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第1210話

Auteur: 桜夏
理恵は、雅人が自分ではなくドア枠に手をかけて体を支えているのを見て、胸の中に鬱憤が溜まるのを感じた。

まさか、自分はドア枠以下だというのか。腹が立って仕方がない。

そこで一計を案じた理恵は、ケーブルカーの金属製の敷居を跨ごうとした瞬間、雅人に声をかけた。

「橘さん、ちょっと頭を見てくれない?血が出てないか心配で」

雅人がその声に反応して視線を落とし、頭から手を離すように言おうとした、その時だった。

理恵が何かに躓いたように体勢を崩し、小さな悲鳴を上げて前へと倒れ込んだ。

目の前で人が倒れれば、雅人も反射的に手を伸ばして支える。

だが、彼は大柄で体幹もしっかりしているため、理恵にぶつかられて一緒に倒れるようなことはなく、彼女の腕をしっかりと掴んで支えただけだった。

理恵の描いたシナリオでは、雅人を押し倒し、恋愛ドラマのワンシーンのように、アクシデントからのキス……という展開になるはずだったのだが。

現実は非情だ。彼女は雅人に腕を掴まれたまま、中途半端に空中で静止させられてしまった。

ドラマなんて嘘ばっかり。雅人を押し倒すなんて無理だったのだ。理恵は心の中で毒づいた。

せめて密着するチャンスだけは逃すまいと、理恵は全身の力を抜いて、そのまま雅人の胸に倒れ込もうとした。

しかし、彼女がその腰に腕を回すよりも早く、雅人はまるで猫の首根っこでも掴むかのように、ひょいと彼女を持ち上げて立たせてしまった。

雅人の冷静な声が頭上から降ってきた。「出血はしていないが、少し赤くなっている。今の衝撃は軽くなかったはずだ。医療チームに見せるぞ」

彼はそう言うと、理恵の腕を離し、電話をかけ始めた。

理恵は言葉を失った。自分がどれだけ妖艶に迫ろうとも、この男はまるで修行僧のように微動だにしない。

額の痛みよりも、この徒労感を親友の透子に愚痴りたくてたまらなかった。これほど体を張ったというのに、暖簾に腕押しとはこのことだ。

周囲を見渡しても、透子の姿も、兄の聡の姿も見当たらない。

透子は待っていると言っていたはずなのに。理恵は不思議に思いながら携帯を取り出し、透子にメッセージを送った。

返信はすぐに来た。位置情報と共に、聡と一緒にいるというメッセージが届いた。二人の時間を作るために、気を利かせてくれたのだ。

【頑張って!このチャンスに、うちのお兄さんを落と
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