LOGIN
目覚ましのベルが鳴って、私は慌てて布団から飛び起きた。
もうちょっと早く起きるはずだったけれども、寝過ごしちゃったみたい。「やば、また寝坊しそうだった……」
朝ごはんを急いでかきこんで、慌ただしく制服に袖を通す。鏡の前に立つけれど、そこに映る私はどこにでもいる普通の女子高生。
黒髪のセミロングに焦げ茶色の瞳。 ……なんだか、少し退屈な気がする。 と、考えている暇は無かったから急いで学校へ向かう。「お、おはよう……」
遅刻寸前で教室に入る。
「
山田さんが挨拶してくれた。
そこまで私自身、仲が良いのか分からないけれど、山田さんは今まで遅刻はしていない。 ただ暗くてどんよりしている、そんな女の子。「
「そうなんだよ……」
教室の奥で
「さて、ホームルームを始める」
そうしていたら、チャイムが鳴って先生が入ってきた。
いつものように授業が始まっていく。 順調に授業を受けていく。休み時間、教室で陽菜達と話していると、陽菜が笑いながら私に言った。
「そういえば佐奈、この前また募金に全部入れたんでしょ? ほんっと断れないんだから」
先日クラスで募金活動があった時、募金で財布に入っていたお金を入れたんだっけ。
流石に注目するよね。 財布をさかさまにして入れていたし。「えっ、だって……必要な人がいるならと思って」
私ははにかみながら答えた。
「バカだなぁ、騙されるよ絶対」
冗談めかして言われても、図星だから言い返せなかった。
だって実際、街で『幸運を呼ぶ壺』を売りつけられそうになったこともあったし。 冷静に考えれば怪しいのに……放課後は文芸部に向かう。
私の机の上には、ノートとパソコン。書くのはオリジナル小説だったり、乙女ゲーム『クリスタル・ガーデン』の二次創作だったり。 特に『転生ヒドインが破滅する』ざまぁ系の小説は、なぜかよく筆が進むし、ネットにアップできる。 でも、『クリスタル・ガーデン』のヒドイン破滅のざまぁ系は絶対に書きたくない。ヒロインのサフィー・プラハが破滅する話は特に。「サフィーが破滅するのは……イヤだ……」
私はサフィーに、自分を重ねちゃっているんだと思う。ゲームの中でも、彼女が破滅するルートは
「佐奈、また書いているの?」
同じ部員の
「やだ、見ないでよ」
「そっちこそ」
私達はそんな風に照れ隠しをしながら、それぞれ小説を書いていく。
でも私的には、『いいなぁ、ちゃんと書けてる』と羨ましく思ったりもする。「佐奈、ちょっと良い?」
小説を書いていると、文芸部の部室に友達の
「良いよ!」
「ありがとう、じゃあ小道具を運んで欲しいの」
舞台へ行って、衣装や舞台で使う小道具などを運んでいく。
そこそこの重さはあるけれども、これくらいは大丈夫。「マイクチェックもお願いできるかな」
セリフを読むと、マイク越しに自分の声が響いて、思った以上に迫真の演技になってしまった。
「佐奈、結構良い声してるじゃん」
そんな事を言われて、思わず赤くなった。
……でも、舞台の上で主役を演じる人を見たとき、胸がざわつく。 羨ましい。私もあそこに立ってみたい。 みんなから拍手される側になれたらーーって思う。 そう思いながらも、実際に立つことはできないから、ただ裏方の手伝いをするだけ。 主役を見ているだけ。「疲れちゃったから、マッサージ出来る?」
「もちろん!」
私は鈴鹿達にマッサージを行う。
「あっ、そこそこ……」
結構評判が良かったりする。
「敦賀さん、また明日ね」
「うん、また明日!」
演劇部の手伝いが終わった後、校門に向かう谷浜さんに挨拶をして、陸上部の練習場を通ると、陽菜に呼び止められた。
グラウンドはまだ熱気が残っている。 陽菜は陸上部に所属していて、大会にも出場している。「佐奈ー! ちょっと片付け手伝ってー! あとマッサージも!」
