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第654話
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離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第688話
伶の字はとても走り書きのようで個性が強いのに、不思議と一目で彼の署名だと分かる。それこそが一番厄介な点だ。悠良は大きく息を吸い、ペンを取って下書き用の紙に二度試し書きをした。だが、似ているどころか全くの別物になってしまう。光紀は額の汗をぬぐいながら見守っていた。「だからこそ私は最初から言ったんです。このやり方は通じないかもしれないって。寒河江社長のハンコを盗むのは簡単でも、一番難しいのは署名の模倣なんです。私も以前真似してみたんですけど、全然ダメでした。少しでも違えばすぐ見抜かれるし、署名が通らなければ他の手続きも全部はねられてしまうんですよ」悠良の掌は汗でじっとり濡れ、緊張が募る。彼女が一番恐れているのは、どうしても真似できないことだ。「急かさないで。もう一度試すから」彼女は伶の字をじっと見比べ、横画や縦画の繋がりを観察した。昔ほんの少しだけ書の練習をしたことがあるが、伶の筆跡は想像以上に複雑だった。そもそも彼の名前自体、簡単な字ではない。十分ほどかけて模写したものを、隣の光紀に差し出す。「どう、少しは似てきた？」光紀は目を輝かせ、驚き混じりにうなずいた。「おお、だいぶ似てきましたよ」悠良はほっと息をつき、指先をぎゅっと揉んだ。「もう少し練習するわ。先にハンコを出して」光紀はばつが悪そうに頭をかいた。「それが問題でして......小林さん、社印はパスワードを入力しないと使えないんです。しかも金庫に保管されていて」悠良の手が止まり、完全に固まった。呆然と光紀を見つめ、片手を腰に当てて机に寄りかかる。「ふざけてるの？署名を真似しろってだけでも無茶なのに、今度は保管庫のパスワードまで当てろって？私が寒河江さんのお腹の中でも覗けるとでも？」光紀はまた頭をかいた。「すみません。もし最初から言っていたら、きっと引き受けてくれなかったでしょう？でも今は会社が危機的状況なんです。手をこまねいてはいられません」「だからって、最初からきちんと説明すべきだった。署名すらまだ仕上がってないのに、次から次へと大問題を押し付けて」頭が割れそうな思いで、悠良は前髪を払い、眉間を揉んだ。もう細かいことを責めても仕方がない。今は目の前のことを片付ける方が先だ。そう思い直し、ペンを
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第687話
悠良は中へ歩いていきながら、光紀に尋ねた。「どうして？」「YKというのは、誰かの名前に似てると思いません？」光紀は直接答えず、さりげなくヒントを与える。悠良はエレベーターのボタンを押した。「名前？」彼女が全然ピンと来ていないのを見て、光紀はさらに言った。「よく考えてみてください、YとK」悠良は階のボタンを押し、ドアが閉まる。頭を悩ませても、YとKで始まる名前なんて山ほどある。どうやって当てろというのか。「これって謎解き？寒河江さんの知り合いなんて数え切れないほどいるのに、誰の名前を使ったのかなんて分かるわけないじゃない。彼のお母さんとか？」光紀はあきれて、もはや謎かけをやめた。「灯台下暗しってやつですよ」チン。タイミングよく、エレベーターが開いた。悠良は目を見開いた。「まさか、私のこと言ってるんじゃないでしょうね」「そうですよ。YK、小林さんの名前と苗字の頭文字でしょう。簡単なことです」悠良は軽い冗談のつもりで口にしたのに、まさか当たっているとは思わなかった。彼女は足を踏み出しながら言った。「冗談でしょ？ありえないわ。なんで寒河江社長が私の名前で会社を？それに、彼が会社を作ったとき、私はまだ関わってなかったはずよ」「関わってなくても問題じゃないんです。重要なのは、小林さんと寒河江社長がずっと前から知り合いだったということ。ただ、当時の小林さんの関心は彼には向いていなかっただけ」悠良は夢を見ているような気持ちになった。「嘘でしょ......ありえない。わざわざ私の名前にするなんて、RSとか他の名前でもいいじゃない」世の中には他人の名前を冠する会社なんていくらでもある。別に彼女でなくてもよかったはずだ。光紀は意味ありげに笑った。「理由については......小林さんご自身で考えてみてください」そう言うと、彼は鍵で伶のオフィスを開けた。悠良が入るのは初めてではない。しかし、今回は明らかに散らかっていた。伶は普段、きれい好きなのに。つまり、それほど忙しいということだ。大事にしている整頓すらできないほどに。彼女が机に近づくと、書類が乱雑に散らばっている。手に取って目を通すと、どれも企画書だった。しかも全部が机の上に残されている。
