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第10話

Autor: 雲取
背後で、朔人は遠ざかっていく小雪の背中を見つめながら、ハンドルを握る手をわずかに止めた。

以前なら、彼らを見送ってから家に戻っていたはずなのに。

今日はどうしたのだろう……

実家の父親の病気のせいだろうか。

朔人は片眉を上げただけで特に気に留める様子もなく、車を発進させた。

星奈も母の様子がいつもと違うことに気づいたのか、身を乗り出して聞いた。

「ママ、怒ってるのかな?」

朔人が言う。

「気にするな。怒ってるなら戻ってお前の世話をしたり、朝ご飯を作ったりしないだろう」

星奈は納得したように頷き、それ以上考えるのをやめた。代わりにレッスンバッグの中に入れた千笑への蒸しパンの包みをそっと撫で、機嫌が良くなっていく。

今日の蒸しパン、ちょっと少なかったな。今度はママにもっと作ってもらおう!

……

屋敷の中、小雪は2階の書斎に上がり、引き出しからあの離婚協議書を取り出すと袋に入れた。

それから寝室へ行き、自分の荷物をまとめ始める。

離婚したら、もうここには戻らない。

荷物は思いのほか多く、細々とした思い出の品が溢れていた。

結婚した当時は本気で朔人と一生を共にす
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  • 離婚成立、クズ父娘とはお別れです   第10話

    背後で、朔人は遠ざかっていく小雪の背中を見つめながら、ハンドルを握る手をわずかに止めた。以前なら、彼らを見送ってから家に戻っていたはずなのに。今日はどうしたのだろう……実家の父親の病気のせいだろうか。朔人は片眉を上げただけで特に気に留める様子もなく、車を発進させた。星奈も母の様子がいつもと違うことに気づいたのか、身を乗り出して聞いた。「ママ、怒ってるのかな?」朔人が言う。「気にするな。怒ってるなら戻ってお前の世話をしたり、朝ご飯を作ったりしないだろう」星奈は納得したように頷き、それ以上考えるのをやめた。代わりにレッスンバッグの中に入れた千笑への蒸しパンの包みをそっと撫で、機嫌が良くなっていく。今日の蒸しパン、ちょっと少なかったな。今度はママにもっと作ってもらおう!……屋敷の中、小雪は2階の書斎に上がり、引き出しからあの離婚協議書を取り出すと袋に入れた。それから寝室へ行き、自分の荷物をまとめ始める。離婚したら、もうここには戻らない。荷物は思いのほか多く、細々とした思い出の品が溢れていた。結婚した当時は本気で朔人と一生を共にするつもりだった。けれど、相手はそう思っていなかったのだろう。結婚から1年も経たないうちに心変わりしてしまったのだから。小雪は深く息を吐き出した。すべてを持ち出すつもりはなかった。面倒だ。わずかな衣類だけをまとめ、スーツケースを引いて、小雪は最後にもう一度5年間住んだこの家を見渡した。振り返ることなくその場を離れた。清掃業者にマンションの掃除を頼むメッセージを送りながら、階下へ下りていく。あのマンションは、結婚前、初めて取得した技術特許で得たお金で買ったものだった。女性も、自分の家くらい持っておくべきだ。ただそれだけの思いで手に入れた部屋だった。まさか本当にこんな形で使うことになるとは思っていなかった。清掃の予約を終え、スマホを閉じようとしたところで、三郎からメッセージが届いた。【大和が今日、警察特殊部隊から戻ってきたんだ。うちに顔を出してみないか?】あの男の名前を再び目にした小雪の黒い瞳が、わずかに揺れた。だが、すぐにその思考を振り払った。伊瀬大和(いせ やまと)に会うつもりはない。それに大和のほうも、自分に会いたいとは思わないだろう。彼

