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少女のまま、風に攫われて

少女のまま、風に攫われて

By:  アイちゃんCompleted
Language: Japanese
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4歳のとき、私と弟の鈴木竜之介(すずき りゅうのすけ)は溺れて、私だけが助かった。それから母は、私のことを憎むようになった。 夜になると、母は何度も「あめ」を持って、私に無理やり食べさせようとした。でも、そのたびに父が止めてくれた。 その後、私は長い髪をばっさり切って、可愛いワンピースも着なくなった。竜之介のかわりになろうと必死だった。そうしたらやっと、母は私に目を向けてくれるようになった。 それから3年後、母のお腹にまた赤ちゃんができた。「死んだ竜之介が帰ってくる!」って彼女は大喜びだった。 母が喜んでいるのを見て、私も嬉しかった。竜之介が帰ってくるんだ。本当によかった…… じゃあ、このお家にもう、私っていう代わりの子は必要ないんだ。 私は、昔、母が飲ませようとしたあの「あめ」を見つけだして、静かに飲み込んだ。

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Chapter 1

第1話

4歳のとき、私と弟の鈴木竜之介(すずき りゅうのすけ)は溺れて、私だけが助かった。それから母は、私のことを憎むようになった。

夜になると、母は何度も「あめ」を持って、私に無理やり食べさせようとした。でも、そのたびに父が止めてくれた。

その後、私は長い髪をばっさり切って、可愛いワンピースも着なくなった。竜之介のかわりになろうと必死だった。そうしたらやっと、母は私に目を向けてくれるようになった。

それから3年後、母のお腹にまた赤ちゃんができた。「死んだ竜之介が帰ってくる!」って彼女は大喜びだった。

母が喜んでいるのを見て、私も嬉しかった。竜之介が帰ってくるんだ。本当によかった……

じゃあ、このお家にもう、私っていう代わりの子は必要ないんだ。

私は、昔、母が飲ませようとしたあの「あめ」を見つけだして、静かに飲み込んだ。

「あめ」は口の中で溶けると、苦味が広がり、私は思わず身を屈めてえずいた。胃から上がってきた酸っぱい液体が唾液と混ざり、口元までこみ上げてきた。

これは3年前に、母がクローゼットのいちばん奥に隠してたもの。あのころ、彼女はよく夜中に私のベッドのそばに座って、うつろな目でこう言った。

「どうしてまだ死んでくれないの?」

今、私は母のあのときの願いを、叶えてあげるんだ。

私は男の子用の制服を着ている。襟のところは擦り切れていた。これは竜之介が生きてたときに着ていたお古だけど、とっくに小さくなってた。

でも、母が言ったんだ。ずっとこれを着ていないと、竜之介みたいに見えないでしょって。

リビングから母の笑い声が聞こえてきた。聞いたこともないくらい、やさしい声だった。

彼女はお腹をさすりながら、父に話しかけていた。

「お医者さんがね、今度こそ男の子だって。すごく順調みたいよ」母の声は甘ったるかった。「もう……絢香(あやか)の顔を見なくてすむんだから」

私は最後に、母の笑った顔が見たかった。

ドアのところまで行くと、父が私に気づいた。彼は眉をひそめて言った。「絢香、宿題はいいのか?」

父の視線が私の制服をかすめて、まるで何か見てはいけないものでも見たみたいに、すぐに逸らされた。

母が振り向いて私を見ると、笑顔がぴたりと固まった。「誰が出てきていいって言ったの?また髪が伸びてるじゃない?竜之介みたいに坊主頭にするって言ったでしょ?」

彼女はつかつかと歩み寄ってきて、私の頭を指で強く突いた。「本当に言うことを聞かないんだから。龍之介が生まれたら、あの子をいじめるようなことがあったら、足の骨を折ってやるから」

