로그인「あれ、もしかして凜さん何も聞いてない?律のこと、知らない?」
「な、何の事でございましょうか?」
彼の吐息が耳にあたり、くすぐったいのと、その会話の意味が気になって背筋に電気が走る。
「なんか凜さんとは今後も縁がある気がするな。名刺を入れておくから、何か知りたいことがあったら僕に連絡して。」
動揺している私に、隼人はニコリと微笑んで意味ありげな言葉を口にした。そして、入口で渡された紙袋に自分の名刺をひらりと落としていく。
「隼人さん、こんにちは。お久しぶりです」
席を立っていたはずの律が、いつの間にか戻ってきて隼人に挨拶をしている。しかし、その声はいつもよりも硬く、普段のような威圧的な感じもない。
「あ、律。結婚したんだね。おめでとう」
「……ありがとうございます」
「それじゃ、僕は行くよ。また今度」
たったそれだけ話をしただけで、隼人はその場を去って行った。
「何か変なことはしていないだろうな?」
香澄side「はー、またか……」クリアファイルの中にある書類を見て嘆いている私を見て、隼人が声をかけてきた。週末の昼下がり、祖父母の家で久しぶりに顔を合わせた私たちは、お茶を飲みながら話をしていた。「香澄さんが溜め息なんて珍しいね。どうしたの?」「律が結婚したでしょ?それで私への結婚圧力が強くなって、どんどん縁談を入れられているのよ。毎月三件ペースでこなしているわ。ひどい時は土日両方で嫌になっちゃう」最近の縁談事情を隼人につい愚痴ってしまった。その言葉に、隼人は考え込むように指で口元を押さえている。隼人の視線は、私の顔ではなくテーブルの上に広げられた縁談相手のプロフィールへと注がれていた。蓮見家は、縁談をする前に相手だけでなく相手のご両親の職業や家族構成・学歴など、相手のことを徹底的に調べる。そのため、縁談というのは名ばかりで企業の重役面接のようだった。そして、蓮見家が相手の家柄を気にするように、先方も同じことを考えて事前にこちらの情報収集している。「初めまして」と挨拶をするのに、私の出身校や仕事内容まで把握していて、こちらが口にする前に話題に出してくるのである。おかげで、無言で気まずくなることはないが、どこまで把握しているのだろうという疑念と、値踏みされている感覚しか残らず話が弾むことはなかった。
香澄sideそこから数年が経ち、私たち三人は大学卒業後に蓮見のグループ企業に入社した。それぞれ与えられた部門で頭角を現し始めていた。学生だった頃とは違って一人暮らしをするようになると、以前のように頻繁に顔を合わせることはなくなっていった。隼人は相変わらず律を意識していたようだが、思春期が過ぎて大人になったことと物理的な距離ができたことであの刺々しい空気は薄れていった。たまに会っても、それは祖父母の家かグループの会合の場などで、話の内容も仕事の目標や戦略のことばかりだった。(それぞれ大人になったし話す内容も立場も変わっていくわよね。こ)幼い頃、隼人と一緒の布団で手を繋いで眠っていた日々が、遠い過去のように感じられる。思春期の頃のように、『付き合っている人はいるか?好きな娘はいる?』なんてことを聞くことも聞かれることもない。蓮見家では、血筋と家柄が重視されるため、恋愛は常に縁談やお見合い、紹介などと結びついており、自由な恋愛へのハードルは非常に高かった。蓮見家に生まれた宿命だと思っていたが、内心ではその窮屈さから逃げたいと常に感じていた。だが、律だけは違った。律だけは血筋を理由に紹介や縁談を全て断り続けていた。そして、律が養子だと知ると、相手方から断りが入ることもあった。
香澄side関係が変わったのは、律が家に来てからだ。大学生の私と高校生の律、中学生の隼人―――隼人は突然現れた律に対して何かと対抗心を露わにして競おうとしていた。「律、俺とバスケで勝負しろよ!」 「律、この数学の問題解けるか?」律は、蓮見家の人間に目をつけられないようにしたいようで、集まりがあっても自分から関わることはなく、いつも部屋の隅で出来るだけひっそりと存在を隠すように静かに過ごしている。そんな律だから、隼人からの言葉も面倒でしかなかっただろう。体格差や学力においても勝負となると律の方が有利だ。思いっきり勝ち負かす事もできるが、隼人の負けん気とプライドを傷つければ、それは蓮見家の内部に波風を立てることになる。だからといって手を抜いてもすぐにバレてしまう。律は隼人を「面倒な相手」として認識し、次第に隼人から距離を置くようになっていった。律の躱し方はいつも穏やかだったが、その裏にある冷めた態度が隼人の苛立ちに拍車をかけた。仲が悪いわけではないが、何かとライバル心を持つ隼人と、面倒で逃げる律。警察と泥棒のように二人の距離は縮まることがなかった。「隼人、どうして律に対してそんなにつっかかるの?律の母親のことで面白くないかもしれないけれど、仮にも私の弟だから仲良くしてほしいな」