  • 離婚成立、クズ父娘とはお別れです   第9話

    自分とのトークは、ずっと下のほうに埋もれていた。小雪は唇を噛み、千笑とのトーク画面を開き、履歴を遡っていく。見れば見るほど心が沈んでいった。道理で、今朝の星奈があんなに機嫌が良かったわけだ。星奈が身支度を終えた気配がしてから、小雪は無表情のままスマホを置き寝室を出た。ドアを閉める瞬間、視界の端に、洗面所から出てきた星奈が、またスマホを手に取り嬉しそうに画面を見つめる姿が見えた。おそらく千笑と話しているのだろう。小雪は振り返らずにその場を離れた。主寝室の前を通ると扉は開いたままだった。中は誰もおらず、シーツもきれいに整っていた。朔人は昨夜帰ってこなかったのだ。先ほど見た千笑とのやり取りと重ね合わせ、うっすらと何かに思い至る。小雪の足が思わず止まった。つまり昨夜彼の言っていた「用事」とは、千笑のところへ行くことだったのか。二人は昨夜一緒に過ごしたのだろうか。唇をきつく結ぶ。彼には千笑と過ごす時間はあっても、自分の話を最後まで聞く時間はないらしい。朔人があからさまに千笑ばかりを優先することなど、もう考えるだけ無駄だった。ちょうどいい、彼が戻ってきたら離婚の話をそこで片付けよう。拳を握りしめ小雪は階下へ下り、キッチンで星奈の朝食を作り始める。田中が手伝いに入った。しばらくして料理が仕上がったが、星奈はまだ下りてこなかった。小雪は呼びに行く気になれず、田中に呼んでもらうことにした。田中は一瞬戸惑った。今まで星奈のことは何でも小雪自身がしていたのに、今日はどうしたのだろう、と。それでも2階へ向かった。「お嬢様、ご飯ですよ。遅れてしまいますよ」星奈はちょうど千笑との会話に夢中になっていたところで、邪魔をされて機嫌を損ねた。けれど、来たのが田中だと知ると何となく気恥ずかしくなり、不機嫌そうに小声で返事をしてスマホを手に階下へ下りていった。ダイニングに行き、小雪の向かいに座る。小雪の顔色が少し冷たいことには気づかず、テーブルの上の蒸しパンの皿を見ながら言った。「ママ、蒸しパン包んで、レッスンバッグに入れてくれる?」小雪は一瞬固まったが、田中がまだ2階にいるのを見て、彼女を煩わせるまでもないと自分で包みに向かった。包み終えて戻ってくると、星奈は急いた様子で朝食をかき込みながら外の気配

  • 離婚成立、クズ父娘とはお別れです   第8話

    小雪は深く息を吸い、言葉を続けた。「もう……」離婚協議書にはもう署名した。言い終わらないうちに、朔人のスマホが鳴った。彼は最後まで聞かず、そのまま電話に出た。小雪は仕方なく口をつぐんだ。朔人は相手の話を聞き終えると冷ややかに短く応えた。「今から行く」電話を切ると、彼は見下すように一瞥しただけで、何も言わずにその場を去っていった。小雪の眉がぴくりと動いた。この数年で彼のこういう素っ気なさにはもうすっかり慣れてしまっていた。彼にとって自分は重要な存在ではない。取るに足らない飲み会の予定ですら、自分より優先される。娘さえいなければ、この数年彼はこの家に帰ってすらこなかっただろう。以前の自分なら、それでも何の用事なのかとしつこく尋ねるか、あるいはただ耐え忍んでいたかもしれない。けれど今日はもう、我慢したくなかった。小雪は後を追い、言った。「ねえ、本当に話があるの……」朔人は少し珍しいものでも見るように彼女を見たが、それほど重要な話だとも思わなかったのか言った。「仕事が片付いてからにしてくれ」喉が詰まった。彼が本当に急いでいる様子を見て、今この場で切り出しても片付く話ではないと思い直し、小雪は足を止めた。彼が去っていくのを見つめる。まもなく外で車のエンジン音が響いた。しばらくその場に立ち尽くしたあと、小雪は2階の主寝室へ戻ってパジャマを手に取り、シャワーを浴びてから娘の部屋へと向かった。もう離婚するのだ。朔人とはこれ以上、少しも関わりたくなかった。娘の眠りを妨げないよう、そっと部屋の扉を押し開ける。すると思いがけないことに、星奈は目を細めながらスマホを覗き込んでいた。「星奈、体調が悪いのにちゃんと寝ないで、何を見てるの?」星奈は小雪が入ってきたことに驚き、反射的にスマホを隠した。薬のせいで確かに眠かったが、うとうとする合間に千笑にまだおやすみのメッセージを送っていないことを思い出し、慌てて一言送ろうとしていたのだ。もちろん、それを母に言うつもりはなかった。「別に、何も見てないよ」目をこすりながら言う。「ママ、どうしてこっちに来たの?パパと一緒に寝ないの?」小雪は唇を引き結び、その話には触れず星奈がスマホを置いたのを見てから言った。「夜お腹がまた痛くなるかもしれな

