Se connecter五穀豊穣をもたらす金髪の姫として自由を奪われて育ったサラリアは竜族の国ドラコニアの若き竜王ラーシュに番として攫うように彼の国につれていかれ、彼の腕の中で初めて“愛”を知った。 しかし公爵令嬢シーラの謀りによって番の座を奪われる。 番だと謀った罪でサラリアが幽閉されるとき、ラーシュの口からこぼれた「人族なんか」という一言―――その言葉がサラリアの心を深く穿つ。 彼にとって自分は“番”だから愛されただけなのか。 番だから愛してる? 番じゃなければ愛してくれないの?
Voir plus窓の外から金属が擦れる音が聞こえた瞬間、サラリアはベッドの上でぼんやりとしていた視線をゆっくりと持ち上げた。
塔の外壁に沿って鎖が下ろされる音。重たい鉄が軋む音。人の気配。
いつもは静寂しかないこの塔に生まれた僅かな騒がしさに、サラリアは反射的に窓辺へ歩み寄る。石造りの床は今日も冷たく、裸足の裏から熱を奪っていった。
小さな窓から身を乗り出すように下を見れば、塔の周囲に何人もの兵士たちが集まっているのが見えた。
彼らの身につけた銀色の鎧が陽光を反射し、空を見れば竜の姿になった兵たちが空を旋回している。その厳重な警備はまるで凶悪な魔獣でも封じ込めているかのような物々しさだった。
その様子がおかしくてサラリアは小さく笑った。
「人間なんかに大袈裟……この部屋ともお別れみたいね」
サラリアは自分の声に違和感を感じた。長い間、誰ともまともに会話をしていないせいだろう。
たまに食事を運んでくる侍女はいたが彼女たちとの間に会話はない。それどころか彼女たちはサラリアに蔑みの目を向けて、義務感だけの丁寧さで食事を置いていくだけだった。
サラリアはずっと一人だった。
この部屋にはなにか特殊な術式でも施されているのか、サラリアの身体を含めて全てが常に清潔に保たれていたため侍女が入る必要もなかった。
窓辺に積もるはずの埃すらないキレイなこの場所は、生きた人間ではなく無機質な宝石でも保管しているような『保管庫』。サラリアはただ生かされている、そんな扱いだった。
サラリアは自分の左手首を見る。
この部屋に入る前に嵌められた銀色の腕輪には複雑な紋様が刻まれており、それがサラリアを生かしていた。
空腹も渇きも感じると侍女がやってくるし、疲れることは何もしていないのに定期的に眠気が訪れる。
極限まで追い込まれることはなく、衰弱もしない。死ぬことすら選択できないようにじんわりと、真綿で締めつけるようにただ生かされている。
最初の頃、サラリアは何度もこの腕輪を外そうとした。
死ぬ気はなかったが、ただここで生かされる日々は想像するだけで嫌気がしたから。壁に叩きつけ、石で削り、歯で噛んでもみた。だが全て無駄だった。
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サラリアにとって唯一の自由は外を見ることだけ。
それさえも、いまのサラリアが見れるのは小さな窓から見える景色だけだった。
今日も空にはいくつもの島が浮かんでいる。大小様々な浮島が雲海の上に漂い、それらの間を巨大な竜たちが飛び交っている。
サラリアにとって
竜族が暮らす天空のこの国に初めてここへ連れて来られたとき、サラリアはその幻想的な景色に息を呑んだ。竜の翼が陽光を受けて輝き、長い尾が雲を裂いていく姿にサラリアはまだ目新しさを感じる。
だが、その幻想的な風景さえいまサラリアにとっては牢獄。
翼を持たない人間がこの空の世界から逃げ出せるわけがない。
ここに来た最初の頃はあの男に屈するものかと思っていた―――けれど、この現実では諦めるしかなかった。
「……いつからかしら」
小さく呟いてサラリアは窓枠に額を預けた。冷たい石の感触が心地よかった。
いつから自分は逃げる方法を考えなくなったのだろう。
最初の一ヶ月は毎日数えていた日付も途中から曖昧になった。窓から見える空だけでは季節の移ろいも分かりにくく、たまに吹き込む風の温度でなんとなく時が過ぎていると知るだけだった。
逃げるために観察していた景色はいつしかただ眺めるだけのものになった。
飛ぶ竜を目で追い、雲の形を眺め、夕焼けが空を染める様子をぼんやり見る。
