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第395話

Author: いくの夏花
遥香は一瞬きょとんとしたが、修矢が言っているのが拓也のことだと悟った。

「ええ、彼は養父の生前の一番の友人で、私にとっても大切な目上の人なの。子どもの頃からすごくよくしてくれたのよ」遥香はそう説明した。

「目上の人?」修矢は鼻で笑った。「本当にそうかな」

「修矢さん、どういう意味?」遥香は不快そうに声を強めた。

「別に意味なんかない」修矢は顔を背け、視線を合わせようとしなかった。「疲れたから先に寝る」

そう言って、彼はふらつく足取りで階段を上がっていった。

遥香はその寂しげな背中を見送りながら、胸の内に困惑と悔しさが押し寄せた。

自分のこと、信じてくれないの……?

それとも、手島おじさんを迎えに行ったことを、修矢は誤解しているのだろうか……

翌朝、遥香が目を覚ますと、修矢の姿はすでになかった。

階下へ降りると、彼はダイニングで朝食をとっていた。まるで昨夜酔って感情を荒らげたのが別人だったかのように、普段通りの顔つきだった。

「おはよう」遥香は近づき、彼の正面に腰を下ろした。

「おはよう」修矢は淡々と答え、視線を落としたままサンドイッチを口に運んだ。

二人の間には、気まずく冷えた空気が流れていた。

説明しようと思っても、遥香にはどこから切り出せばいいのかわからない。

修矢もまた、話す気配を見せなかった。

朝食は沈黙のままに終わった。

その後も数日間、修矢の遥香への態度は冷えたままだった。

以前のように彼女にまとわりつくこともなく、気遣いの言葉をかけることもなくなった。

時間どおりに帰宅し、同じベッドで眠ることは続いていたが、遥香にははっきりと感じられた。彼の胸の内には、彼女に向けられた怒りがくすぶっているのだ。

遥香は苛立ちと焦りでいっぱいだった。

修矢が何に対して怒っているのか、どうしても理解できなかった。

手島おじさんを迎えに行っただけで、修矢はそんなに不機嫌になるの……?

それじゃ、あまりに大げさすぎる。

この日、遥香は拓也を訪ねた。

拓也は彼女の眉間に浮かぶ憂いを見て、気遣うように声をかけた。「遥香、何か悩んでいることでもあるのか?」

遥香は少し迷ったが、やはり自分と修矢の間に起きていることを打ち明けた。

話を聞き終えた拓也は、豪快に笑い出した。「なんだ、そんなことか!彼氏くんは、やきもちを焼いてるんだよ!
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