Share

第858話

Author: 桜夏
「そう。理恵の友達なのね……」

雅人の母は、どこか上の空で言った。「ええ、二人はとても仲が良いのよ。でも、あなたはあの子に会ったことがないから、ご存じないのよね」

柚木の母はそれを聞き、声に必死で明るい色を作り、後ろめたそうに言った。「ええ……直接会ったことは、ないわ」

雅人の母は、彼女の声の不自然さには気づかなかった。今の彼女は、ただ自分の気持ちを吐き出すことに夢中で、一方的に話し続けている。

「どうりで、あの後パーティーで人に尋ねて回っても、どなたか分からなかったわけだわ。それで、雅人に調べさせたの。

まさか、雅人もあの夜、自分の妹に会っていたなんて……でも、彼が真相を突き止める前に、娘はまたあの朝比奈に襲撃されて……」

雅人の母が話すたびに悲しみで声を詰まらせるのを、柚木の母はただ空々しい相槌を打ちながら聞くことしかできなかった。

彼女自身の心の中は、とっくにぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。

どうやってこの嘘を取り繕うか。どうすれば橘家との体面を保ったまま、良好な関係を続けられるか。

そして、どうすれば……透子に、自分が投げつけたあの言葉を、許してもらえるか。

初めは、柚木家と橘家の縁談まで考えていたというのに。今や、その橘家の令嬢は、透子だったのだ。

幸いなのは、聡とあの子の間に、まだ望みがあるかもしれないこと。

そして最悪なのは、自分がその芽を、この手で摘み取ってしまったかもしれないこと……

柚木の母の胸には、罪悪感と、深い後悔と、自分への苛立ちが黒い渦となって渦巻いていた。

もし自分が、あんなに焦っていなければ。もし、もう少し後で透子に会っていたら、どうしてこんな事態になっただろう?

あの子は、まだ聡を受け入れてくれるだろうか?

姑になるかもしれない自分にあんな酷い言葉を吐かれて、柚木家を完全に嫌いになってしまったのではないか?聡とはもう、未来はないのだろうか?

柚木の母は深く眉をひそめ、考えがまとまらず混乱していた。その時、雅人の母がまだ感謝の言葉を述べているのが聞こえてきた。

「お子さんたちが、娘の透子を助けてくれて本当にありがとう。離婚の時も、あの朝比奈に酷い目に遭わされた時も。

理恵さんと聡さんがいてくれたから、あの子も少しは心が救われたはずよ。

透子が目を覚まして、少し体調が戻ったら、あの子を連れて改めて
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1282話

    嘘をついたわけではない。ただ、口頭で誘われただけで、正式な招待状はまだ届いていないからだ。蓮司はそれ以上何も言わず、信じたようだった。大輔も、蓮司が信じてくれたと判断した。何しろ自分は彼のアシスタントだ。透子がわざわざ自分を招待する理由などない。……翌日。悠斗は会議を招集し、手掛けているプロジェクトの詰めを行っていた。彼には役職こそないが、工場のプロジェクトは奪われておらず、引き続き担当していた。これは新井のお爺さんの意思なのだろう。でなければ、蓮司がとっくに妨害しているはずだ。悠斗は、プロジェクトが軌道に乗れば役職が与えられると考えていたが、やはり不満は拭えなかった。なぜ蓮司は大学卒業後すぐに部長からスタートできたのに、自分はこの「試練」を経なければならないのか。心に恨みを抱きつつも、悠斗はそれを顔には出さず、左側の上座に座って会議を始めようとした。彼が口を開こうとした瞬間、会議室のドアが開いた。参加者たちが視線を向けると、皆、驚きと疑惑、そして様々な憶測で顔色を変えた。なぜ蓮司が来たのか?このプロジェクトの担当ではないはずだ。まさか「裏切り者」を粛清しに来たのか?誰が敵側に回ったかを見定めに?彼らにとってはとんだ濡れ衣だ。悠斗のプロジェクトを手伝っているのは、蓮司の許可があったからこそだ。あるいは、難癖をつけて悠斗に恥をかかせに来たのか。皆の予想は大体一致しており、今日の会議は流れるだろうと確信した。だが退室するわけにもいかず、誰も言い出せないため、針のむしろに座るような思いで、これからの「茶番劇」に付き合うしかなかった。中には、二人が殴り合いを始めたら止めに入ろうと身構える者さえいた。異様な静寂に包まれた会議室の中、蓮司は無表情で入室し、右側の上座へと歩み寄った。元々そこに座っていた周防部長は震え上がった。ここは貧乏くじを引く席だ。もし乱闘になれば、巻き添えを食って殴られかねない。大輔は蓮司の後ろに続いていた。蓮司がそばまで行ったのに、周防部長が微動だにせず、気が利かない様子なのを見て、歩み寄って肩を叩いた。周防部長はその拍子に心臓が飛び出るほど驚き、悲鳴を上げそうになったが、たっぷりとついた贅肉を揺らして何とか堪えた。大輔はおかしくなり、小声で言った。「真昼間