私は少し後ろに下がった。突かれたおでこが赤くなって、ひりひりと痛んだ。

お腹の中の「あめ」が溶け始めたみたいだった。お腹がずきずきと痛みだして、私はたまらず腰をかがめた。

父が支えようとしてくれたけど、母が父の手を制した。「触っちゃだめよ。同情を引こうとして、仮病を使ってるのかもしれないから」

私は唇を噛んで、何も言わずに、ゆっくりと自分の部屋に戻った。

一歩進むたびに、お腹の中をナイフでえぐられるみたいに痛かった。手足がしびれ始めて、ドアの枠を掴んでいる手まで震えていた。

ベッドに横になると、体が勝手にけいれんし始めた。

部屋のドアが開いて、父が水の入ったコップを持って入ってきた。

彼はコップをベッドの横に置いて、しばらくためらってから言った。「絢香、お母さんは妊娠中で、気持ちが不安定なんだ。だから、あまり気にするな」

私は首を振ったけど、か細いうめき声しか出なかった。父の姿が、だんだん二重に見えてきた。

父はため息をついて、最後に私の布団をかけ直してくれた。「おやすみ。明日になったらよくなるから」

彼はドアを閉めて出ていった。周りがしいんと静まり返った。

私は枕の下から、おもちゃのミニカーを取り出した。竜之介が生きていたとき、いちばん好きだったものだ。

ミニカーのペンキはほとんど剥げているけど、私は毎日ぴかぴかに磨いていた。

母に、これは竜之介のものだから大切にするって言われていた。この前クラスの子に取られたときは、殴られても必死で取り返したんだ。

だんだん目の前がかすんできた。私はミニカーをぎゅっと胸に抱きしめて、そっと目を閉じた。

お母さん、もうすぐ龍之介が帰ってくるよ。私という代わり者を見て、もうつらい思いをしなくていいんだよ。

それで、よかった。

……

だんだん、痛みがなくなっていくのを感じた。

風に吹かれたたんぽぽの綿毛みたいに、ふわりと宙に浮かんだ。ベッドに横たわる、あの小さな体がはっきりと見えた。

制服はくしゃくしゃのまま。顔は紙みたいに真っ白で、唇が気味の悪い紫色をしていた。口の端には拭ききれなかった胆汁がついていて、手にはまだあのミニカーを握りしめていた。

