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第4話

Author: 青葉凛
「拝島律の秘書をしております、片桐郁也(かたぎり いくや)と申します」

片桐と名乗った男はポケットから名刺を取り出して差し出すと、背後の部下たちに合図を送る。「その男の始末は、我々にお任せください」

ボディーガードたちが素早く踏み込み、紫音を押さえつけていた男を引きずり降ろして投げ捨てる。

ドサッという重い音が響き、紫音はようやく、これが現実なのだと理解した。

拝島律の手の者が、助けに来てくれたのだ。

張り詰めていた糸がぷつりと切れ、全身の力が抜けていく。何か言わなければと口を開きかけたが、視界が急速に暗転した。薄れゆく意識の中で、病院へ急ぐよう指示する片桐の声だけが遠く聞こえた。

再び目を覚ますと、そこは病院の一室だった。ベッドの脇には見慣れた顔がある。

「紫音さん、やっと目が覚めたんですね……!」

森下蘭(もりした らん)。彼女は紫音が学生時代に支援していた後輩で、卒業後はその優秀な能力を買われ、今では紫音の右腕として働いている。心の中では紫音を実の姉のように慕っており、事件の知らせを聞いたときはパニックで事故を起こしかけたほどだった。

涙ぐむ蘭の顔を見て、紫音の瞳にわずかに温かい色が戻る。「大丈夫よ」

大丈夫なわけがない。

病院に駆けつけた際、医師から告げられた診断結果――肋骨骨折、心肺機能の損傷、搬送が遅れていれば命に関わっていたという事実を思い出し、蘭は痛ましさに胸が張り裂けそうだった。

彼女は言葉もなく、ただ祈るような目で紫音を見つめ続けた。

紫音は軽く咳き込み、水を二口ほど含んで喉を潤してから口を開いた。「さっき言ってた取締役会の件だけど、今はどうなってるの?」

「紫音さん、どうか不破社長を説得してください」

蘭は紫音への不当な扱いに憤りを隠せず、訴えかけるように言った。「社長は、あろうことか自社株の30%を江藤様に譲渡しようとしているんです。この会社は紫音さんと社長が二人三脚で築き上げたものじゃないですか。それなのに、紫音さんの持ち株比率ですらそんなに多くないというのに……」

紫音は一瞬言葉を失い、やがてその瞳に自嘲の色を浮かべた。

会社を立ち上げた当初、清也は「リスクが大きすぎるから」と言って、紫音の持ち株比率を極限まで低く抑え込んだのだ。

だというのに今、彼は何の躊躇もなく、30%もの株式をあの女にくれてやるというのか。

見えない手で心臓を鷲掴みにされたような痛みが走る。息をするのも苦しく、鼻の奥にはまだ血の匂いがこびりついているようだった。

「……理事たちに連絡を入れて。私はその譲渡に断固反対だと伝えてちょうだい」

爪が食い込むほど掌を強く握りしめ、紫音は無理やり冷静さを取り戻すと、今後の対抗策を一つひとつ蘭に授け、その通りに動くよう指示を出した。

病室を出る間際、蘭は思い出したように、片桐からの伝言を口にした。

「そういえば紫音さん、助けてくださったあの方から伝言です。『しばらくの間、我々は近くに待機しています。何かあればいつでも連絡してください』とのことでした」

紫音は少し呆気にとられたが、すぐに律が手を回してくれたことを思い出した。

彼女は小さく頷いてみせる。

蘭が部屋を出て行った後、紫音は携帯電話を取り出し、律へ向けて短い感謝のメッセージを送った。

紫音が病院で過ごした一か月の間、会社では蘭が孤軍奮闘していた。その甲斐あって、清也が強引に進めようとしていた「芙花への自社株譲渡」というふざけた議案は、取締役会で見事に否決された。

そればかりか、これまでの不誠実な対応が災いし、いくつかの取引先から契約解除を突きつけられ、清也は対応に追われていたようだ。

退院の日。病院の入り口には、今にも雷を落としそうな険しい顔をした清也が待ち構えていたが、紫音は彼を空気のように無視し、蘭が待つ車へ向かって歩き出した。

「紫音!」

すれ違いざま、二の腕を乱暴に掴んで引き戻される。完治していない肋骨の傷に激痛が走り、紫音は思わず悲鳴を上げた。

演技ではない苦痛の表情を見て、清也が眉を寄せる。「おい、どこが痛むんだ」と問いかけようとしたその時――

蘭が体当たりするようにして二人の間に割って入った。彼女は紫音を背に庇い、親の敵を見るような目で清也を睨みつける。

「気安く触らないでください!」

相手が社長だろうと関係ないと言わんばかりの剣幕で、蘭は言い放った。「紫音さんは怪我をされてるんです。もしあなたのせいで傷が開いたりしたら、ただじゃ……」

「紫音、まだそんな猿芝居を続ける気か」

清也は蘭の言葉を遮り、軽蔑しきった目で紫音を見下ろした。その瞳には、失望と嫌悪の色が濃く滲んでいる。

「被害者面をして同情を引くのもいい加減にしろ。一か月も入院して病人のふりを続けたのは、俺に株の譲渡を諦めさせるためだろう?そんなに芙花が憎いのか?お前は俺の婚約者だろう。芙花の父親は俺の命の恩人なんだぞ、その縁に免じて少しは寛容になれないのか。

