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第3話

Author: 渡船
「隣にいるのが、俺の妻だ」

裕司はぐいと巧美を抱き寄せ、さっきまで冷たかった声が一瞬で柔らかくなる。

「伊佐山家のお嬢さん、伊佐山晴美こそが本物の細川夫人だ。

そして――」

驚きの視線を無視して、裕司は一拍置き、顔面蒼白の晴美をちらりと見やった。

「彼女は俺の社長補佐で、小山巧美だ。ただ妻に似ている身代わりだ。

そばに置いて遊んでるだけさ。目の保養にはなるけどな」

その言葉が落ちた瞬間、場内がざわめきに包まれた。

説得力を増すかのように、裕司は突然身をかがめ、巧美に深く口づけた。

記者たちに見せつけるように。

二人の唇と舌が絡み合い、とろけるような淫らな糸を引いていた。

晴美は信じられないままその場に立ち尽くし、まるで雷に打たれたようだった。

だが、憎らしい失語症が喉を締めつけ、反論も問い詰める言葉も出てこない。

巧美は挑発的な視線で彼女を一瞥して、笑みを浮かべた瞳には隠しきれない得意が滲んでいた。

「裕司、ここ風が強いわ。帰りましょう?」

頬の紅潮がまだ引かず、巧美は甘えるように裕司の腕に絡みつく。

「昨夜は夜中まで私を相手にしてくれたでしょ?そのあと身体まで拭いてくれて、自分は一晩中眠れなかったのに……もう風邪ひいちゃうわよ」

巧美の言葉には、どこか誇らしげな響きがあった。

二人が去る直前、晴美はふと裕司と一瞬だけ視線を交わした気がした。ほんの一瞬、彼の漆黒の瞳に、言葉では言い表せないような謝罪の色が浮かんだ。

野次馬たちは気まずそうに顔を見合わせ、去っていった。

中にはわざとらしく大声で話す者もいる。

「どうせあの女、自分から細川夫人に似せて整形したんでしょ?体でのし上がったんだよ、汚い女、ほんとに恥知らず……」

悪意の視線が雨のように降り注ぎ、無数の鋭い針となって、晴美の傷だらけの心を容赦なく突き刺した。

晴美の目が一瞬で赤くなり、唇の端に自嘲の笑みが浮かんだ。

あの拉致事件の後、彼はこれまでと普通通りに接すると、あれほど強く誓ってくれたというのに。

なのに今、裕司は守るという芝居のために、わざと事実をすり替えている。

ありもしない罪を、彼女の頭にかぶせたまま。

ドンッ!

突然、晴美のすぐそばで、ガス漏れで爆発が起こった。

熱い炎が一気に立ち上り、灼けるような熱風が彼女の腕の肌を焼く。瞬く間に広がる水ぶくれが目に痛いほどだった。

「火事だ!逃げろ!」

人混みは一斉に混乱し、四方へと散り逃げた。

押し合いへし合いの波に押し流されて、晴美は地面に倒れ込んだ。

火傷した手が地面に擦れ、血が滲み出る。痛みが骨の髄まで突き刺さった。

慌てふためく人々の足が、次々と彼女の細い体を踏みつけていく。

涙で滲んだ視界の先――裕司が少し離れた場所で立ち止まり、何度も振り返っている。

晴美は彼の名を呼ぼうとした。

けれど、再発した失語症が彼女の声を奪い、助けを求める声は喉に引っかかったまま出てこない。

声帯が裂けそうなほど痛むのに、漏れたのはかすかな息の音だけだった。

その時、巧美はわざと足首を押さえ、甘えた声で叫んだ。「裕司、足をひねっちゃったの、すごく痛い!」

その声が、裕司の注意を一瞬で奪った。

彼は勢いよく巧美を横抱きにし、瞳の奥に焦りと心配の色が浮かんだ。

まるで、かつて拉致された晴美を見つけた時と同じようだ。

「道を開けろ!けが人だ!」

晴美の全身に痛みが走り、心臓までもが無数の針に刺されたように疼いた。

彼女の視線は、裕司の背中を必死に追い続ける。

ぼんやりとした意識の中で、彼の姿が、記憶の中でいつも自分を守ってくれた少年の影と重なった。

高校時代、裕司は晴美をいじめた不良少女に復讐したため、校外の青年たちに殴られ、左手を骨折したことがあった。

彼女がバカと責めたとき、彼は笑いながら彼女の涙を拭い、「晴美、泣くなよ。俺は痛くない」と言った。

五年前、彼はたった一人で拉致犯の拠点に駆けつけ、全身傷だらけになりながらも歯を食いしばって彼女を背負った。怖がるな、俺は絶対にお前を一人にはしないと言った。

でも、裕司――あなたは約束を破った。

最初から最後まで、彼は彼女が怪我をしていることに気づかなかった。視線さえ一度も向けなかったのだ。

晴美はふらつきながら人混みをかき分け、通りすがりの人を呼び止めて、必死に手話で救急車を呼んでほしいと伝えようとした。

だが次の瞬間、誰かに乱暴に突き飛ばされた。

「汚いな!どけよ!」

ガラスに映った自分の姿を見て、晴美はようやく気づいた。

顔中が埃にまみれ、高価な服もすっかり汚れてしまった。

彼女は唇をぎゅっと噛みしめ、こらえきれない涙がぽろぽろと落ちた。悔しさとやりきれなさが一気にあふれ出し、心の糸がぷつりと切れた。

誰もが、声を出せない彼女をいいように扱っていた。

そのとき、背後から裕司の焦った呼び声が響く。

「晴美!」

晴美はわざと聞こえないふりをして、一台のタクシーを止めた。

甲高いブレーキ音とともに、黒いマイバッハが目の前にぴたりと止まった。

裕司は長い脚で運転席から降り、自分のジャケットをそっと彼女の肩に掛けた。

「まず車に乗って。話がある」
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