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5.決意

last update publish date: 2025-12-27 19:05:05

遥side

―――――目が覚めて気がついた時には、真っ白な天井が映し出され、腕には点滴がされていた。

(ここは……森本医師の病院だわ。お腹の子は、大丈夫なの?)

しばらくするとドタバタと大きな足音が聞こえて、森本医師が慌てた様子で部屋に駆け込んできた。

「遥さん?大丈夫ですか?気分は悪くない?」

「先生、赤ちゃんは?私の……赤ちゃんは無事ですか?」

その言葉に、先生は安心したように息を吐き穏やかな声で言った。

「良かった……。赤ちゃんは無事ですよ。だけど、運ばれてきた時はかなり危険な状態で流産するところだった。もうこれ以上の無理は避けてください。ストレスだって注意が必要なんですよ。身体と心が健康でないと身体はおかしくなってしまいます」

子どもが無事だったことへの安堵と、もしかしたら大切な命を失っていたかもしれない恐怖で涙がとめどなく溢れた。

「……すみません、助けてくれてありがとうございます。病院は、誰が連れてきてくれたんですか?奏多は、今どこに?」

「いえ、あなたたちを連れてきたのは住吉家の執事ですよ。」

「私たち?……先生、奏多はどうしたんですか?」

「病院に着いた時、奏多さんは転倒したとのことで頭から血を流していました。今も処置をしているのでここには来ていません」

「それなら、奏多は私の妊娠のことを知らないのですね」

「ええ、奏多さんは病院に来てから検査と処置をしていて遥さんのことについては何も知りません」

「先生、お願いです。妊娠のことは奏多には、絶対に言わないでください。奏多にだけは知られたくないんです」

「……何か言いたくない事情でもありそうだね。わかりました。約束します」

(奏多は嫌がる私を気にすることなく自分の思いのままに私を抱こうとした。私が妊娠していることだって知っているのに……。所詮、奏多にとって私は性欲を満たすための都合のいい女でしかないんだ)

森本医師が部屋を出ていったあと、ベッドで横になって休んでいると病室の扉が再び開いた。看護師の巡回かと思い目を瞑って身体を休めていたが、目の前に現れたのは、星野麗華だった。

「やだ、奏多が心配でお見舞いに来たけれどあなたもいたのね。ちょうど良かった。あなたに言っておきたいことがあるの。」

「言っておきたいこと?何よ」

「私のお腹の子の父親のことよ。この子の父親は、奏多よ。あなたとは違って、奏多と私はお互いに愛し合っているの。だから、あなたがいると邪魔なのよね」

(やっぱり……。だからあの時、奏多は私に怒り狂ったように謝罪を求めてきたんだ。自分の子どもが危険にあったから父親として私の事を憎んだのね)

「そう、あなたは自分の立場が分かって言ってきているの?たとえあなたたちが愛し合っていても奏多の妻はこの私よ。もし奏多の子どもだとしても周りが認めると思う?あなたたちがした行為を許してもらえるのかしらね?」

その言葉に麗華の表情が一瞬で引きつった。

「愛されないからって喧嘩売っているの?今日のパーティーでの奏多の振る舞いだって見たでしょ?誰もが、私のことを妻だと思っていたはずよ。所詮、あなたは紙切れだけの関係じゃない。強がっていられるのも今のうちよ。見てなさい!」

怒りで顔を歪ませて麗華は勢いよく部屋を出て行った。その顔を見た途端、麗華が帰国して住吉家に通い始めて以来ずっと胸に溜まっていたモヤモヤとした苦しさが少しだけ軽くなった気がした。

(私との子どもを持つことはあんなに拒んでいたのに、麗華とは子どもを作るなんて。やっぱり奏多が好きなのは麗華なんだ。子どもが産まれてきたら、麗華の言う通り、私は捨てられるの?それとも今のまま黙って奏多と麗華、そして子供の三人の幸せな姿を見てなくちゃいけないの?それに、私だけでなく産まれてくる子どもも父親から愛されない人生を送らなくてはいけないの?……そんなの嫌だ、耐えられない。これ以上、奏多の側になんかいたくない)