香澄side「香澄ちゃん、俺はずっと香澄ちゃんのことだけを見てきた。結婚するなら香澄ちゃんがいい」木々が強風に煽られて枝葉を揺らしている。友人の結婚式の帰り道、突然腕を掴まれて振り返ると、少し切なそうに真剣な顔で告白する隼人に私の心も大きく揺れ動いた。これは、律が凛ちゃんと結婚して蓮見家の後継者争いが最も激化し、全員が警戒心を剥き出しにしていた、私たちにとって最も不純な時期の私と隼人の秘密の話だ。私にとって隼人は、守ってあげたい可愛い弟みたいな存在だった―――私が小学一年生の頃に生まれた隼人。生まれたばかりに初めて隼人を見た時、小さな小さな手で私の指をキュッと握る姿が可愛くて、ずっと隣で隼人の様子を観察していた。あくびをする姿もすやすやと眠る姿も足をバタバタさせる姿も、何をしても可愛くて仕方がなかった。幼稚園で赤ちゃんのお人形のお世話をして遊んでいたけれど、本物の赤ちゃんはもっと柔らかくて温かい。ぷっくらしたほっぺたも綿毛のようにふわふわな髪の毛も、私が知っていた赤ちゃんとは全く違っている。そんな隼人に、私は一気に夢中になっていた。大きくなって寝返りやハイハイをすると、手を叩いて喜び、歩き始めると一緒に手を繋いで歩いた。可愛いと思う気持ちは隼人が小学生になってからも変わらなかった。「隼人、今日は誰とお風呂入るー?」
会社の車で家まで送ってもらい、ドレスとスーツを脱ぐために寝室に入ってから、律にふと気になっていたことを尋ねた。「そういえば、合コンの時に私が覚えていなくても話をすれば思い出すかもしれないのになんで言わなかったの?」律は一瞬動きを止め、不貞腐れたようにこちらを見てからジャケットを脱ぎ始めた。「そんなの……あの時、凜が興味があったのは俺じゃなくて大手企業に勤めて若くして肩書きを持つ『蓮見律』だと思ったからだ。名刺を受け取って目の色を変えた凜を見て、お金があって何でも出来る男を求めていると思った。だから、かっこよくないところを見せたら幻滅されると思ったんだ。」そう、あの時、私は高収入で清潔感があり、背も高く顔もいい、見た目とお金の両方を持ち合わせたスーパーダーリンを求めていた。そんな私が、男子にからかわれて小さくなっていた中学の同級生と出くわしても恋愛には発展しなかっただろう。「ふふふ、そうだったんだ。でも、これからはかっこ悪いところも全部見せていいよ。私が好きで一緒にいたいのは、ありのままの律なんだから」律はネクタイを外してシャツのボタンに手を掛けていたが、私の言葉を聞くと甘えるようにすぐさま抱き着いてベッドに押し倒してきた。「ありがとう、凛。好きだ、愛している―――――」「私も。律のことが大好き――――」
凛side「香澄さん!隼人さん!」会合が終わり、二人の元へ行くと私を見て優しく微笑んでくれた。隼人さんは香澄さんの腰に手を添えている。「凜ちゃん、無事終わったわね。律もおめでとう!良かったわね」「はい、ありがとうございます!それにしても二人が結婚するなんて本当にビックリしました。お二人は一体いつから?」「ふふ。このことは誰にも言わずにしてきたの。隼人とは、私があのマンションに引っ越すちょっと前から付き合っていたのよ。」「え?そんな前から……!?」「ええ。隼人は律のことを一番ライバル視していて、律の動向を一番近くで探るためにあそこに私が引っ越したの。隠していてごめんね。でも結婚も決まったから、隼人と別の新しいところに引っ越すわ」思い返せば、香澄さんの隣にはいつも当たり前のように隼人さんがいた。引越しパーティーの時も早く来ていた隼人さんが準備の手伝いをしていて、私が手伝うと言うと香澄さんは遠慮したが、それは私を受け入れていないわけではなく、それ以上に隼人が近い存在だったからなのだと今になって理解した。「凜ちゃん、これからも律のことをよろしくね。律、頭はいいけど本当に不器用で女心分かっていないところあるから、凜ちゃんを苛つかせることもあるかもしれないけど……」