LOGIN息子の将来を思えばこその「完璧な手配」を、なぜ手放しで喜んで受け入れないのか。貴子にはそれが不思議でならなかったのだ。浩一は氷のように冷めきった瞳で、激昂する母親を見下ろした。「……そのくだらない御託は、もう聞き飽きた」吐き捨てるように言い放ち、浩一は言葉を続ける。「今日わざわざここに来たのは、あんたに最後通告を突きつけるためだ。二度と、俺の愛する人に危害を加えるな。もし次に少しでも彼女を傷つけるような真似をすれば、俺は本当に、相手が親だろうと一切の容赦はしない。完全に縁を切る」浩一の胸の奥には、愛する蘭が理不尽な目に遭わされたことへの深い怒りが渦巻いていた。まさか実の母親が、結衣をそそのかして蘭の職場にまで嫌がらせに向かわせるとは思ってもみなかった。これほどまでに悪辣な手段を使って、なぜ二人の仲を引き裂こうとするのか。その執念深さに、浩一は怒りを通り越して悍ましさすら感じていた。「もう二度と、俺たちの邪魔はするな」「ちょっと待ちなさい! 親に向かってなんという態度なの!」貴子は食い下がるように声を張り上げた。「あなたは塚山家の息子なのよ、そこだけは絶対に変わらない事実でしょう!家の決定には従いなさい。私たちが選んだ道が、あなたにとっての『正解』なのよ!」そして、忌々しそうに顔を歪めながら叫んだ。「だいたい……あの小娘とは一度別れたはずでしょう!?どうしてまたヨリを戻したりしたの!」実は貴子は、以前から浩一と蘭の動向を密かに監視させていたのだ。自分の強い反対と圧力が原因で、身分違いのプレッシャーに耐えきれなくなった蘭が身を引き、二人が別れたという報告を受けたとき、貴子は心の底から安堵し、喜んでいた。やっと目が覚めてくれた。これでようやく、親の引いたレールの上を歩いてくれる……そう高を括っていたのだ。ところが、終わったはずの二人の関係は、気づけば再び結ばれていた。それどころか、以前よりもずっと強固な絆で結ばれ、親の圧力などものともしないほどの覚悟を決めていたのだ。想定外の事態に、貴子の苛立ちは頂点に達していた。かつて息子を国内に置いて海外へ渡ったことに対する、親としての負い目は確かにあった。だからこそ彼女は、帰国した今、息子に「完璧な伴侶と安泰な未来」を与えてやりたかっ
蘭と穏やかで温かなディナーの時間を過ごした後、彼女をマンションまで送り届けた浩一は、その足で実家である塚山家の本邸へと向かった。広々としたサロンのソファでは、母である貴子が優雅に紅茶を傾けていた。浩一は足音も荒く部屋に足を踏み入れると、怒りを抑えきれない冷たい声で切り出した。「母さん。結衣を蘭の職場へ向かわせたのは、母さんの差し金だな?」貴子の手がピタリと止まる。そんな母を射抜くように睨みつけながら、浩一は語気を強めた。「彼女の職場に乗り込ませて、大勢の前で恥をかかせて追い詰めようとするなんて……いくらなんでも卑劣すぎる。そんな真似をして、俺たちが引き裂かれるとでも本気で思っているのか?」「浩一……」「はっきり言っておく。母さんがどんな小賢しい嫌がらせをしようと、俺と蘭の絆が揺らぐことは絶対にない。むしろ、あんな理不尽な攻撃を受ければ受けるほど、俺たちは互いを守り抜く覚悟を強くするだけだ」浩一の言葉には、一切の迷いがない。「俺は、自分の愛する人と一緒に生きていければそれで十分なんだ。今、最高に幸せなんだよ。どうして息子の幸せを、親であるあんたが自ら壊そうとするんだ!」痛切な叫びに対し、貴子はふうっと長いため息を吐いた。以前のように頭ごなしに怒鳴りつけるのではなく、今日の貴子はどこか諭すような、穏やかな態度を取り繕っていた。「……もう、そんな意地を張るのはおやめなさい。お父様ともよく話し合ったのよ。もしあなたが結衣さんとの婚約を受け入れるなら、塚山家の財産も事業も、すべてあなたに譲り渡すと決めたわ」貴子は立ち上がり、浩一へと歩み寄った。「私たちだって、たった一人の息子には誰よりも幸せになってほしいのよ。だからこそ、家柄の釣り合う、本当にあなたに相応しい教養あるお嬢様を選んでほしいだけなの。あんな身元も知れない小娘なんて……」「もういい、黙ってくれ!!」浩一は、恩着せがましい母の言葉を怒声で遮った。「塚山家の財産だの事業だの……そんなもの、俺は一銭たりとも欲しくない!俺には自分が心から好きでやっている仕事があるし、自分の力だけで十分に生きていける。跡目争いだの政略結婚だの、そんなくだらない茶番に俺を巻き込むな!」「浩一、なんて口の利き方を……!」「母さんたちが海外に住
