すっかり日が暮れ、冬城は真奈に「少し二階で休んできたら」と声をかけた。真奈は素直に部屋へ戻ったが、映像素材が足りなくなるのではと心配になり、一時間ほどで下へ降りてきた。テーブルに並べられた数品の料理を見て、真奈は首をかしげながら尋ねた。「この料理は?」「食べてみて」冬城はいつの間にかエプロンをつけていて、その姿はまるで主夫のようだった。真奈も遠慮なく椅子に腰を下ろした。テーブルの料理をよく見て、彼女は驚き混じりに口を開いた。「唐揚げ、ロールキャベツ、それに……角煮?」真奈の眉はどんどんひそめられていった。「あなたが作ったの?」冬城にとって、これらの料理の難易度は、決して「ちょっと高い」程度ではない。「ゴホ、ゴホ……」冬城は軽く咳払いをしながら、ちらりと近くのゴミ箱に視線を向けた。その目線に気づいた真奈がキッチンのゴミ箱を覗くと、中には焦げた料理の残骸が山のように詰まっていた。真奈はもう笑えなかった。「全部、あなたの仕業?」「……本当に料理ができなくて」冬城は視線をそらし、どこか落ち着かない様子だった。真奈はため息まじりに言った。「これからは料理ができないなら作らないで。食料の無駄になるから」「わかったよ」冬城は承知すると、真奈のためにご飯をよそいに行った。テーブルいっぱいに並べられた料理を見ても、真奈の食欲はすっかり失せていた。午後ずっと動き回って、唯一自分で作ったのは牛肉の煮込みだけ。あとの料理は全部、出前だった。しかも、おそらくかなり前に届いたものらしく、料理はもう少し冷えていた。結局、その日の夕食は二人ともほんの数口しか食べず、すぐにテーブルの片付けに取りかかった。その頃、ディレクタールームでは、ディレクターが頭をかきながらつぶやいた。「編集できるかな……」「せいぜい7~8分くらいにしかならないでしょう……」その場にいたスタッフたちは、無言のまま沈思にふけった。スタッフがそばで言った。「ディレクター、どうしても無理なら諦めましょう。冬城総裁には逆らえませんから」「12時まであとどのくらい?」「あと5時間です」「もう少し待つか!」ディレクターがそう言い終わるか終わらないかのうちに、スタジオの外からスタッフが駆け込んできて、ディレクターの耳元で何かを囁い
「ヒッ——!」真奈は土鍋で手を火傷し、痛みに思わず息を呑んだ。慌てて自分の両耳たぶをつかんで冷やす。「どうした?」冬城がキッチンにやってきて、真奈が火傷したのを見つけると、すぐに彼女の手を取って冷水で流し始めた。真奈は冬城の顔を一瞥し、次に彼が自分の手を握っている様子を見た。冬城は自分の行動が唐突だったことに気づき、すぐに手を引っ込めた。「……自分でやって」真奈は平然とした様子で手を冷やし、冬城はどこか気まずそうに言った。「火傷薬を探してくる」そう言って冬城はキッチンを出て、リビングで救急箱を探した。真奈は何も言わず、キッチンの外にいる冬城の姿を見ながらぽつりと言った。「見つからなかったら、大丈夫よ」救急箱にはやはり火傷薬が入っておらず、冬城は思わず眉をひそめた。だが真奈は気にも留めずキッチンに向かい、新品の歯磨き粉を取り出して、そのまま傷口に塗り始めた。冬城はすぐに真奈を呼び止めた。「何をしているんだ?」「歯磨き粉でも火傷は和らぐわ。わざわざ火傷薬を探す必要はない」真奈は何でもないように言い、冬城は手に持った歯磨き粉をまじまじと見つめた。歯磨き粉で火傷が和らぐ?そんなこと、彼は今まで一度も聞いたことがなかった。だが真奈にしてみれば、毎日何億ものプロジェクトを動かしている大企業の総裁が、そんな生活の知識を知っているとは最初から期待していなかった。この場所に来る前から、彼女は一ヶ月間、専属の家政婦になる覚悟をしていた。「もういいよ、冬城総裁。用がなければキッチンの火の番をしていて。すぐ行くから」「……うん」冬城は心配そうに真奈の手の傷を見つめ、洗面所を出るとすぐに中井に電話をかけた。低く落ち着いた声で命じる。「番組スタッフに火傷薬を準備させて、すぐに持ってこさせろ。真奈が火傷した」「かしこまりました」真奈が洗面所から出てくるのを見た冬城は、さらに心配そうに言い添えた。「急がせろ。20分以内に届けさせろ」「……ああ」真奈が出てくると、冬城がこそこそしている様子が目に入り、彼女は眉をひそめて尋ねた。「何してるの?」「……別に」冬城は携帯をしまい、表情を淡々とさせた。真奈はその目つきにどこか奇妙さを感じながらも、深くは気にしなかった。今の彼女にとって重要なのは、一刻も早く
