「さぁ、座りな」 通された部屋で座布団を渡され、僕は緊張で乾いた喉をごくりと鳴らした。「し、失礼します…」 背筋を伸ばし、長老と向き合う。これから何が始まるのか、心臓が激しく脈打っていた。「アンタの祖先は、沙月様。それで合っているね?」「…お、おそらくは…」 僕がごまかすように答えると、長老は先ほどまでの威圧的な雰囲気を消し、にぃっと柔らかく笑った。その慈愛に満ちた笑顔に、僕の緊張がわずかに解ける。「やっぱりねぇ。あの方の血筋は、やはり生きていたんだ…」「な、なぜ、それを…?」 僕の疑問に、長老は悪戯っぽく「っ……!」美琴が両手で口元を覆い、ただ僕を見つめていた。その瞳は、まるで信じられないものを見るかのように、震え、揺れ……やがて、堰を切ったように涙が溢れ始める。ぽろり、ぽろりと大粒の涙が頬を伝って落ちていく。その一粒一粒が、僕の胸を締め付けた。「……ずっと、好きだったんだ」この気持ちは、もうずっと前から始まっていたんだと思う。最初に出会ったあの桜の下で、一目見たその横顔に心を奪われて。でも、本当に惹かれたのは、君と一緒に過ごした時間の中で、その心に触れたからなんだ。ひたむきに努力して、霊たちに優しく寄り添って、ときに誰よりも勇敢で、でも……誰よりも脆くて、泣き虫で。僕の名前を呼んでくれる声が、隣で笑ってくれる顔が、もう……愛しくてたまらない。「ゆ、悠斗君……っ」美琴が、涙をこらえきれずにその場に崩れ落ちる。肩を震わせて、まるで子どものようにしゃくりあげる彼女を、僕は何も言わずに抱きしめた。小さな身体を、そっと腕の中に包み込む。「……よしよし」背中を撫で、髪に指を通し、優しく頭を撫でる。涙で濡れた頬に触れるたび、僕の胸も痛くて苦しくなった。「わたし……私は……っ……!」うまく言葉にならないその声が、それでもたしかに、僕の心の奥に届いてくる。まだ一年。ほんの一年の、短い時間。だけどその中で過ごした日々の濃さは、僕らの人生を大きく揺るがすには、十分すぎた。霊に寄り添い、命を懸けて戦って、何度も絶望の淵に立たされて、それでも──いつも、そばにいた。だから、これはもう……“好き”なんて言葉じゃ足りないくらいの想いなんだ。僕は──泣きじゃくる彼女の唇に、そっと、自分の唇を重ねた。小さく震えるその唇は、涙の味がして、どこまでも柔らかくて、どこまでも温かかった。そして、同時に震えていたのは、僕の方もだった。この小さな身体で、美琴はどれだけの痛みを抱えてきたんだろう。どれだけの絶望を見て、それでも立ち上がってきたんだろう。なんで、こんなか弱い一人の女の子に、これほどまでに過酷な運命を背負わせたのか。神様だとか、
──誰だろう。こんな時間に。部屋に静かに響く、ノックの音。「コン……コン……」と、控えめに、それでも確かな意思を感じる音だった。一度だけじゃない。もう一度──「コンコン」僕は上半身を起こし、音を立てないようにそっと立ち上がる。しんと静まり返った夜の中、扉の向こうにいるのが誰なのか、なんとなく想像がついていた。ゆっくりと扉を開くと──そこに立っていたのは、やはり美琴だった。「美琴……どうしたの、こんな時間に」月明かりに照らされた彼女は、少しだけ頬を赤らめ、目を伏せて呟く。「悠斗君……眠れなくて……。その、一緒に寝ても……いいかな……?」「えっ……。」不意を突かれて、心臓が大きく跳ねた。でも……僕を見上げるその瞳は、真剣そのものだった。「……うん、いいよ。一緒に寝よう」僕がそう答えると、美琴はほっとしたように、ふわりと笑った。その笑顔が、どこか寂しげで、でも、とても優しかった。「ありがとう」美琴は僕の部屋に入ると、慣れた様子で押し入れを開ける。中には予備の布団がいくつも重ねてあった。「美琴、僕が出すよ」彼女の手をそっと制し、僕は押し入れからふかふかの布団と毛布を取り出す。そして、自分が寝ていた布団のすぐ隣に、そっと敷いてやった。「ありがとう!」「なんだか……、一緒に寝るのって、久しぶりだね」あの夜のことを思い出す。(緊張しすぎて、全然眠れなかったっけ……。)「その顔……あの時のこと、思い出してたでしょ?」くすっと笑いながら、彼女が指摘してくる。僕の考えていたことを、まるで当然のように言い当てる美琴。なんていうか──理解されてるんだな、と思う。そのことが、胸の奥をじんわりと温かくした。「ねぇ悠斗君、少しだけ話さない?」美琴は自分の布団にぺたんと座り込むと、隣をぽんぽんと叩き、僕に向かって笑みを浮かべる。「……うん」その笑顔に誘われるように、僕は彼女の正面に座った。月明かりが、二人の間に落ちている。「悠斗君、覚えてる? 私たちが初めて出会った日
