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第4話

Autor: 雲取
朔人は星奈を椅子に座らせて待つように言うと、足早に人気のない方へと向かった。

背が高く脚も長い彼は歩幅も大きく、小雪が二歩進む間に一歩で進んでしまう。

誰かに聞かれるのを恐れているのだろう。千笑のことが陰でとやかく言われないように。

ずいぶんと用心深いことだ。

小雪は目を伏せ、早足でその後を追った。

人のいない場所まで来ると朔人は足を止めた。細く長い指がズボンのポケットから一枚の家族カードを取り出し、小雪に差し出す。

「先にこれを使え。足りなければ言え」

小雪は一瞬固まり、そのカードを見つめた。目の奥がじんと熱くなる。

本当は、こういう気遣いをずっと待っていた。

あの頃、彼は冷たく小雪を突き放し、見向きもしなかったのに。

今さらこんなものはいらない。

「内輪の事情を、わざわざ他人に知られる必要はない」

朔人が続けた言葉が頭を殴りつけるようだった。小雪はその場に立ち尽くし、信じられないものを見る目で彼を見つめた。

つまりこのカードは、小雪の家族への思いやりなどではなく、口を封じるためのものだったのだ。

自分の懸念が片付かないうちに、小雪が二人のことを言いふらし、千笑の名を汚すことを恐れているのだ。

ずいぶんと責任感がお強いこと。

ふっ……

小雪は悲しみを滲ませて笑った。

胸の奥にせり上がる不快感を必死に押し殺し、そのカードを払いのけ、離婚の手続きについて話をしようとしたその時、着信音が鳴った。

朔人がスマホを取り出し、電話に出る。その声は、この数年小雪が一度も聞いたことのない優しい響きを帯びていた。

「うん、すぐ行く」

言い終えると、彼は淡々と小雪に目を向けた。

ふと、その視線が右手の薬指に留まる。指輪が消えていることに気づき、わずかに動きが止まった。

口の端を歪めるとカードを窓枠の上に置き、意味ありげな一瞥を残して彼はその場を去っていった。

小雪は釘付けにされたように動けなかった。

窓枠のカードに目をやり、それから彼の去っていった背中を見つめる。

かつて感じたことのない屈辱が胸に押し寄せてきた。

拳を握りしめ、思わずかすれた声を絞り出した。

「朔人、西京にはいつ戻るの」

離婚の手続きをしなければならないから。

彼の足が止まった。それでも一応、答えは返ってくる。

「明日」

言い終えると、またまとわりつかれるのを嫌がるように付け加えた。

「今夜は用があるから、そっちの両親にはお前から説明しておいてくれ」

そっちの両親……

小雪は固まった。冷たい風が頬を打ち、痛いほどに冷たかった。それが頭の芯まで痺れさせていく。

結婚前、両親がこの縁談を認めてくれた時、彼は大の男が目を赤くして喜んでいた。必ず大切にすると、そう誓っていたはずだ。

あの時、あれは本物の気持ちだったのだろうか、それとも見せかけだったのだろうか。

今にして思えば、本気だった部分も多少はあったのだろう。けれど、それほど深い想いではなかったのかもしれない。そうでなければ、結婚して間もなく消え去ってしまうはずがない。

しばらくしてようやく我に返った。彼の去っていった方向を最後に一瞥すると、小雪は冷え切った決意とともにその場を離れ、病室へ戻った。

無理に笑みを作り、両親に言い訳をする。

「朔人は会社で急用ができて、星奈を連れて西京に戻ったの。今夜はこっちに来られないって」

やはり本当のことなど言えなかった。

両親はもう歳を取っている。よほどのことがない限り傷つけたくはなかった。少しずつ現実を受け入れてもらうつもりだった。

直子は少しがっかりした様子だった。星奈に会っていない日が続いていたから、会いたがっていたのだ。彼女は戸棚からプレゼントを取り出す。

「じゃあ、あとで星奈にこれ、持って帰ってあげて」

小雪の笑みが一瞬こわばった。プレゼントを戸棚に戻す。

「いいの。家にはもうおもちゃがたくさんあるから。これは全部返品して、お金は自分のために使って」

直子が何か言いかけたところで、小雪のスマホが震えた。星奈からのメッセージだった。

【ママ、おばあちゃんは私に何のプレゼント用意してくれたの?見た?】

小雪の笑みがさらに薄くなっていく。返信はせず、スマホを脇に置いた。

……

一方その頃、娘を迎えに戻った朔人は、スマホを眺めている星奈がどこか浮かない顔をしているのに気づき、片眉を上げた。

「どうした?元気ないな」

星奈は落ち込んだ様子で顔を上げた。

「パパ、ママがメッセージ返してくれないの。怒ってるのかな?」

子供なりに、後ろめたさがあるのだろう。

朔人は一瞬考えこんだが、小雪が本気で怒っているとはあまり思えなかった。

結婚してこの5年、小雪が声を荒らげたことなど一度もなかった。

もし本当に怒っているのだとしたら、それはそれで珍しいことだ。

彼は星奈の頭をぽんと撫でた。「そんなことないさ。そのうち返事が来るよ」

「本当に?」

「ああ。お前のことがあんなに大好きなママが放っておくわけないだろう」

星奈はまた元気を取り戻した。

そうだよね。ママはあたしのこと大好きだから、悲しい思いなんてさせないはず!