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1281話

    綾子は尋ねた。「お父さんが出てくるのを待たないの?」悠斗は答えた。「待たないよ」綾子は何か言おうとしたが、結局飲み込んだ。悠斗は物分かりがよく、気配りができると感じたからだ。それに、早急に手配すれば、新井のお爺さんに悠斗の孝行心を示すことができる。お爺さんは自分や博明のことは嫌っていても、孫には甘いはずだ。これは新井のお爺さんとの距離を縮める絶好の機会だ。そう考え、綾子は熱心に準備に取り掛かった。通話を終えると、悠斗はすぐに別の相手に電話をかけた。橘家と蓮司の訴訟手続きがどこまで進んでいるか、いつ開廷するのかを探らせるためだ。法廷で、新井のお爺さんに邪魔をさせるわけにはいかない。悠斗は蓮司が訴訟沙汰になっているという情報を、会社の内部チャットや掲示板で拡散させた。こんな絶好の機会を利用しない手はない。何しろ、これは蓮司自身がわざわざ差し出してくれた弱みなのだから。暗くなったパソコンの画面には、口角を吊り上げた悠斗の顔が映り込んでいた。その瞳は、喜びと興奮で輝いている。今回ばかりは、橘家も蓮司を見逃しはしないだろう。自ら墓穴を掘るとは、愚かすぎて笑いが止まらない。自分が引きずり下ろすまでもなく、蓮司は勝手に自滅してくれたのだ。……夜の休憩時間、新井グループの全社員が、社内のグループチャットで社長の新たなスキャンダルを目にし、瞬く間に話題騒然となった。以前の付きまといなら、個人のモラルの問題で済んだかもしれない。だが今回は、違法行為や犯罪に関わる内容だ。社長といえども、ただでは済まないだろう。以前、社長が橘家の令嬢に大金を投じて復縁を迫り、世間を騒がせた時は、橘家は訴えを起こさなかった。だが今回、突然情報が流出したということは、橘家が本気で法的手段に出たということだ。一般社員にとっては、ただの酒の肴に過ぎず、自分の仕事をこなすだけだ。だが上層部にとっては意味が違う。彼らが懸念するのは、今後の新井グループの体制だ。情報は小規模なチャットグループで回っていたが、密告者がいないわけがない。話は下から上へと伝わり、最終的に大輔の耳に入った。知らせを受けた大輔は、悔しさのあまり机を叩いた。今日は蓮司からボーナスをもらい、ぐっすり眠れると思っていたのに、またしてもトラブルだ。彼はまず広報部に対応

