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第261話
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離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第261話
彼女は再び伶の背中の包帯を外し、傷の手当てをやり直した。悠良はしゃがんだ拍子に、うっかり犬のおやつのビスケットを踏んでしまったことに気付かない。犬はそれを前足で何度か弄ったが、うまく取れず、悠良は伶の傷の処置に集中していて犬の動きには気付かなかった。薬を塗ろうとしたその瞬間、背後から突然強い力で押され、悠良の体は勢いよく前に倒れ込む。人は倒れる瞬間、無意識に支えを求める。だが悠良の手が伸びた先は、なぜか伶の脚──結果、彼女の体はそのまま彼の背にぴたりと重なった。伶は微動だにせず、ただ視線だけを横に流す。「薬を塗るだけなのに、抱きついてくるとは予想外だ」悠良の頬が一気に真っ赤になり、頭が真っ白になる。数秒後、慌てて弁解した。「わ、私じゃないです、この子です！さっきこの子が私を押したんです！」伶は無意識に犬の方へ視線を向けたが、部屋のどこにも犬の姿はない。彼は悠良に眉を上げて見せる。悠良は思わず眉をひそめた。逃げ足、早っ。証拠はもうなく、自分の言葉だけが頼りだ。「ほんとにわざとじゃないです！そもそも、わざわざ抱きつく理由なんてありません！」伶は当然のように問い返す。「抱きつくのに理由が要るのか？」悠良は一瞬、言葉を失った。この男と話すのは、本当に疲れる。伶という人間は、人の説明など聞こうとしない。彼の中では、これは彼女が近付こうとするための策略──それで決定してしまうのだ。悠良はため息をつき、もう諦める。「信じるか信じないか、好きにしてください」伶の喉から、低く掠れた笑いが漏れる。落ち着いた響きの中に、不思議な色気が滲む。「じゃあ......なんで俺のここに手があるんだ？」その言葉で悠良はようやく気付く。自分の手が、無意識に彼の太腿のあたりに置かれていたことに。しかも場所が場所だけに、余計に気まずい。悠良は火が付いたように手を引っ込め、白い耳たぶが真っ赤に染まり、体温が一気に上がった。もう言い訳もできず、黙々と傷の処置を続けるしかない。処置が終わる頃には、悠良は息が上がり、まるで重労働をした後のように唇を半開きにして小さく呼吸していた。伶はその微かな息遣いを聞き、口を開く。「おい、悠良ちゃん、ちょっと控えろ」悠良は拳を握り、
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第260話
「二つ選択肢をやる。隣の客間で一晩だけ我慢するか、俺の車で帰るか」悠良は思わず問い返した。「あの限定版の車ですか？」「ああ。ここにいるのはあれ一台だけだし、普段ここに住んでないから他の車は置いてない」悠良は、伶があんな高価な車を自分に貸してくれることに、少し感動すら覚えた。しかし次の瞬間、浴室のドアを開けた伶が横を向いたまま淡々と一言落とす。「ただし、明日の朝は迎えに来いよ。ここ、朝はタクシー捕まらないからな」そう言い終えると、浴室のドアが閉じられた。悠良は両手で顔を覆い、天が落ちてきたような気分になる。それなら、明日の夜にまた自分で車を運転して来るしかないか。だが、今の史弥の警戒心では、車に細工されていないとも限らない。考えても考えても、答えは出ない。浴室から聞こえるシャワーの音に、悠良は気付けば視線を窓へ向けていた。ガラス越しにぼんやり映る人影。輪郭だけでも分かる、長身で引き締まった体躯。頭の中に浮かぶのは──八つに割れた腹筋、深く刻まれたマーメイドライン。本当に、たまらない。伶が出てきた気配を感じ、悠良は慌てて背を向け、何事もなかったように犬へおやつを与えるふりをする。だがすぐに、別のことに気付いて振り返った。「傷がまだ治ってないのに、どうしてシャワー浴びたんですか！」さっきまで体つきばかりに気を取られて、怪我のことを忘れていたのだ。伶はタオルで濡れた髪を拭いながら、平然とした顔で答える。「問題ない。後でまた包帯を替えればいい」「医者にも言われたでしょう、今は水に触れちゃダメだって！」悠良は眉をひそめて彼のもとへ歩み寄り、そっと包帯を外した。傷は水に濡れてふやけ、周囲より白くなっている。幸い、血は滲んでいなかったので、悠良は少しだけ安堵する。「私が巻き直します。この一週間はもうお風呂禁止です」この怪我は自分を庇ったせいで負ったもの。それがなければ、こんなわがままな性格の彼のことなど放っておいたのに。悠良は階下へ降り、救急箱を取りに行った。伶はカーペットの上に座り、袋からビスケットを一本取り出し犬に差し出す。犬は尻尾を振りながら小走りで近寄ってきた。彼は独り言なのか犬に話しかけているのか、遠くを見つめるような目で呟いた。「さ
