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小野寺の丁寧な運転で、車が街中を走る。和彦は瞬きも忘れ、外の景色を凝視していた。つい最近見た光景だと既視感に襲われたのは一瞬で、なんのことはない。ほんの一週間ほど前に同じ道路を通ったのだ。九鬼が運転する車で。
駅前を走り抜けるとき、ちょうどキリエ和泉ビルも目に入る。今日はこのビルに用はないが、なんの目的もなくこの場所に来るはずもなく、和彦は用心深く周囲に視線を向け続ける。 前回は離れた距離から見かけたショッピングモールの側を通り抜けて少し行くと、マンションが建ち並ぶ景色が広がる。ベランダでは洗濯物が風で揺れ、遊具の揃った公園では、遊んでいる母子の姿が何組か。のんびりとして平和な午後の光景だ。 車は、数あるマンションの一棟の前に停まった。規模からしていわゆるファミリー層向けのマンションのようだ。 小野寺が軽くあごをしゃくると、加藤が黙って車を降りる。和彦も、買ったばかりの服が入った袋を抱えて車を降りた。小野寺にそうするよう言われたのだ。 加藤にとっては初めて訪れた場所ではないらしく、迷** 小野寺の丁寧な運転で、車が街中を走る。和彦は瞬きも忘れ、外の景色を凝視していた。つい最近見た光景だと既視感に襲われたのは一瞬で、なんのことはない。ほんの一週間ほど前に同じ道路を通ったのだ。九鬼が運転する車で。 駅前を走り抜けるとき、ちょうどキリエ和泉ビルも目に入る。今日はこのビルに用はないが、なんの目的もなくこの場所に来るはずもなく、和彦は用心深く周囲に視線を向け続ける。 前回は離れた距離から見かけたショッピングモールの側を通り抜けて少し行くと、マンションが建ち並ぶ景色が広がる。ベランダでは洗濯物が風で揺れ、遊具の揃った公園では、遊んでいる母子の姿が何組か。のんびりとして平和な午後の光景だ。 車は、数あるマンションの一棟の前に停まった。規模からしていわゆるファミリー層向けのマンションのようだ。 小野寺が軽くあごをしゃくると、加藤が黙って車を降りる。和彦も、買ったばかりの服が入った袋を抱えて車を降りた。小野寺にそうするよう言われたのだ。 加藤にとっては初めて訪れた場所ではないらしく、迷いのない足取りでエントランスに向かい、和彦も小走りであとをついていく。無防備についていっていいものかと考えなくもないが、一応組のほうには、中嶋と合流することは伝えてある。万が一にも和彦を拉致する目的だとしても、この場所ではないだろうと妙な確信があった。 ちょうどエレベーターの扉が開き、ベビーカーを引いた女性が降りてくる。強面の加藤に一瞬ぎょっとしていたが、和彦には笑顔で会釈してくれたので、ソツなく挨拶を返しておいた。 六階でエレベーターを降りると、誰もいない共用通路を黙々と歩く。この高さだと、来るときに見た公園がよく見下ろせる。公園の隣には小さいながらグラウンドもあり、危なっかしい足取りでサッカーボールを追いかける小さな子供たちがいる。可愛らしい姿に目を細めていると、いつの間にか立ち止まっていたらしい加藤とぶつかった。「――南郷さんが言ってました」 謝まると、そう加藤が切り出す。「へっ?」「佐伯先生の前を歩くときは気をつけろと。よそ見してぶつかってくることがあるから」「……そ
「あー……。相性が悪すぎるから、か。いざというときに殴り合いでも始められたら困るもんな」「いえ、俺はそんなに粗暴じゃないので。こいつじゃあるまいし」 小野寺に悪し様に言われても、加藤は言い返さない。「まあ、粗暴でも性悪でも、ぼくの前で取っ組み合いをしないなら、別にいいんだ。今のところ君たちはきちんと仕事してくれているわけだし」「性悪って、もしかしてそれ――」 短く噴き出したのは加藤だった。小野寺がカッとしたように詰め寄ろうとしたが、寸前で和彦は腕を引っ張る。「よし、欲しいものは選んだからレジに行くぞ」 小野寺を引きずってレジカウンターに向かうと、むっつり顔で加藤もついてくる。 欲しいものを買ったあとは帰るだけだが、それも味気ない。広い施設内を歩きながら辺りを見回した和彦の目に、ひときわにぎわっている店が飛び込んでくる。何かと思えばアイスクリーム店だ。「今日は特に天気がいいからなー」 ぽつりと洩らすと、怪訝そうに小野寺が振り返る。加藤は、和彦の斜め後ろをついて歩いている。「何か?」「ちょっと休憩をしよう」 二人の返事も聞かず、和彦はアイスクリーム店に突入する。 