蘭の眼差しには、一切の迷いがなかった。浩一を責めるどころか、その瞳には彼を思いやる温かな光が宿っている。「それにね、私たちが一緒にいると決めた時から、こういう事態が起きることは覚悟していたの。家柄だの身分だの、そういったものを乗り越えなきゃいけないって」だから、誰の責任だとか、誰が悪いだとか、そんなことはもうどうでもよかった。今の蘭にあるのは、「愛する彼と共に、降りかかるすべての困難に立ち向かっていきたい」という、揺るぎない決意だけだった。「蘭……」彼女の凛とした強さと深い愛情に触れ、浩一は感極まったように蘭の手を両手でぎゅっと握りしめた。「ありがとう。俺の立場を理解して、こんな重荷を一緒に背負ってくれて……君がそばにいてくれるだけで、俺はどれだけ救われているか分からない」浩一は、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。「君に突き放されて、別れていたあの期間……俺の頭はずっと真っ白で、何をしていても上の空だった。抜け殻みたいになって、自分がどう生きていけばいいのかすら分からなかったんだ。でも、君とこうしてやり直すことができて、俺はやっと息を吹き返したような気がしてる」浩一の大きな手が、蘭の頬をそっと撫でた。「周りがどれだけ騒ごうと、家柄を盾に脅してこようと、君さえそばにいてくれれば俺はなんだって出来る。君と一緒にいられるなら、他の連中が何を言ってこようが痛くも痒くもない。だから……お願いだ。これからもずっと、俺のそばにいてほしい」切実な浩一の言葉を聞いて、蘭は安心したようにふわりと微笑んだ。その笑顔を見て、浩一の心にようやく温かな光が差し込んだ。彼女がここまで腹を括り、無条件に自分を信じて寄り添ってくれること。それが浩一にとって、何よりも代えがたい救いだった。でも……嬉しさと同時に、浩一の胸の奥でチクリと痛むものがあった。彼女は自分の前でこそ気丈に振る舞い、すべてを受け入れると言ってくれているが、本来なら背負う必要のない重圧と戦い、心身ともに疲れ果てているはずなのだ。こんなにも優しくて不器用な愛しい人を、これ以上悲しませるわけにはいかない。早く実家との問題を終わらせて、彼女を安心させてやらなきゃな……浩一は、腕の中の小さな体を強く抱きしめながら、誰にも邪魔されない未来を勝ち取
「恋愛って、どちらか一方が我慢を強いられるものじゃないわ。どんなことがあっても、まずは自分自身を大切にしなさい。自分が幸せで満たされていないと、愛する人を支えることなんてできないのよ」紫音の真剣な眼差しに、蘭は少し驚いたように瞬きをした後、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。「紫音さん……本当に、ありがとうございます。私のために、そこまで心配してくださって……」蘭の瞳の奥で揺らいでいた不安の影が、少しずつ澄んだ光へと変わっていく。「私、紫音さんがいつも後ろで支えてくれているから、こうして立っていられるんだと思います。どんな問題が起きても、紫音さんが味方でいてくれるっていう安心感があるから、すごく救われています」蘭は紫音の手をそっと握り返し、どこか吹っ切れたような明るい声で続けた。「たしかに、今の状況はすごく疲れるし、逃げ出したくなる時もあります。でも……私たちが自分たちで『もう一度一緒に歩む』って決めたんですから。だから、これからはどんな壁があっても、浩一さんと二人でちゃんと向き合って乗り越えていきます」そして、蘭は紫音を安心させるように、力強く微笑んでみせた。「もう自分ばかり我慢して、ボロボロになるような真似はしません。ちゃんと自分のことも大切にしますから。だから、もう心配しないでくださいね」その迷いのない言葉を聞いて、紫音の胸につかえていた重たい石が、ようやくふっと取れた気がした。この子はもう、大丈夫ね。この試練もまた、彼女が浩一と共に生きるために越えなければならない「成長痛」のようなものなのだろう。これ以上、自分が過保護に口を出す必要はない。二人がこの壁をどうやって乗り越えていくのか、今はただ静かに見守り、いざという時に再び盾になってやればいい。「ええ、その意気よ。何かあったら、いつでもすぐに私を頼りなさいね」紫音は安心したように微笑み返し、蘭の背中を優しく押し出した。……すっかり日が落ち、夜の静寂が街を包み込み始めた頃。浩一は直接、紫音のオフィスへと足を運んできた。今日の昼間に起きた騒動のことは、すでに紫音の口から彼へと伝えられていた。心優しい蘭本人は、彼に負担をかけまいと言い出せないだろう。だからこそ、紫音が代わりに伝える必要があったのだ。「まさか、そんなことになっ