あいつが身寄りのない孤独な身だと知った時、お前だって『気にかけてあげて』と言ったじゃないか」

あまりの言い草に、怒りを通り越して乾いた笑いが漏れた。

確かに、芙花が幼くして父を亡くし、不破家に引き取られた哀れな孤児だと知った当初、紫音は同情した。「妹と思って大切にしてあげて」と清也に言ったこともある。だが、彼らが裏で何をしてきたか。その数々の裏切りを知った今、同情などできるはずもない。

紫音は氷のような冷たい視線を清也に向け、静かに言い放った。

「ベッドの上まで面倒を見ろなんて言った覚えはないわ」

「俺と芙花は潔白だ!」

清也が怒鳴り返す。「そうやって疑ってばかりで……お前はいつからそんなにひねくれた女に……」

パァン!

乾いた破裂音が響き渡る。

平手打ちを食らった清也の顔が横に弾かれ、その漆黒の双眸が大きく見開かれた。信じられない、といった様子で彼はゆっくりと顔を戻す。

まさか、この俺に手を上げるなんて――

紫音は打った手のひらを戻すと、その美しい顔を氷のように冷たく強張らせた。「清也、そこまで芙花を大事にしたいなら、どうぞ彼女と一緒になればいいわ。今後、あなたたちのことに私は一切関わらないから」

「どういう意味だ!」

清也は眉間の皺を深くし、胸の奥に湧き上がる正体不明の苛立ちを覚えた。「俺と別れるとでも言うつもりか?」

「ええ、そうよ」

紫音は耳にかかった後れ毛を指で払い、凛とした声ではっきりと言い放った。「荷物はすぐに別荘から引き上げるわ。それから二度と私の前に姿を見せないで。……あなたの顔を見ているだけで、吐き気がするの」

言い捨てると、彼女は呆気にとられる蘭の腕を引き、そのままその場を後にした。

清也が我に返るまで数秒かかった。怒りで表情を歪め、追いかけようと足を踏み出した時には、紫音の車はすでにエンジン音を轟かせて走り去った後だった。

男の苛立ちは頂点に達した。

どうせただの強がりだ。何年連れ添ったと思っている。あいつは俺を愛しているんだ、そう簡単に別れられるはずがないだろう!

その時、ポケットの中で携帯電話が震えた。画面に表示された名前を見た瞬間、清也の瞳から険しい色が消え、甘く優しい色が宿る。

「もしもし、芙花?どうした?」

「お兄ちゃん……紫音さんは、パーティーに出てくれるって言ってくれた?」

電話越しに聞こえる芙花の声は、小動物のように怯えて震えていた。「もし紫音さんがわたしの代わりに謝ってくれなかったら……西園寺(さいおんじ)家の人たち、きっとわたしを許してくれないわ」

半月前、芙花はあるパーティーで揉め事を起こし、カッとなって相手をプールに突き落としてしまったのだ。後になって分かったことだが、相手は名門・西園寺家の令嬢、麗華(れいか)だった。

彼女は生まれつき体が弱く、箱入り娘として育てられ、社交の場にすら滅多に出てこない特別な存在だった。

不幸中の幸いか、麗華を突き落とした犯人が芙花だということはまだバレていない。だからこそ、彼女は紫音を身代わりに仕立て上げようと画策していたのだ。

清也の瞳の奥に、冷酷な光が走った。頬に残るヒリヒリとした熱さが、先ほどの屈辱を鮮明に思い出させる。

紫音にパーティーの件――芙花の身代わりになって西園寺家に謝罪に行く件――を話す暇もなかったが、彼は努めて声を和らげ、電話口の芙花を安心させた。

「心配ない。この件は俺が何とかする。お前には指一本触れさせないから」

「やっぱりお兄ちゃんが一番優しい!じゃあわたし、パーティーには一番可愛いドレスを選んでおくわね」

弾んだ声で言う芙花に、清也は二つ返事で了承した。

通話を切った瞬間、清也の目から温かみが消え失せ、鋭利な刃物のような光が宿る。彼は即座にアシスタントへ電話をかけた。

「すぐに手配しろ。養護施設への支援を全て打ち切る」

電話の向こうでアシスタントが息を呑む気配がした。「社長、正気ですか?あそこは社長と京極様が……お二人が愛を誓い合った思い出の場所でしょう?どんなことがあっても支援だけは続けると、あんなに仰っていたのに、なぜ……」

「俺の指示通りに動け」

清也は舌先で、打たれた右頬の裏側をなぞった。さらに冷徹さを増した瞳で、彼は思考を巡らせる。

元々、紫音が施設出身だと知っていたからこそ、彼女の機嫌を取るために毎年多額の寄付を続けてきたに過ぎない。

だが、今の彼女はどうだ。

俺に手を上げるとは……長年甘やかしすぎて、つけ上がらせたようだな。ここらで少し、誰のおかげで生きてこられたのか、正しい振る舞いとはどういうものか、たっぷりと教育してやる必要がある。

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みっちゃん
クズ男って、みんな自分こそが正しいと思っているんだ!
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