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第948話

作者: 青葉凛
あの強欲な親族たちが、そう簡単に引き下がるわけがない。

志津がご健在だった頃は、まだ彼女への恐れが彼らの行動を縛っていた。

だが、その絶対的なストッパーが失われた今、彼らの暴走を止められる人間はもう誰もいないのだ。

彼らには道徳も、身内への情も、最低限のラインすらない。

目的を果たすためならどんな汚い手でも使い、他人の人生を徹底的に踏みにじることなど何とも思っていない連中なのだ。

そんな相手と戦わなければならないのだから、時間がかかるのも無理はない。

「こうなることは、ある程度わかっていたことだ。だから、君を巻き込んで無用な心配をかけたくなかったんだよ」

律は、紫音の頬を愛おしそうに撫でながら静かに言った。

「焦っても意味がないからね。これは一朝一夕で解決できるような問題じゃない。だからこそ、君には心穏やかに過ごしてほしかった。

……でも、君がこうして寄り添ってくれるなら、私はどんな壁だって乗り越えられる気がするよ」

優しく穏やかに紡がれるその言葉に、紫音は胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。

志津を失った悲しみは、二人とも同じだ。それなのに律は、悲しみに浸
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    あの強欲な親族たちが、そう簡単に引き下がるわけがない。志津がご健在だった頃は、まだ彼女への恐れが彼らの行動を縛っていた。だが、その絶対的なストッパーが失われた今、彼らの暴走を止められる人間はもう誰もいないのだ。彼らには道徳も、身内への情も、最低限のラインすらない。目的を果たすためならどんな汚い手でも使い、他人の人生を徹底的に踏みにじることなど何とも思っていない連中なのだ。そんな相手と戦わなければならないのだから、時間がかかるのも無理はない。「こうなることは、ある程度わかっていたことだ。だから、君を巻き込んで無用な心配をかけたくなかったんだよ」律は、紫音の頬を愛おしそうに撫でながら静かに言った。「焦っても意味がないからね。これは一朝一夕で解決できるような問題じゃない。だからこそ、君には心穏やかに過ごしてほしかった。……でも、君がこうして寄り添ってくれるなら、私はどんな壁だって乗り越えられる気がするよ」優しく穏やかに紡がれるその言葉に、紫音は胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。志津を失った悲しみは、二人とも同じだ。それなのに律は、悲しみに浸る暇もなく、会社と紫音を守るためにずっと一人で泥水をすするような戦いを続けていたのだ。「私はただ……あなたが不条理に苦しめられているのが、見ていて辛いの。あなたが毎日こんなにも笑顔を失っていくなんて、絶対に間違っているわ」紫音は、頬に添えられた律の大きな手を両手で包み込んだ。「これまでは、私もあなたと同じ気持ちだった。志津様がどれほど私たちを愛してくれたかを知っているから……彼女の顔に泥を塗らないように、あの人たちに対しても波風を立てず、できるだけ寛容でいようと努めてきたわ。でも、そんな配慮は、あの人たちには全く無意味だった」きっぱりとした紫音の言葉に、律の瞳がわずかに見開かれる。「そもそも、あの人たちは一度だってあなたのことを『家族』だなんて思っていない。それなのに、どうして私たちが遠慮して、一方的に譲歩してあげなきゃいけないの?」紫音の瞳には、もはや迷いはなかった。恩義や情けで手加減をしてやる価値など、あの連中には一ミリもない。もう、不必要に傷つく必要はないのだ。誰に対しても負い目を感じる必要などない。紫音は今、はっきりと覚悟を決めた。

