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第17話

Author: 佐伯進奈
健人は真理を病院の前まで車で送った。

煙草に火をつけ、窓を少し開けた。彼は車の中で待っていた。

真理は一人で病室のドアを押し開けた。

陽翔はベッドの背にもたれ、手に日記帳を握りしめ、虚ろな目をしていた。

彼女の姿に気づいた瞬間、慌てて日記を枕の下へ隠した。

目を上げた時には、すでに瞳のふちが濡れていた。

「......真理、ごめん。全部俺が悪かった。両親からも聞いた。ほんとに......」

言葉が途切れる。

だが真理は彼の言葉を遮り、静かに手を上げた。

薬指には、鳩の卵ほどの大粒のダイヤが光っている。

「私、結婚するの。......お兄ちゃん、祝ってくれるよね?」

陽翔の口は開いたまま、声にならない。

頬を伝う涙が止まらず、唇だけが震えていた。

「......相手は、健人か?」

「うん。彼、とても優しいから」

目を覚ましたとき、伝えたい言葉はいくらでもあった。

けれど今、この瞬間、喉に詰まって出てきたのはたった一言だった。

「......おめでとう」

それは、自らの手で彼女を遠ざけた男の最後の言葉。

伸ばそうとした手は、気づけばもう銀河の向こう。もう、二度と届かない。

真理が病室を出ると、廊下には彼の嗚咽が響き、患者たちを怯えさせた。

......外では。

煙草を一箱吸い尽くした健人が、彼女の姿を見ると目を輝かせ、慌てて窓を開けて煙を逃がした。

「はあ......本当に、もう戻ってこないんじゃないないかと心配だった」

真理は苦笑し、彼の頬を軽くつまんだ。

「またタバコ吸ったら、口ごと叩き壊すからね」

「ははっ。了解」健人はへらへら笑った。

ふたりの笑い声を乗せて、車は病院を離れていった。

......そして結婚式の日。

健人と真理の披露宴には、都の名だたる人物が顔を揃えた。

疎遠だった健人の母でさえ現れ、笑顔で祝福を告げた。

指輪を交換し、祝福の拍手に包まれながら、二人は深く口づけを交わした。

宴が一段落した頃、真理のスマホが震えた。

画面に表示されたのは陽翔の母の名前。

出ない理由はなかった。通話ボタンを押すと、涙声が耳に届いた。

「陽翔が......点滴の管で首を縛って、自殺したの......」

真理の手が止まる。視界がわずかに揺れた。

隣にいた健人がすぐに腕を回し、彼女を抱き寄せる。

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