母がドアを開けて入ってきたとき、私は自分の手を見つめていた。

私の手は透き通っていて、日の光が通り抜ける。その向こうに、竜之介の写真が見えた。

母はベッドの私には目もくれず、まっすぐ机に向かった。そして竜之介の写真を手に取って何度も何度も拭きながら、こうつぶやいた。「竜之介、今日は新しいゆりかごを買いにいくのよ。青と黄色、どっちの色が好き?」
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第1話
4歳のとき、私と弟の鈴木竜之介(すずき りゅうのすけ)は溺れて、私だけが助かった。それから母は、私のことを憎むようになった。夜になると、母は何度も「あめ」を持って、私に無理やり食べさせようとした。でも、そのたびに父が止めてくれた。その後、私は長い髪をばっさり切って、可愛いワンピースも着なくなった。竜之介のかわりになろうと必死だった。そうしたらやっと、母は私に目を向けてくれるようになった。それから3年後、母のお腹にまた赤ちゃんができた。「死んだ竜之介が帰ってくる!」って彼女は大喜びだった。母が喜んでいるのを見て、私も嬉しかった。竜之介が帰ってくるんだ。本当によかった……じゃあ、このお家にもう、私っていう代わりの子は必要ないんだ。私は、昔、母が飲ませようとしたあの「あめ」を見つけだして、静かに飲み込んだ。「あめ」は口の中で溶けると、苦味が広がり、私は思わず身を屈めてえずいた。胃から上がってきた酸っぱい液体が唾液と混ざり、口元までこみ上げてきた。これは3年前に、母がクローゼットのいちばん奥に隠してたもの。あのころ、彼女はよく夜中に私のベッドのそばに座って、うつろな目でこう言った。「どうしてまだ死んでくれないの?」今、私は母のあのときの願いを、叶えてあげるんだ。私は男の子用の制服を着ている。襟のところは擦り切れていた。これは竜之介が生きてたときに着ていたお古だけど、とっくに小さくなってた。でも、母が言ったんだ。ずっとこれを着ていないと、竜之介みたいに見えないでしょって。リビングから母の笑い声が聞こえてきた。聞いたこともないくらい、やさしい声だった。彼女はお腹をさすりながら、父に話しかけていた。「お医者さんがね、今度こそ男の子だって。すごく順調みたいよ」母の声は甘ったるかった。「もう……絢香(あやか)の顔を見なくてすむんだから」私は最後に、母の笑った顔が見たかった。ドアのところまで行くと、父が私に気づいた。彼は眉をひそめて言った。「絢香、宿題はいいのか?」父の視線が私の制服をかすめて、まるで何か見てはいけないものでも見たみたいに、すぐに逸らされた。母が振り向いて私を見ると、笑顔がぴたりと固まった。「誰が出てきていいって言ったの?また髪が伸びてるじゃない?竜之介みたいに坊主頭にするって言ったでしょ?」
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第2話
母は部屋を出ようとして、うっかりベッドの脚をけっちゃった。そのせいでやっと、彼女はベッドの私に目をやった。そして、いらいらしながら眉をひそめて言う。「まだ寝てるの?もうおひるよ。さっさと起きて朝ごはんを作って。私と腹の子を飢えさせるつもり?」私は母の前に浮かんで、話しかけてみる。でも、彼女には聞こえない。部屋を出ていき、子守唄を口ずさんでいた。リビングから、父が卵をかき混ぜる音と、母の念押しの声が聞こえてきた。「砂糖をたっぷり入れてあげて。竜之介は昔から甘いのが好きだったでしょ」私はキッチンの入り口まで浮かんでいった。父がホットケーキをお皿に盛りつけているのが見えた。ハートの形をしてる。昔は私も、こういうホットケーキが大好きだった。でも竜之介がいなくなってから、父は丸い形しか作らなくなったんだ。ハート形が好きな人はもういないからって言ってた。母はお皿を受け取ると、なにか宝物でもお供えするみたいに、そっとテーブルの真ん中に置いた。「絢香を起こしてご飯を食べさせて」母は父に言った。その声には、いらいらがにじみ出ていた。「彼女のせいで、ゆりかごを買いに行くのに遅れたくないの」父は手に持っていた牛乳を置いて、私の部屋に向かった。私は父の後ろについていった。彼はベッドのそばに立って、手を伸ばしかけては、ためらって。そして最後は、そっと布団の上に手を置いた。「絢香、起きる時間だぞ」父の声は優しかった。「今日はみんなでゆりかごを買いに行くんだ。一緒に行かないか?」ベッドの私は、ぴくりともしない。父の指がかすかに震えて、もう一度私の肩をゆすった。「絢香?」リビングから母の声がした。「何をもたもたしてるの?絢香、また寝たふりしてるんじゃない?」彼女は大股で部屋に入ってきて、ベッドのそばで固まっている父を見て、すぐにカッとなった。「やっぱり寝たふりよ!私たちが龍之介にゆりかごを買ってあげるのが、いやなんでしょ!絢香は放っておくよ。ゆりかごを買いに行くのよ。龍之介が待ってるんだから」でも父は動かなかった。ベッドに横たわる私を見ながら、声を震わせて言った。「絢香も俺たちの子供だ」「違うわ!」母は叫んだ。「私の子供は竜之介だけ!絢香は竜之介を殺した人殺しよ!」母は机の上の写真立てを掴むと、床に叩きつけた。ガラスの破片が、父の手を
