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「華さん、あの、今大丈夫ですか?」
電話越しに聞こえてくる北條先生の声には、いつになく焦りの色が滲んでいる。いつもは先生の周囲だけ時間がゆっくりと流れているのではないかと思うほど穏やかな、あの先生の動揺。それに反応するように私の心臓も激しく波打ち始めた。
「あ、はい……。どうされましたか?」
努めて冷静を装ったが、ついさっき届いたあの写真の衝撃で私の声は微かに震えていた。北條先生に悟られないようスマホを握る手に力を込め、心の中で何度も「大丈夫、落ち着くのよ」と何度も自分に言い聞かせている。
「実は、僕のところにも宛名だけの封書が届きまして……。不審に思いながら中を開けると、華さんとの写真が入っていたんです。それで、華さんのことが気になりまして」
宛名のみの封書……。自分の手元にあるものと同じものが届いたのかもしれないことに、先程以上に心臓が早く動き、警告音のように大きく音を鳴らしている。
「写真……? どんな写真だったのですか?」
「それが、先日の茶会の時のものでして。僕と華さんしか映っていないのです。差出人も不明でなんだか気味が悪くて。華さんのところには届いていませんでしたか?」
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華side「先生、今の……」窓の外に走った一瞬の光に私は身体を強張らせた。しかし、先生は動じることなく、むしろ抱きしめる力を強めて私を離そうとはしなかった。「大丈夫です。今は私だけに集中してください。華さんを困らせるようなことはしませんから」先生の胸の中で戸惑い、小さく問いかけた。「それは……一体どういうことでしょうか?」「華さんのことは、紹介されて写真を拝見した時から、なんて素敵な方なのだろうと思っていました。実際にお会いして話をしてみると、気品に溢れ、まさに名前の通り『華』のある女性だと思った。そのうち、外見だけでなく教室で生徒さんと関わる姿や、パーティーで得意先と話す時の細やかな気遣いを見てますます惹かれていったんです。……以前、縁談を断るために婚約者のふりをして欲しいとお願いしたのも、半分は本当ですが、もう半分はあなたに下の名前で呼ばれてみたかったという私の我儘なんです」「そう、だったんですか……」先生から感じる熱っぽい視線やお世辞以上に感じる甘い言葉など予感はあった。けれど、こうしてストレートに言葉として突きつけられると、脳内が麻痺したように真っ白になる。
華side「なるほど……。昨日、私と華さんの元へ届いた写真も、先月届いた手紙も、やはり同一人物の仕業のようですね。封筒のサイズも字の書体も一緒だ。犯人は敢えて自分の存在を示すために前回と同じ形式を使用したのかもしれません。……ですが、一体誰が。華さん、何か心当たりはありますか?」レッスンと片付けをすべて終えた後、私たちは茶道具を整える控室のソファに腰を下ろし、持ってきた手紙と写真を広げていた。静まり返った室内には、時折建物の前を通過する車の走行音だけが響いている。「はい……私も同一犯だと思います。でも、誰がやったのかは全く検討もつかなくて。茶会だって大々的に宣伝していたわけではありませんし、どうして訪問客がすべて帰ったあのタイミングでシャッターを切れたのか……不思議で仕方ないんです」私の言葉に、北條先生は考え込むように視線を落とした。そして、不意に私の顔を覗き込むと、その瞳を真っ直ぐに見つめて私の耳にかかった一房の髪をそっと指先で掬い上げた。 茶碗を洗ったばかりの先生の指先は少し冷たく、頬と耳に触れた瞬間、身体がピクンと跳ねた。先生の透き通った白い肌と、少し薄い唇が目の前に迫っている。あまりの至近距離に頭の中が真っ白になりそうな衝撃を受けた。「え、せ、先生……?」少し上擦った声で問いかけると、先生はふっと顔を離し何