私は「良いよ!」と笑って答える。陽菜は走っているとき、本当に輝いて見える。
汗だくで、それでも楽しそうで。 そんな彼女の後ろ姿を見ながら、私は自分の影を意識する。 手伝いながら「羨ましいなぁ」って、心の奥で思ってしまう。「肩がガチガチで動かないのよ……」
片付けを行ったら、次は陽菜のマッサージを。
「わ、分かった。ちょっと失礼するね」
陽菜の肩に触れると、こわばった筋肉の感触。結構使っているんだね。
さすりながら優しくほぐしていく。「うわっ、楽になった! 佐奈のマッサージ、本当魔法みたい!」
「えへへ……役に立てたなら良かった」
「私もお願い!」
「もちろん!」
別の部員の身体もほぐしていく。
陽菜とは違った疲れ方なので、ほぐし方も別の方向から。「本当に助かった」
「疲れていたら、頼って良いからね!」
そう答えながらも、最後の一周とかをしている選手達の姿を目で追った。
他の部員達から声援を受け、ゴールに飛び込んで歓声を受ける彼ら。 彼らを羨ましく思っているけれども、私はいつも中心にはいない。「佐奈、いつもありがとうね」
「うん……」
褒められて胸が温かくなる一方で、心の奥では小さな棘がうずく。
(私だって……本当は、応援される側になりたいのに)
陸上部では支える人。
演劇部では裏方。 文芸部でも、書きかけの小説は最後まで仕上げられない。ーーどこにいても、主役にはなれない。
家に帰って、宿題を片付ける。 パソコンの前に座って、サフィー・プラハを主人公にした小説の続きを書くものの、結局アップロードのボタンを押せない。 代わりにざまぁ系の短編を投稿して、わずかな承認欲求を満たす。 パソコンの画面には、二つのフォルダが並んでいる。 一つは『サフィー小説』、もう一つは『ざまぁ投稿用』。 ……同じように小説を書いているのに、扱いはまるで違う。「溜まっちゃったな……」
『サフィー小説』の方には、未投稿のテキストデータがぎっしりと詰まっている。話はちゃんと出来上がっているけれども、投稿できていない。
サフィーが王子と結ばれる話に、サフィーが誰かに優しくされて、幸せに微笑む話。 ……私が心から『これがハッピーエンド』と思える物語ばかり。 でも、アップロードボタンにカーソルを合わせるたびに、心臓がバクバクして、結局キャンセルしてしまう。「もし、つまらないって言われたら……」
「もし、サフィーなんて嫌いってコメントをされたら……」
それは、私自身を否定されるみたいになってしまう。
だってサフィー=私だから。それが怖くて投稿できない。「こんなに投稿してきたのね……」
その一方で、『ざまぁ投稿用』の方は気楽だった。
テキストファイルに入っている小説は全て、アップロード済み。 転生したヒドインがわがまま言い過ぎて、結局破滅する話。 ライバルに嫌われ、王子に見放され、最後にはざまぁされる。 そういう筋書きだったら、どんどん書けたし、アップロードもできた。 『よくあるざまぁだけどスッキリした』『こういう展開好き!』、そんなコメントがつくだけで、胸が温かくなる。 ああ、ちゃんと誰かが読んでくれてるんだって。 ーー矛盾しているよね。 サフィーが破滅するのは絶対にイヤ。だけど、別の”誰か”なら破滅しても平気。 私はサフィーを守りたい。だってサフィーは私だから。 でもその裏では、嫉妬や劣等感を別のキャラクターに投影して、破滅させて満足している。 矛盾しているのに、やめられない。 投稿サイトの『マイページ』を眺めながら、私はそっとため息をついた。 その後、ゲーム機を取って『クリスタル・ガーデン』を起動。 何度も遊び尽くした、学園と恋と陰謀に満ちた乙女ゲーム。 サフィー・プラハはこのゲームのヒロインで、私はこのゲームの二次創作を書いている。 彼女が王子と結ばれるルートを繰り返し攻略する。 決してサフィーが破滅するエンディングは見たくない。最悪のバッドエンドだから。「やっぱり、ここが一番ハッピーエンドだよね……」