それしかやることがない。
人はどれほど強い意志を持っていても、出口のない場所に閉じ込められ続ければ少しずつ削れていく。
怒りも、憎しみも、希望さえも消えていく。
「もっと早くどうにかすると思ったけれど……意外と気が長いのね」
出会ってすぐこの国に攫ってきた男だ。
もっと早く沙汰を下すと思っていた。
最初は理解を求めていろいろ訴えるつもりだったが、いまはその気はない。追放するにせよ、殺すにせよ、粛々とサラリアは受け入れるつもりでいる。
どうして、を考えることもやめた。
理由を知ったところで、この塔から出られない事実は変わらない。
期待するだけ無駄だ。
希望は裏切られる。
「……ラーシュ」
ラーシュ・ドラゴニス。
ドラコニアの若き竜王。
彼の国の最も北にある小さな浮島に立つ塔にサラリアは幽閉されている。
目を覚ましたとき、サラリアがまず感じたのは金属が錆びたときのような臭いだった。ぼんやりした頭で体を起こし、ようやく自分が床に倒れていたことに気づいた。そのくらい、何が起きたのか理解できていなかった。顔にかかる髪を退けようとして、手のひらについた血に気づいた。真っ赤な血に対する反射的な恐怖心で動いたとき足が何かを蹴った。からんと金属音が響いた。視線をそちらに向けると短剣が床に転がっていた。その刃には血がべったりと付着していた。サラリアは一瞬呼吸が止まったが、視線はゆっくりと動いていた。「ひっ」血まみれのシーラが立っているのが見えた。白いドレスが赤く染まり一部は黒くなってもいたけれど、シーラは満足気だった。「お嬢様、異常はありませんか」そう問い掛けたのはサリンドラ家の魔法師だと紹介された男の一人だった。「気に入らない臭いだけど我慢するしかないわね。そろそろラーシュが戻る頃よ、急いで去りなさい」シーラの命令に従い、彼らはどこかへと消えていった。サラリアの頭は真っ白で、何があったのかは分からないが、シーラと二人きりという状況には怖さしかなかった。なにが。どうして。サラリアが混乱していると、「予定通りね」とシーラは小さく呟いた。何が予定通りなのか。サラリアがそう思った瞬間だった。バタバタと激しい足音が聞こえたと思った瞬間―――。「いやぁぁぁぁっ!!」シーラが突然、耳をつんざくような悲鳴を上げた。次の瞬間、扉が外から勢いよく開かれる。「サラッ!」ラーシュが部屋へ飛び込んできて、サラリアは反射的にラーシュに手を伸ばした。助けて、そう言いたかった。怖かったのだと、苦しかったのだと、ラーシュに抱き締めてほしかった。安心させてほしかった。けれどラーシュは、サラリアから少し離れたところで止まった。驚いてサラリア
シーラはラーシュの前では可愛らしくて無邪気な姫だった。朗らかに笑い、ラーシュへ甘え、「兄様」と親しげに呼ぶ。幼い頃から大切に守られて育った名門令嬢そのものの彼女は誰が見ても愛らしく、誰からも好かれるような振る舞いをしていた。けれどサラリアには予感があった、シーラは自分を嫌っている。はっきりした根拠があるわけではないから誰にも言えなかったが、後宮という女の園で生きてきたサラリアには憎悪ともいえるその感情が感じ取れた。人は本当に嫌っている相手にほど優しく笑うことがある。そしてその予感は最悪の形で当たった。.その日、ラーシュは王城で開かれる会議へ出席していた。「すぐ戻る」と額への口づけを落として出かけるラーシュを見送ったあと、サラリアはいつものように図書室で本を読んでいた。静かな午後だった。窓の外ではいつも通り竜たちが空を飛び、風は庭で揺れる花の香りを届けてきた。 『シーラ様がいらっしゃいました』だからシーラが突然宮へやってきたときもサラリアは特に警戒しなかった。ラーシュが留守なことを知らずに来たのだろうとしか思わなかった。 『サラリア様に贈り物をお持ちしたのです』シーラはにこやかに笑っていた。彼女の後ろには大きな箱や袋を抱えた者たちが並んでいた。侍女たちかと思ったが纏っている簡素な白い衣からは独特の薬品臭。さらに中には男性の姿もあってサラリアは警戒した。警戒したところでサラリアには何もできなかった。「っ……!」突然腕を掴まれて後ろ手に回され、引き倒されたあとに複数人に押さえ込まれた。「な、何を――!」「ジッとしていなさい」シーラはいつも通り柔らかく微笑んでいたが声は冷え切っていた。サラリアは抵抗したが相手は竜族。力の差が違い過ぎた。「離して」と叫び、足を暴れさせても意味はなかった。彼らは慣れた手つきでサラリアを拘束し衣服を剥