  • 離婚成立、クズ父娘とはお別れです   第7話

    30分ほどして、翠ヶ丘邸に着いた。小雪は玄関を入るとそのまま2階へ上がった。星奈はパジャマ姿でぐったりとベッドに横たわり、そばには田中だけが付き添っている。朔人の姿はどこにもなかった。小雪は一瞬、足を止めた。物音に気づいた星奈が青ざめた顔を枕から上げ、小雪を見た。その瞬間、堪えていたものが一気に溢れ出した。涙をこぼしながら、星奈は声を上げた。「ママ、すごく辛かったの。どうしてメッセージを返してくれなかったの?」小雪は唇を噛み、他のことは何も考えられなくなった。ベッドの端に腰を下ろし、星奈を抱き寄せてあやす。きっと朔人は、食事を終えたあと星奈だけを人に送らせて、自分は何事もなかったように千笑のもとへ戻ったのだろう。これ以上は考えたくなかった。汗で額に張りついた髪をそっと撫で、小雪は優しい声で尋ねる。「お薬は飲んだ?どこかまだ辛いところある?」星奈はもうそれほど苦しくはなかった。ただ、拗ねたような気持ちが少し残っていた。それも小雪の胸に頬を擦り寄せているうちにじわじわと溶けていく。頭の中はこんな思いでいっぱいだった。ママはやっぱりあたしのこと心配してくれてる!ママの腕の中って、こんなに心地よくて、いい匂いがするんだ。千笑さんの腕の中よりもずっと……もちろん、千笑の名前を出せば母が機嫌を損ねることはわかっていたから口には出さなかった。今はただ、母とこうしていたい気持ちのほうが強かった。星奈は甘えるように小雪の首に腕を回し、言った。「お薬飲んだからもう平気。でも、ママが作ってくれる卵粥が食べたいなあ」小雪は頷き、作りに行こうと立ち上がった。その時、ドアの外から、落ち着いた足音が近づいてきた。朔人が帰ってきたのだ。星奈はドアのほうを見て、まだ少し弱々しい声で呼んだ。「パパ!」小雪は一瞬動きを止めた。朔人は短く応え、小雪には目もくれず、挨拶ひとつなく部屋に入ってきた。近づいてきて星奈の頬に触れ、優しい声で聞く。「まだ辛いか?」彼が近づいた瞬間、ふわりと香水の匂いが鼻をかすめた。そして屈み込んだ拍子に、シャツの襟に薄く色づいた口紅の跡が見えた。まだ新しい。ついさっき誰かに口づけられたばかりだとわかる跡だった。こんな場所に口紅が付くとすれば、千笑が首元に腕を回して口づけた

