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2話. 鍵はかけないで

مؤلف: YuIm
last update تاريخ النشر: 2026-10-09 11:35:11

「転んだんです」

怜司は紗月の口元を見つめ、それから手を引いた。

「結婚式の日に?」

「靴が合わなくて」

視線が足元へ落ちた。妹の靴はサイズが同じでも、足の幅に合わなかった。紗月が足の指に力を入れると、彼はソファの脇のスリッパを足で寄せてくれた。

「脱げ」

命令する口調は引っかかったが、今だけは従うことにした。踵を抜いた途端、皮膚がひりついた。両足を揃えてスリッパに収めてから、自分がどれほど長く立っていたのかを思い知った。

「昼は平気そうだったが」

「今は平気じゃありません」

怜司の口元が少し動いた。

「神崎紗良は、転んだら床ごと替えろと言うそうだな」

ガウンの紐を握る手に力がこもった。昼間、式場に立っていた本物の花嫁を、この男はほんの数時間前に見ている。

「そんな話を聞いても、結婚したんですか」

「性格に惹かれて決めたわけじゃない」

金と株。紗月は父が口にしていたことを思い出した。それなら、神崎紗良が多少違って見えても、気に留めないかもしれない。

「私も同じです」

「俺の性格が気に入らないか?」

「まだわかりません。でも、足を痛めた人をずっと立たせておくくらいですから、よくはなさそうですね」

怜司が脇へよけた。座れということらしい。紗月はソファの端に腰を下ろした。窮屈な靴を脱いでも、肩の力は抜けなかった。

彼がインターホンを押した。

「相馬。神崎会長は帰った?」

紗月は顔を上げた。

「もうお帰りいただいて。これ以上待ってもらう用はない」

受話器を置く音が、ひどく大きく響いた。紗月は閉ざされたドアを見た。父がいなくなった安堵のあとから、1人残された恐怖が押し寄せてきた。

怜司はコートを受け取ろうとして、紗月が身を引くのを見て手を下ろした。

「ずっと着ているつもりか?」

「寒いので」

嘘だった。コートの下の赤い服を見せたくなかった。彼はバッグの脇へちらりと目をやり、ドレッシングルームに入っていった。ほどなく、厚手のガウンがソファの背にかけられた。

「じゃあ、これを。濡れたコートよりはいい」

肩についた雨粒を見て言ったのだ。紗月がガウンを手に取ると、怜司は窓辺へ歩いていった。背を向けてくれたのを確かめて、ようやくコートを脱げた。

ガウンの袖は、手の甲まですっぽり覆った。妹の服を着ていると、いつもどこかを隠していなければならなかったのに。見知らぬ男の服の中では、不思議と身を縮めずにいられた。

「昼は食べた?」

彼は振り返らずに尋ねた。

「少しだけ」

答え終わるのと同時に、お腹が鳴った。紗月はガウンの前を押さえた。そこでようやく怜司が振り返った。

「少しも食べてないな」

「今、笑いました?」

「まだ」

紗月がにらむと、彼はインターホンで軽い食事を頼んだ。格式ばったコースではなく、温かいスープとパンだった。料理を待つ間、怜司はネクタイを外し、腕時計をテーブルに置いた。

そんな小さな動作にさえ、紗月は何度も視線を奪われた。広い肩、シャツの襟元からのぞく首筋。結婚式の写真には写っていなかった姿だ。父から聞いた話だけでは、この人が空腹の花嫁にパンを頼むところなど想像もできなかった。

トレーが置かれると、紗月はまずパンを手に取った。最初の一口を飲み込む間、怜司は向かいに座って書類を読んでいた。数行も進まないうちに、電話が鳴った。

「今、確認しています」

さっきとは違い、相馬への言葉遣いが丁寧になっていた。相手や場面に合わせて、口調を切り替える男らしい。

「担保リストにない物まで持ち出したなら、返してください。誰の指示だったのかも確認を」

通話は短かった。紗月はパンを置いた。母の持ち物も、父が借金返済のために処分しようとした。小さな古い硯1つを守るために、一晩中机の下へ隠しておいたことを思い出した。

「他人の物は、持っていかないんですか」

怜司が書類から目を上げた。

「持っていく理由がなければ」

「借りた人が、家族の物まで自分の物だと言ったら?」

「誰の物だ?」

紗月はスープを一口飲んだ。熱いのを急いで飲み込んだせいか、喉が痛んだ。

「ただ、聞いてみただけです」

彼の視線がバッグに留まった。ファスナーの隙間から、古い布のポーチが少し出ていた。紗月は手を伸ばし、奥へ押し込んだ。

怜司はそれ以上尋ねず、書類を閉じた。

「君の物なら、自分で確保しておけ。神崎会長の言葉だけを信じて、置いておくな」

紗月はスプーンを置いた。もう遅い――そう言いかけた。自分の人生に、父の手を通らなかったものがどれほどあるだろう。まず、それを数えるところから始めなければならない。

