LOGIN「週末、経営者の大事なパーティーがある。家族同伴が必須なんだ。準備しておけ。詳細は執事に話をしておいた。俺は忙しいからいちいち連絡なんてしてこないでくれ」
朝、支度を終えて家を出る前に奏多がそっけない口調で私にそれだけ言うと、返事を聞く前に家を出て行ってしまった。
(パーティーに出席しろだなんて珍しい。一人での参加は断られたのかしら……)
結婚したばかりの頃に一度だけ出席をしたことがあるが、あの時は悲惨だった。
「ねえ、何?あの痩せ細った人は、病気かしら……。まだ若いだろうに可哀想そうに」
「やだ、パーティーだと言うのにアクセサリーも何もしてこないなんて……。誰もプレゼントしてくれないのね」
参加者たちの心ない声が私のところまでしっかりと聞こえてくる。その声は奏多にまで届き、怪訝そうな顔で声の主たちを睨みつけていた。奏多の鋭い視線に、女性たちは気まずそうに早足でその場を退散していった。
「お前はもうここにいなくていい。帰れ」
私の事を守ってくれたと思ったが勘違いだった。奏多は、そう一言だけ放つと、私の元を離れて赤の他人のふりをしたのだ。周囲がパートナーと腕を組んだり楽しそうに談笑している中で、私の隣には誰もいない。誰からも話しかけられることなく、冷ややかな嘲笑と視線だけが突き刺さっていた。
パーティーが終わった後に、次こそはちゃんとした格好で出席しようと私は僅かな貯金からパールのネックレスとピアスを買った。
しかし、奏多は私が笑い者になったことで自分も恥をかいたと屈辱を味わったと思ったようで、他の経営者が夫婦同伴で参加する中でも、私の存在を隠すように一人でパーティーに参加するようになった。せっかく買ったパールのアクセサリーは出番なくベッドサイドの引き出しに眠っている。
――――パーティー当日、髪を梳かしてドレッサーの前にいる私の顔は浮かなかった。
きっと周囲はドレスやお着物で綺麗に整えて眩いばかりの宝石を身に着けて出席するのだろう。だけど、私にはドレスも着物もない。クローゼットを開いて数少ない服の中から黒の長袖のロングワンピースを選んで袖を通した。
妊娠をしているから、もし転倒でもしてお腹の子に何かあったら一生後悔するだろう。悩んだ末に、ヒールの低い無地のパンプスを選んだ。
今日の朝も、奏多は何も言わずに家を出て行ってしまった。迎えの話もなければ、私の服装を気にかける言葉も一切ない。どうせ一緒に行くことなど毛頭にもないのだろう。
会場となるホテルの入口に着くと、ロータリーには高級車がずらりと列をなして、順番に綺麗に身なりを整えた貴婦人たちが夫にエスコートされながら車から降りてくる。その姿を横目にひっそりと一人で会場へと入った。
「ねえ、やだ……あの人、お葬式会場と間違えてここにきたのかしら。真っ黒な服にパールなんて礼服じゃない」
「本当、なんだか縁起が悪いわね……靴やバックも地味だし、あら、顔も地味だわ。メイクしているのかしら」
私が唯一持っているフォーマルなワンピースを喪服呼ばわりされ、手に持っている小物を馬鹿にする声が聞こえてくる。居場所をなくして会場の端でひっそりしていると、会場の入口のドアが勢いよく開き、その圧倒的なオーラに周囲の視線が一気に集まった。
「ねえ、見て。住吉奏多さんよ。一緒にいるのは奥様かしら。やっぱり住吉家の奥様ともなると存在感が違うわよね。とても綺麗だわ」
(奏多……?それに奥様ってどういうこと?)
皆が話す方へ視線を向けると、スーツに真っ赤なネクタイをした奏多と深紅のふんだんにフリルのついた豪華なドレスを着て、堂々と奏多の隣に立つ麗華の姿があった。
(私がいるというのに、奏多は私じゃなくて麗華を迎えに行ってこの会場に来たの?それにあの服も、敢えて色を揃えたの?)