そして、翌日。美琴に手を引かれ、村の小道を並んで歩いていると、「美琴様〜っ!」遠くから、焦った様子の霊砂さんが駆け寄ってきた。肩で息をし、額には薄っすらと汗が浮かんでいる。「美琴様、長老がお呼びです……」その強張った表情に、ただ事ではない空気が滲んでいた。霊砂さんの言葉を聞いた瞬間、胸の奥がひやりと冷える。ああ……ついに、来てしまったんだ。覚悟していたはずの“その時”が、もう目の前に迫っている。重たい沈黙が落ちる中、僕と美琴は無言のまま目を合わせ──やがて、長老の家へと歩き出した。.***前回と同じように座布団に腰を下ろし、長老へと体を向ける。彼女の顔には、どこか痛ましい色が浮かんでいた。「美琴……明日が限界じゃ。琴音様の呪いが日に日に強くなっておる。これ以上は……すまないが、待てそうにない」長老は申し訳なさそうに、そして絞り出すようにそう言った。その言葉が、僕の心臓を嫌な音を立てて鷲掴みにする。胸が締め付けられ、息が苦しくなる。だが、隣に座る美琴は、驚くほど普段と変わらない様子で、静かに頷いた。「わかりました。明日、琴音様を祓ってまいります」その表情は、僕の目にはあまりに痛ましく映った。まるで、己の運命をただ粛々と受け入れているかのように。その静かな瞳の奥に隠された覚悟の深さに、僕は言葉を失う。琴乃さんのため……それは、分かっている。でも、僕の本心は叫んでいた。もっと自分を大切にして欲しい、と。「っ……」言葉にならない想いが、喉の奥に熱い塊となって詰まる。最後の時までこうして彼女の傍にいられる。その事実は嬉しいはずなのに、彼女との別れが確実に、そして無慈悲に近づいてきていることに、胸にガラスのひびが入っていくような鋭い痛みを感じていた。このまま時間が止まってしまえばいいと、何度願ったかわからない。特訓で得たこの力で、奇跡は起こせるのか? 彼女の負担を減らせれば……一緒に生還できるかもしれない。そんな、淡く切実な、藁にも縋るような思いが、僕の胸の内を焦がした。「悠斗
空が茜色から深い藍へと移り変わる頃、特訓をしていた僕たちの元へ、美琴が帰ってきた。「みんな、ただいま」 焚き火の光に照らされた美琴が、僕たちへ微笑む。その顔には旅の疲れの色よりも、僕たちと再会できた喜びが浮かんでいるように見えた。「お帰りなさい!」 霊砂さんをはじめとする巫女たちが、それぞれ温かい声で美琴を出迎える。その光景から、彼女がこの村でどれほど大切にされているかが伝わってくるようだった。 僕もまた、限界が近い体を引きずるように美琴の側へと歩み寄った。「みんな、悠斗君の様子はどうだった?」 美琴の問いに対し、霊砂さんが即座に答える。「他の能力は未知数ですが、結界術の適性に関しては……おそらく、私よりも高い。それが私たちの見解です」 みんな僕の神籬ノ帳を見て、その硬さに驚いていたけれど、そこまで評価されていたなんて……。僕自身の力というよりは、沙月さんの力が大きいんじゃないだろうか。 そんな考えが頭をよぎる。それでも、この力が美琴を守るためのものなら、僕はその全てを受け入れる。想いの強さが力になる――沙月さんの言葉を思い出すたび、胸の内が熱くなる。あの人はもういないのに、こんなにも僕に影響を与えてくれているんだ。「そっか、みんな、ありがとう!」美琴がそう、巫女たちへと感謝を伝えた。「いえいえ、私達も楽しめましたから」「は、はい……そ、その通り……です…」「ええ」「そうね、悪くない時間だったわ」(僕も……楽しかったな……)「じゃあ……悠斗君、行こっか」 美琴が、ごく自然に僕へ手を差し伸べてきた。 もう、彼女のこういう積極的なところには敵わないな、と僕は満更でもなく心の中で笑みをこぼす。その真っ直ぐさが、たまらなく愛おしかった。 二人で手を繋ぎ、僕は霊砂さんたちへと向き直ってお辞儀をする。「皆さん、一日だけでしたけど、特訓に付き合ってくれてありがとうございました」 僕の言葉に、巫女たちは少し戸惑いながらも、温かい言葉を返してくれた。「うん! 悠斗さん、しっかりね! 」「は、はい……私達こそ……あ、ありがとうございま