気温も高めということもあって、客が多いのもう頷ける。少し列に並ぶことになったが、無事にアイスクリームを買うと、休憩スペースに移動して腰を落ち着ける。基本的に無表情の加藤はともかく、小野寺はなんとも不本意そうな顔をしている。「――佐伯先生、俺たちをからかって楽しんでます?」 チョコレートミント味のアイスクリームを一口食べた小野寺が問いかけてくる。ちなみに加藤はコーヒー味だ。「ぼくはそんなに性悪じゃない。つき合ってもらったささやかなお礼のつもりだ。ぼくも食べたかったし」「俺も性悪じゃないです。……男三人並んでアイスを食うって……」「ぼくが一人で食べて、君らが側でじっと眺めているほうが、周りから注目を浴びると思うぞ」 不承不承といった様子で小野寺はもう一口食べる。和彦は抹茶味のアイスクリームを
** 勝手が違うなと、ジャケットを選びながら密かに和彦は苦笑を浮かべる。 もういつ暑くなっても不思議ではないため、それに合わせて薄手のジャケットと、ワイシャツも何枚か買おうと、今朝のうちになんとなく予定に組み込んでいた。しかし、これは予定になかったと、傍らに立つ小野寺に視線を向ける。距離が近い、というのがまず頭に浮かんだ感想だ。 長嶺組の護衛は慣れたもので、和彦が外を出歩くときは絶妙な距離を取り、窮屈な思いをしないよう配慮してくれる。だが、護衛任務はまだ試行錯誤中らしい加藤と小野寺は、なぜか和彦にぴったりと張り付いている。「……こんなに側にいなくても大丈夫だぞ。もう少し離れていても……。ほら、あそこにイスがあるから、座って待ってたらどうだ」 途端に小野寺から呆れたような眼差しを向けられる。一方の加藤は黙然としてただ周囲を見回している。「不審者が出たというのに、呑気ですね……」「騒ぎにはならなかったと組から連絡が来た。おかげで警察も来なかったとも。一体何者だったのかは書いてなかったが――あえて書かなかったのかな。まあ、なんにしても、すぐに戻らないといけない事態ではなかったみたいだ」 小野寺と加藤の役目はとにかく騒動の場から和彦を離すことだったため、今からでも護衛を戻そうかと問われたが、断った。わざわざ買い物の付き添いのためだけに、組員を移動させるのも申し訳ない。「そういえば、さっきの騒ぎ、もう南郷さんには報告したのか?」 さりげなく尋ねると、加藤と小野寺はちらりと視線を交わし合う。「もちろんです」「……自分の隊の人間が役に立ったと、喜んでいるだろうな」 そして、二人を護衛につけた自分の判断が間違っていなかったことも。 加藤はともかく、小野寺がまったく興味なさそうな顔で立っているのが気になり、和彦は手早くジャケットとワイシャツを選んでいく。嫌がらせのつもりはないが、選んだものは小野寺に持たせていく。「先生は、もっと気取った……お高
この場合、〈軽いトラブル〉とは、和彦を不安にさせないための方便だと考えたほうがいい。気にはなるが、引き返したところで足を引っ張るだけだ。よほど慌てていたのか、メッセージの指示は曖昧だ。どちらに向かって移動すればいいのかと戸惑いつつ、きょろきょろと辺りを見回してから、とりあえずファミリーレストランから離れることを優先する。 タクシーが通りかかるのを待つより、駅まで行ってから帰宅方法を決めるほうがいい。そう考えながら速足で歩いていると、ふいに傍らで短くクラクションが鳴らされた。危うく飛び上がりそうになる。 いつの間にか黒の軽ワゴン車に並走されていた。ハンドルを握っているのは加藤だ。ウインドーが下ろされ、短く告げられる。「――先生、乗ってください」 躊躇する間も惜しく、和彦は素早く後部座席に乗り込む。このとき、助手席の小野寺の存在に気づく。 すぐに加藤は車を出したが、なかなか運転が荒い。車中に漂う緊張感に怯みそうになりながら、和彦は口を開く。「何があったんだ?」「ちょっと面倒な人物が、あのファミレスに近づこうとしていたそうです」「面倒な人物って……」「俺たちも詳しくは聞いてないんです。たぶん先生にとって、面倒な人物ということじゃないかと。それで、長嶺組の組員さんたちが引き止めている間に、先生を連れて行ってくれと頼まれました」 誰のことだと、和彦は眉をひそめる。長嶺組の組員が、護衛任務をこの二人に引き継いでまで和彦との接触を避けた人物となると、すぐには思い当たらない。「……じゃあ、マンションか、長嶺の本宅に戻らないといけないということか……」 スタッフたちと別れたあとは買い物に行くつもりだったが、それどころではなくなった。落胆が声に出ていたのか、小野寺が振り返った。今日は耳朶でリングピアスが揺れている。「先生、このあと何か予定が?」「買い物に行く予定だった。だけど――」「行きましょう。つき合いますよ」 大丈夫なのかと怪訝な顔をする和彦に対して、小野寺が頷く。「――…&h