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第3話
昔、母は竜之介の誕生日になったら買ってあげるって言った。でも、その誕生日が来る前に、彼はいなくなっちゃったんだ。今になって、そのゆりかごがやっと届いた。そして、ゆりかごの小さな持ち主も、もうすぐ別の形で帰ってくる。母が、ふと何かに気づいたみたいに顔をあげて、私の方を見た。私は急いで天井にふわっと浮かんだ。母は、誰もいないリビングをちらっと見て、少し眉をひそめた。でも、またすぐうつむいて、ゆりかごを揺らし始めた。「竜之介、お母さんはあなたが帰ってくるのを待ってるからね」母はささやいた。「もう二度と、あなたを離したりしないから」私は母の横顔を見ていたけど、不思議と悲しい気持ちはなかった。母はやっと、大好きな竜之介に会えるんだ。私っていう代わり者は、もう完全に消えていい頃だよね。こうすれば、みんな幸せになれるんだ。3日目の朝。玄関のドアを、まるで叩き壊すみたいに、誰かが激しくノックした。私がリビングまで行ってみると、母がいらいらしながらドアを開けた。ドアの前には、学校の担任の山本先生が立っていた。「鈴木さん」山本先生は真剣な顔をしていた。「絢香ちゃんがもう3日も学校に来ていないんです。お電話しても誰も出られなかったので、心配になって来てみました」彼女は家の中をのぞきこんで、「絢香ちゃんはおうちにいますか?」と聞いた。母の顔つきが、さっと険しくなった。山本先生が家に入れないようにドアの前に立ちはだかる。「家にいますよ。ただ、わがまま言って学校に行きたくないだけなんです。先生、気にしないでください。あとで、私がよく言っておきますから」「わがままなんかじゃありません」山本先生は眉をひそめた。「先週、他の生徒から聞いたんです。絢香ちゃんが学校でいじめられているって、服をむりやり脱がされたり、冷たい水をかけられたりしたそうです。どうすればいいか、あなたと相談したかったんですが、ずっと連絡がとれなくて……」母は、まるで尻尾を踏まれた猫みたいに、いきなり声を荒げた。「そんな子供の言うこと、真に受けないでください!どうせ絢香が悪いから、自分からちょっかい出したに決まってます!あの子は小さい時から性根が腐ってるんですよ。彼女の弟を殺しておいて、今度は学校で可哀そうなふりをして同情を買おうだなんて、ずいぶんと図々しい子ですよ!」
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第4話
「絢香?」父は震える声で私を呼んだ。そして私の首の脈を確かめると、その場にへなへなと座り込んだ。母は彼の様子にぎょっとして、私に近寄ってきた。鼻先に手をかざして息を確認すると、手がぶるっと震えて、よろけて倒れそうになった。「うそ……ありえない」母はつぶやきながら、私の顔をじっと見つめた。「演技よ、きっと死んだふりをしてるんだわ!」父が震える手でスマホを取り出し、救急車を呼ぼうとすると、母が飛びついてスマホを奪った。「だめ!電話しちゃだめ!」声は涙で震えている。「彼女が死んだなんて知られたら、私たちが虐待してたって言われるわ!まだ生まれてもいない竜之介に、親の罪を着せるような真似は絶対に許されない!」「絢香は俺たちの娘だろう!」父は怒鳴った。母にあんな大声を出すなんて初めてだった。「彼女を見ろよ!まだ7歳なんだぞ!なんてひどいことを言うんだ!」彼は母を突き飛ばし、119番に電話をかけると、声を詰まらせながら住所を告げた。母は床に座り込んだまま、ベッドの私を見つめて、わっと泣き出した。今までの怒りに満ちた泣き方とは違う。それは絶望したような、まるで迷子の子供みたいな泣き声だった。「わざとじゃないの」母はつぶやいた。「ただ、竜之介に会いたくて……絢香が、竜之介の代わりに生きてくれるって、そう思ってたのに……」私は二人のそばを漂いながら、その光景を見ていた。父は目を真っ赤にして私に布団をかけてくれる。母は私の手にすがりついて、息もできないほど泣いている。私の心は、とても穏やかだった。憎しみも、恨みもなにもない。まるで、風が湖の水をなでていったみたい。小さな波紋が広がって、すぐにすーっと消えていく。そんな感じだった。救急車のサイレンがだんだん近づいてきた。そのとき、母が急に立ち上がってリビングへ走っていく。そして、あの青いゆりかごをベランダの棚に隠した。戻ってきた母の顔には、まだ涙の跡が残っていた。でも、父にはこう言った。「竜之介のためにゆりかごを買ったことは、お医者さんには言わないで。変に勘繰られるから」父は何も言わず、ただ黙って彼女を見つめていた。そこへ救急隊の人が入ってきた。彼らは私の体を診察すると、静かに首を横に振った。そして父に言った。「ご愁傷様です。お子さんは亡くなられてから数日経っています。おそらく、薬物に