注目を浴びながら二人は堂々と周りに挨拶をして会場を闊歩している。その姿に、住吉家の妻は麗華だと誰もが思ったことであろう。
二人が会場の奥まで来ると、私の姿に気がついた麗華が馬鹿にするように鼻で笑ってから奏多の肩をツンツンとつつき奏多にこちらを見るように促していた。奏多は、私の姿を見ると苦虫を噛みつぶしたような嫌悪感に満ちた目でこちらに視線を投げた。
「なんだその地味な格好は。やっぱりお前を呼んだのは間違いだったな」
「奏多、そんなこと言ったら遥さんが可哀想よ。彼女にドレスコードなんて敷居が高すぎて分からないわよ。きっと遥さんの中で、一番の服装をしてきたんだから許してあげて」
「……そうだな。所詮、家政婦あがりの女にはこんな場所の服装なんて分からないか」
麗華は私をフォローするふりをして、マウントを取るように馬鹿にしながら笑ってくる。しかし、男の奏多にはそのマウントが分からないようで納得して同調してきたのだった。
「でもさすがにその地味な靴はないわね。貧乏くささが滲み出てしまうわ。服がなくてもピンヒールでも履いて高価なアクセサリーをつければ、それなりになるのに」
奏多が納得したことで麗華は勝ち誇ったようにとどめを刺してきた。今日の麗華は、八センチはあるであろうピンヒールと右手の指先には大ぶりのルビーの指輪、左手の薬指には一粒の二カラットちかくあるダイヤモンドの指輪とシンプルなプラチナの指輪を重ねづけしていて、婚約指輪と結婚指輪のようだった。
(私は、お腹の子のことを思ってヒールの低い靴にしたのに。あなたも妊婦なんでしょ……散々、流産しそうだって騒いでいたのによくそんな高いヒールが履けるわね)
屈辱で全身が震えあがっている。そして、司会者の一言がさらに私を奈落の底へと突き落したのだった。
「本日は、弊社会長の古希を祝う会にお集まりいただきありがとうございます。主役である会長の強い要望により、これからダンスタイムを設けさせて頂きます。みなさまも是非、大切なパートナーとお手を取って参加をお願い致します」
そう言うと、奏多は当たり前のように麗華の前に手を伸ばし、麗華も奏多の手をしっかりと握り、中央のダンススペースの輪の中へと入って行った。
奏多が軽く麗華の腰に手を添えると、麗華は身体を必要以上に密着させて二人は見つめ合いながら優雅にステップを踏んでいる。
「やっぱり奏多さんと奥様、華があって素敵よね」
周りから聞こえてくる声に反論せずに黙っていると、どこからか意地の悪い声が聞こえてきた。
「あら、やだ。一緒に踊っているのは奥様じゃないわよ。本当の配偶者は、あの黒い服の人よ」
「あんなみすぼらしい女性が嘘でしょ?」
失笑と冷たい視線が一斉に私に向けられる。
(奏多の大切なパートナーは麗華だと言うの?それを見せつけるために、わざわざ私を呼びつけたというの?馬鹿みたい!!!)
