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第3話

Author: 雲取
今となっては信じられない話だが、こんなにも冷酷に離婚を切り出してくる男も、かつて小雪がプロポーズを受け入れた時には感極まって涙を流していたのだ。

しばらくして、こわばった指をゆっくりと動かし、一行だけ打ち込んだ。

【了解】

覚悟はできていたのか、思ったほど辛くはなかった。小雪は少し気持ちを落ち着けてから病室へ向かう。

ドアを開けると、直子が椎名浩明(しいな ひろあき)の体を支え、ベッドから起こそうとしているところだった。

丸まった母の背中、半分ほど白髪になった髪。やつれた父の顔と痩せ細った体。それを目にした瞬間、胸を激しく殴られたような衝撃が走り、目頭がかっと熱くなった。

「お父さん、お母さん……っ」

喉の奥が詰まって痛いほどだった。

物音に気づいた二人は、驚きと喜びの入り混じった顔でこちらを振り向いた。

「雪ちゃん、来るなら先に言ってくれればよかったわ。下まで迎えに行ったのに」

直子は喜んでそばに歩み寄り、その手を握った。そして後ろを覗き込む。

「星奈ちゃんと朔人くんは?」

浩明も孫娘に会いたがっていた。

「そうだ、あの二人は?」

視線を落とす。あの父娘が千笑に寄せる想いを知れば両親がどれほど怒るかわかっていたから、本当のことは言えず言葉を濁す。

「朔人は急用ができて、あとで星奈を連れてくるって」

「そう。じゃあいつ来るの?お腹すいてるでしょう。何か買ってこようかしら。星奈ちゃん、こっちのお菓子が大好きだったもの」

小雪はもう笑顔を取り繕えなくなり、切なさを滲ませて言った。

「あの二人のことはどうでもいいから。それよりお母さん、ずいぶん痩せたじゃない。

ちゃんとご飯食べてる?」

「ふふ、もちろん食べてるわよ」

直子は笑って誤魔化しながら、いとおしそうに小雪の頬に触れた。そのまま目の縁がじわりと赤く染まる。

娘は親の自分が痩せたと言うけれど、直子の目には、娘のほうがひどくやつれて見えていた。

朔人が冷たくしているのは誰の目にも明らかだった。

結婚生活とは結局、かつての情熱をすり減らしてしまうものなのだろうか。

あの年、娘を無理に遠くへ嫁がせず、あの人を待っていたら、結果は違っていたのだろうか。

直子はふと、そんなことまで考えてしまう。

家族でしばらく話した後、小雪は理由をつけて病室を出て、父の病状を尋ねに医師のもとへ向かった。

診察室で、医師は検査結果を示しながら重い口調で告げた。

「お父様の病状はかなり深刻です。すでに急性転化期に入っており、予断を許さない状況です。今は分子標的薬と化学療法で命をつなぐか、適合するドナーを見つけて造血幹細胞移植を行うしかありません。ただ……回復の見込みはあまり高くないでしょう」

心臓が、ずんと重く沈んだ。

「他に方法はないんですか?先月まではこんなに悪くなかったのに……」

「白血病は急変することが珍しくありません。他の手段としては、西京市にいる、白血病治療でより実績のある専門医に診てもらうことをお勧めします。ただ、診療内容によっては保険適用外になるため、相応の費用がかかります。よく考えてから決めてください」

医師は小雪の身なりを見て、あまり裕福ではなさそうだと察したようだった。

言葉の意味はよくわかった。小声で礼を言い、診察室を後にする。足元がおぼつかなかった。

医師の懸念は的外れではない。実際、小雪の手元に余裕があるとは言えなかった。

朔人の妻とはいえ、彼が稼いだ金をすべて渡してくれるわけではない。毎月渡されるのは20万円の生活費だけで、それを超える出費については、いちいち彼の秘書である林知美(はやし ともみ)に支出を申請し、振り込みの手続きをしてもらわなければならないのだ。

人気のない角まで歩き、しばらくスマホを握りしめてから知美に電話をかけた。

「林さん、4千万円必要なんです。振り込みの手配、お願いできますか」

すでに退勤していた知美は、邪魔をされて苛立っている様子だった。

朔人が小雪を大事にしていないことを知っているせいか、その口調はひどく素っ気なかった。

「4千万円ですか?毎月の20万円をはるかに超えていますよね。こちらとしても、ちょっと難しいです」

小雪は青ざめた唇を噛む。

4千万円が、そんなに大金だろうか。

朔人にとっては取るに足らない額のはずだ。つい先ほど、彼が千笑に買ったいくつかのバッグだけで4千万円をゆうに超えていたのを見たばかりなのに。

知美が本当に手配できないわけではないことくらいわかっていた。朔人の小雪に対する態度を見て、わざと意地悪をしているだけなのだ。

そのまま電話を切った。

右手の薬指にはめた指輪に目を落とす。

明かりの下で、ピンクダイヤモンドが美しい輝きを放っていた。

この指輪をはめたその日から、一度も外したことはなかった。朔人が買ってくれたものだから。

結婚してから彼が贈り物をくれることはめっきり減っていた。だからこそ、彼が指輪をしなくなったのを見ても外そうとは思えず、心の中で必死に夫婦の絆をつなぎ止めようとしてきた。