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第259話
悠良はようやく安心して、袋の中から犬用ソーセージやビスケットを取り出した。食べ物を見つめる犬の目が一気に輝き、舌を出してよだれを垂らしそうなほどだった。悠良はビスケットをひとつ差し出し、犬は口を開けて一気にぱくりと飲み込む。彼女は犬に餌をやりながら伶に尋ねた。「普段この子にちゃんとご飯あげてないんですか？」さっきの様子は、まるで何世代も食べていないかのようだった。伶はユラを横目で一瞥し、その食い意地の張った行動を鼻で笑った。「前世で餓死したんだろう。だからいくら食べても腹は満たされない」犬はまるで言葉を理解したかのように床に伏せ、潤んだ瞳で彼を恨めしそうに見つめる。悠良はその視線に胸が締め付けられ、そっと犬の頭を撫でた。「よしよし、彼が冗談言ってるだけよ。誰も嫌ってないから、ほら」犬はこくんと頷くようにして、再びおやつを抱えて嬉しそうに食べ始めた。伶は冷ややかに口元を歪めた。「お前、彼女の言うことはよく聞くんだな。なら今夜は彼女と一緒に帰れよ」犬は黙ったまま。伶の顔が引きつり、さらに鼻で笑う。「恩知らずが。女に目がないか」悠良は、伶が犬相手に真剣に悪態をつく様子に、思わず笑いそうになる。「......犬とケンカ、ですか？」伶は身を横にずらし、長い脚を投げ出して組む。「君の眼は節穴か？あいつにそんな価値あるのか？」悠良は、今日の伶がひと言ごとに棘を含んでいると感じた。だが、もうすぐここを離れると思うと、不思議と胸が軽くなる。いちいち彼と張り合う気も失せた。犬がおやつを食べている隙に、悠良はスマホを取り出し、さっき送ったメッセージを確認する。返信はまだない。見ていないのか、それとも見て見ぬふりをしているのか。だが、もうこの方法しかない。ここまで来てしまった以上、今さら引き返しても同じこと。むしろ、この機会を利用して局面を変える方がいい。発表会への布石にもなるし、その方が信憑性も高い。そう考えていた矢先。悠良は、無意識に開いたウェブページで目を疑った。史弥の動きが、あまりにも早かったのだ。彼女がここへ来てからわずか四十分ほどの間に、杉森に写真と告知文をまとめさせていた。そこに映っているのは、二人が寄り添う姿。大きな窓ガラスの前で、
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第258話
「先に帰るから、車の運転には気をつけてって言ってました」ウェイターは恭しくそう答えた。史弥の瞳の奥がふと陰を帯び、何かを考え込むように一瞬黙り込むと、そのまま足を進めてレストランを後にした。悠良はタクシーに乗り込み、運転手に住所を告げると同時に葉へメッセージを送った。自分が先に帰ったことを、うまくごまかしてほしい。葉は依然として不安そうだった。【悠良、さすがに危ないよ。もしバレたらどうするの？寒河江社長と毎晩同じ部屋で過ごすなんて......】そこまで書いて、葉はあえて最後を濁した。聡明な悠良なら、言いたいことは分かるだろうから。悠良は、その点についてはむしろ安心していた。彼女は車窓を開けて新鮮な空気を吸い込みながら、メッセージを返す。【今日話したこと覚えてる？あそこまでしても、彼全然反応なかったでしょ。だから大丈夫、きっと大丈夫】それに、理由は分からないけれど。彼女には、伶が「人の弱みに付け込むタイプじゃない」と感じられた。彼は、何でも拾うような人じゃない。もちろん、自分が「ゴミ」だとは思わないけれど。葉もそこまで言われれば、それ以上は言わなかった。悠良が物事の線引きをきちんとする人間だと、分かっていたからだ。【......分かった。気をつけてね】悠良は画面を閉じ、ふと目を上げた時、犬用フードの店が目に入る。そうだ、ユラ。朝、彼に餌を買ってやると約束したのを思い出したのだ。「男の心を掴むなら、まず胃袋から」なんて言葉がある。犬も同じかもしれない──そう思いながら、彼女は前の運転手に声をかける。「すみません、この先で少しだけ止めてもらえますか？ほんの数分で戻りますから」運転手は渋々ながらも頷いた。「急いでくださいね。他の予約もあるので」「ありがとうございます」悠良は素早く車を降り、店で犬が好物になりそうなものを店員に尋ねながら購入した。伶のマンションに着いた時、悠良は思わず身震いした。確かに、メディアが簡単には見つけられない場所にある。安全ではあるけれど、あまりに人里離れていた。周囲は真っ暗で、街灯ひとつない。行き交う車もほとんどない。昼間は気にならなかったが、夜になると異様に心細い。この場所から、もし伶を寝かしつけた後に帰