蘭はもともと、人の顔色を窺いすぎるくらい繊細で、自分が我慢すれば丸く収まると考えてしまう性格だ。辛いことや不安なことがあっても、相手の負担を気にして胸の奥に閉じ込めてしまう癖がある。だからこそ、紫音はあえて「彼に任せなさい」と強めに背中を押したのだ。「浩一さんに……今日のこと、話した方がいいんでしょうか」蘭は俯き加減で、迷うように小さく呟いた。「実は……彼には言わないでおこうかとも考えていたんです。これ以上、彼に迷惑をかけたくなくて。彼をこの問題に巻き込みたくないっていうか……」蘭はぎゅっと自分の手を握りしめ、言葉を絞り出すように続ける。「最近、浩一さんもご両親とのことで、すごく大きなプレッシャーと戦っているんです。毎日疲れ切っているのを知っているから……これ以上、私が彼を苦しめるような爆弾を落とすなんて、できない……」この子は、どこまでもお人好しなんだから……紫音は心の中で小さくため息をついた。自分自身が理不尽な暴言を浴びせられ、深く傷ついているというのに、それでもまだ浩一の負担を一番に心配している。蘭のこういう優しさは美徳だが、時として彼女自身を追い詰める足枷になってしまう。「蘭、それは違うわ」紫音は毅然とした声で、彼女の迷いを断ち切るように言った。「こういう時だからこそ、絶対に話さなきゃ駄目。今日、結衣があなたを攻撃しに来たということは、あなたと浩一さんを別れさせるためには手段を選ばないという宣戦布告よ。彼女が直接会社にまで乗り込んできたとなれば、次はどうやって彼に近づき、陥れようとするか分からないわ」紫音の指摘に、蘭はハッと顔を上げた。「だからこそ、隠し事は絶対に駄目。現状をすべて彼に伝えて、彼自身に対策を練らせるの。彼にプレッシャーを与えるとか、迷惑をかけるなんて思う必要は一切ないわ。浩一さんなら絶対に解決できると、彼を信じて頼りなさい」恋愛において、一人で抱え込んで「相手のため」と思い込む自己犠牲は、往々にしてすれ違いを生む。「いい?二人が本当に一緒に生きていくと決めたなら、どんなに汚いことも、辛いことも、すべて共有して一緒に立ち向かうべきなのよ。それが『パートナー』というものでしょう?」紫音は、蘭の心にまっすぐ届くように言葉を一つ一つ置いていく。二人がこ
結衣のあの異様なまでの執着心。浩一への愛情というよりは、「絶対に自分の思い通りにしてみせる」という我欲の塊にしか見えなかった。「……私と結衣はね、子どもの頃に離れ離れになってしまったから、今の彼女がどんな性格なのかは正確には分からないわ。でも、昔からすごく気が強くて、自分が中心じゃないと気が済まない子だった」紫音は、遠い昔の幼馴染の記憶を辿るように目を伏せた。「子どもの頃は『お姫様気質だな』くらいにしか思っていなかったけれど……まさか、大人になってもそのままだなんてね。欲しいものは何が何でも手に入れないと気が済まないんでしょうね」そして、紫音は再び蘭を真っ直ぐに見つめ直した。「でも、これだけははっきり言っておくわ。私があなたを応援しているのは、単にあなたが私のかわいい部下だからってだけじゃないのよ」紫音の声には、一切の迷いがない、確固たる信念が宿っていた。「私はね、お互いに心から愛し合い、必要とし合っている二人こそが結ばれるべきだと思っているの。親の力を使って無理やり手に入れたような一方通行の感情なんて、絶対に最後まで上手くいくはずがない。だからこそ、私はあなたたち二人が本物の愛を貫けるように、全力で支持しているのよ」それは、紫音から蘭への、これ以上ないほど心強いエールだった。何があってもあなたの幸せを諦めないでほしい。愛する人と共に生きる未来を掴み取ってほしい。その切実な願いが込められた言葉に、蘭の瞳に再び強い光が宿っていくのが見えた。「紫音さん……本当にありがとうございます。ずっと私の味方をしてくれて……」蘭は潤んだ瞳で紫音を見つめ、深々と頭を下げた。「でも、本当はすごく申し訳ないとも思っているんです。私のせいで、紫音さんが昔からの幼馴染と完全に縁を切ることになってしまって……」「そんなこと気にしなくていいのよ」紫音が微笑みながら首を横に振ると、蘭は少しだけ照れくさそうにはにかんだ。「……でも、自分でも驚いているんです。私、今日あの人が乗り込んできた時、最初はすごく緊張して、足がすくみそうだったんですよ」蘭は自分の胸に手を当てて、ふっと息を吐き出した。「でも、紫音さんが私の前に立って庇ってくれた瞬間、スッと怖さが消えたんです。紫音さんが隣にいてくれるなら、私は何でも言