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第5話
救急隊の人たちは、私の体を病院の霊安室に運んだ。父と母は、魂が抜けたみたいに、とぼとぼとそのあとをついていった。病院の廊下は長くて、ライトは青白かった。疲れきった二人の影を映して、なんだかとても寂しげに見えた。宙に浮かびながら、父が私の体を抱きしめて、子供みたいに泣いているのを見ていた。父は私の顔を撫でて、何度も私の名前を呼んだ。「絢香、お父さんが悪かった。ずっと黙っていてごめんな。君にこんなに辛い思いをさせて……」母は床にひざまずいて、私の足にすがりついてきた。涙がぽたぽたと服に落ちる。「絢香、お母さんを許してちょうだい。わざとじゃないの。ただ竜之介に会いたすぎて……帰ってきて。ワンピースも買ってあげる。髪も伸ばしていいから。あなたのしたいこと、何でもさせてあげる。もう無理強いはしないから」悲しみに打ちひしがれている二人を見ても、仕返しできたっていう嬉しさは少しもなかった。ただ、どうしようもなく悲しいだけだった。もっと早く、二人がこうしてくれていたら、よかったのに。夜、父と母が家に帰ってきた。家は前と同じで、どこもかしこも竜之介の痕跡でいっぱいだった。リビングの壁には竜之介の写真が飾られ、本棚には彼のおもちゃが並び、私の部屋には彼のお古の服がまだ置かれていた。母は私の部屋に入ってくると、男の子の服を見て、突然わっと泣き崩れた。彼女は服をぜんぶ床に投げ捨てて、力いっぱい踏みつけた。「全部、こんなものが悪いんだ!私が、私が絢香をこんな目に遭わせたんだ!」父は黙って床に散らばった服を拾い上げると、きれいにたたんで、箱にしまった。彼は私の机の引き出しを開けて、鍵のかかった日記帳を見つけた。それはこの3年間、私の唯一の話し相手だった。父は鍵を探してきて、その日記帳を開いた。中の字は子供っぽくてぐちゃぐちゃだったけど、私の3年分の辛い気持ちと苦しみが書かれていた。【今日、またお母さんにぶたれた。ワンピースを着たから。竜之介に恥をかかせたって言われた】【クラスのみんなにまたいじめられた。私のこと、おとこおんな、化け物だって。すごく悲しい。でも、泣いちゃだめだから我慢した】【今日、お父さんがいちごのケーキを買ってきてくれた。ごめんって言ってくれた】【もう本当に疲れちゃった。髪を切りたくない。竜之介の服も着たくない
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第6話
学校が終わって家に帰ると、私の制服はほこりまみれだった。ひざのところは擦り切れて、血がにじんでいた。父はしゃがみこんで、そっと傷の手当てをしてくれた。父の手つきはとてもやさしくて、目が赤くなっていた。「絢香、つらかったな」「お父さん、私、本当の自分でいたいの」父の服のすそを掴んで、お願いするように言った。「スカートをはきたいし、髪も伸ばしたい。もう竜之介の代わりは嫌だよ」父の手が一瞬止まって、それからゆっくり首を横に振った。「もう少しだけ待ってくれ。お母さんの気持ちが落ち着いたら、お父さんがちゃんと話してあげるから」でも、待っても待ってもその日は来なくて、学校でのいじめはますますひどくなっていった。大輔と何人かの男の子が、いつも私につきまとった。私のことを「おかま」とか「化け物」って呼んで。ある日の体育の授業中、みんなは私をトイレに追い込んで、無理やり服を脱がしてきた。私が女の子だって証明したかったみたい。冷たいタイルが肌に触れた。私の悲鳴は、みんなの笑い声でかき消される。悔しくて、涙が止まらなかった。「ほら見ろよ、こいつマジで女じゃん!」大輔が私の上着をひらひらさせて、得意げにみんなに叫んだ。「うそつき!ずっと僕たちのことだましてたんだ!」私は必死に体を抱きしめて、床にうずくまった。体中がぶるぶると震えてた。体育の先生が通りかかったから、みんな慌てて逃げていった。でも、去り際に冷たい水をかけられた。「次に男のフリしたら、今度こそ丸裸にして校庭に放り投げてやるからな!」寒さで唇は紫色になっていた。びしょ濡れの体のまま、なんとか家にたどり着いた。そんな私の姿を見ても、母は心配するどころか、開口一番怒鳴った。「なんて恥知らずなの!人に服を脱がされるなんて!本当にみっともない!」「みんなが私をいじめたんだ……」寒さで歯がガチガチ鳴る中、私はなんとか説明しようとした。「どうして他の子じゃなくて、あなたが標的なの?」母は私の言葉をさえぎった。その目は、すごく嫌なものを見る目だった。「きっとあなたがだらしないから、隙を見せたのよ!竜之介みたいに強くしろって、何回言ったらわかるの!」母は手に持っていたはたきで、私のことを思いっきりぶった。「これで覚えて!竜之介の顔に泥を塗るんじゃないわよ!」私はよけなかった。はたきが