「ところで……今日の契約は、もう全部済んだんですよね」

「どの契約?」

「神崎流通への融資です」

怜司が紗月を見た。さっきより長く、視線が外れなかった。

「どうして気になる?」

「父が、何度も聞くので」

怜司は少し考え、電話を取った。紗月は身を硬くしたが、今回も宗一郎にかける電話ではなかった。

「追加で署名が必要な書類は、明日、法務を通して。寝室には持ち込まないように」

電話を置くと、彼は紗月のほうへ水のグラスを寄せた。

「会社のことは会社で済ませる。今夜、ここで確認することじゃない」

紗月は、その言葉をすぐには信じられなかった。父がここへ送り込むときに求めたのは、契約書への署名ではない。怜司の機嫌を損ねないこと。何があっても、この部屋から追い出されないことだった。

男が立つと、紗月もつられて立ち上がった。バッグをつかむ手は、手首が痛むほど固まっていた。

怜司が一歩近づきかけて、止まった。

「怖いか?」

「怖くないと言ったら、信じますか」

「いや」

そう言って彼は寝室のドアを開けた。明るい廊下が見えた。紗月はドアと男を交互に見た。

「隣の部屋は空いている。1人で休みたいなら、使えばいい」

「私を追い出すんですか」

「寝室を別に使おうと言っただけだ。そう聞こえるか?」

「父が……」

紗月は口を閉じた。怜司の表情が硬くなったからだ。何を言われたのかと聞かれる前に、言葉を選んだ。

「朝になったら帰れと言われるのかと思って」

「今夜どう過ごしたかで、追い出したりはしない」

紗月は廊下へ足を踏み出せなかった。本当に宗一郎が帰ったのか確かめたい気持ちもあったし、ドアを出た途端、すべての約束が取り消される気もした。

怜司は彼女を引き寄せなかった。開いたドアに片方の肩を預け、待っていた。

紗月はドレッシングルーム、ソファ、テーブルの上の空のスープ皿へと目を移した。この家で怜司の視線を避けて暮らすのは、不可能な気がした。それでも、今すぐ父のいる家に帰るよりはよかった。

「ここにいます」

「寝るのは?」

「先にシャワーを浴びてから、考えます」

怜司が場所を空けた。浴室に入る前に、紗月は寝室のドアノブに触れた。

「鍵は、かけないでください」

男がうなずいた。

「わかった」

浴室の鏡の前に立って、ようやく長い息がこぼれた。紗月は口元の濃い化粧を落とし、温かい湯で手を洗った。爪の先に残った墨は、簡単には落ちなかった。強くこすりすぎると皮膚がむけそうで、途中でやめた。

タオルに顔を埋め、しばらく動けなかった。これで泣けると思った。なのに、涙は一滴も出てこなかった。

浴室から出ると、怜司は窓辺の椅子に座っていた。彼は紗月を見て、読んでいた書類を置いた。

「そっちのほうがいい」

「何がですか」

「化粧」

紗月は頬に触れた。妹との違いに気づかれたのかと思い、足が止まった。

「唇、痛そうだった」

彼が小さなチューブを差し出した。食事を下げたスタッフが置いていった保湿剤だった。紗月は受け取り、蓋を回した。力の入れ方を間違えたのか、チューブが手から滑り落ちた。

2人が同時に手を伸ばした。怜司の手の甲に、紗月の手のひらが触れた。慌てて引こうとすると、彼のほうが先に手を引いた。

「急がなくていい」

紗月は落ちた物を拾い、テーブルに置いた。ソファに座るつもりだったのに、うまく足が動かなかった。近くで見ると、男の目の下にも疲れがにじんでいた。

「黒瀬さんも、今日はお疲れですよね」

「花嫁は俺の心配もしてくれるのか」

「聞くのも駄目ですか」

「いいよ」

短い返事とともに、彼が笑った。探るような笑みでも、からかう笑みでもない。

目をそらそうと思ったときには、少し遅かった。

男の手が頬に近づいた。今度は避けなかった。指先が触れたのは、腫れた頬とは反対側だった。

「こうするのは?」

紗月は答える代わりに、小さくうなずいた。怜司が身を寄せ、吐息の触れる距離で止まる。

あと少し。

その距離を埋めたのは、紗月だった。

口づけは短かった。彼のシャツの袖をつかんでいることに、紗月は遅れて気づいた。

怜司が名前を呼びかけた。

「紗――」

「今は、呼ばないでください」

彼が紗月を見下ろした。紗月は袖を放せないまま、言い添えた。

「お願いです。今だけは、名前を呼ばないで」

理由を尋ねる代わりに、怜司は明かりを落とした。紗月は閉じきっていないドアを一度振り返った。そして、男の手を取った。

* * *

夜明けの光が、カーテンの縁に沿って広がっていた。

紗月は眠る男の隣で、そっと身を起こした。昨夜脱いだガウンを探して羽織り、ベッドの端に座って足を下ろす。家の中はまだ静かだった。

ドアは、少し開いたままだった。

それを見てほっとしたところで、手首に手が触れた。振り返ると、怜司が目を開けていた。

「顔を洗いに行くだけです」

聞かれる前に答えていた。彼は手首を強くつかまなかった。ただ、紗月が手を握り込むと、その指を見た。

「一晩中、手を隠していたな」

紗月は手を引こうとした。怜司の親指が、人差し指の脇の硬いたこに止まった。

昨日、どうしても落ちなかった墨。

それがまだ、爪の隙間に残っていた。

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  • 逃げた双子の妹の代わりに、冷徹な財閥御曹司の花嫁になりました   10話. 神崎紗月です

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