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1280話

    誰がどう見ても、自分にとっては絶好の風向きだ。透子が離婚判決文を公開したのは、先週末の報復だと思っていたが、まさか蓮司が自滅するとは。自ら火を放ち、その業火に焼かれることになるとは予想外だった。橘家が彼を訴えるとなれば、どう切り抜けるつもりだろうか。新井のお爺さんが助け舟を出しさえいれば、事態はここまで悪化しなかったはずだ。しかし……もしかしたら、裁判になった段階で、新井のお爺さんが出てくる可能性もある。そう考えると、悠斗の目に暗い色が走った。そこには憤りと、不満が渦巻いていた。新井のお爺さんは決して自分に肩入れすることはなかった。海外から呼び戻し、今回本部へ復帰させたとはいえ、その立場は非常に微妙で気まずいものだった。もし課長クラスから始めさせてくれていれば、幹部たちも新井のお爺さんの期待を感じ取れたはずだ。だが、新井のお爺さんは「元の役職のまま」と言い放った。悠斗が東区工場のプロジェクトを勝ち取ったというのに。責任だけ負わせて、実権を与えない。そんな冷遇を受けて、不満やわだかまりを抱くなという方が無理な話だ。悠斗は胸の内で荒れ狂う感情と、目の中の険しい光を押し殺し、電話をかけた。「もしもし、母さん。本部に戻ったよ。お爺様のおかげだ。食事の席を設けて、お礼をしたいから準備してくれ」電話の向こうで綾子は了承したが、すぐに蓮司が警察に通報し、父である博明を連行させた件について話し始めた。蓮司はあまりに非情で、実の父親と公然と決裂し、家の恥を世間に晒したのだ。博明は当初、警察の証言を利用して、蓮司に「親不孝」のレッテルを貼るつもりだった。そうすれば、蓮司の名声は地に落ちる。ところが、警察が受け取ったのは、博明が婚姻期間中に不倫をして別の家庭を持ち、蓮司に対して扶養義務を放棄していたことを証明する書類だった。息子が親不孝なのではなく、父親が扶養義務を怠っていたという事実が確定してしまったのだ。逆に博明が一時的に拘留されることになり、もし起訴されれば、実刑判決もあり得る状況だ。綾子は不安と怒りを滲ませて言った。「調べさせたの。証拠を提出したのは義人さんのアシスタントよ。蓮司は最近忙しくて手が回らないはずだから、間違いなく義人さんが裏で糸を引いて、あなたのお父さんを陥れようとしているのよ」義人が動

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1279話

    悠斗が本部に戻ったその日、「父は慈ならず、子は孝ならず」と揶揄されるスキャンダルが巻き起こった。外部の人間はこれを大家族の愛憎泥沼劇として面白がり、内部の人間は新井グループの内紛として見ていた。誰もが理解していた。これは蓮司が、あの隠し子に対して行った強烈な「威嚇」であり、事態を大きくすることで、生物学上の父親さえ認めないという意思表示だと。博明も隠し子も同じ「新井」の姓を持っているが、蓮司は彼らを実質的に新井家から除名したも同然の扱いをしたのだ。しかし、これはあくまで蓮司の意思だ。社員たちは当然、会長の新井のお爺さんの意向を窺っていた。何しろ会長は健在であり、彼こそが絶対的な権力者だからだ。だが、彼らがいくら観察しても、新井のお爺さんの明確な態度は見えてこなかった。確かに悠斗を呼び戻したのは新井のお爺さんだが、それ以上の指示はなかった。役職はおろか、チームリーダーの肩書きさえなく、ただのヒラ社員としての配属だった。だからこそ、皆、新井のお爺さんの真意を測りかねていた。蓮司が「家の恥」を世間に晒したことは、新井グループの名誉を傷つける行為だ。本来なら新井のお爺さんが事前に知れば止めたはずだ。しかし、そうはしなかった。それは蓮司の独断専行だったことを意味する。それなのに、新井のお爺さんが蓮司を処罰したという話も聞かない。彼は依然として、新井グループの社長として平然と出社している。もし新井のお爺さんに明確な偏りがあれば、社員たちもこれほど迷うことはなかっただろう。二人の後継者候補を比べれば、一方は正当な血筋で、幼い頃から英才教育を受け、さらに湊市の水野家という強力な後ろ盾がある。もう一方は日陰の身で、帰国したばかりで基盤もなく、頼れるのは権力を剥奪された博明だけだ。上流階級の人々は高みの見物を決め込み、新井グループの内部でも、うかつに派閥に属そうとする者はいなかった。博明の発言力は皆無に等しい。彼が幹部たちを抱き込もうとした際、蓮司に阻止されただけでなく、警察に通報されて連行されるという醜態を晒した。そんな状況で、誰が悠斗の側につくだろうか。蓮司からの報復がなくとも、恐ろしくて近づけない。しかも、騒動が起きてからの二日間、水野グループの社長、義人が直接会社を訪れ、蓮司と会っている。幹部たちは、蓮司が母方

