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第21話(5)

Author: 北川とも
last update publish date: 2026-03-20 17:00:56

 何分か前まで、畳の上に転がって雑誌を読みながら、思い出したように和彦に話しかけていた千尋だが、すっかり寝入っているようだ。

 どうせ昼寝をするなら、自分の部屋に戻ればいいのにと、和彦は小さく苦笑を洩らす。千尋としては、和彦が退屈しないよう、つき合っているつもりなのだろう。

 呉服屋から戻ってすぐに、賢吾が見ている前で熱を測らされ、微熱が出ていることがわかった。普段の和彦であれば気づきもせずに動き回っている程度の熱だが、さすがに今は無茶できないと、こうして休んでいるというわけだ。

 和彦は姿勢を戻し、再び天井を見上げる。

 千尋の寝息を聞きながら思うのは、長嶺の本宅で自分は大事にされているということだ。クリニック経営という役目を負い、物騒であったり、訳ありの男たちを結びつけてもいる和彦に何かあったら面倒なのだと、捻くれた考え方もあるだろうが、決してそれだけではない。

 間違いなく、長嶺の男たちは和彦を大事にしてくれていた。そして、長嶺と関わりを持つ男たちも――。

 甘い眩暈に襲われて、反射的にきつく目を閉じた瞬間、障子が
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  • 血と束縛と   第28話(25)

     和彦の視線は吸い寄せられるように、守光の背に向けられていた。浴衣に隠れてはいるが、この下には、毒々しい黄金色の体を持つ九尾の狐が潜んでいる。大蛇も怖いが、この狐はそれ以上に怖い。どうやって獲物を狙うのか、その手口すら和彦は想像がつかないのだ。 そんな狐の刺青を背負った男に『逃がさん』と言われれば、それは言霊となって和彦の心と体を縛りつけそうだった。 和彦の中に芽生えた怯えを読み取ったのか、守光がこう付け加える。「――……あんたは振り回されていると感じているだろうが、長嶺の男たちも、あんたに振り回されている。これは、情だよ。あんたとわしらは、情を交わし合っている」「情を、交わし合っている……」「そう感じているのは、わしの勘違いかな?」 肯定も否定もできず口ごもる和彦に、首を回らせた守光がわずかに目を細める。「わしの〈オンナ〉は慎み深い」 守光がゆっくりと体を起こし、布団の上に座る。手招きされて側に寄った和彦は、強い力で肩を抱かれた勢いで、守光にもたれかかった。 反射的に身をすくめたが、それ以上の反応はできない。凄みを帯びていながら、非常に静かな眼差しで見つめられると、怯えると同時に、奇妙な熱が体の奥で高まり始める。このことを自覚した瞬間にはもう、和彦の体は守光に支配されているのだ。「さあ、わしと情を交わしてくれ」 賢吾に似た太く艶のある声で囁かれ、唇を塞がれそうになる。いつもなら、逆らえないまま身を任せてしまうのだが、今夜は事情が違う。寸前のところでわずかに頭を後ろを引き、和彦は抑えた声で訴えた。「今夜は、千尋を刺激したくありません。それでなくても、ぼくが兄と会うことを知らされて、気が高ぶっているのに、こんなところを見られたら――」「刺激すればいい。あれも、なかなか厄介な獣を背負うことにしたようだ。刺激して、高ぶらせて、そうやって成長させる。わしや賢吾、オンナであるあんたの役目だ」 千尋が入れようとしている刺青のことを指しているのだろう。守光の口ぶりに興味を惹かれた和彦だが、すぐにそれどころではなくなる。「あっ…&

  • 血と束縛と   第28話(24)