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第257話
その食事は、あまりにもぎこちなかった。横で絶え間なくスマホを構え、二人を撮影している人間がいるせいだ。鋭いフラッシュに思わず眉をひそめた彼女は、堪らず振り返り、その集団に視線を向ける。「すみません、写真を撮るのはやめてもらえませんか」史弥が悠良の手を押さえ、手話で示した。［悠良、これは俺が手配したんだ。君と寒河江の件はネットで大騒ぎになってる。今はこうするしかない。少しでも君の評判を取り戻せればと......］言葉一つひとつが、悠良を思いやっているかのように聞こえる。だが彼女はよく分かっていた。「評判を取り戻す」なんて、ただの口実だ。彼女は冷ややかに口角を上げた。「私のことをどう言おうと構わないわ......でも史弥は？史弥も、同じ考えなの？」史弥は一瞬きょとんとし、すぐに苦笑しながら手話で説明する。［それは誤解だ。俺が悠良を信じるよ。前のことは、ただ注意しただけだ。分かってるだろ、悠良。君は俺の妻だ。誰にも君を貶めさせないから］悠良は唇の端をぴくりと引きつらせ、いかにももっともらしいその言葉に、心の奥で嘲りが浮かぶ。「うん。さっきのはただの冗談よ」その一言で、史弥の険しかった眉間がようやく緩む。彼は大きく息を吐き出した。「それならよかった。この後、モールでも寄ってみるか？最近新しいアクセサリーが入ったらしい。見に行く？」悠良は首を振る。「遠慮するわ。これから葉の荷物整理を手伝わなきゃ。明日は引っ越しにぴったりないい日なの」その言葉に、史弥の眉がぴくりと動く。「今から？彼女、自分でできないのか？あれだけ安く家を貸してやったのに。それに......もし本当に妊娠してたら、そんな重い作業、任せられないだろ」悠良はふと顔を上げ、彼を横目で見やる。声は妙に低く、投げやりだった。「どうせもう要らないんでしょう。何の問題があるの？」史弥は一瞬沈黙し、そして慰めるように彼女の肩を撫でた。「もし君がこの子を望むなら、別に構わないよ」だが悠良には分かっていた。その言葉は、心からのものではない。彼女はあえて大人ぶり、彼の腕を軽く叩き、薄い笑みを浮かべる。「大丈夫よ。子どもなんて、後でいいわ。今は史弥の仕事が一番大事でしょう？聞いたよ、下半期に海外の会社と提
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第256話
悠良は、その言葉を耳にしてさらに顔色を失った。今、彼女が唯一安堵しているのは──数年前、子どもを作ろうと考えなかったことだ。もしあの時子どもを望んでいたら......今の自分の惨めな姿は、簡単に想像できる。腕にまだ幼子を抱いたまま、夫であり、その子の父親が、別の女の産科検診に付き添っているのを見せつけられる日々。出産の準備を整えたあの女と、彼が一緒にいる光景。自分と子どもは置き去りにされ、ひとりで長い夜を越えていく。まるで捨て犬のように。女は子どもを持った瞬間、弱点を抱える。だが、今の彼女は一人だ。それならいっそ、離婚すればいい。そこから、新しい人生を始めればいい。そう思うと、悠良は深く息を吐いた。先ほどのスタッフの言葉を聞いていた史弥も、眉をひそめ、悠良に問いかける。「妊娠してるのか？」悠良は本当は「していない」と言うつもりだった。だが、もし自分が妊娠したと知ったとき、彼がどう反応するのか。それを、見てみたくなった。「わからない。あまり気にしてなかったから」「じゃあ、明日病院で検査しよう」史弥は悠良を椅子に座らせた。彼の険しい眉間を見つめながら、悠良は気づく。父親になる喜びなんて、そこにはない。「私が妊娠したかもよ？なのに史弥、全然嬉しそうに見えない......」「違う。ただ、これまでずっとできなかったのに......どうして急に？」冗談めかした言い方。けれど、その裏に潜む疑念を、悠良ははっきり感じ取った。彼女の表情が一瞬で冷え込む。そして遠慮なく問い詰めた。「つまり、私が妊娠した子は、あなたの子じゃないって思ってるの？」史弥は、自分の言い方が不味かったと悟り、慌てて否定する。「そういう意味じゃない！ただ......あまりにも突然で......それに俺、まだ父親になる覚悟ができてない。もう少し、考えさせてくれないか？」悠良の顔色が変わる。だがすぐに思い直した。ここで感情をぶつければ、彼は本心を隠すだろう。彼の演技を見抜くには、自分も演じるしかない。悠良は、澄んだ瞳にうっすら涙をにじませ、無垢な顔で彼を見上げた。「史弥は......この子、欲しくないの？」その弱々しい視線に、史弥の心がぐらりと揺らぐ。彼は
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