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1278話

    だから、改めて立場を抜きにして言うならば、蓮司は正真正銘のクズであり、透子には到底釣り合わない男だ。昔もそうだったが、今となっては尚更だ。万感の思いを込めて、大輔はメッセージを打った。【ようやく暗雲が晴れ、光が差しましたね。栞お嬢様の未来が順風満帆で、健やかで、憂いなく幸せでありますように。これからのご活躍とご多幸を、心よりお祈り申し上げます】透子はその祝福を受け取り、大輔が彼女の出国を察しているのだと悟った。彼女は明後日の送別会に大輔を招待し、友人として別れを告げることにした。大輔はもちろん二つ返事で、喜んで参加すると答えた。人脈作りは無理でも、見聞を広めるには良い機会だ。……大輔が透子に愚痴をこぼしたのは、スティーブを叱ってもらうためではない。スティーブは彼女の兄のアシスタントなのだから、そんなことは不可能だ。ただ、陰口を叩いて鬱憤を晴らしたかっただけなのだ。だが予想外なことに、透子は実に義理堅く、彼のために動いてくれたようだ。なぜそれが分かったかというと、透子が自分から言ったわけではない。帰宅直後、スティーブから再び電話があったが、大輔は出なかった。腹いせに無視を決め込んだのだ。不在着信が二件続いた後、相手からメッセージが届いた。見てみると、今度は大輔自身を罵る内容で、蓮司への悪口にかこつけたものではなかった。罵られてはいたが、大輔の気分は良かった。透子がスティーブに話したからこそ、相手がこれほど激昂しているのだと分かったからだ。送られてきた文面には、自分も蓮司と同じく卑劣で恥知らずだとか、小心者だとか、告げ口魔だとか、ガキのような振る舞いだとか書かれていた。大輔は薄ら笑いを浮かべて返信した。【親愛なるスティーブさん、告げ口なんてしていませんよ。ただ、栞お嬢様と楽しくおしゃべりをしただけです】【僕と彼女は、個人的に悪くない関係でしてね。それに、理恵お嬢様とも仲が良いんですよ。以前、仕事をしないかと誘われたくらいですから】大輔はようやく「虎の威を借る狐」の快感を味わい、胸のつかえが下りたような気分だった。同時に心の中で、二人の令嬢の名前を利用したことを詫びた。だが、これもスティーブをやり込めるためだ。毎日利用するわけではないので、許してほしいと願った。送信後、二分待っても返信がな

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1277話

    最初、大輔はスティーブに対して、確かに畏怖と敬意を抱いていた。何しろ相手は、あの雅人のチーフアシスタントなのだ。雅人はあれだけの大物だ。瑞相グループの最高経営責任者であり、ピラミッドの頂点に君臨し、全世界の経済をも動かしかねない存在だ。恐れ敬わない者などいない。だが、よく考えてみれば、雅人は雅人、そのアシスタントはあくまでアシスタントだ。アシスタントに敬意を払ったところで、雅人が自分に目をかけてくれるわけでもない。雲の上の存在が、自分のような下っ端を気にかけるはずがないのだ。それに、雅人がいなければ、スティーブの今の権勢もない。雇い主という後ろ盾を外せば、自分と何ら変わりはない。つまりスティーブは、虎の威を借る狐に過ぎないのだ。職務上の立場は、自分と対等だ。それに、今後スティーブと関わることもないだろう。もう顔を合わせる機会もないのだから、機嫌を損ねたところで怖くはない。そう考えると、大輔はさっきの電話でペコペコと低姿勢を貫いたことが悔やまれてならなかった。なんと情けない、弱腰な態度だったことか。もっと怒りを露わにして、ガツンと言い返してやればよかったのだ。だが、後の祭りだ。大輔は溜息をつき、携帯をポケットにしまうと、帰宅の準備を始めた。背後にある社長室のドアのところで、蓮司は立ち尽くし、大輔の独り言をすべて聞いていた。蓮司は携帯を取り出し、個人口座から大輔に精神的苦痛への慰謝料と、これまでの労いとして百万円を送金した。着金通知音が鳴り、廊下を隔てて、大輔の歓喜の叫び声が聞こえたかと思うと、すぐに慌てて口をつぐむ気配がした。次の瞬間、アシスタント室から飛び出してきた大輔は、先ほどの鬱屈した気分など吹き飛んだように、満面の笑みで忠誠を誓った。「社長、ご安心ください!僕は一生あなたについていきます!この身を粉にしてお仕えします!」中にいる蓮司からの返事はなかった。大輔はさらに媚びた声で言った。「社長も早めにお帰りになって、休んでくださいね。お先に失礼します」そう言うと、大輔は足取りも軽くエレベーターの方へ向かった。休暇なんてどうでもよくなった。金が嫌いな人間などいない。働くのは金のためだ。しかも、社長からの個人的なボーナスは、会社の賞与とは別枠だ。さっきスティーブに八つ当たりされたことを思い

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status