LOGIN御影誠一郎(みかげ せいいちろう)の「思い人」が帰ってきたと知った時、そしてその彼女と誠一郎がオフィスで親しげにしているところを見た瞬間、私は離婚を決意した。 代わりに過ぎない存在なら、本物が戻ってきた時点で身を引くべきだ。 その日、真白(ましろ)を幼稚園に迎えに行き、そのまま誠一郎の会社を訪れた。 オフィスの中に入る前に、既に妙な音が聞こえてきた。 扉越しに響く甘く誘惑するような声が囁く。 「誠一郎、帰ってきたわ……」 それが月島麗華(つきしま れいか)の声だとすぐに分かった。 そう、彼にとって永遠の「思い人」。
View More私は病院に急いだ。そして、そこで同じく誠一郎を見舞いに来た麗華と鉢合わせした。 「あなたさえいなければ、誠一郎はこんなことにならなかった!」 麗華は私を睨みつけ、怒りをぶつけてくる。 「全部あんたのせいよ!災いの元め!」 そう言いながら、手を振り上げて叩こうとした瞬間―― 「やめなさい!」 凛花が素早く間に入って止めてくれた。 「お姉さん、少しだけ二人で話がしたい」 凛花の言葉に頷き、私は彼女と一緒に待合室の椅子に腰掛けた。 凛花は静かに語り始めた。 「本当なら、兄さんの今回の出張はすごく重要だったの。でも、どうしても行きたくないって言い出して……会社の人が無理やり押し切って、やっと出発したの。 兄さん、お姉さんを見ていたいからって、離れたくなかったんだって。 それでも、短期間で仕事を片付けるために必死で働いて、数日間徹夜したの。 それでお姉さんに会いたくて、車を一人で運転して帰ってきた……でも、どこからか車が飛び出してきて……二台が衝突して……」 彼女の声が詰まる。 「今、兄さんは生死の境をさまよってる」 凛花は涙を堪えるように息をついた。 「確かにあなたは麗華が嫌いだと思う。でも、今の兄さんは本当にお姉さんを愛してる。離婚してからの彼は、ずっと精神的に参っていて、夜もろくに眠れなかったみたい。 お姉さんの写真を見るたびに泣いてたの。私が知る限り、兄さんがこんなに誰かに心を乱されるなんて、今までなかった」 「分かった」 私はそれだけを答え、話を遮った。 やがて手術が終わり、誠一郎は命を取り留めた。 私は病室の外から、彼の姿を遠くに眺めた。 そして凛花に言った。 「彼に私が来たことは言わないで。私はただ、過去のよしみでここに来ただけ。 彼にはもう一度立ち直ってほしい。もっと彼にふさわしい人を見つけて、二度と彼を好きになった人を傷つけないでほしいの」 そう言い残し、私は彼女に別れを告げて病院を後にした。 それからしばらくして、凛花から連絡があった。 「お姉さん、兄さんはもう過去のことを乗り越えて、仕事に打ち込むようになったわ」 真白の世話は凛花が引き受けることになり、麗華は誠一郎の心が戻らないと悟ると、再びイギリスへ帰ったという。 全てが静けさを取り
「もう必要ないの、誠一郎」 「この家には君が必要だ。俺も、真白も、もう君なしではいられない……」 「じゃあ、あの日のオフィスでのことは何だったの?」 私は冷たく言い放った。 「……あの日は、麗華が真白に会いたいと言ってきたんだ。彼女は真白の実の母親だし、会わせない理由もなかった」 その言葉に、私の中の怒りが抑えられなくなる。 「それで、君たちはオフィスで何もしていなかったとでも?」 そう問い詰めると、彼は一瞬、動きを止めた。 まさかそんな質問をされるとは思っていなかったようだった。 長い沈黙の後、彼は小さな声で言った。 「ごめん……俺は……」 次の瞬間、彼は膝をつき、頭を下げた。 「雪乃、お願いだ。一度だけでいい、俺に会う機会をくれないか?明日、時間をくれれば、それでいい」 私はため息をつき、疲れた声で答えた。 「いいわ。でも、それを最後に、私に近づかないで」 翌日、彼は私を車で遊園地に連れて行った。 遊園地では、風船や綿菓子、りんご飴――私がかつて好きだったものをたくさん買い与えられた。 だけど、心は何も動かなかった。 「女の子扱い」は誰だって嬉しいものかもしれない。 でも今の私は、ただ家に帰りたかった。 外の風は冷たく、私の心をさらに沈ませる。 その日、私は彼の計画通りに一日を過ごし、まるで操り人形のように従った。 驚いたことに、それから彼は毎日のように私を探しに来た。 会社の下で、真白を連れて私が帰るのを待っている。 昼には、助手を使って手作り弁当を届けてきた。 夜遅くなっても車で送り迎えをし、会社であった出来事を話してくる。 けれど、私はすべて断った。 さらに、毎日薔薇の花束がオフィスに届けられるようになった。 きっとこんなことは、若い女の子なら喜ぶだろう。 でも、私にはもう響かない。 むしろ、それが負担に感じられるようになっていた。 寒い冬のある日、私は彼を呼び出した。 彼は喜び、ようやく私が受け入れる気になったと思ったようだった。 酒場で向かい合った彼を見つめる。 そして気づく。彼は昔と何も変わっていない。 アルコールの力を借りて、私は溜め込んでいた言葉を吐き出すことにした。 「誠一郎、ねえ、知ってる?私は本当に