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    「ごめん。こんな話、君に聞かせるべきじゃなかったな」律は無理に微笑みを作り、紫音の頭を優しく撫でた。「私が毎日戦っているのは、君を守るためだ。君に何不自由ない、穏やかで幸せな暮らしをしてもらうためなのに……私の事情で、君を悲しませるわけにはいかないだろう?」それが、律の揺るぎない本心だった。愛する女性を、こんな泥沼のような権力闘争に巻き込むわけにはいかない。どんなに理不尽で苦しい状況に立たされようとも、彼女の前では完璧な男でいたい。だからこそ、彼は今まで頑なに口を閉ざし、すべての重圧をたった一人で背負い込もうとしていたのだ。彼がどれほど自分を大切に想ってくれているか、その不器用で深い愛情が伝わってくるからこそ、紫音はどうしようもなく泣きたくなった。「そんなふうに自分を追い詰めないで。私にも、その重荷を半分背負わせてほしいの」紫音は彼を真っ直ぐに見つめ返し、きっぱりと言い切った。「私たちはもう、二人で一つでしょう?あなたが毎日ボロボロになっていく姿を見るのは……私にとって、一番辛いことなんだよ。直接的な解決策は出せないかもしれないけれど、一緒に悩むことくらいはできるじゃない」どうにかして彼の力になりたい。その一心で、紫音は頭をフル回転させた。「そうだ……颯馬くんに相談してみるのはどう?あの子なら、話のわかる賢い子じゃない。彼から直接、宏さんや正人さんに働きかけてもらえば、少しは事態が落ち着くかもしれないし……あの子だって、この状況を放ってはおかないと思うんだけど」ふと頭に浮かんだその名前を口にする。颯馬は最近になってようやく拝島家に迎え入れられた身だが、決してあの強欲な大人たちと同じ色には染まっていない、話の通じる賢い子だ。彼から直接父親を説得してもらえば、きっと何かが変わるのではないかという僅かな希望だった。律の父や伯父はあまりにも強欲で、他人の立場を慮ることなど決してしない人たちだが、颯馬の言葉なら耳を貸すかもしれない。しかし、律は力なく首を横に振った。「颯馬に言っても、状況は変わらないよ。あいつに父さんを止めることはできない。それに、正人伯父さんも今では父さんたちとは完全に意見が割れて、別々の派閥として動いている状態だ。身内同士で泥沼の争いになっているんだよ」律の口から語られた事

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    しかし、律は困ったように小さく笑うだけだった。「心配しなくていい。本当に何でもないんだ。昨日はどうしても断れない接待があって、少しペースを乱されてしまっただけだよ」それは、あからさまな嘘だった。律の性格上、どれほど重要な接待であろうと、己を見失うまで酒を飲むような失態は絶対に犯さない。彼が真実を言わないのは、紫音をこのドロドロとした問題に巻き込みたくないからだ。話したところで紫音に解決できるわけではなく、ただ彼女を不安にさせるだけだと、彼はそう思っているのだ。「……嘘。私の前で誤魔化せると思ってるの?」紫音は握った彼の手を、さらに強く握り返した。「何も起きてないのに、あなたがあんなにボロボロになるはずないじゃない。……また、親戚の人たちが会社に口出しをしてきたの?それとも、何か別のトラブルがあったの?」「紫音……」「私じゃ、直接的な仕事の役には立てないかもしれない。でも、苦しみを半分こすることはできるでしょう?一人で心の中に溜め込んでいるなんて、絶対に辛いはずだよ。私は……あなたが一人でボロボロになっていくのを、黙って見ていたくないの」声が震えるのを止められなかった。私たちは、いずれ夫婦になるのだ。この世界で一番、お互いの近くにいる存在になるはずだ。それなのに、彼が一番苦しい時に頼ってもらえないのだとしたら、私は何のために彼の側にいるのだろうか。「あなたはいつも自分を過信して、全部一人で背負おうとする。でも、たまには周りの人を……私を頼ってよ。二人で一緒に考えれば、絶対に乗り越えられるから」紫音の切実な声が、静かな寝室に響いた。彼にこの思いが届いてほしいと、紫音はただ祈るように、律の深い漆黒の瞳を見つめ返した。紫音の真っ直ぐで切実な瞳に見つめられ、律はついに観念したように小さく息を吐いた。「……進行中のいくつかのプロジェクトで、同時にトラブルが起きているんだ」ためらいがちに紡がれたその言葉に、紫音は息を呑んだ。「伯父さんたちが裏で手を回しているんだよ。事態が収束するまでは、君を不安にさせたくなくて……黙っているつもりだった」志津が亡くなってからというもの、拝島家の親族たちの動きは日に日にエスカレートしていた。彼らはあの手この手で律の足を引っ張り、会社を自分たちの手に収めよ

