FAZER LOGIN遥side
新会社の始動を翌日に控え、私の日常は目まぐるしい速さで動き続けていた。
登記手続き、役員人事の最終確認、そしてオフィスの設営。慌ただしいスケジュールをこなす私の横には、月島さんの姿があった。
「遥さん、明日のスケジュールです。初日だけあってタイトな予定となっていますが、頑張りましょうね」
差し出されるタブレットとブラックコーヒー。月島さんのサポートがなければ、私は今頃パンクしていただろう。そんな私たちを、共同出資者であるハリーはニヤニヤしながら眺めていた。
麗華side今夜、都内最高級ホテルの大広間では日本の経済を動かす錚々たる顔ぶれが集う「経営者交流会」が開かれている。本来なら、私も奏多と一緒に住吉の代表として出席する予定だったが、あのSNSの騒動のせいで、奏多から来なくていいと冷たく突き放されてしまった。(ふん、何が『来なくていい』よ。私を侮辱させていて何よ。でも、こっちは会場も時間も事前にスケジュール登録してちゃんと覚えているんだから。甘く見ないでよね)招待状などなくてもこの場に潜り込む術を知っている。今回のパーティーは規模が桁違いだ。東宮グループが参加しないはずがない。そして、私の狙いはただ一人。遥の兄であり、東宮家の次期後継者である東宮俊だった。俊に話しかけるチャンスは掴むために、私の肌の白さを際立たせるシルクの深紅のドレスを纏った。背中が大胆に開いたデザインは、並大抵の女には着こなせない。唇には、血のような鮮やかなマットな口紅をして、髪はハリウッドセレブのようにウェーブにセットした。気分はレッドカーペットを歩く海外セレブだった。会場に足を踏み入れると、高価な香水の香りと、金に物を言わせた会話のざわめきが心地よく耳に届く。シャンパングラスを片手に、男たちの胸元に光る社章を瞬時に見て、心の中で品定めをしていると、見たことのある印章が目に入った。(あら、あそこにいるのは『月島銀行』の人たちね。今日は、銀行も参加しているのね。あの女の横にいる月島っていう男、頭取の実の息子だって話じゃない……)
遥side東宮グループ本社の社長室に入ると、俊と直人の姿があった。窓の外に広がる景色とは対照的に、室内にはどこか静謐で張り詰めた空気が漂っている。「遥、座ってくれ」促されるままソファに腰を下ろすと、テーブルの上には、一通の書類が置かれている。俊はその書類を指先で軽く叩きながら、落ち着いた声で語り始めた。「さきほど、住吉奏多がここに来た。示談金の振込も確認済みだ。あと、これを見てほしい」差し出してきたのは『接触禁止の示談書』で、今後私との接触、面会、誹謗中傷の禁止が書かれている。署名欄には、「星野麗華」の文字が力強い筆跡で刻まれていた。「SNSの投稿の件だけれど、犯人は星野麗華だ。住吉奏多と星野麗華の前で、IPアドレスから居場所を逆探知して住吉家の屋敷だと特定されたことを伝えたら、その日のうちに動きがあったんだ。……正確には、パニックを起こしたんだろうね。屋敷から二十キロほど離れた河川で端末が見つかったよ」「その日のうちに?でもどうして河川なんかに……」「住吉社長が屋敷内の全端末を抜き打ちで調べると宣言したから、慌てて証拠隠滅を図ったんだろう。精密機械だから水に沈めれば復元は不可能だと考えたようだが、僕たちの技術チームを見くびりすぎだ。すぐに回収しデータを復元したよ」
麗華side遥の惨めな過去を晒せば、憧れの「令嬢社長」から、出自の怪しい「成り上がり」と世間のイメージは変わり、渇望の眼差しは一瞬で消える。 人々は手のひらを返したようにその遍歴に疑問を持ち、嘲笑の的になる。そうなれば、あの女はもう終わり。そう信じて疑わなかった。ネットで悪意に満ちた投稿が瞬く間に拡散されていく様子に、私の胸は歓喜で震えていた。リポストの数字が跳ね上がり、失望のコメントが並ぶのを見るのが楽しみで、暇さえあればスマホを開いてインプレッションを確認していた。あの女が築き上げた砂の城が、私の指先一つで崩れていく――。その快感に酔いしれていたのだ。しかし、その甘美な時間は長くは続かない。東宮側の対応は、私の想像を絶するスピードだった。投稿者の特定、アカウントの凍結、そして徹底した情報の火消し。それだけではなく、住吉家への出入り禁止、「接触禁止の示談書」へのサイン、仕事面では、現在、五十嵐工業の社長という椅子を奪われようとしている。代償は多岐にわたった。古臭い五十嵐工業に愛着も未練もないが、こんな形で降ろされるのは不本意だ。SNSへのたった数回の投稿。その火遊びの代償が、私の人生を根底から揺さぶるものになるとは、夢にも思っていなかった。そして、一番驚いたのは奏多の変貌だ。 この一件以来、奏多は私に対して不信感を露わにしている。以前なら、私がどんなことを言っても「麗華が言うなら」と微笑んでいた。私の言葉に耳を傾け、最後には何でも言うこと
