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第4話

Author: 風音
孝太郎が飛び降りてから、家はすっかり混乱に包まれた。

けれどどれほど混乱していても、私を気にかける者は誰もいなかった。

私は救急外来のロビーに立ち尽くし、額には冷や汗が滲んでいた。

腹の奥が何度も引きつるように痛み、腰は伸ばせないほどだった。

壁際に寄りかかるように立ち、まるで居場所のない人間であるかのように、夜明けまでそこで待ち続けた。

手術室のほうから戻ってきた兄が、私をちらりと見た。

「これで満足か!お前みたいな性根の腐った女が、こんなに大勢を傷つけておいて、どうしてまだ死なずにいるんだ!」

私は何も答えず、ただ小さく頷いた。

「信じないなら、それでいい」

それから数日、家族は私をいっそう厳しく監視するようになった。どこへ行くにも、誰かの目が付きまとう。

孝太郎は特別個室に入院し、脚の怪我は重かった。

瑞歩がベッドのそばで泣き続け、逆に彼のほうが彼女を慰めていた。

両親は口では「もうこれ以上何かあってはいけない」と言いながら、私を見る目はまるで泥棒でも見るようだった。

3日後、父が1通の書類を私の前に差し出した。表題には【家族の安全に関する誓約書】とあった。数行読み進めたところで、指先の動きが止まった。

【今後、瑞歩を刺激してはならない。

瑞歩を脅してはならない。

彼女と胎児を傷つけてはならない。

もしこれに反した場合、家族との縁を切り、必要に応じて、本人の意思にかかわらず専門医の診察や入院治療を受けさせる】

読み終えて、私は静かに尋ねた。

「つまり今、一番警戒すべき人間は、私だということ?」

母がそばに立ち、目を赤くしていた。

「私たちだってどうしようもないのよ。

瑞歩はお腹に子がいるし、孝太郎もあんなことになって、この家はこれ以上のトラブルはごめんだわ」

私は母を見つめた。

「それで、私は?

誰か一度でも、私に聞いてくれた?」

母は私の視線を避けた。

「……今の状態じゃ、誰も安心できないでしょう」

父が重い声で言った。

「署名しろ。

それで皆が楽になる。

しないなら、この家にお前の居場所はもうない」

私は手元の書類を見下ろした。

署名してもしなくても、同じことだった。

もともと、この家に残るつもりなどなかったのだから。

私はペンを取り、最後のページに署名した。

母は明らかに安堵した様子を見せ、父もようやく厄介事を片づけたとでもいうような顔をした。

けれど、その署名がほんの第一歩にすぎないとは、思いもしなかった。

翌朝、兄が白衣姿の2人を連れて家に入ってきた。私のほうを見ようともせず、ただひと言。

「診察を受けてもらう」

私は一歩後ずさった。

「どういうこと?」

母は顔を上げられずにいた。

「最近の様子があまりにもひどいから……しばらく病院で過ごして」

私は尋ねた。

「何の病院?」

誰も答えなかった。

2人の職員が私の両腕をつかんだ。兄が手にしていた書類に記された病院名が目に入った。

【精神科病院】

私は必死にもがいた。

「行かない!

離してッ」

兄がようやく顔を上げた。

「今のお前を治療せずに、どうしろと言うんだ。

本当に瑞歩に何かあってからじゃ、遅いんだぞ」

私は兄を見つめた。

「私は、あなたの妹よ!」

兄の唇が動きかけたが、言葉にはならなかった。

両親に目を向けた。父は硬い表情のまま。母は泣きながら言った。

「留佳、お母さんのお願いだと思って。しばらく行って、良くなったら帰っておいで」

思わず笑いが漏れ、同時に涙がこぼれた。

「帰っておいで」というのは、まず私を追い出すための言葉だったのだ。

私の声が誰にも届かない場所へ。

瑞歩が家で安心して出産を待てるように、私を追い出したのだ。

車に乗せられる間、近所の人たちが遠巻きに見ていた。

誰かが小声で「長女さん、また具合が悪くなったのね」と囁き、また誰かがため息まじりに「ああいう病気の人って、やっぱり怖いわね」とこぼすのが聞こえた。

誰も知らなかった。私は自分から入院を望んだわけではない。

家族自身の手によって、ここへ連れてこられたのだということを。

精神科病院に着くと、私は診察室へ連れていかれた。

医師が私を診察し、家族からもこれまでの経緯を聞き取った。

私は必死に事情を説明した。

けれど、すでに家族から伝えられていた話と、これまでの自殺未遂や言動の記録が重く受け止められた。

やがて、私の意思にかかわらず入院することになった。

病棟の扉が、私の背後で閉ざされた。

その瞬間、もう二度とここから出られないような気がした。

最初の数日間、私は必死に説明を続けた。けれど誰も信じてはくれない。

入院の手続きは、すべて正式に整っていた。

ここへ連れてきたのは、両親と兄だった。

ここでは、家族のひと言のほうが、私の百の言葉よりも重みを持つように思えた。

薬を飲むのを拒むと、職員たちに押さえつけられ、無理やり薬を飲まされた。

夜中、痛みに身を丸めていると、それも精神状態の不安定さとして記録された。

頭が痛いと訴えると、鎮静薬を増やされた。

昼間はずっと朦朧とし、夜中に目を覚ませば、舌の奥に薬の苦味だけが残っていた。

身体は日に日に弱っていった。少し歩いただけで息が上がり、何を食べても吐き戻し、枕には抜け落ちた髪が散らばっていた。

医師を探しては、身体に本当に異常があるのだと真剣に訴えた。若い医師は私の話に少し耳を傾け、家族の同意書に目を通したあと、まずは今の治療に協力するようにとだけ言った。

ようやく理解した。ここにいる限り、私がどれほど痛みを訴えても、すべて精神症状として片づけられてしまうのだと。

どれくらいの時が過ぎただろう。

両親が一度だけ面会に来た。

面会室のガラス越しに、母は涙を流しながら、言うことを聞いていればすぐに迎えに来ると言った。

私はただ蒼白な顔のまま、ぼんやりと窓の外を見つめていた。

その夜、痛みに震えながら、命の火が急速に消えようとしているのを感じた。

血圧を測りに来た看護師の顔色が、見る間に変わる。

何度測り直しても、血圧は異常なほど低かった。

やがて、ストレッチャーの音と慌ただしい足音が響き始めた。

私はすぐに救命処置室へ運ばれることになった。

救命処置室へ運び込まれる頃には、意識はすでに朧げだった。

最後に残ったわずかな意識の中で、ふと、ずっと昔のことを思い出していた。

私は本当に生きたかった。

孝太郎と結婚して、自分だけの家族が欲しかった。

一度でいいから、きちんと愛されてみたかった。

けれどそれは、すべて叶わぬ願いだった。

それから先のことは、何も覚えていない。

両親と兄、そして孝太郎が病院に駆けつけた時には、すでに夜が明けていた。兄は強張った顔で、必死に自分を落ち着かせようとしていた。

救命処置室の前に辿り着いたその時、ちょうど扉が開いた。

医師がマスクを外した。

「残念ですが……

午前5時40分、救命処置の甲斐なく、お亡くなりになりました」

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