コントローラーを握ったまま、まぶたが重くなる。
「佐奈、昨日ゲームしながら寝てたでしょ」朝、目を覚ましたらゲームのエンディング画面のまま。どうやら寝落ちしたみたい。
母にからかわれて、私は顔を赤くする。「ちょっとだけのつもりだったんだけど……」
どうしてもやめられない。サフィーが幸せになるルートを見ていると、私まで救われる気がするから。
私も幸せになっている。そんな気持ち。「佐奈ー! 今日も片付けよろしく!」
「うん、良いよ」
教室で今日も陽菜に呼ばれる。
私は笑って答えるけれど、心の奥では思ってしまう。 ーーどうして私は、いつも頼まれる側なんだろう。 陽菜は大会で記録を出して表彰台に乗って、賞状を貰って。 羨ましいな、あんな風に注目されて。「やっぱり難しいなぁ……」
カタカタとキーボードを叩く音が、静かな部屋に響いている。
華怜が画面に集中している横で、私はノートをめくりながらため息をついていた。「……今日も中途半端」
サフィーの話を思いついたけれども、仮に投稿したとして喜んでもらえるものなのか不安になる。
喜んでもらえるようなそこまでストーリーが思い浮かばない。 サフィーがハッピーエンドになる話は、私がハッピーエンドだと思っている話だから。「佐奈、結構こっちに出ているけれども、手伝いとかは大丈夫?」
「うん。ちゃんとしているし、こっちは気楽で良いから」
そう言って笑ったけれども、胸の奥がチクリと痛んだ。
誤魔化すようにはにかむ。(本当は……私も目立ちたいけれど……)
ペンを握り直し、ノートに文字を走らせる。
今度は転生ヒドインが破滅する話。こっちは書きやすい。 最後はざまぁみろと言えるような破滅の仕方。 ああ、本当に書きやすい。なんでなんだろう、私。「文芸部なら役も順位も関係ない。ただ物語を考えればいい」
そう自分に言い聞かせるように。
でも、心のどこかで、その言葉が”言い訳”でしかないことを、私は分かっていたけれど。「また書いているの? 佐奈」
突然かけられた声に顔を上げると、ドアのところに
「え、うん……」
少し気恥ずかしく答える。
「へぇ……転生ヒロインが破滅する話ねぇ。普通は幸せになるはずなのに、破滅させるなんてね。本当に好きだね、そういうの」
六花はひょいと机に身を乗り出し、ノートのページを覗き込んだ。
「……破滅するヒロイン、か。ふーん」
小さく笑って、わざとらしく肩をすくめる。
「でもさ、わざわざヒロインを転生させて破滅させるなんて、ちょっと酷くない? ヒロインって、本来は愛されて幸せになるためにいるんじゃないの?」
「そ、そんなことないよ。ヒロインだからって、必ずしも幸せになれるとは限らないし……むしろ努力しないと、周りを巻き込んで破滅することだってあるから」
私は反論する。けれど六花は楽しそうに首を傾げた。
「努力しないと破滅? へぇ……そういうヒロインも”あり”なのね。でもさ、もし私が転生してヒロインになったら、そんな風にはさせない。絶対に破滅なんてしないし……誰にも奪わせない」
いたずらっぽく笑っている。
ヒロインになったら絶対に破滅したくない。 私自身サフィーになったとしても、絶対に。サフィーはハッピーエンドになってほしい。「そんな風になったらいいね」
微笑みながら、六花の宣言に反応する。
「佐奈、そういえば演劇部の手伝い、今日も来てくれる?」
六花は思い出したように言ってきた。六花は演劇部に所属している。
舞台では脇役が多いみたいだけど。「うん。じゃあ行こうか」