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    州と他愛のない冗談を交わし、彼を見送った後、ふと時計に目をやるとすっかり夜更けになっていた。兄のおかげで紫音の心はずいぶん軽くなっていたが、律はまだ帰ってきていない。今日もまた、夜遅くまで仕事に追われているのだろう。もともと、彼は尋常ではないほどの仕事量を抱えていた。たまに早く帰ってきてくれる日もあるが、それは彼が意図的に仕事をスケジュールから弾き出し、無理をして紫音との時間を作ってくれているだけなのだ。彼がどれほど過酷な状況で戦っているか、紫音は痛いほどわかっていた。巨大な組織の上に立つ者として、どんな困難が降りかかろうと、彼は一人で矢面に立ち、すべてを解決しなければならない。あの冷酷な世界で、彼を本当の意味で助けてくれる人間などいないのだ。それなのに、自分には何一つできない。彼の仕事を手伝うことも、その重荷を代わりに背負ってあげることもできない己の無力さが、紫音は時々ひどく歯がゆかった。紫音にできるのは、ただ胸を痛めながら、彼が無事に帰ってくるのを待つことだけ。一体どうすれば、彼の背負うものを本当の意味で軽くしてあげられるのだろうか。――志津が亡くなってから、律は明らかに変わってしまった。紫音の前では決して見せないが、彼の心にはぽっかりと暗い穴が空いているはずだ。人はいつか別れを迎える。志津が永遠に生きられるわけではないことなど、頭ではわかっていた。けれど、冷え切ったあの親族たちの中で、志津だけが律に無条件の温もりと、安心を与えてくれる唯一の存在だったのだ。その祖母は去り際、律に会社を託すという、あまりにも重い期待を残していった。律は昔からそうだ。どんなに苦しくても、絶対に弱音を吐かない。すべてを自分の中だけに押し込めて、決して誰かのせいにしたり、誰かに寄りかかったりしようとはしない。紫音にすら、余計な心配をかけまいと穏やかに微笑んでみせるのだ。一人で抱え込み、一人で耐え忍ぶ。そんな彼の不器用で孤独な生き方が、紫音はどうしようもなく愛おしくて――そして、たまらなく痛々しかった。時計の針が深夜を大きく回った頃、玄関の開く重たい音が静寂を破った。急いで足音のする方へ向かった紫音は、そこに立つ人物の姿に息を呑んだ。現れた律は、いつもの隙のない優雅な佇まいとはまるで違い、憔悴しきった様子

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    「お兄ちゃんは、ね」州の言葉に、紫音は顔を上げ、今度は少しだけ真っ直ぐな瞳で答えを返した。「え?」「お兄ちゃんはゆっくり考えればいいよ。でも、私の進む道はもうハッキリしてるから」紫音は小さく息を吸い込み、はっきりと言い切った。「私と彼らとの関係は、絶対に変わらない。色々ややこしいことは起きたけど、私はこれからもずっと、今まで通りの私でいるつもりよ」先ほどまでの沈んだ様子からは一転して、紫音の声には確かな自信が宿っていた。そう、彼女には信じられる根拠があったのだ。浩一さんがずっと私を想い続けていたこと。そして、蘭をはじめとする周りの友人たちが、それに気づきながらも何年も黙っていたこと。今まで誰もその秘密を口に出さなかったのは、全員が「今の関係」を壊したくなかったからに他ならない。誰も、その見えない境界線を越えようとはしなかった。今回、貴子によって無理やりその殻が破られ、真実が暴露されてしまったけれど――それでも、当事者である誰も「だから縁を切ろう」なんて思っていないのだ。彼らにとって、紫音は絶対に失いたくない大切な存在だった。そして紫音にとっても、彼らはかけがえのない大切な友人だ。誰も離れたくないって思ってる。だったら、私はこれまで通りに振る舞うわ。今回のことは、「最初から何もなかったこと」にして、笑い飛ばしてやるんだから。きっと、浩一さんも蘭も同じように思ってくれているはずだ。その確信があったからこそ、紫音は心の奥底にまとわりついていた泥のような罪悪感を振り払い、迷わずに前を向くことができると信じられたのだ。目の前で吹っ切れたように笑う妹を見て、州は心底感心したように息を吐いた。本当に、こいつのこの前向きな明るさには救われるよな。どれほど面倒なトラブルが降りかかっても、最終的には自分自身の力で立ち直り、光を見出そうとする。そのブレない芯の強さと楽観的な態度は、今の州が一番見習わなければならないものだった。「本当に、お前のそのポジティブさには敵わないよ」州はどこか羨むような目を向けた。「でも、その考え方が絶対に正しいと思う。お前は何も間違えていないし、後ろめたく感じる必要なんて一切ない。お前が勝手に罪悪感を抱え込んで苦しむような筋合いなんて、どこにもないんだから」頭の中

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