このパーティーで私にいて欲しいと思う人は誰もいない。周囲の罵倒や失笑を感じながら、奏多や麗華の姿を見ているなんてもう懲り懲りだ。
私は、ひっそりとパーティー会場を後にして家へと戻って行った。
遥side「実は、お二人にお話をしなくてはいけないことがあるのですが……」この日、日本に帰国している月島直人とのミーティングを終えて都内のホテルで三人で食事をしていたが、終盤に差し掛かった頃、直人はそれまでの穏やかな表情を一変させ、背筋を正してカトラリーを置いて、真剣な眼差しで私と俊を交互に捉えた。「どうしたんだい、直人。そんなに改まった顔をして。ハリーから何か無茶な注文でも届いたのかい?」俊が冗談めかして言ったが直人さんの表情は晴れない。私も思わず背筋を伸ばし、手にしていたデザートフォークを静かにプレートに置いた。「いえ、ハリーのことではありません。……実はハリーには既に承諾を得ているのですが、私の家業である月島銀行において、少々厄介な問題が浮上しまして。主要取引先の一つの経営状況が急激に悪化し、放置すれば父の銀行の経営判断にも影響を及ぼしかねない事態になっているんです。そこで、私が月島銀行の社外役員に就任し、外部の視点から経営改善のサポートを行うことになりました」「……それは大変だね。でも君のような優秀な人材が加われば、銀行側も心強いだろう。二足の草鞋を履くことになるが、月島さんほどの人なら両立も出来るでしょう」俊が信頼を込めて労うと、直人さんは少し照れ臭そうに視線を落としたが、すぐにまた強い光を宿して私を見つめた。「ありがとうございます。それ
奏多side「社長、月末に広告代理店の経営者のパーティーが開かれるそうで招待状が届きました。前日より出張が入っており、こちらに戻ってくるのは夕方になる予定です。お疲れでしょうし、他の者に出席させましょうか?」「いや、大丈夫だ。俺が出席する。スケジュールに入れておいてくれ」秘書の佐藤が、俺を気遣って代理出席を提案してきた。最近の俺のスケジュールは過密を極めている。しかし、その申し出を断り出席する旨を伝えた。「……そうですか。承知いたしました」佐藤は一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに深く一礼して部屋を出ていった。 かつての俺なら、こうしたパーティーは時間の無駄だと切り捨てて、すぐに断っていただろう。それが今では積極的に参加をするなんて自分でも呆れて笑ってしまう。すべては、半年前のあの夜、遥に再会してしまったのが原因だ。四年間、彼女が向かいそうな場所を懸命に探しても消息は一切掴めなかった。それが、まさか日本を代表する名士が集うあのパーティーの場で、東宮俊の隣に寄り添う妹の「東宮遥」として現れるなんて、悪い冗談だとしか思えなかった。(なんであの場で遥に会うんだ。そもそも、なんで遥は離婚なんて言いだしたんだ。俺は、あいつが望む通り、報酬だってちゃんと渡していたじゃないか。遥にだけじゃない、遥を育てた岡田にも毎月、多額の仕送りを送っていたんだ
遥side一ヶ月後、都内にある外資系ホテルの最上階には、午後の柔らかな陽光が会議室に差し込んでいた。東宮グループとハリー氏率いるプロジェクトチームの合同会議が開催された。このビッグプロジェクトの成功のためには、密な連携と信頼が不可欠だ。本格的な実務が始まればWEBでのやり取りが中心となるが、キックオフとなる今日は「まずはみんなで顔を合わせ、互いのことを知ろう」というハリー氏の計らいで、彼の来日スケジュールに合わせた対面会議が実現したのだった。「俊、遥!紹介するよ。このプロジェクトの日本側の責任者を務める月島直人だ。僕がオフィスで最も信頼を置いていると言っても過言ではない。今後の実務的なやり取りは、すべて月島を通して進めてもらえるかな」ハリー氏が誇らしげに隣の男性を紹介してくれた。年齢は俊と同じくらいだろうか。清潔感のあるツーブロックに整えられた髪、そして仕立ての良いスーツの上からでも分かる、ラガーマンのように逞しく厚い胸板と肩のラインが印象的だ。くっきりとした二重に高い鼻が目を引く端正な顔立ちで知的な眼差しの中に、どこかエネルギッシュな雰囲気を纏っていた。「初めまして、月島直人です。この偉大なプロジェクトに携われることを光栄に思います。ハリーのビジョンを東宮グループの皆様と共に形にするために最大限の力を尽くします。必ず素晴らしいものを完成させましょう」「月島さん、初めまして。東宮サイドの責任者を務める東宮俊です。隣にいるのは、会計部門の責任者である東宮遥。我々にとっても、このプロジェクトはグループの未来を左右する重要事項です。共に歩んでいけるこ