私はノートを閉じて舞台へ行って、演劇部の手伝いを。もちろん、疲れた鈴鹿や六花にマッサージもね。
練習を見ていると、主役が舞台で輝いていた。 拍手が巻き起こる。私はそれを遠くから見つめるだけ。「私も……」
小さな声で呟いて、すぐに首を振った。無理、そんなの。
ごまかしても、ほんのちょっとだけ思ってしまう。 失敗してしまえ、と。 それはすぐに頭の中から消えろと言い聞かせたけれど。「ごめん、今日もマッサージをお願い!」
「ううんよろこんで」
陸上部の片付けの最中、陽菜から頼まれた。
当然快く引き受ける。「あっ、そこそこ……気持ちいい……」
今日も頑張っていたのか、陽菜は肩がこっていたし、腰も疲れていた。
それをほぐしていく。 こうすれば、陽菜は明日も練習に打ち込める。「ありがとう!」
「良いの。私で良かったらいつでも大丈夫だから」
私はにっこりとした表情を陽菜に見せる。
でも、私だってこんな風に頼りたい。 目立ちたいし、手伝ってもらいたい。 ……無理だよね。 家に帰ると、今日も宿題を終えて、また小説を書いていく。 サフィーがハッピーエンドになる話を。 フォルダを開けば、『サフィー小説』のデータが目に入る。 サフィーがハッピーエンドになる話ばかりで、私がサフィーに『幸せになってほしい』と願って書いた物語だ。「……今日こそ、投稿してみようかな」
マウスカーソルをアップロードのボタンに合わせる。
誰かに読んでもらえたら、きっと嬉しい。承認されるかもしれない。 ーーでも、同時に怖い。 批判的なコメントばっかりついて、小説を、サフィーを、私を否定されるのが。「はぁ……今日はいいや」
しばらく画面を見つめていたけれど、結局『キャンセル』を押してしまった。
ああ、やっぱり無理だ……「せめてこれを……」
代わりに、『ざまぁ投稿用』フォルダを開く。
今日もここの小説を投稿する。 こっちだったら、ちょっとした短編であってもすぐに『スカッとした!』なんてコメントがつくから。 安心して投稿できるし、私の中途半端な部分を満たせる。でも……本当に見てほしのはサフィーの幸せ。
矛盾している。分かっているけれど、怖い物は怖い。「今日もこれを……」
気を紛らわせるように、私はゲーム機を手に取る。
遊ぶのは勿論、『クリスタル・ガーデン』。タイトル画面が光っている。 彼女を操作して、王子に選ばれるルートを何度も繰り返す。 でも……「……えっ?」
王子の冷たい瞳、群衆の罵声、サフィーが”偽ヒロイン”と呼ばれて追放される結末。
BGMは不協和音に歪み、キャラクター立ち絵が暗転する。ーー偽ヒロイン断罪エンド
震える指先でスキップを押しても、エンドロールは止まらない。
しまったと思っても、心が辛い。 途中の選択肢を間違えちゃった。そのせいで、このエンディングに……「違う……こんなの、サフィーじゃない……」
どうしてこのゲームは、こんなルートを用意したんだろう。
サフィーが群衆に罵られて消えていくなんて……許せない。 いくら二次創作で王子と結ばれるルートに次いで人気だからって、私は認めたくない。「私は、絶対こんなエンドになんて行かせない」
涙を滲ませながら、もう一度最初から始める。
選択肢は間違えちゃだめ。 特に断罪イベントで、『アプリルを糾弾する』なんて選択肢は絶対に選ばない。 気をつけていたから、今度は無事に王子と結ばれるエンディングに入れた。「……サフィー。君こそが、私の隣に立つべき人だ」
私の胸に、じんわりとした熱が広がる。
何度見ても涙が出そうになる。さっきは絶望の涙だったけれども、今は感動の涙。ーー真実の愛エンド
「……やっぱりこれだよ。サフィーは絶対に幸せになるべきよ」
私は安心したのか、頭が疲れてきた。
だから、そのまま眠りに入っていく……目を覚ました時……
