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有馬真一の夢と現実

Author: 吉乃椿
last update Huling Na-update: 2025-06-05 22:06:00

ドアの音が閉まる。

彼女の気配が完全にフロアから消えた瞬間――

有馬は、深く息を吐いた。

机に置かれたコーヒーの香りが、急に冷めた現実を突きつける。

けれど、それすらも、今は遠い世界の出来事のようだった。

(……あんな風に、人の涙に心が揺れるなんて)

過去の俺なら、気づかなかった。

いや、気づかないふりをしていた。

仕事に集中していれば、人の心の隙間など見なくて済んだ。

だけど、今は違う。

彼女の声。

少し掠れたその一言が、耳にずっと残っている。

「……すみません。ちょっと、私情が……」

それだけだった。

なのに、なぜこんなにも、胸が締めつけられるのか。

(俺は……何を知ってる? 彼女の何を、俺は――)

瞼を閉じる。

すると、すぐにあの夢の光景が浮かび上がる。

炎の中、剣を握る自分。

悲しげな目で見上げる、あの人。

名も知らぬはずの彼女の涙が、現実の梨央と重なった。

(――償いきれていない)

唐突に、その言葉が浮かぶ。

誰に、何を償うのかもわからない。

けれど胸の奥には、どうしようもない“後悔”のような黒い塊がある。

それは、夢の中だけの話じゃない。

まるで、魂そのものが覚えている“過去の罪”だ。

(守れなかった……俺は、彼女を――)

夢の中の“あの結末”は、まだ思い出せない。

だが、ひとつだけ確かにわかるのは――

その結末に、後悔と苦しみがあったということ。

今、彼女が涙をこらえる姿を見るたびに、

どこかで“また”同じことを繰り返してしまうのではないかという恐怖が、有馬の喉元を締めつける。

(今度こそ、やり直すチャンスなのか……?)

そう思う反面――

もしこれが運命の再来なら。

もし、今の自分に、彼女を救う資格などなかったとしたら。

(……それでも、もう一度向き合いたい)

そう思ってしまう。

たとえ過ちを繰り返すとしても、

今度こそ、彼女の涙の理由を背負いたいと願ってしまう。

そんな自分が、怖いほどに――情けなく、そして愛しかった。

深夜、有馬の部屋で

静まり返った室内。

デスクの上には、開いたままの資料と読みかけのコーヒー。

だが、有馬はそのどちらにも意識を向けられず、ベッドに横たわっていた。

目を閉じると、すぐに、あの“夢”が始まる。

いや、夢というにはあまりに鮮明すぎる記憶だった。

炎の中の記憶

辺り一面、赤い炎が空を染めていた。

夜なのに、まるで昼のよう
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