星奈はすぐに機嫌を直した。これから千笑の家族と一緒に食事をすることを思い出すと、立ち上がって朔人の手を引いて、急かすように言った。

「パパ、行こう!」

「ああ」

父娘はその場を離れ、エレベーターで一階へ下りた。

しばらくして千笑と、その母である一ノ瀬香緒子(いちのせ かおこ)、そして祖母の富田芳子(とみた よしこ)も下りてきた。

星奈は嬉しそうに歩み寄り、千笑の手を握る。

朔人は気を利かせて、彼女たちのために車のドアを開けた。

その和やかな光景を、小雪は上の階から見ていた。カーテンの端を握る指先にじわじわと力がこもる。

「雪ちゃん、何を見てるの。ご飯にしましょう」

直子が声をかけながら近づいてきた。

我に返り、母を心配させまいと慌てて振り向き、何か言葉を探そうとする。

けれど、半分白髪になった母の髪と、千笑や香緒子の豪奢な姿を思い浮かべた瞬間、言葉が出てこなくなった。

香緒子は直子を踏み台にしてのし上がった女だった。恩を仇で返すように直子の建築設計図を盗み、コンテストで優勝をかっさらい、誠和グループのチーフデザイナーとして名を馳せた。今ではそのグループの経営者にまで登り詰めている。

のし上がった後も、彼女は延々と直子に濡れ衣を着せ続けた。そのせいで直子は長年にわたり悪評にさらされ、30歳を前にして髪の半分が白くなり、幾度となく死を選ぼうとした。

そして今、その香緒子の娘が、今度は小雪のものまで奪おうとしている。

恋愛のことだけなら、まだしも……

朔人がそれだけの事情を知っていながら、なぜ千笑と一緒になり、大切にし、愛し、千笑の側に立ち、自分を傷つけるのか。そんなことはもう考えたくもなかった。

けれど仕事のことも、娘のことも……

千笑はなぜ、自分の仕事まで奪い、放っておいてくれないのか。

張り詰めていた糸がプツリと切れるようだった。

その瞬間、抑えきれない何かが胸の底からせり上がり、小雪はひとつの決意が形になった。

「雪ちゃん、どうしたの?」

直子は顔色のおかしい娘を見て、心配そうに尋ねた。

両親を心配させたくない。小雪は笑みを作り、言った。

「なんでもないの、お母さん。先に食べてて。ちょっと電話してくる」

「わかった、早く戻ってきてね」

「うん」

病室を出ると、小雪は覚悟を決めたようにスマホを取り出し、ある人物にメッセージを送った。

【新田さん、最近南山コーポレーションから仕事のオファーをいただいて、新しい工業団地の基本設計案を任されることになったんです。でも、その仕事を悪意のある人に横取りされてしまって、取り返すお力添えをいただけないでしょうか】

祖父の椎名立久(しいな たつひさ)と新田三郎(にいた さぶろ)は、かつて警察の特殊部隊で共に任務に当たった仲間だった。長年にわたる付き合いで親交も深く、立久が亡くなった時には、三郎がわざわざ家まで弔問に来てくれた。何かあれば、いつでも西京を訪ねてくればいいとも言ってくれていた。

その恩の重さは小雪にもよくわかっていた。だからこそ、よほどのことがない限り三郎に迷惑をかけたくなかった。

今日、初めて彼女は自分から助けを求めた。

千笑との因縁を、これで一気に片付けてしまいたかった。

【そんな大変なことになってるのに、なんで今まで黙ってたんだ?辛かっただろう。

心配するな、すぐ人を動かすからな。3日後には南山コーポレーションに担当者を向かわせよう】

3日後には動いてもらえるということだ。

小雪は感謝の言葉を送った。

【ありがとうございます】

【何を水臭い。これからも何かあれば必ずわしに言うんだぞ。お前は立久の孫だ。わしの孫も同然なんだからな。

そうそう、大和の奴が近々仕事で部隊から戻ってくる。お前たちも久しぶりだろう。会ってみたらどうだ】

小雪の瞳がふと揺れた。静かだった心に小石を投げ込まれたように、波紋が広がっていく。

けれどその違和感は、すぐに胸の奥へと押し込められた。

あの人が何も言わずに小雪を置いて警察特殊部隊へ入り、別の人と付き合い始めた時から、二人の関係はとうに終わっていたのだから。

小雪は表情を静めると、その男の話には触れず、話題を変えた。

しばらく言葉を交わした後、スマホを置いた。

3日後には、すべてが終わる。

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