そこで真奈は二歩ほど後ろに下がり、「じゃあ私とおしゃべりしない?」と声をかけた。「おしゃべり……」冬城は言いかけて口をつぐんだ。彼はもともと会話が得意ではない。ただ、真奈と向き合うと、頭の中に浮かぶのは真奈と黒澤の現在の関係に関することばかりだった。それでも、口をついて出たのは、「最近、元気にしてた?」という言葉だった。「うん」真奈は自然に聞き返した。「あなたは?」「あんまり」その答えを聞いた瞬間、真奈は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに顔を上げてカメラに向かって言った。「この部分カットして、もう一回聞き直すわ」そして、また何気ない口調で聞き直した。「あなたは?最近どうしてた?」真奈が料理に集中しながらも話しかけてくる様子を見て、冬城はそれが収録のための素材集めだと察した。彼はふっと笑って、「……元気だ」と答えた。「なら、いいわ」真奈が煮込みの準備を終えた頃には、すでに午後になっていて、あと数時間もすれば日が暮れる時間だった。番組スタッフによれば、この場所は海岸に近く、夜空がとても美しいらしい。真奈と冬城は廊下に並んで座り、冬城は気を利かせて真奈に毛布をかけてやった。その頃――カメラの前では、スタッフたちがこの穏やかで心地よい光景を見て、自然と頷いていた。「リンリン——」テーブルの上で鳴り響く携帯電話に気づいたスタッフの一人が、すぐに少し離れた場所にいるディレクターに向かって叫んだ。「ディレクター、電話です!」ディレクターは慌てて駆け寄り、見知らぬ番号の表示を見て首をかしげながら受話器を取り、「どちら様ですか?」と問いかけた。「黒澤遼介だ!」黒澤遼介という名を聞いた瞬間、ディレクターは即座に電話を切った。スタッフが驚いて尋ねた。「ディレクター、誰からの電話ですか?どうして切っちゃったんですか?」「詐欺電話だ!取る必要ない!」黒澤なんて大物が、自分みたいな小者に電話をかけてくるわけがない。最近の詐欺師は本当にどうかしてる!一方その頃――黒澤家では、通話が切れた電話を見つめながら、黒澤の表情が暗く沈んでいた。その顔を見た伊藤は、咳払いをしながら言った。「だからさ、こういうことは俺に任せればいいのに。俺が秘書にでもかけさせればよかった。お前がいきなり電話したら、
「……」仕事を奪い合うように動く冬城を見て、真奈は何も言わず、冬城に任せた。冬城はインスタント麺の袋を破り、お湯を注ぐ。そして湯が沸騰すると、調味料を入れ始めた。だが、彼の動きには明らかに慣れがなかった。普段、こうした簡単なインスタント食品を食べ慣れていないのだろう。鍋の湯が今にも溢れそうになり、冬城は手を出すべきか迷っていた。そんな彼の様子に、真奈は静かに近づき、火を止める。「外で待っててくれる?」それは提案ではなく、指示に近い言い方だった。その語調に、冬城も何も言わず、大人しくキッチンを出ていった。五分後、真奈はカップ麺を持ってリビングに戻ってきた。けれども、二人の間に言葉はなく、ただ静寂が漂っていた。さっきのやり取りが、関係を少しでも和らげることはなかった。むしろ、空気はさらに張り詰めていた。「俺……」何かを言おうとした冬城の声を、真奈がさっと遮る。そのひとことで、冬城の言葉は喉奥で凍りついた。真奈は無言のまま、麺をすする。あっという間に食べ終えると、立ち上がり、一人でキッチンに向かい、黙々と食器を洗い始めた。佐藤茂は彼女にこの番組への出演を命じはしたが、「協力しろ」とまでは言っていなかった。そんな状況に、番組スタッフはモニターに映るリアルタイムの映像を見ながら、頭を抱えていた。「どうしてこうも会話ゼロなんだ……」ディレクターがため息混じりに言う。隣のスタッフも苛立ちを隠せなかった。「この調子じゃ、1か月分の素材、絶対に足りないですよ」ディレクターは肩を落とし、首を横に振った。「うん、無理だと思う」そして、ためらいながらもスマートフォンを取り出し、ぽつりとつぶやく。「仕方ない……佐藤社長に連絡するか」その頃、真奈は佐藤茂からの連絡を受け取っていた。佐藤茂【撮影中に協力的でない人物がいると聞きましたが】真奈【……】佐藤茂【ヒント:番組の素材が足りない場合、島での滞在が延長されます。よく考えてみてください】延長の可能性を知り、真奈はすぐにソファから立ち上がった。冬城は椅子に腰掛けたまま、真奈が急にどうしたのか分からずにいたが、彼女が目の前まで来て、「お腹いっぱい?」と尋ねてきた。「……」冬城はもともと食が細く、インスタント食品も好まない。さっきも数口食べただけで箸を置い
