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第215話

Author: 桜夏
その後の会議中、透子はもう横目で見ることはなく、技術的な内容は理解できなかったものの、その眼差しは真剣そのものだった。

左前方に座る聡は、ちらりと視線を送ったが、彼女がもう自分を見ていないことに気づいた。彼は視線をパワーポイントの内容に戻し、心の中で思った。

理解できないのに、あれほど真剣に見られるとは。大したものだ。

会議は五十分間続いた。旭日テクノロジー側は万全の準備をしていたが、柚木グループは当場で提携の可否を決めず、他の会社も検討するつもりのようだった。

会議が終わり、双方のスタッフが立ち上がって握手を交わし、挨拶を交わした。透子もパソコンを片付け、他の二人のグループリーダーと一緒に先に退室しようとした。

しかし、会議室のドアをまだ一歩も出ていないうちに、後ろからあの性悪男の声が聞こえた。

「貴社はスタートアップでありながら、わずか二年で急成長を遂げられましたね。もしよろしければ、社内の雰囲気や環境を拝見したいのですが」

「もちろんです。喜んで柚木社長をご案内……」

駿の声がしたが、その言葉は言い終わる前に遮られた。

「桐生社長は代表でいらっしゃるから、お忙しいでしょう。どうぞお構いなく。どなたか適当な方に案内していただければ結構です」

駿は相手を見た。いくら忙しくとも、大口のクライアントを優先すべきだ。しかし、柚木社長の言葉の裏には……どうやら自分に案内してほしくない、という意図が感じられた。

「柚木社長、では私がご案内いたします。どうぞ、こちらへ」

ソフトウェア開発部の部長が笑顔で言い、手を差し伸べて「どうぞ」という仕草をした。

「いえ、お構いなく」

その丁重さが、むしろ壁のように感じられた。部長は思わず気圧され、言葉に詰まる。

「いえいえ、私は……」

「先ほど、私にコーヒーを淹れてくれた社員の方に、案内をお願いします」

聡が同時に口を開いた。

ソフトウェア開発部の部長は途端に動きを止め、気まずそうな表情を浮かべた。心の中で思う。

……なるほど、柚木社長は透子さんに案内させたかったのか。だから社長を断ったんだな。自分は空気が読めていないんだ。

他の役員たちは何も言わず、互いに目配せをした。その視線が物語っていた。

ちっ、柚木社長はさっき『適当な方に』と言っていたが、明らかに最初から指名していたじゃないか。

会議
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