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第1010話

Auteur: 似水
【了解!】

メッセージを送ると、かおるはあたりを見回した。しかし、それらしい人物の姿は見当たらなかった。

もしかして、暗がりに身を潜めているのだろうか?

ならば、やたらと周囲をうかがうのはやめておこう。そう判断したかおるは、車を静かに発進させ、綾人が現在滞在している芸能事務所へと向かった。

綾人はここ数年でいくつかの芸能事務所を立ち上げており、今や彼の傘下には多くの人気芸能人が所属している。その中には、かつてかおるが憧れていたスターもいて、サインをもらえたこともあるのだ。

やっぱり、芸能事務所の社長夫人になる以上の特権はないわね。スターを追いかける手段としては。

駐車場に車を停めたかおるは、エレベーターへ向かって歩き出した。直樹はすでにかおるからの連絡を受けており、建物の入り口で待っていた。

「奥様、こちらへどうぞ」

直樹の口調はきわめて丁寧だった。

かおるは笑みを浮かべながら尋ねた。「彼、まだ会議中なの?」

直樹は頷いた。「はい」

「じゃあ、どうしてあなたはそばでサポートしてないの?」

「奥様がいらっしゃると社長に伝えたところ、私にお迎えするよう仰せつかりました」

「なるほどね」

かおるは軽く頷いた。エレベーターがゆっくりと上昇を始める。鏡のように磨かれた扉には、並んで立つ二人の姿がはっきりと映っていた。

直樹は彼女の少し後ろに立ち、その横顔に視線を向けていた。ふと目を上げたかおるの視界に、それが映った。

かおるはほんのわずかに唇の端を上げ、意味深な微笑みを浮かべた。

直樹は慌てて目をそらし、それ以上見るのをやめた。

やがてエレベーターは最上階に到着し、音もなく扉が開いた。広々としたオフィスエリアは一面真っ白に統一され、凛とした静けさと緊張感が漂っていた。思わず息を呑むような空気がそこにはあった。

「奥様、まずは社長室でお待ちください。間もなく会議も終わるはずです」

「わかったわ」

かおるは静かに頷き、社長室へと足を進めた。

ドアを開けたその瞬間、思いがけない声が響いた。

「あっ!」

女の声だった。甘く、そして短く途切れた声。

同時に、かおるの目にもその室内の光景が飛び込んできた。

若い女性が慌てて机の下から這い出してくる。大きく開いた襟元からは白く柔らかな肌が覗き、谷間がはっきりと見えていた。頬には不自然な紅潮
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