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第7話
夜、私は母のベッドのそばに浮かんで、やつれた顔を見ていた。なんだか、胸がちくりと痛んだ。お母さん、もうあなたのこと、恨んでないからね。あなたはただ、竜之介のことを愛しすぎてただけなんだって、わかってるよ。でも、その竜之介への愛し方が、私を傷つけたんだ。もし来世があるなら、もうあなたの娘にはなりたくない。母の気持ちはすごく不安定だった。お腹の赤ちゃんに影響が出ないように、入院して様子を見る必要があるって、医師が言った。私が母の病室に浮かんでいると、彼女はお腹を撫でながら布団に涙をこぼしていた。「龍之介、絢香は行っちゃった。お母さんは彼女に悪いことをしたわ」父はベッドのそばに座って、皮をむいたりんごを母に渡した。「これからは龍之介を大事に育てて、絢香にもよく会いに行こう。あの子にしてあげられなかったこと、全部埋め合わせをしなくちゃな」母はりんごを受け取って一口かじると、また涙をこぼした。「あの子のこと、ずっと竜之介の代わり者だと思ってた。でもいなくなって初めてわかったの。絢香は絢香、私の娘で、誰かの影なんかじゃなかったって」母は窓の外を見つめた。「あの日、私が彼女を叱った時、きっとすごくつらかったでしょ」私は窓のそばまで飛んでいって、外のプラタナスの木を眺めた。葉っぱは黄色く色づいて、蝶々が舞うみたいに、ひらひらと落ちていった。小さい頃、まだ竜之介が生まれる前の母が、よくここに遊びに連れてきてくれたことを思い出した。彼女は私を抱き上げて、木の葉っぱに手が届くようにしてくれた。「絢香は私の宝物よ」って、言ってくれたんだ。あの頃が、私のいちばん幸せな時間だった。それから何日か、母は安静にするために入院を続けて、父は病院と自宅を何度も往復し、付き添いと家事の両立に奔走した。彼は毎日家に帰ると、私の部屋を掃除して、人形の服を着せ替えたり、机に新しいお花を飾ったりした。まるで、この3年間私にしてあげられなかったことを、埋め合わせしようとしているみたいだった。父は学校に行って、私をいじめていた子たちを探し出して、私に謝るように言った。それから山本先生と話し合って、クラスのみんなが私のお葬式に来てくれることになった。お葬式では、クラスのみんなが泣いていた。私をいじめていた子たちも、目を赤くしていた。みんな
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第8話
なんだか、胸がきゅっと苦しくなった。母が、もっとはやくこうしてくれてたら、よかったのに。……退院した母は、私の部屋をぴかぴかに片づけてくれた。竜之介の写真はしまって、かわりに私が唯一、ワンピースを着ている写真を飾ってくれたんだ。あれは私の最後の誕生日に、和子おばあちゃんがこっそり撮ってくれた写真。彼女がくれたワンピースを着て、私はすごくうれしそうに笑ってた。母はその写真を勉強机の上に置いて、毎日きれいに拭いていた。それから、あの青いゆりかごも私の部屋に持ってきて、窓のそばに置いてくれた。「絢香」彼女はゆりかごをなでながら、やさしくささやいた。「これはね、もともと龍之介のために買ったの。でも、今はあなたにあげる。小さいころ、ゆりかごで寝かせてあげられなかったから、その埋め合わせよ」母は、ゆりかごにピンクのシーツをかけた。小さな花もようのししゅうがあって、和子おばあちゃんがくれたワンピースと、すごくお似合いだった。和子おばあちゃんは毎日うちに来てくれて、母のごはん作りを手伝ったり、話し相手になったりしてくれた。母に、私の学校での話をしてくれたんだ。私がどうやってクラスの子を守ったか、先生のお手伝いをしたがんばり屋だったかって。私が、とってもいい子だったって話してくれた。母はいつも真剣に聞いてて、涙をぽろぽろこぼしてた。そして、笑いながら、「うちの絢香は本当にいい子ね」って言ってた。そんな日々が過ぎていくうちに、母のおなかはどんどん大きくなっていった。彼女はよく私の部屋に座って、父とのこととか、私の小さいころのおもしろい話とかをしてくれた。そしてこう言ったんだ。「絢香、お母さんは昔、竜之介のことばっかり考えてて、あなたのことをほったらかしにしてた。お母さんがまちがってたって、今はわかるの。お母さんを、許してくれる?」私は、母のそばにふわふわ浮かんで、笑ってうなずいた。お母さん、私はとっくに許してるよ。今のあなたを見てると、私、すごくうれしいんだ。冬になって、母は男の子を産んだ。まんまるの目は、竜之介にも似てるけど、私にもそっくりだった。父は、その子に鈴木学(すずき まなぶ)って名前をつけた。母は学をだっこして、すごくやさしく笑った。「絢香、見て。あなたの弟よ。お母さんがこの子を大事に育てる
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