サリンドラ公爵家の令嬢であるシーラが初めて宮殿にやってきた日、サラリアは胸の奥に薄く冷たいものが落ちる感覚を覚えた。理由など説明できない。ただ本能が警鐘を鳴らしていた。目の前に現れたシーラはドラコニアという国に、ラーシュの隣に、あまりにも自然に馴染みすぎていたからだ。シーラは美しかった。銀青色の髪は陽光を浴びると淡く煌めき、透き通るような白い肌には一点の曇りもなく、額に浮かぶ繊細な鱗は芸術品めいていた。竜族特有の細く鋭い瞳孔は宝石のように美しく、見る者に畏怖すら抱かせた。姿勢、微笑み、声色、そのすべてが洗練されていて「理想的な竜人」という概念をそのまま人の形にしたようだった。.竜族の頂点に立つのはドラゴニス王家。ラーシュはその嫡流であり、ドラコニアそのものを象徴する存在だった。建国王ドラコニスは膨大な魔力で地上から大地を切り離し、この天空の浮島を創り上げたと伝えられている。空に浮かぶ王国ドラコニアは竜族の誇りそのものだった。そしてシーラの出身であるサリンドラ公爵家は、初代国王の盟友であった大魔法師サリンドラを祖に持つ名門中の名門。竜族の中でも特に高貴な血を受け継ぐ一族であり王家との繋がりも深い。そんなシーラをラーシュは穏やかな笑みと共に紹介した。「シーラはサリンドラ家の令嬢だが、祖母同士が姉妹で親戚でもある。幼い頃から共に育った幼馴染で、俺にとっては妹のような存在だ」その言葉を聞いた瞬間、サラリアの胸に小さな棘が刺さった。幼馴染という響きが嫌だった。同じ空を飛び、同じ文化の中で育ち、同じ景色を共有してきた者だけが持てる特別な時間を象徴する言葉。それはサラリアには決して踏み込めない領域だった。サラリアは人族で、空を飛べない。ラーシュには人と竜の二つの姿があり、サラリアは竜の部分の感覚を共有できない。でもシーラにはそれができる。シーラはラーシュと同じ場所に立てる存在で、シーラはそれを隠そうともしなかった。「昔、ラーシュ兄様ったら訓練が厳しいから飛んで
ドラコニアに来たばかりの頃の自分を振り返ると、あまりにも非日常的なことに浮かれていたのだと分かる。神話のような風景と「愛している」と言ってくれる美しい男性。自分を大切に抱き締め、欲しいものを与え、笑えば嬉しそうに目を細める優しさも。読書に夢中になれば拗ね、本を閉じれば機嫌を直す可愛らしいところも。毎日のように愛を囁くあの甘い熱も。ラーシュがサラリアに与えてくれたあの全ては、サラリアが彼の番だったからなのだと今ではよく分かっている。.ドラコニアでの生活が長くなると、サラリアには少しずつ現実が見えてきた。 竜族。 誇り高き竜人の国ドラコニア。竜族は優しい種族ではなく排他的で、彼らは自分たちを至高の存在だと思っていた。それ自体は悪いことではないとサラリアは思っている。人族だってそうだ。 自分の国に誇りを持ち、自分の文化を愛する。それは自然な感情であるとサラリアは理解している。(けれど、自分たちを誇ることと他者を見下すことは別だわ)ドラコニアの竜人たちはその境界が曖昧だった。 『人族なんかが竜王陛下の番だなんて』ある日、偶然それを耳にした。使用人たちが仕事の合間にしていた雑談。気が抜けていたのだろうが、だからこそ正直な言葉だった。彼女たちもサラリアが近くにいるとは思わなかったのだろう。その声には露骨な侮蔑が滲んでおり、その音にサラリアは妙に納得してしまった。彼女たちの仕事は正確で丁寧だったが、彼女たちの笑顔の裏には薄い嫌悪があった。それに気づいても何も思わなかったのは、地上の後宮で見慣れていたものだったから。ただ嫌悪の意味ははき違えていた。彼女たちの竜王ラーシュに対する敬愛と思慕から、ぽっと出のサラリアにラーシュを奪われたという嫉妬めいた感情だとサラリアは思っていた。それもあるかもしれないが、根底は違った。それを教えてくれたのは「なんか」という言葉。そこに込められているのは明確な蔑み―――人族なんかが。