    ** 守光の部屋の床の間には、涼しげな紫陽花の掛け軸が飾られていた。守光の腰を揉みながら和彦は、なんとなくその掛け軸から目が離せなくなる。ただの絵のはずなのに、床の間にあるだけで、部屋の空気が清澄なものに感じられるから不思議だ。それとも、この部屋の主のせいなのか。「――いよいよ、来週かね」 唐突に守光に切り出され、ドキリとした和彦は数秒ほど返事ができなかった。一体なんのことかと考えるには、それだけあれば十分だ。「はい……。クリニックのほうは、午後から休診にすることを、もうスタッフや患者さんにも知らせてあります。あとは、兄の予定が変わらなければ……」「あえて、金曜に会うことにしたというところに、あんたの悲愴な覚悟がうかがえる。土日の間に、気持ちを立て直しておきたいというところかね」 守光の鋭さに和彦は、目を丸くしたあと、微苦笑を洩らす。「何もかも、お見通しですね。そんなにぼくの行動は、わかりやすいですか」「したたかでタフだが、一方で、実家のことになると、途端に脆くなる――と、話していたのは、賢吾だったか、千尋だったか。あるいは、両方か」「二人には、動揺してみっともない姿を見せてしまいました」「それでいい。だから二人とも、あんたのために動く。大事なオンナを守りたくて。もっとも千尋の場合は、少々頭に血が上りすぎているな」 その千尋は、しばらく経ってから守光とともに部屋に戻ってきたあと、猛烈な食欲を発揮して夕食を平らげ、今は風呂に入っている。守光とどういった話をしたのか、和彦はまだ一切聞かされていなかった。ただ、拗ねた素振りも、不機嫌な顔も見せていなかったことは、安心していいのかもしれない。「……会う必要がないのなら、会いたくはないんです。ぼく個人の問題なのに、長嶺組どころか、総和会も巻き込んでしまったようで……」「長嶺の男は過保護だと思っているだろう」 返事の代わりにちらりと笑みをこぼした和彦は、腰を揉む手にわずかに力を込める。会話を交わしていると、つい気が逸れて力が緩ん

  • 血と束縛と   第28話(23)

    「電話の声から察してはいたが、機嫌が悪そうだな」「……悪いよ。オヤジだけじゃなく、じいちゃんまで、先生のことで俺を除け者にしてたんだから」「なんだ。拗ねているのか」 千尋がムキになって言い返そうとしたが、さすがに守光のほうが遥かに上手だ。千尋の怒りをあっさりと躱すと、和彦に向き直る。「先生、夕食はとったかね?」「いえ、まだです……」「だったら、すぐに準備をさせよう。わしは早めにとったし、千尋は――あとでよかろう。一刻も早く、わしと話をしたいようだからな」 自分も同席すると和彦は訴えたが、意外なことに、世代の違う長嶺の男二人の意見は一致した。〈オンナ〉を巻き込む話ではない、と。 言い方は違えど、和彦の意思は関係なく、千尋と守光、どちらかが決定したことに従えばいいと言いたいのだ。それは傲慢だと、腹を立てる過程はとっくに過ぎている。和彦はずっと、長嶺の男たちのオンナとして、執着心や独占欲というものに揉まれ、または守られてきた。「あんたはここで寛いでいるといい。――自分の部屋だと思って」 千尋とともに玄関に向かう守光にそう言われ、和彦は返事に困る。二人は別室で話をするそうだが、だとしたら、自分の役割はと思ったのだ。英俊と会うという結論はすでに出ており、千尋がどれだけ拗ねて、不満を漏らそうが無駄なのだ。 千尋の扱い方を心得ている一人である守光に、何の考えもないとは思えないが。「先生、絶対帰らないでよね」 不機嫌そうな千尋に念を押され、和彦は観念する。「わかっている。……気に食わないからといって、暴れるなよ」「じいちゃん相手に、そんな命知らずなこと、するわけないじゃん」 千尋なりの冗談なのだろうが、口元に薄い笑みを湛えている守光の佇まいを見ていると、とても気軽に応じる気にはなれない。 曖昧な表情で返す和彦を一人残し、守光と千尋が出て行く。 少しの間その場に立ち尽くし、ぼうっとドアを見つめていたが、我に返ると、急に居心地の悪さに襲われる。本来なら今頃、外で夕食を済ませ

  • 血と束縛と   第28話(22)