遥side国際会計士組合の会合当日、同じく資格を持つ俊と一緒に東宮家の車に乗り会場へと向かった。緊張している私に、隣に座る俊が優しく話しかけてくる。「緊張しているようだね。でも、あのハリー氏から話がしたいと言われるなんて凄いよ。僕も挨拶をしたことはあるけれど、ゆっくりと話をするのは初めてなんだ。これも遥のおかげだね」「そんな……でも、私もとても嬉しいの。こんな恵まれた機会はないわ……緊張はしているけれど、それ以上に、ハリー氏の思想やビジネスへの心構えを聞けることが楽しみで仕方ないの」「遥、とてもいい顔をしているね。今の遥は、誰よりもこの場に相応しいよ」会合が開催された都内の高級ホテルの大広間は、知性と野心が静かに交錯し独特の熱気に包まれていた。かつて住吉家のキッチンで誰にも気づかれないように参考書を開いていた頃の私には、ここが同じ日本だとは到底信じられないほど煌びやかで厳かな社交場だ。俊が誇らしげに微笑んだその時、会場が微かにどよめいた。世界的な経営者のハリー・ボンド氏が姿を現したのだ。ハリーは大勢の関係者を連れて歩いていたが、俊を見つけると親しげな笑みを浮かべてこちらへと歩み寄ってきた。「俊! また会えて嬉しいよ。……隣にいるのが『東宮家の宝』と呼ばれる噂の令嬢かな?」
遥side東宮家が私を正式に実子だと認めたことで、その日を境に私の日常を取り巻く景色は文字通り一変した。かつては住吉家の片隅で息を潜めるように暮らしていた私が、今や東宮家の至宝として、あらゆるメディアの標的となったのだ。屋敷の鉄門の前には、連日、私を一目見ようとする記者やパパラッチたちが張り付くようになった。窓の外から聞こえるシャッター音や、遠くでフラッシュが光っている。「今や遥は、一気に時の人だね。日本中の名家が君との縁談を狙っているよ」テラスで紅茶を淹れてくれながら、俊が少し愉快そうに言った。「私は……別に目立ちたくて戻ってきたわけじゃないわ。ただ、花蓮と静かに暮らせればそれで良かったのに」「いや、遥。今の状況は、君にとって必ずプラスになるよ。それに、東宮家の大切な令嬢であることを公表したことで、かつて君を傷つけ、誘拐まがいのことをした連中も、もう下手に手出しはできない。周囲の目が監視役にもなって、君と花蓮を守る役割も果たしているんだ。もちろん、警備は今まで以上に手厚くするけどね」俊は私の手元にあるティーカップに視線を落としてから、低く力強い声で続けた。「住吉奏多だって、今頃は遥の芯の正体を知って驚いているんじゃないかな。あんな低俗な嫌がらせ記事を出そうとしたこと自体、東宮家への宣戦布告と取られても文句は言えない。万が一、今後も
奏多side会社に行くと社長室の前で、秘書の佐藤が俺の到着を待ち侘びるように入口に立って待機していた。いつもは冷静沈着な佐藤の眉間には深い縦皺が刻まれている。「……おはようございます、社長」佐藤は俺に続いて部屋に入ると、俺が椅子に座るのも待たず、デスクの上に一冊の週刊誌を静かに置いた。「佐藤、これはなんだ。」「……まずはこちらを先にお読みください。そのうえで改めてご説明いたします」置かれた週刊誌を手に取ると、表紙には、大きな文字で『東宮家』というタイトルが踊っている。(東宮家……? この前、遥と一緒にいた男は東宮家の人間だったな。遥と何か関係があるのか?)佐藤が事前に貼ったと思われる付箋のページを開いた瞬間、俺の思考は停止した。視界に飛び込む活字が俺の脳内を掻き乱した。【独占公開:秘密裏にされていた東宮家の令嬢、ついに公の場に登場。圧倒的な美貌と品格で周囲を魅了】紙面の二ページを大胆に割いた特集記事。そこには、顔に薄く加工がなされているものの、パステルブルーのドレスに身を包む女性は紛れもなく遥