「……え?」
私は見知らぬ馬車の車内だった。
揺れる車内で、全く見当がつかない。「どういう事……?」
「え……? ここ、どこ……?」
私は震える手で袋の中にある手鏡を掴んだ。
そこに映っていたのはーー金色の髪と、サファイアのように透き通る青い瞳。「さ……サフィー……? 本当に、私が……!」
憧れていたヒロインの姿。
『クリスタル・ガーデン』のヒロインである、サフィー・プラハ。 そのゲームの世界に、本当に来てしまったのだ。 困惑の震えは、歓喜の震えへと変わっていく。 胸が高鳴り、嬉しさのあまり涙が出そうになる。「私……異世界転生モノであるような……ヒロインになったんだ!」
よく見るような明らかなテンプレート的展開に、私は拳を握って喜ぶ。
この時の私は、希望と期待に満ちていた。 馬車は、王立クリスタリア学院へ。 そこで転校生として、私は入学することに。そう、ゲームと同じことに。 こうして私、敦賀佐奈はサフィー・プラハになった。一週間が経ち、露店は順調に売り上げていった。 そのために、品物はまた足りなくなっていく。 仕入れないといけないけれども、共同倉は売ってくれるのだろうか。 私は不安になりながら、北街道の共同倉へと向かっていく。「大丈夫なの?」 アプリルが問いかけていた。 前回、「今回だけだ」と言われていたため、余計売ってくれるか心配になる。「分からないの」「断られる可能性があるのね」 呆れながらそう返事をしていた。「あれ?」 倉へと向かっているのに、道が妙《みょう》に静かだった。 荷車の音すら聞こえない。「に、荷車が!?」 近くでは荷車が横倒しになっていた。 積み荷が散乱していて、明らかに何かがあった感がある。 どうしてこんな事が……。 すると、大きな声が聞こえてきた。「やめろ!」 争《あらそ》っている音だ。 そして袋を抱えてこっちに向かって走ってきた。 姿は、明らかに盗賊らしき男性。 目が血走っていて、焦りと苛立ちが混ざっている。 ただの悪党というより、追い詰められた獣のようだった。 彼が言っていた盗賊の一員なのかな。「どけ!」 明らかに私達とぶつかる。「うわわ……」「サフィー!」 避けないと。 こんな急に盗賊と出会うなんて。 でも、震えてしまって動けない。 あの断罪の場で、視線を浴《あ》びたときと同じ感覚。 身体が凍りついて、思考だけが空回りする。 盗賊は短刀を持っていて、避けないと刺されてしまうかもしれない。 なのに……恐怖で動けなかった。(やばいやばい……動けないよ) そのまま刺されてしまうのかなって思ったけれど……。
私達は商品を仕入れて、宿へ帰ろうとする。 空に明るさは残っているけれども、夜風が冷たくて、少し震えが起こる。「あっ……」 荷車の車輪に血痕《けっこん》があった。 あの荷車も被害に遭ったのかもしれない。 車輪が削れていて、無理に停めようとしたのかな。「……ニコラさん、大丈夫だよね」 ふと、気になってしまう。 私が代理でいるけれど、ずっとという事にならないよね。「”運が悪ければ”という言い方が引っかかりますわね」 歩きながら私達は会話をしていく。「そうだよね」 少しだけ笑みを出して、不安を抑えようとする。「もしも戻らなかったら?」 私はまた誰かの場所を奪《うば》うことになるのかな。 代理のはずなのに、その席に慣れてしまう自分が少し怖かった。「北街道、昨日封鎖時間があったって聞きました」 手伝いのためにロータスもやってきて、仕入れた品物を運んでもらっている。「結構深刻な状況ね」「あたし達も気をつけないと」 そう思いながら気をつけて帰ったからか、この日は何事もなく戻ることが出来た。 でも、危険と隣り合わせなんだろうね。「仕入れたのって凄いですね」「まあね、また手に入れられるか分からないけれど」 苦笑いしながら、ロータスの言葉に返事する。 数日後、仕入れの甲斐《かい》もあって、品切れになることはなく露店を続けられていた。 でも、また仕入れられるかな。 まだ日数はあるけれど。 断られたりしないかな。 それが気がかりだったりする。「どうしたの?」 ほんのちょっとだけ、聞き覚えのある感じで聞こえて、考え事をしていた頭を切り替える。 黄色髪の女性が露店の前にやってきていた。 先日も来ていましたね。
