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第250話

Author: ちょうもも
もし今日がもう少し早い時間だったら、悠良は今すぐにでも始めたかったくらいだ。

「心配するな、ちゃんと計画はある」

悠良はちらりと時計を見た。

「もう遅いですし、私は先に失礼しますね」

まだ葉の家の件を片付けなければならず、後になったら間に合わないかもしれない。

「今夜のこと、忘れるなよ」

伶が低く静かに念を押した。

悠良の足が一瞬止まり、彼女はうなずいた。

「ええ」

出て行こうと足を踏み出したその時、スカートが何かに引っかかったように動けなくなった。

下を見下ろすと、犬がスカートの裾をくわえており、うるんだ目でじっと見つめている。

その表情を見た瞬間、悠良の頭にふと思いついた。

見た目は猛犬なのに、意外と繊細な一面もある。

よく「飼い主に似る」と言うが、こういうことかもしれない。

悠良は無意識に伶の方を見た。

「ちょっと......この子、何とかしてください」

伶はスカートをくわえている犬に顎をしゃくった。

「俺じゃなくて、そいつが君を帰したくないだけだろ?本人に頼めば?」

悠良は口元を引きつらせた。

「......言葉をわかるんですか?」

伶は横にあった雑誌を手に取り、ページをめくりながら気だるげに答えた。

「変な言葉じゃなきゃ、多分わかると思うけど」

悠良は少し腰をかがめ、犬の頭を優しく撫でようとしたが、鋭い牙と大きな舌を見てややビビってしまった。

それでも丁寧に話しかける。

「お願い、放してくれる?」

犬はしっぽを二回ほど振ったが、スカートをくわえたままで放す気配がない。

悠良は困ったように伶に向き直る。

「......なんでこの子、私に執着するんですか」

伶は顎をさすり、少し考えたあとで答える。

「もしかして、オスだから?」

「そんな理由あります?」

悠良が唖然としていると、伶は足を踏み鳴らして命じた。

「ユラ、来い!」

「ユラ」という名を聞くたびに、悠良は一瞬自分が呼ばれたような錯覚に陥る。

母親もそんな口調でよく彼女のことを呼んでいた。

犬は伶の声に反応し、ようやくスカートを放して、嬉しそうに伶の元へ駆け寄り、彼の手に顔を擦り寄せながら、くぅんくぅんと切ない声を上げた。

伶はその頭を撫でながら言った。

「大丈夫だ、今夜また来るって」

犬はそれを聞いた瞬間、目がキラリと輝き、姿勢を
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