**** ここ数日の和彦は、真っ当な経営者らしい理由で多忙だった。 新しく雇い入れたスタッフの研修をクリニックで行い、平行して、継続して勤務することになっているスタッフと、個別の面談も行った。長期となった休業の理由を改めて自分の口から説明して、不安を与えたことを詫びたのだ。このとき、体調不良による休業としていたため、スタッフたちから反対に気遣われて、非常に心苦しかった。 五月の連休明けにクリニック再開となり、それを知らせる案内状はあらかじめ組が手配してくれていたため、和彦とスタッフたちで封筒に詰めて発送した。あとは、クリニック内の掲示物の準備に、受付カウンターや待合室にささやかな小物を置いたりと、レイアウトに時間を取る。 作業を終えてから、せっかくスタッフ全員が集まったのだからと、クリニックを閉めてから近くのファミリーレストランに移動した。中途半端な時間のため、食事会というよりお茶会だ。 新旧のスタッフがとりあえず馴染んでいる様子を眺め、そういえばと、和彦は思い出す。昨年の十二月には忘年会を兼ねた食事会を催したのだが、あのときは、まさか年明けからクリニックを数か月も閉めることになるとは想像もしなかった。 本当にいろいろあったと、うっかり遠い目をしそうになったが、注文していたものが次々と運ばれてきて我に返る。小腹が空いていたため、和彦はアイスコーヒーの他にピザを頼んだ。 和彦はピザを口に運びつつ、店の外の通りに目を向ける。陽気がいい――というよりよすぎることもあり、すでに半袖や、上着を脱いで歩く人がちらほらいる。 結局今年はゆっくりと花見はできなかったが、惜しいとは感じなかった。散ってしまったものは仕方ない。また来年咲くものだ。 そろそろお開きかという雰囲気が漂い始めた頃、ジャケットのポケットの中で短くスマートフォンが震えた。テーブルの下でチェックしてみると、外で待機してもらっている護衛の組員からだ。文面を読んで、軽く眉をひそめた。 支払いがあるため、スタッフたちを先に送り出したあと、和彦は再びイスに腰掛ける。少しだけ早くなった鼓動を落ち着ける必要があった。数分ほど待って、スタッフたちが通りを
再び仰向けとなり、唸りながら前髪に指を差し込む。知らん顔をされるより、ああして触れてもらったほうが、まだ救われた気分だった。自分はもう、佐伯家に戻るつもりはないし、戻ってはいけないのだと確認できたからだ。 いざというときがくれば、ためらうことなく自分は決断ができる。「――もうすぐ夕方だが、寝てるのか」 前触れもなく、頭上から話しかけられる。和彦がハッと目を開くと、忌々しいほど魅力的なバリトンの主がじっと自分を見下ろしていた。 なぜいるのかと問いたかったが、理由は一つしかない。「心配して、来てくれたのか?」「お前が予想外の行動を取ると、反動が怖い。……顔色が悪いぞ」 和彦は自分の頬を撫でてから体を起こそうとしたが、賢吾に止められる。長居するつもりはないのか、賢吾はコートも脱がないまま床の上に座り込み、和彦と目線の高さを合わせてくる。「宮森から、お前が甥っ子と会うのは聞かされてたんだが、まさかそのすぐあとに、自分の母親に会いに行くとはな。予想外もいいところだ」「この間は、まともに話せなかったから……。会って話しておいたほうがいいと、優也くんが背中を押してくれた」「今度、宮森の甥っ子に小遣いを渡しておくか」 賢吾の冗談に小さく笑うと、頬を優しく撫でられる。「話せてよかったと思う。何もかも思い出したあとだと、これまでの母さんの態度も納得……というか、理解できたし。すっきりというわけにはいかないけど、母さんも、苦しんだり悩んだりしてきた一人の人間なんだと感じられただけ、進歩だ」「――お前はいままでは、自分をどこにも属さない枠の外に置いているようだった。高みから見下ろしているというわけじゃなく、そうだな……、仲間に入りたくても入れない子供みたいな」「だから、悪辣な大蛇にあっさり捕まったんだな」 賢吾が声を洩らして笑う。その低い笑い声が耳に心地いい。安定剤や鎮痛剤より、よほど頭痛に効く。「ヤクザ一家の俺が言うなと思うかもしれねーが、お前の実家は歪だ。枠の外にいたから、こうし