「まあ……無理に手を広げる必要はないです」 霊砂さんがきっぱりとそう言い切った。その声には、僕の力量を冷静に見極めているような、巫女としての確かな響きがあった。 「おそらく、今からではどちらにしても時間が足りません。それに、琴音様と対峙する以上、半端な能力は無意味ですから」 なるほど……。彼女たちの方針は、僕の得意分野を徹底的に磨き上げることらしい。限られた時間の中で、僕が最も活かせる力を伸ばそうという現実的な判断に、僕はそっと胸を撫でおろした。 「よって、目標は幽護ノ帳の練度向上と、バリエーションの追加にしましょう!」 霊砂さんの言葉に、僕はこくりと頷く。確かに、僕が一度に展開できる結界はまだ二枚だけだ。それがもっと多様な形になったり、強固になったりすれば、美琴の助けになれるはずだ。 「バリエーション、か。確かに、まだ二枚しか出せないからね。色々できるようになったら嬉しいな」 僕がそう言うと、美琴がぱっと花が咲くように表情を輝かせた。 「ふふっ、じゃあそれで決定ですね!」 霊砂さんが楽しそうに笑う。美琴も、心から僕の成長を願ってくれているのだろう。その笑顔は、まるで自分のことのように嬉しそうで、見ている僕まで温かい気持ちになる。 「悠斗君、頑張ってね!」 美琴の応援が、じんわりと胸に広がる。 「私はこれから、少しこの村を離れるけど、すぐに帰ってくるから」 突然の言葉に、僕は思わず顔を上げた。離れる……?その一言で、胸の奥に、冷たい雫がぽつりと落ちる感覚がした。 「離れるって……どこか具合でも悪いの?」 もう大丈夫だと自分に言い聞かせても、彼女の身を案じる気持ちは、簡単には消えてくれない。 「ううん。今回は違うから安心して。近くの霊山に行ってくるだけだから」 美琴は僕の不安を読み取ったように、優しく首を振った。その穏やかな声に、強張っていた肩の力が抜けていく。 「ということは……! いよいよあの巫女服が!?」 霊砂さんが、はっと息を呑んで美琴に詰め寄った。その瞳が興奮にきらめいている。巫女服……? 「うん。それを取りに行ってくるんだ」
「ということで、悠斗さん! 私たち、美琴様以外の巫女が、自己紹介をさせていただきます!」 霊砂さんの快活な声が、朝の澄んだ空気に響いた。 彼女の傍らには、百合香、そして初めて会う二人の巫女が、静かに佇んでいる。彼女たちを前に、僕は気を引き締め直した。 「まずは私から! 結界術を得意とする霊砂です! よろしくねっ!」 霊砂さんが、太陽のような笑顔で告げる。その親しみやすさが、僕の緊張を少し解してくれた。 「わ、私は……」 次に百合香さんが前に出たが、彼女はモジモジと言葉を詰まらせてしまう。 「ほらっ、百合香! ちゃんと!」 「ふ、封印術が得意な…百合香、です…。よ、よろしくお願いします…」 霊砂さんに背中を押され、百合香さんは囁くような声で言った。でも、その自信なさげな表情の奥で、瞳だけは真剣な光を宿している。封印術か。琴音様のような強大な相手の動きを、一瞬でも止められるなら、それは強力な武器になるだろう。 次に、薄緑の着物を着た、優雅な立ち姿の女性が、すっと前に出た。 「私は浄化術を得意とする霞(かすみ)と申します。以後、お見知りおきを」 礼儀正しくお辞儀をする彼女からは、気品と、清らかな霊力が感じられる。美琴の、すべてを焼き尽くすような浄化の炎とはまた違う、清流のような力だ。 そして、最後の一人。黒い着物に、髪に差した赤い花びらの飾りが鮮烈な印象を残す。その鋭い眼差しは、他の誰とも違う、自らを律するような孤高の雰囲気を纏っていた。 「私は御札術を得意とする雅(みやび)よ。よろしく」 簡潔に頭を下げる。その声は低く、どこか挑戦的な響きを持っていた。 攻撃の美琴、防御の霊砂、封印の百合香、浄化の霞、そして支援の雅…。それぞれが、美琴を支えるための、不可欠なピースなのだと直感した。 「巫女の力を使い始めて、まだ一年程ですが、櫻井悠斗です。よろしくお願いします」 僕が深く頭を下げると、彼女たちの視線が僕に集まる。 「あなたのことは、美琴様から聞いているわ。」 雅さんの静かな言葉に、僕は息を呑んだ。 「とりあえず、私たちに、貴方の『霊眼術