凛花からのメッセージで、私はようやく我に返った。 「お姉さん、今どこにいるの?」 「大したことないわ。ちょっと旅行に出てるだけ」そう返事を送った。 しかし、次に送られてきたメッセージは私の心を揺さぶった。 「早く帰ってきて、真白がご飯を食べないのよ。ずっとあなたを探してる」 そして、一緒に添えられた音声メッセージ――真白の声だった。 「ママ、帰ってきてくれる?本当に会いたいの……おばさん、全然優しくないの。ママと一緒にいたい……」 その声を聞いた瞬間、涙が止めどなく溢れてきた。 「真白……ママも会いたいわ……」 私は慌ててタクシーを拾って、駅へと向かった。 最も早い便を予約して、彼女たちが待つ街へ飛んだ。 そして、あの家の前に立った時――ドアが開いた。 「お姉さん、やっと帰ってきてくれた!」 凛花が勢いよく私を中に引き入れる。 真白も駆け寄り、私の腰にしがみついた。 「ママ!ママが来た!」 驚いたのは、誠一郎までそこにいたことだった。 彼は私を見つめていて、その表情にはどこか疲れた様子が漂っていた。 以前より痩せた気がする。 彼は静かに言った。 「おかえり」 何と答えればいいのか分からず、私は短く返事をした。 「ありがとう」 家の中は綺麗に飾り付けられていた。 カラフルな風船が吊るされ、床にはキャンドルが並び、テーブルには花が飾られている。 ソファに腰を下ろすと、凛花が水を持ってきてくれた。 「お姉さん、こんなに長い間帰ってこなかったけど、みんなお姉さんに会いたかったのよ」 そして、誠一郎が私に向かって跪いた。 ここで6年間共に暮らしてきたこの家で――彼は私にプロポーズをした。 夜風が窓から入り込み、カーテンを揺らしている。 目の前にはかつて私が全てを捧げた誠一郎がいて、この家には私が夢見ていた全てが詰まっている。 彼は片膝をつき、ダイヤの指輪を掲げて言った。 「もう一度チャンスをください。俺と結婚してほしい」 だというのに、私の頭に浮かんだのは――月島麗華の名前だった。 誠一郎の目には深い想いが宿っている。そして真白が声を上げた。 「パパとママがずっと一緒にいてほしい!」 凛花も言葉を続ける。 「お姉さん、この家にはあ
久しぶりに自分の家でぐっすり眠った。 これまで、真白を学校に送ったり、家事に追われたりする日々が続いていたけど、今はひとり。自由な時間がたっぷりある。 でも、親友の露花だけはそんな状況を良しとしていなかった。 「男なんて泡沫みたいなもんよ。しっかり働いて、自分の人生を大事にするのが一番!」 そう言って、私は彼女に強引に会社へ引っ張られた。 「人手が足りないから、数合わせでもいいから働いて!」なんて言いながら。 私の上司は若い男性だった。入社して数年で部長に昇進した実力者らしい。 久しぶりの会社勤務で戸惑っていた私に、彼は親切に社内を案内してくれた。 その柔らかな笑顔を見ていると、高校時代に戻ったような気分になった。 かつての誠一郎もこんなふうに笑っていた。春風のような笑顔――ただし、その笑顔はいつも麗華にだけ向けられるものだった。 他の誰かがそれを享受することなんてなかった。 結婚してからは、私に対して笑顔を向けることはほとんどなくなった。 そんなある日、私はついに誠一郎から離婚届を受け取った。 彼がそれを手渡す時、何か言いたげだったけれど、言葉にはならなかった。 「何か?」と私が直接聞くと、彼は少し口を開いた。 「いや……その……」 彼の言葉を遮るように、私はその場を離れた。 麗華が戻ってきたあの日から、どれだけ努力しても誠一郎の心を動かせないことは分かっていた。 だから、これ以上時間を無駄にする意味なんてない。 歩いていると、背後から私を呼ぶ声がした。振り返ると、そこには彼の妹――凛花(りか)の姿があった。 凛花は昔から私と仲が良かった。高校時代も同じ部活に所属していた仲だ。 「お姉さん、私ついさっき海外から戻ったばかりなの!お祝いにご飯奢ってよ!」 そんな風に冗談めかしながら、近くのレストランへ私を連れて行った。 席につくと、凛花は真剣な表情で問いかけてきた。 「ねえ、お姉さん。本当に兄さんと離婚しちゃうの?」 その口調は疑問文だったけど、信じられないというニュアンスが含まれていた。 私は静かにうなずくだけだった。 すると、彼女は悔しそうに顔をしかめた。 「なんでよ!月島みたいな小賢しい女のせいで?彼女が戻ってきたら絶対何か問題が起きると思った!」