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第686話
彼女が現れてからというもの、彼は夜を楽しみにするようになった。それまでとはまったく違う気持ちだった。階段を上がり、悠良が浴室に入ろうとした時、予想通り葉から電話がかかってきた。彼女はわざと伶のすぐ近くに立ち、通話を取る。スピーカーホンにすると不自然すぎて、細かいところまで気づく伶ならすぐ勘づくだろう。そこで音量を最大にして、あくまで自然に話し始めた。「葉、どうしたの」受話口からは切羽詰まった声が響いた。「悠良、あの......ちょっとトラブルがあって。すぐ来てもらえない？どうしても話したいことがあるの」悠良の顔にも緊張が走る。「何があったの？」「電話じゃ言いにくいの。とにかく来てくれない？」「分かった。家で待ってて。すぐ行くから」通話を切ると、悠良は車に置いていた上着を手に取り、伶に言った。「寒河江さんは休んでて。私は葉の家に行ってくるよ」「俺も一緒に行く」伶が即座に口を開いた。「いいの。言いにくいって言ってたでしょ。あなたが一緒だと、余計に話しづらいわ」「じゃあ下で待ってる。部屋には入らない」彼が折衷案を出す。「本当に大丈夫なの。寒河江さんが来る方が厄介になるわ。心配なら村雨さんを同行させて」悠良はここぞとばかりに譲歩の姿勢を見せた。伶は深く考えもせず、自然に頷いた。「分かった」そしてすぐに光紀へ電話をかけ、マンションに来るように指示した。光紀は十分もかからず到着した。玄関まで見送りに出た伶は、彼の姿を見て意外そうに言った。「随分早いな」「ちょうど近くで用事をしてたんです」光紀が答える。「無駄話してる暇ないわ。急いで」悠良がせかす。光紀は振り返り、「それじゃ行ってきます」「片付いたら電話を入れろ」「はい」車に乗り込み、走り出してから悠良はようやく口を開いた。「ねえ、寒河江さんに怪しまれないかしら」「多分大丈夫ですよ。完璧にやれてますから」とはいえ光紀自身、自信があるわけではなかった。伶の用心深さは常人の域を超えている。いくら分かった気になっても、彼は必ず裏をかいてくる。「月日がたてば人の心を知る」というけれど、伶に関してはその言葉は当てはまらないのだ。悠良の胸にも不安は募っていたが、今は考えている暇
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第685話
「えっ。えっと、葉、変なこと言わないでよ。こういう話は軽々しく口にしちゃダメなんだから！」悠良は慌てて葉を制止した。これ以上余計なことを言われたら困る。というのも、すでに伶の視線が鋭い刃物のように自分を切り刻んでくるのをひしひしと感じていたからだ。もし葉が続けて喋り出したら、今夜はきっと眠れないだろう。葉は完全にぽかんとした顔で言った。「何言ってるの、悠良？忘れたの？前に自分で言ったじゃない。あのプロジェクトやりたいけど、宣伝しなきゃダメだって。今の時代、人目を引けるのは、特に女性を引きつけるのは男の人じゃない？イケメンたちに撮影に参加してもらって、雑誌に載せれば、それってもう完璧な広告になるでしょ？」そこまで聞いて、悠良はようやく思い出した。たしかに以前、葉に軽くそんなことを口にしたのだった。だがその後、雑事に追われてそのままになっていたのだ。よくもまあ葉はこんな細かいことまで覚えていたものだ。思わず胸をなで下ろす。「それ、いいわね。あ、でも写真、寒河江さんに間違えて削除されちゃったの。もう一度送ってもらえる？」「大丈夫よ。どうせなら直接面接に来てもらえばいいじゃない。そっちの方が早いし便利だし」悠良もそれを聞いて納得した。「そうね、それでいきましょう」「ところで、そっちの仕事はもう片づいた？私、何か手伝おうか？」葉は、伶のプロジェクトの件については何も言わなかった。そのおかげで悠良もほっと息をついた。本当に心臓に悪い。「ううん、大丈夫。もう遅いし。葉はもう休んで」「うん、おやすみ」通話を切ってから悠良はスマホを置いた。今こそ、ようやく主導権を取り戻す時だ。唇の端に冷ややかな笑みを浮かべる。「寒河江さん、これで私の潔白を証明された？」伶は肘で頭を支え、顔を傾けて彼女を見た。「俺は千人を誤って処刑しても、一人も見逃さない主義だ。もしその中に悪意ある奴が紛れ込んで、後で大事になったら、どうするつもりだ？」悠良は唇をきつく結んだ。「寒河江さんは私がそんな人間じゃないって知ってるでしょ」「君はそうじゃなくても、周りに群がるハエを防げるわけじゃない。それに三浦が仕事の話で人を探すなら、最初から君にちゃんと説明すべきだ。要するに彼女の言い方が悪い」「