夕方、店仕舞《みせじま》いをした後に私は言われた北街道の共同倉へとやってきた。 隣の店主から貰った紹介状を貰って。 街道に面して作られた大きな石造りの倉庫、夕方だけれども。「ここで仕入れているのね」 アプリルがそう訊いてきた。 仕事が終わったから、一緒に来ていた。「そうみたい」 この倉庫は荷車や商人、帳簿係などこの時間においても、ある程度の賑《にぎ》わいがあるようだった。 私はそこへ向かって歩く。「用件は?」 倉庫番らしき男性が訊いてきた。「干し葡萄と干し肉などの補充をお願いしたくて……」「登録番号は?」 私が用件を伝えた途端、即答するように問いかけてきた。 そんなもの、私は持っていない。「……ありません」 私はそう答えるしかなかった。 一気に空気が冷えたような気がする。 アプリルはこの様子をじっくりと見ていた。「登録商人か、正式代理でなければ卸せん」 倉庫番はそう答えた。「私はニコラ・コロシェツの代理です」「証明は?」 言われたから、紹介状を出すことにした。「隣の露店の署名か」「はい。短期ですが店を預かっています」 紹介状を見るけれども、態度は変わらなかった。「……紹介状? 露店主の私文書では通らん」 突っ返すような態度だった。「責任は誰が取るんだ?」 それに対して、私は一瞬だけ言葉に詰まってしまった。「……私が払います」 でも言葉を絞り出す。「焦げついたら、あんたが全財産をはたいても払うのか?」「足りなければ、どんなとこで働いてでも返します」 私は本気でそう伝える。「&helli
「在庫《ざいこ》なんだけど、足りるのかしら?」 アプリルは帳簿《ちょうぼ》の内容を確認しながら、私に問《と》いかけた。「分からない。でも難しいかも」 どこで仕入《しい》れたら良《い》いのか分からない。 このままだと在庫切れになるのは、目に見えている。「干し葡萄《ぶどう》も干し肉も、かなり減っていますね」 ロータスは帳簿を見ながら、呟《つぶや》いていた。「だよね」 追加はしていないし。「嬉しい誤算、ですが」「……このままだと、三日も持たない」 売れすぎて、在庫が足りない。「えっ」 ロータルが驚く。 思ったよりも短いから。「ニコラさんが戻ってくるまで、二週間はあるから……」 このままでは、持たせられないということ。「棚、空いちゃう」 私達に沈黙《ちんもく》が流れた。「売れているのに、続けられない……?」「うん。それが、今の現実」 じゃあ仕入れればいいって思うけれども、あの商品がどこから仕入れているのか分からない。「勝手に仕入れをすれば、揉める可能性もありますわ」 そう、私は代わりにしている。 マッサージはともかく、元々の商品を別の場所から仕入れれば、質とかも違うことになる。 いつも買ってくれるであろう人から、クレームになるかもしれない。「だよね」「でも、何もしなかったら、露店は止まりますわよ?」 アプリルに言われ、悩んでしまう。 私自身、商売経験が無かったし。「…………」 少しだけ言葉が出せない。「悩むのは正しいですわ。でも、情報が足りませんわよ」 アプリルはそう述べた。「情報…