  • 離婚成立、クズ父娘とはお別れです   第6話

    そのままバルコニーへと歩いていく。冷たい風が顔に吹きつけた。その風に当たって初めて、締めつけられるように苦しかった胸が少しだけ緩んだ気がした。小雪は鼻をすすり、何度か咳き込む。声が落ち着いてきたところで改めてスマホを取り出し、友人に電話をかけた。相手はしばらく忙しくしていたのか、少し経ってから電話に出た。「もしもし?どうした?さっき設計事務所がバタバタしてて電話に気づかなかった」鼻の奥がつんと熱くなった。小雪は少し苦しさを滲ませながら、「先輩」と呼びかけた。「父を連れて西京に治療に来たの。主治医の先生が、伝手があるなら東郷先生にも診てもらうといいって……私……」相手はすぐに事情を察し、はっきりと言った。「あとで俺が連絡してみる」「ありがとう、先輩」「気にするな。おじさんの具合が良くなるなら、こんなの何でもないことだ」しばらく話が続いた後、彼は話題を変えた。「南山の件、どうするつもりだ?俺と先生でひと肌脱ごうか?」「先生」という言葉を聞いて、小雪の胸に寂しさと申し訳なさが入り混じった感情がこみ上げた。とても、まともに顔を合わせられる気がしない。その戸惑いを察したのか、男は慰めるように言った。「あまり気に病むな。この数年、先生は口にこそ出さないが、お前のことをずっと気にかけてたよ。戻ってきてほしいって、ずっと待ってるんだ。昨日、お前の一級建築士の登録が済んだって知って、ひそかにずいぶん喜んでたぞ。お前が南山の仕事を横取りされたって知ったら、絶対に黙っちゃいないはずだ」小雪の黒い瞳が微かに揺れた。スマホを握る手に力がこもる。実のところ、この数年何度も設計事務所に戻りたいと思ったことがあった。けれど家庭のことが気にかかり、そのたびに諦めてきた。空いた時間に専門書に目を通し、関連資格を取り続けるのが精一杯だった。もうすぐ離婚する今、確かに戻りたいという気持ちが強くなっていた。けれどこの数年で自分が遅れを取ってしまったこともよくわかっていた。しばらくきちんと学び直してから戻りたい。「南山の件はもう解決の目処が立ってるの。2日後には片付くはず。復帰の話は、もう少し勉強し直してから改めて考えたいと思ってる」相手は驚いたように言った。「本当か?」「うん」「おいおい、ちょっと待ってくれ、なん

  • 離婚成立、クズ父娘とはお別れです   第5話

    病室に戻り、小雪は転院の話を両親に切り出した。浩明はためらいを見せた。娘に迷惑をかけたくないのだ。ここ数年、嫁ぎ先で娘がどれほど苦労しているか彼にもわかっていた。「小雪……」直子も言った。「転院なんてしなくていいのよ。お父さんはここでも十分よくしてもらってるから……」二人の心の内など、わからないはずがなかった。小雪は申し訳なさを抱えながら歩み寄り、言った。「もう医師の手配は済ませたから。決めたことだから私のことは心配しないで」「まったく、この子は……」口では不満そうに言いながらも、直子の胸の内は切なさと嬉しさが入り混じっていた。……翌日、午前10時過ぎに、小雪は荷物をまとめ、退院手続きを済ませると両親を連れて空港へ向かった。思いもよらないことに——空港の外で、朔人と星奈、それに千笑一家の姿を見かけた。黒塗りの高級車から降り立つと、朔人は千笑と星奈に寄り添い、彼女たちを守るように車道側を歩いていた。その光景はひときわ目を引き、周囲の人々が何度も振り返っては感嘆の声を漏らした。「あの家族、すごく上品ね。羨ましいわ」「本当。あの男の人、あんなに気配りができるなんてきっといい旦那さんね」「私もそう思う。娘さんも奥さんも品があるし、大切にされてるのが伝わってくるわ」「……」喉の奥が詰まった。彼らがプライベートジェット専用の待合ラウンジへと向かうのを見つめながら、小雪はぎゅっと手のひらを握りしめた。彼らもきっと西京へ戻るのだろう。予想はついていた。朔人があれほど千笑を大切にしているのだから、彼女の祖母の病を放っておくはずがない。きっと最善の治療を受けられるよう手配するに違いない。それなのに、自分は……小雪は考えたくなかった。長く愛してきた男が、自分と自分の家族にこれほど無情だったなんて。彼が一声かけるだけで、父はきっとすぐに最善の治療を受けられるはずなのに。これほど時間が経っても彼は何もしようとしない。結婚前、小雪が体調を崩した時は研修先からでも真っ先に駆けつけてくれたような人だったのに。小雪は自嘲と悲しみの入り混じった笑みを浮かべた。それでいいわ。すべてはもうすぐ終わるのだから。視線を戻し、両親を連れてロビーへ入る。その時、少し離れた場所にいた星奈が

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