「もうやめよう……。こんな関係が続いたらストレスでおかしくなりそうだわ」

翌日、退院手続きを終えるとすぐに奏多に電話を掛けた。

(妻が入院しているというのに、心配するどころか退院の日にも顔を見せない。それどころか自分が愛人である麗華を病院に見舞いに来させるなんて、もう我慢の限界だわ)

長いコール音の後に不機嫌そうな声で奏多の声が聞こえてきた。

「なんだ、今は仕事中だ」

「ごめんなさい。でも大事な話があるから今夜は早く帰ってきて欲しいの」

「お前は俺に指図するつもりか。お前の命令なんか聞くつもりはない」

ツーツーツーツー

機嫌を損ねた奏多に会話の途中で電話を切ってしまった。これでは何時になるか分からない。

(用事がなかったとしても私の言うことを聞くのは嫌だから、きっと真っ直ぐは帰ってこない。もしかしたら私への腹いせに麗華と会うのかもしれない)

小さくため息をついてから家に戻ると、家政婦が私に気がついて声を掛けてくれた。

「遥様、お帰りなさいませ。体調のほうはいかがですか?何か出来ることがあればお手伝いします」

「ただいま。いいえ、結構よ。私のことは気にしないで。少し部屋で休むわ」

家政婦と話をしながら家の中を見渡すと、高価な家具や調度品が多く並べられている。見慣れた景色だったが、『私の家』だと思ったことは一度もない。二年も過ごしている家だというのに、自分の居場所がないこの空間は虚しさだけが浮き彫りになっている。

寝室に入り、ベッドサイドに置いてある机の引き出しから太陽のような絵が描かれた銀色のペンダントを取り出して鞄の中にそっとしまいこんだ。

施設の前で捨てられた私が唯一持っていた所持品で、大人になった今もずっと大切に肌身離さず持っていたものだ。今まで嫌なことがあるとこのペンダントを見ては、自分自身を励ましていた。

(このペンダントが、いつか私を本当の家族に導いてくれるかもしれない―――。)

奏多との離婚を決意したことに不安がないと言えば嘘になる。私のお腹の中の子は、父親がいない人生を歩むことになり、本当にこの決断は正しいか分からない。

子供のために父親は必要だと思い耐えながら暮らすことも考えたが、子供にまで我慢させてしまう可能性やこのまま偽りの関係を続けるよりもずっとマシなはずだ。だからこの決断でいいんだ。と言い聞かせながら、途中のままになっていた荷物をまとめていき、キャリーバッグに詰め込んだ。

――――午前零時を回っても帰ってくる気配はなく、リビングで横になりながら帰りを待っていると深夜一時、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。

「おかえりなさい、遅かったわね」

「待ち構えているとは気味が悪いな。何の用だ」

「奏多、離婚しましょう。」

私から離婚を言いだしてくると思っていなかった奏多は耳を疑っていたが、すぐに馬鹿にしたような顔で嘲笑った。

「……お前、正気か?自分が何を言っているか分かっているのか?そんな挑発に、俺が乗るわけないだろ」

「挑発じゃない、本気よ。あなたもここに署名してほしいの」

私の欄は、全て記入・捺印してある書類を見ると、奏多はくしゃくしゃに丸めて投げ捨てた。

「ふざけるな、お前の都合なんかで離婚出来るわけないだろう」

「それならあなたの都合にすればいいじゃない。あなただって本当は離婚したいんでしょ?麗華が大事だったら、私のことなんか気にしないでさっさとサインすればいいじゃない。」

「は?俺に指図するのか?『私のことなんか気にせず』だと?何だ、俺がお前のことを思ってサインしないとでも思ってるのか?」

馬鹿するように言ってくる奏多に、私は床に投げられた離婚届を手に取り、丁寧に皺を伸ばしてから奏多の前に再び差し出した。

「お義父様の命令で結婚したんでしょ。もういい大人なんだから自分のことは自分で決めたらどうなの?」

父親のことを出された奏多の怒りは頂点に達し、「いい度胸だ」とでもいうようにペンを取ると乱暴に署名し書類を机に叩きつけた。

「書いてやったぞ。後悔しても知らないからな。」

そう言い放ち部屋を飛び出していった。私は震える手で離婚届を拾い上げ、そっと胸元に抱きしめた。

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