     千尋の口調がいくらか和らいだのを感じ、和彦は緊張を解こうとしたが、甘かった。シートから身を乗り出した千尋が強い光を放つ目で見据えてきながら、恫喝するようにこう囁いてきたのだ。「だから――、俺たち以外の奴が、先生を振り回すのは許さない。特に、先生を怯えさせるような奴は」「誰のことを、言ってるんだ」「とぼけないでよ。先生、電話越しでも、あんなに自分の兄貴のことを怖がってただろ。その理由をオヤジは教えてくれなかったけど、でもなんとなく、あのときの先生を見たら、察したよ。……どうして、先生にひどいことしてた奴に会う必要がある? 何かあったらどうするんだよ」「そうならないよう、気をつけるつもりだ」 ダメだ、と言うように千尋が緩く首を振る。千尋がときどき発揮する頑迷さを、和彦はよく知っている。子供じみており、突拍子もない行動に出るのだ。だからこそ、ここで対応を誤り、千尋を暴走させるわけにはいかない。 賢吾に連絡して説得してもらおうかと思っていると、和彦の困惑を読み取ったように、千尋がこう言った。「オヤジに相談するつもりなら、残念。今日は泊まりで会合に出かけていて、電話も繋がらない。まあ、オヤジが何言ったところで、俺は意見を変えるつもりはないけど」「意見って……?」「――先生を、どこにも行かせない」 長嶺の男――というより、千尋の情は強い。改めてそのことを痛感しながら、和彦は懸命に頭を働かせる。和彦としても、家族恋しさで英俊に会うわけではないのだ。ただ、こちらの言い分を伝え、佐伯家の事情を把握しておきたいだけだ。「無理だ。ぼくはもう決めたし、いろいろと人に動いてもらっている」「先生の初めての男にも?」 その物言いが癇に障り、千尋を睨みつける。「ああ。段取りをつけてもらった。……来週、兄さんと会う」 カッとしたように千尋が口を開きかけたが、すぐに何かに思い当たったように思案顔となる。その隙に和彦は、掴まれたままだった手をそっと抜き取る。それを咎めるでもなく、千尋は自分の携帯電話を取り出してどこかにかける。

  • 血と束縛と   第28話(21)

    **** 普段の言動のせいですっかり忘れてしまいそうになるが、長嶺千尋の本質は決して、可愛い犬っころなどではない。 したたかでありながら激しい気性を持つ〈何か〉だ。それは、祖父の守光のような老獪な化け狐かもしれないし、父親の賢吾のような冷酷な大蛇かもしれない。もしくは、まったく別の獣か――。 クリニックを一歩出た和彦は、目の前に立つ千尋を一目見た瞬間、総毛立つような感覚に襲われた。明らかに千尋の様子が尋常ではなかったからだ。 細身のスーツにナロータイという、オシャレな若手ビジネスマンのような格好は、恵まれた容姿を持つ千尋を、育ちのいい青年に見せる道具としては効果的だ。だが、まるで炎をまとったように、激しい怒りを全身に漲らせている今の千尋は、ジャケットの前を開き、ナロータイを緩めているだけなのに、筋者らしい凶暴さを感じさせる。 こんな千尋に声をかけたくないが、まさか無視をするわけにもいかない。和彦はできるだけ、いつもの調子で声をかけた。「お前、こんなところで何をしてるんだ……」 千尋に歩み寄りながら、周囲に視線を向ける。通りを行き交う人たちが、この青年が長嶺組の跡目だとわかるとは思えない。しかしそれを抜きにしても、千尋の存在は人目を惹く。クリニックが入るビルの前で、目立ちたくなかった。「先生を待ってた」「それはわかるが……、せめて車で待つぐらいできるだろ。もし、お前の素性を知っている人間に見つかったらどうするんだ」「いいよ。そのときは、そのときだ」 低く抑えた声に、自暴自棄な響きを感じ取り、和彦は眉をひそめる。「お前――」「先生に話があるんだ」 そう言って千尋に腕を掴まれたが、反射的に振り払う。カッとしたように睨みつけてきた千尋を、和彦は睨み返す。「どうして、そんなに怒ってるんだ」「……先生に心当たりはあるはずだよ」「心当たりって……」「来週、会うんだろ。あんなに怖がってた、自分の兄貴に」

  • 血と束縛と   第28話(20)