一体、何をつなぎ止めようとしていたのだろう。

小雪は自嘲するように笑うと指輪を外した。続けて首元のネックレスと手首のブレスレットも一緒に外す。

そのままブランド品の買取業者に連絡を取り、その日のうちにこれらを買い取ってもらった。最終的に4千万円あまりを手にすることができた。

ようやく少しだけ心に余裕ができた。

彼女はスマホをしまい、転院の話を両親にしようと思いながら病室に戻った。

だが思いもよらないことに、ドアを開けると、そこには朔人と星奈の姿があった。

両親の前で、離婚の話をするつもりなのだろうか。

そこまで人の気持ちを顧みない人だっただろうか?

一瞬頭が真っ白になり、その場に固まった。

「雪ちゃん、帰ってきたのね」

「ママ!」

星奈が気づき、駆け寄ってきて笑顔で呼びかけた。千笑の機嫌がすっかり良くなったためか、星奈の表情もどこか明るかった。

我に返り、屈んで星奈を抱きしめる。その瞬間、ふわりと香水の匂いが鼻をかすめ、思わず唇を引き結んだ。

星奈は甘えるように言った。「ママ、りんご食べたい。皮むいて」

一瞬固まったが、頷いた。

星奈は嬉しそうに手を引いて中へ進み、朔人の隣に立つ。

とたん、香水の匂いがさらに強くなった。

頭の中に、朔人と千笑が寄り添う光景が無意識のうちに浮かび上がる。

耐えきれず娘の手を振り払うようにして離れ、りんごの皮をむくために少し離れた場所へ移動した。

星奈は特に気にする様子もなく、小首をかしげて朔人にもたれかかった。

朔人は一瞬こちらを見たが、すぐに視線を戻し、直子と浩明に向かって言った。

「何か困ったことがあれば、いつでも言ってください」

言葉だけで、心はこもっていない。

りんごの皮をむく手がふと止まった。

思わず考えてしまう。千笑の家族に対しては違うはずだ。自ら足を運び、寄り添い、医師の手配まで買って出るのだろう。彼なら、きっと……

両親はそれでも嬉しそうに頷いた。

朔人の機嫌を損ねたくない。娘が肩身の狭い思いをしないように。そんな思いからだった。

「朔人くん、気にかけてくれてありがとうね」

朔人は特に何も言わなかった。ちょうどその時スマホが鳴り、彼はそれを取り出して電話に出た。

相手が何を言ったのかはわからないが、その声色は明らかに柔らかくなった。

「すぐ行く」

そばで、星奈は誰からの電話かすぐに察したのか、目を輝かせた。危うく千笑の名前を口走りそうになったが、場をわきまえて何とかこらえた。

小雪はそのすべてを見ながら何も言わなかった。ただ黙々と、りんごの皮をむき終えた。

朔人は離婚の話をするのを後回しにしたのだろうか。

両親はその様子を見て、気を利かせて言った。

「朔人くんは仕事があるんだろう、いいから行きなさい。

星奈ちゃんはここに残ってなさい。おばあちゃんがプレゼントをたくさん用意してるから、あとで見てね」

孫娘と離れがたいのだろう。

星奈は唇を噛んで迷った。プレゼントの中身が気になったのだ。

けれど、残れば千笑に会えなくなってしまうから、すぐに首を振った。

「パパについていく」

おばあちゃんもおじいちゃんも自分を可愛がってくれているから、あとでママがプレゼントを持ち帰ってくれるはずだ。星奈はそう考えているのだろう。

娘の浅はかな考えを見透かし、小雪の心は一層冷たくなっていく。

りんごを置き、直子がもう一度説得しようとするのを淡々と遮った。「行かせてあげて。私がお母さんに付き添うから」

それを聞いた直子もそれ以上は何も言えず、ため息をついた。

星奈はそれを聞いて嬉しそうに笑い、小雪の気が変わらないうちにと、すぐに朔人の手を引いて出口へ向かった。

だが朔人は足を止め、小雪に向かって言った。

「ちょっと外に出てくれ」

一瞬動きを止めたが、小雪は離婚の話だろうと察し、手を拭いてから彼の後についていった。

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