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第684話
最後の一言には、どこか茶化すような響きがあった。悠良はぽかんとした顔で言う。「いつ送ってきたの？私知らないよ」そう言い終えると、慌ててスマホを取り出し、葉のアイコンを開こうとした。だがメッセージを開いた瞬間、伶に取り上げられてしまう。彼はその中の写真を一枚ずつ消していった。悠良は思わず手を伸ばして止めようとする。「ちょっと、まだ見てないのに、なんで消すのよ」伶はスマホを頭上に掲げ、余裕の表情で言った。「俺ひとりじゃ満足できないのか。他の男も見たいなんて......悠良ちゃん、ずいぶん遊び好きだな？」悠良はすぐさまその言い方を正す。「なによ。ただ一目見たかっただけでしょ。きれいなものを見たいって気持ちは誰だってあるのよ。それに、寒河江さんはもう見たんだから、なんで私だけダメなの」伶の整った顔立ちがふいにぐっと近づいてくる。声は泡を含んだように低く掠れ、耳にまとわりつく。「俺を見てるだけじゃ足りないのか」その声音はあまりにも含みがあり、悠良の胸は一気に高鳴り、耳まで熱くなる。伶はどうしてこう、わざとらしくないのに、言葉の端々から男の色気を漂わせるのだろう。しかも厄介なことに、自分はまんまとそれに弱い。ただ立っているだけで禁欲的な雰囲気を纏う男――そういう人間は確かに存在する。深く暗い瞳に射抜かれて、悠良の心臓はきゅっと縮む。思わず顔をそらした。「わかった、もう見ないから。でも葉って、そういうことする子じゃないと思う。ただイケメン写真を送りたいわけじゃないはず。電話して聞いてみるよ」「俺が全部消してからにしろ」伶は「誤っても放置はしない」という徹底した姿勢で、最後まで削除を続けた。すべて消し終えると、ようやくスマホを返してきた。悠良はすぐに葉へ電話をかけ、幸いにも彼女は出てくれた。「悠良？電話したのにどうして出なかったの？それはそうと、最近は会社もそんなに忙しくなくてね。莉子、捕まったって」「うん、通報したのは私。しばらくは出てこれないよ」「本当に？それは良かった。いつも人を振り回すんだから。自分の行いの報いを受けるべきよ」葉は一切同情せず、当然だと言わんばかりだった。「ところで、私が送った写真、全部見た？」突然核心を突かれ、悠良は一瞬返事に詰ま
離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか！ 第683話
悠良は明らかにもう苛立っていた。「もう全部はっきり言ったはずよ。今でも私があなたを父親だと思っているのは、あなたが莉子をひいきしているのは分かっていても、彼女もまたあなたの娘だからと理解しているからよ。私を道徳で縛らないで。お父さんが彼女に対して抱いている負い目を、私が埋め合わせる義務なんてないから」「伶君の会社、今トラブル抱えてると聞いている。短期間で投資家を見つけられなければ、破産すんって」孝之の口からその言葉が出た瞬間、悠良の胸に嫌な予感が走った。「何を」「小林グループが根本的に助けられるわけじゃないが、少なくとも今の事態をしのげる。莉子を見逃してくれるなら、小林グループの半分を差し出してもいい」その言葉に、悠良の心は激しく揺さぶられた。かつて自分を殺そうとした莉子を救うために、会社の半分を差し出すなんて――目頭が熱くなったが、表には出さなかった。ただひとつ、問いを投げかけた。「もしも、いつか私が同じような状況になって、会社を差し出して助ける必要が出たら......お父さんも同じことをするの？」「もちろんだ」孝之は一瞬の迷いもなく答えた。その答えに、悠良の胸に渦巻いていた失望は少し和らいだ。だが、すぐに答えを出すことはできなかった。「考えさせて。二、三日したら返事するから」「急ぐことはない。それに莉子だって、自業自得だ。牢の中で少しくらい苦しんだ方がいい」その言葉に、悠良は少し気が晴れた。電話を切ると、彼女は伶の方を見た。眉間に深い皺を寄せて、まるで「川」の字のようになっている。さっきまで不快な気持ちでいっぱいだったのに、真っ黒に曇ったその顔を見ると、つい笑ってしまった。「また誰に怒ってるのよ、寒河江さん。鏡でも持ってきて、自分の顔見てみる？」伶は呆れたように、だが苛立ちを隠さずに、悠良の顎を指で軽く持ち上げた。「心を動かされて莉子を出してやろうとしてるんじゃないだろうな」「そんなことしないわよ。さっき断ったでしょ？」悠良はまだ本音を明かすつもりはなかった。考える時間が欲しかったのだ。一番の問題は、伶が契約にサインしていないせいで、大きな穴が空いたままになっていることだ。伶は軽く言い放つ。「でも一晩寝れば気が変わって、また考え直すかもしれ
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