     少しの間、ぼうっとしていた和彦だが、その間も、鷹津が次々に皿に肉を放り込んでくるので、仕方なく食事を再開する。「……あんた本当に、嫌な男だな」 ぼそりと毒づいた和彦は、網の上で焦げかけた肉を摘み上げ、鷹津の皿に放り込む。一瞬動きを止めた鷹津だが、文句も言わずその肉を食べた。「お前がひょこひょこと兄貴に会いに出かけて、あっさり連れ戻されても困るからな。こういう話を聞いておけば、多少は警戒心も芽生えるだろ」「警戒はしているっ。……ただ本当に、いろいろと予想外で、頭が追いつかない……」「だが、お前は受け入れる。これまでのとんでもない状況だって、結局受け入れているだろ。お前は自分が思っているより図太くて、したたかだ。俺程度の悪辣さなんて、可愛く思えるぐらいな」 貶されているようで、それだけとも言い切れない。ある考えがふっと和彦の脳裏を過ぎったが、鷹津に限ってそれはないと打ち消した。「――……あんたの口から、『可愛い』なんて単語を聞くとは思わなかった」「意外な単語を聞けたうえに、メシまで奢ってもらえて、今夜は得したな」「高くつきそうだ……」 ため息交じりに和彦が洩らした言葉に、すかさず鷹津が応じた。「当然だろ」** フロントガラスをぽつぽつと雨粒が叩いたかと思うと、あっという間に降りが強くなる。 助手席のシートに身を預けた和彦は、運動後に腹が満たされたうえに、雨音に鼓膜を刺激され、どんどん眠気が強くなっていくのを感じていた。 そんな和彦の様子に気づいたらしく、信号待ちで車を停めた鷹津が口を開いた。「ヤクザの組長のオンナが、よくまあ、刑事の車に乗って寛げるもんだな」「どうせぼくは、図太いからな……」「なんだ。俺が言ったことを気にしてるのか」 鷹津が低く笑い声を洩らす。不思議なもので、車全体を包む雨音に重なると、その声すら心地よく聞こえる。「まさか

  • 血と束縛と   第7話(15)

     気遣う言葉をかけてきながら、三田村の眼差しは鋭い。和彦と秦の間に何かあると確信している目だ。 こうなった三田村ですら怖いのに、本当のことを賢吾に告げたらどうなるか――。 想像して、背筋が冷たくなる。「……なんでもない……」 和彦はそう答えると、携帯電話を三田村の手に押し付け、顔を背けた。** 秦の目的を知るにはどうすればいいのか、部屋に戻ってから和彦はずっと考えていた。目的がわからなければ、動きようがなく、最終的に長嶺組に――賢吾の力に頼る

    last updateLast Updated : 2026-03-22
  • 血と束縛と   第6話(18)

    「この間買ったコロンをつけてみたんだ」「ふうん。……でも先生には、もう少し甘い香りをつけてほしいな」 強い光を放つ目が、じっと和彦を見据えてくる。その目の中に激情ともいえるものが渦巻いているのを感じ取り、とにかくこの場を離れるのが先だと思った。 こんな目をしている千尋には、自制というものが働かないということを、一度千尋に軟禁されたことがある和彦は身をもって知っているのだ。「千尋、ここは暑いから、場所を変えよう」「でも先生、用があるからここに来たんだよね? 一人で何してたの?」 そう問いかけ

    last updateLast Updated : 2026-03-21
  • 血と束縛と   第5話(40)

    **** さまざまな機材などが運び込まれた部屋を見回してから、和彦は手で顔を扇ぐ。締め切っているため、室内の空気はひどく蒸れて暑かった。だからといって窓を開けて回るほど、今日はここに留まる気はない。  いよいよ明日からクリニックの改装工事が始まるため、若い組員一人を運転手として伴い、立ち寄ったのだ。今日は業者は昼前に引き上げたので、和彦も室内の様子だけ見て引き上げるつもりだ。  もう何度もここに足を運んでいるが、いよいよ改装工事が始まるとなると、もうすぐ自分の城ができるのだという実感が湧いてくる。自分

    last updateLast Updated : 2026-03-21
  • 血と束縛と   第6話(1)

    **** 久しぶりに友人と会えて嬉しいのに、どうしても無視できない感覚が和彦の胸には広がっていた。「――それで、ダンナがクリニックに怒鳴り込んできて、大騒ぎになったんだ」「それを澤村先生は、ニヤニヤしながら眺めてたんだな」「そりゃもう、楽しかったからな。いつも威張り散らしてる奴が、受付の子の後ろに隠れて、真っ青になって震えてるんだぜ」「……相変わらず、イイ男に対しては鬼だな」 同僚の医者が、不倫相手の夫からいかに無様に吊るし上げを食らった

    last updateLast Updated : 2026-03-21
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