奏多side「今日は、お忙しい中お時間を作っていただき、ありがとうございます」弁護士を通じて、示談書の提出と慰謝料の支払いについて具体的に話をしたいと正式に依頼をすると、数日間の調整を経て面談日が設けられた。この日は、雲ひとつない晴天で俺は交渉の武器を鞄に詰め込み、再び東宮グループのオフィスを訪れた。案内された応接室には、東宮俊と月島直人が並んで座っている。俺は二人の正面に立ち、深く、長く頭を下げた。「この度は、星野が大変無礼なことをして、ご迷惑をおかけしたこと誠に申し訳ございませんでした」「住吉社長、早速本題に入りましょう。事前に二通の書類をお渡ししたはずですが、今日お持ちいただいたのは一通のみのようですね。……これは、どういうことでしょう?」東宮俊が、テーブルに置かれた封筒を指先で軽く叩いた。その瞳は笑っていない。隣の月島は、冷ややかな眼差しを俺に向けている。(やっぱり指摘してきたか……。だが、ここで相手の言うことをそのまま聞き入るわけにはいかない)俺は気持ちを奮い立たせてからゆっくりと口を開いた。「星野麗華は、弊社の社員であり、なおかつ子会社の社長という社会的に責任ある立場にあります。そのような立場の人間が
麗華side奏多:悪いが明日、会社に来てくれないか? 麗華に大切な話がある奏多から朝メールが届いていたが、私は冷めた目で眺めていた。この前のレストランでの奏多の態度が気にくわないので無視を決め込み、画面をそっと閉じる。画面には『既読』のマークがついているから、私が見ていることは奏多にも伝わっているだろう。けれど、そんなことはどうだっていい。私が機嫌を損ねていると焦ればいいのだ。夜になると鳴り止まない着信の嵐に、私は渋々電話を取った。「……しつこく電話をかけてきて何の用かしら」「メールは読んだんだろう。明日の午前十時、社長室に来てくれ」「……まだ行けるか分からないわ」素っ気なく答えると、奏多は深くため息をついたあとに懇願するように弱弱しく囁いた。「麗華……頼むから、必ず来てくれ。大切な話なんだ。待っている」それだけ言うと電話はぷつりと切れた。呆然としながら黒い画面に映る自分の顔を見つめる。
奏多side「住吉社長、ここで何をしているのですか。面会はお断りしているはずですが」遥は、刃物のように鋭く、氷のように冷たい眼差しで俺を見ていた。「……東宮社長。どうしても、あなたに直接聞きたいことがあって伺いました」「私からもこの場でお話しすることはありません。すべて、弁護士を通してください」遥はそう言うと、オフィスに戻らずに、俺の横をすり抜けてそのまま正面出口へと歩き出した。慌てて追いかけようとする俺を見て、警備員を呼ぼうとしているのか受付の女性が咄嗟に内線電話を手に取ったが、遥は無言で掌を向けて『大丈夫』と制止の合図を送った。(これは、騒ぎを大きくしないために周囲の目や耳に入らない場所へ行こうと遥が気遣ってくれているのか……?)藁にもすがるような思いで、その凛とした背中を追ってビルの外へと出た。春の陽光がアスファルトを照らしているが、俺たちの間に流れる空気だけは、真冬のように冷え切っている。街路樹の影に差し掛かったところで遥がピタリと足を止めた。振り返った遥の表情には、一抹の慈悲も残っていない。「遥……」「……もうこんなことは止
遥side「遥さん、お待たせしてすみません。ハリーからはシステムの質問でしたが、無事終わりました。……遠目で遥さんと住吉社長がお話しされているのを見ましたが、監査の件で何か問題でもありましたか?」月島さんは心配したように私の顔を覗き込んでいる。その落ち着いた声が、張り詰めていた私の神経をふっと緩ませた。。
奏多side土曜日、朝食を終えて着替えを済ませてからクローゼットの中を見渡すと、一昨日届いたばかりの新品のスーツと鞄だけが美しく並んでいた。ゆとりの感じられる風通しのいいクローゼットは、見ていてとても清々しい。「さて、神山に移動させた荷物の場所を聞いて確認するか……」階段を降りて執事の神山を探すと、電話をしている最中だった。受話器を両手で持ち、時折深く頭を下げながら対応していてまだ時間がかかりそうだ。「奏多様、いかがなさいましたか?」神山の様子を伺っていた俺に、古くからこの屋敷に仕えている家政婦の一人が声をかけてきた。「ああ。一昨日からクローゼットの整理を頼んでいたが、出した荷物が
奏多side「奏多! 聞いたわよ。月島銀行が監査に来るんですって? 面倒なことになったわね。私のパパから月島銀行の役員に話を通してもらうようにしましょうか?」秘書の制止を振り切って入ってきた麗華は、俺にねだって手に入れたばかりの限定モデルのブランドバッグを乱雑にデスクに置いた。
遥sideパステルブルーのドレスに着替えたあと鏡の前で唇に最後の色を乗せてから、私は深く息を吸い込み重厚な扉を開けて玄関へと向かった。支度を終えたタキシード姿の俊と娘の花蓮が私を待っていた。「遥、素敵なドレスだね。とってもよく似合ってい