一晩中ほとんど眠れぬまま、翌朝まだ空が白み始める前に、中井が真奈と冬城を迎えに来て、空港へと向かった。今回のバラエティ番組の撮影地は、ある島だった。島全体が事前に番組側によって貸し切られており、参加するゲストは一組だけではなかったが、すでに離婚している夫婦たちは、それぞれ独立したアパートに振り分けられることになっていた。真奈と冬城が割り当てられたのは、島内にある一軒のアパート――というより、むしろ小さな別荘と呼んだほうがふさわしい造りだった。冬城の地位を考慮してのことだろう。冬城家ほどの規模はないものの、二階建てのこの家は、延べ床面積にして百平米は優に超えている。他のゲストたちは別々のエリアに滞在しており、少なくとも当面の間、真奈と冬城が顔を合わせることはなさそうだった。番組制作側の要求はいたって簡単だった。二人にこの静かな庭付きの家で一ヶ月間一緒に暮らしてもらう。ただそれだけだ。とはいえ素材を多く確保するために、撮影期間は一ヶ月から二ヶ月程度を見込んでいるという。また、制作側が用意した台本によれば、彼女と冬城は時間差でこの家に入ることになっていた。もちろん、この家の内外には隅々までカメラが設置されている。死角など存在しない。どこで何をしていても、すべて記録される環境だ。小さな庭に足を踏み入れた瞬間、真奈は思わず立ち止まり、目を見開いた。庭には色とりどりの花や木々が植えられ、廊下には小ぶりで愛らしい一羽のオウムがぶら下がっていた。玄関をくぐった途端、青々とした草の香りがふわりと鼻をくすぐる。こんな庭はずっと真奈の好みだった。だが、ふと現実に引き戻されたのは、あまりにも目立つ場所に取り付けられた監視カメラの存在に気づいたからだった。室内のインテリアも実に温かみがあり、どうやら番組ディレクターは事前にかなりのリサーチをしているようだった。ただ見映えのいいセットではない。この番組は、本気で「離婚した夫婦の心の奥底にある、最も大切にしているもの」を掘り起こそうとしている――それは、家庭という名の温もりだった。すぐに、冬城も中に入ってきた。真奈の荷物はすでにすべて片付け終わっていた。彼女の寝室は二階で、もちろん離婚した夫婦という前提のもと、部屋はきちんと分けられていた。冬城も一言も発さずに、隣の部屋に荷物を片付け
「でも黒澤が、もしその時お前を捨てたら……どうするつもりなんだ?」「彼はあなたとは違う。彼は絶対に、私を見捨てたりしないわ」真奈のその冷ややかな口調は、冬城の胸を鋭く貫いた。冬城は苦笑いを浮かべ、やがて自嘲気味に声をあげた。「俺がお前を捨てた?よく聞け、真奈。俺は――絶対にお前を捨てたりしない。お前のひと言で、何だってする。お前が望むなら、この海城を丸ごと差し出したっていい。眉ひとつ動かさずに、全部だ!……でも黒澤は?あいつはお前のために、一体何をした?」「彼は私を欺かない。貶めない。自分のすべてを私に預ける人よ。命も、心も。立場なんて気にしないで、常に私の隣に立ち続けてくれる。見捨てたりなんて、絶対にしない。他の女のために、私を殺そうとしたりなんて……そんなこと、彼はしない」真奈は言いたいことを一気に吐き出した。彼女にとって、黒澤と冬城は――比べるまでもなかった。「殺す?どうして、俺がお前を殺そうなんて思うんだ!」冬城は真奈の腕を掴み、その手に想いを込めようとした。しかし真奈は、わずかな迷いも見せずその手を振り払い、冷たく言い放った。「冬城、あなた……一線を越えたわ」冷たい表情の真奈を見て、彼はわからなかった。あれほど長く悩み、考えてきたのに、それでも理解できなかった。たった一ヶ月、彼女に冷たくしてしまった。それだけのことで、なぜここまで拒絶されなければならないのか。ふとした瞬間、彼女の表情に――嫌悪と、距離を置く冷たさが幾度も浮かんでいたことを思い出す。いったい、自分の何が、彼女をここまで憎ませたのか……「明日には番組の収録がある。今夜はここに泊まるわ。私たちは約束通り、互いに干渉しない――それでいい。もう疲れたの。おやすみなさい」そう言って彼女は背を向け、ベッドの縁に静かに腰を下ろした。部屋の中に、時計の秒針の音だけが刻まれていく。なおもその場を動かない冬城に、真奈は眉をひそめ、言い放つ。「まだいるの?まさか……一緒に寝たいって言うつもり?」冬城はネクタイを緩めた。他人の前では常に紳士的だった男が、今は頭の中に――黒澤と真奈が笑い合い、寄り添って家へ戻り、同じベッドで戯れる光景ばかりが浮かんでいた。シャツのボタンに手をかけたその瞬間、真奈の顔色がさっと険しくなった。「冬城!」だが冬城は構わず前に出