宿に戻る頃には、街はすっかり夜の顔になっていた。 石畳の通りには橙色の灯りがともり、昼間の喧騒が嘘のように落ち着いている。「ふぅ……」 部屋に入った瞬間、私は思わず息を吐いた。 身体は疲れているはずなのに、どこか心地よい。「お疲れ様です、サフィーさん!」 ロータスはそう言いながら、窓を少し開けて夜風を入れる。 アプリルは椅子に腰を下ろし、静かに手袋を外した。「さて……本日の成果を確認しましょうか」 その一言で、空気が少し引き締まる。 私は露店で使っていた布袋を、そっと机の上に置いた。 一瞬だけ、私達は言葉を止める。「じゃ、じゃあ……これが、今日の売り上げ」 袋の口を開くと、銅貨と銀貨が控えめな音を立てて転がった。 思っていたよりも、ずっしりとしている。「……思った以上ですわね」 アプリルは一枚一枚、丁寧に貨幣を数えていく。 その手つきは、メイドとして学院で書類を確認していた頃と同じくらい落ち着いていた。「干し果物が一番出ていますね。次が干し肉、香草袋も、伸びています」 ロータスは帳簿を開きながら、素早く計算していく。 こんなに能力があるなんて、一緒にいて頼もしいね。だから学院のメイドとして働いていたのかもね。 紙の上で数字が整っていくたびに、私の胸が少しずつ高鳴った。「……合計すると、日銭としては十分すぎるくらいです」「え、そんなに……?」「そうね。二日目としては、かなり良い売り上げですわ」 アプリルは顔を上げ、はっきりと言い切った。 その声には、評価と安堵が混じっている。「サフィー、貴女はちゃんと”商い”をしていますわよ」 アプリルのその言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。 この街の人達に顔を覚えてもらった、この事に私は嬉しくなる。「私、失敗すると思ってた」 ぽつりと零れた本音。 二人は何も言わず、続きを待ってくれる。「ギルドに止められて、怒られて……何も出来ずに終わるんじゃないかって。ニコラさんの露店を潰してしまう事になるのかなって」「でも、終わらなかったですよ! 続いています!」 ロータスが、ぱっと笑顔を向ける。 本当に元気ね、ロータスって。「むしろ、始まった感じです!」 その明るさに、思わず笑ってしまう。「ええ」 アプリルも小さく頷いた。「貴女は今日、”誰かの役に立つ”ことを
太陽が斜めに傾き始め、露店通りに長い影が伸びる頃だった。 今日もだいぶ売れた商品を整えながら、私はほっと息をついた。(……こんなに売れるなんて、思わなかったな) 干し果物の箱はもう底が見えているし、干し肉も半分以上無くなっている。 香草袋も、午前は全然出なかったのに、午後に入ると立て続けに そこへーー「……これは、想像以上ですわね」 聞き慣れた、芯のある気品を含んだ声が背中から届いた。「アプリル……!」 振り向くと、淡い旅服の裾を揺らしながら、アプリルが立っていた。 仕事の疲れがあるはずなのに、その赤い瞳は驚きと嬉しさで輝いている。「サフィー、随分と繁盛しているじゃないの。まさか……ここまでとは思いませんでしたわ」「え、えへへ……ちょっと頑張っただけで……」 と言いながらも、褒められて胸がくすぐったい。「サフィーさん! 本当に……すごいです!」 息を弾ませながら、ロータスも駆け寄ってきた。 ワインレッドの髪を揺らし、手には自分の帳簿道具が抱えられている。「見てください、在庫……! もう半分以上減っていますよ!」「う、うん……売れちゃった」「売れちゃった、ではありませんわ。これは立派な”成果”ですわよ」 アプリルは棚の上をざっと確認し、頷く。「商品がなくなり始めたということは、客がついた証です。しかも見てくださいな、通りすがりの人が何度も看板を見ていますわ」 確かに。 看板の前で立ち止まって、覗き込む人が増えている。 午前とは比べ物にならない反応。(すごい……こんなに見られてるんだ)