華side「華さん、あの、今大丈夫ですか?」電話越しに聞こえてくる北條先生の声には、いつになく焦りの色が滲んでいる。いつもは先生の周囲だけ時間がゆっくりと流れているのではないかと思うほど穏やかな、あの先生の動揺。それに反応するように私の心臓も激しく波打ち始めた。「あ、はい……。どうされましたか?」努めて冷静を装ったが、ついさっき届いたあの写真の衝撃で私の声は微かに震えていた。北條先生に悟られないようスマホを握る手に力を込め、心の中で何度も「大丈夫、落ち着くのよ」と何度も自分に言い聞かせている。「実は、僕のところにも宛名だけの封書が届きまして……。不審に思いながら中を開けると、華さんとの写真が入っていたんです。それで、華さんのことが気になりまして」宛名のみの封書……。自分の手元にあるものと同じものが届いたのかもしれないことに、先程以上に心臓が早く動き、警告音のように大きく音を鳴らしている。「写真……? どんな写真だったのですか?」「それが、先日の茶会の時のものでして。僕と華さんしか映っていないのです。差出人も不明でなんだか気味が悪くて。華さんのところには届いていませんでしたか?」
華side三日後、家でくつろいでいた私の元に、家政婦が遠慮がちに声を掛けてきた。「お嬢様、あの……お嬢様宛に住所や差出人が書かれていない郵便物が届いたのですが、いかがなさいましょう? 私どもで確認してもよろしいでしょうか?」手渡されたのは、宛名だけが印字された白い封筒だった。瑛斗の時に引き続き届いた封筒に嫌な予感が全身を駆け巡る。私は家政婦たちに自分で確認すると告げ、封筒を握りしめて寝室へと直行した。こんな不気味な手紙を送ってくるのは、一人しかいない。姿形は分からないが、こちらの反応を楽しんでいる歪んだ心を持つ人物の仕業だ。私は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出して動悸を鎮めようと努めたが、胸の苦しさは増すばかりだった。ジョキ……ジョキジョキ……。数ミリだけ切り落とされた封筒の端が、テーブルの上にひらひらと舞い落ちる。今度は何を見せられるのか。指先の震えを抑えながら封筒を逆さにすると、中から二枚の写真が滑り落ちた。「え……なんで? 何これ?」そこに写っていたのは、先日の茶会の時の私と北條先生だった。訪問客が皆帰り、真珠さんと私に先生が声を掛けに来た
華side数日後の大寄せ茶会の当日。 会場となった由緒ある庭園の茶室には、朝から独特の緊張感と熱気が満ちていた。参加者たちは、北條先生の点前をひと目見ようと、次から次へと入れ替わり立ち替わり訪れる。先生の流れるような所作が進む中、私は半東(はんとう)として、訪問してくださったお客様と言葉を交わしたり、お茶菓子や配膳が滞りなく進んでいるか全体に目を配っていた。 先生がお茶を点てることだけに集中できるよう、舞台裏の綻びを一つひとつ繋ぎ合わせるのが半東である私の役目だった。北條先生ほどの知名度ともなると、参加者は優に百人を超え、一人ひとりとゆっくりと言葉を交わす余裕などないまま、訪問してくれた方が少しでもお茶に興味を持ってもらえたり、楽しんでもらえるよう出来る限りの配慮を尽くした。無事に茶会が終了し、最後のお客様を見送った後の控室。安堵の溜息が漏れる中、北條先生が、今日のために尽力してくれた裏方の方々に丁寧にお礼を言っていった。「お疲れさまでした。今日は本当にありがとうございました。……今日の茶会がこれほど素晴らしいものになったのは、ひとえに皆さまのご協力があってのことです。別室に全員分の仕出し弁当を用意してあります。持ち帰っていただいても、この場で召し上がっていただいても構いません。本日は、誠にありがとうございました」先生が深く頭を下げると、張り詰めていた空気がふわりと解け、一同が解散していった。配膳を手伝ってくれた鮮やかな辻が花の着物姿の真珠さんが、私の方へ歩み寄ってきて親しげに微笑んだ。
華side「華さん、今度の茶会ですが真珠さんも参加されるそうで。終わった後に三人で食事でもどうですか? 真珠さんも華さんに会いたいと言っていましたし、もし都合がつけば、と思って」お稽古の後片付けをしていた私に、北條先生が穏やかに提案してきた。「あ、はい。分かりました。大丈夫です、予定を空けておきますね」「良かった。彼女にも伝えておきます。きっと喜びますよ」以前、経団連のパーティーであった京都の抹茶製造メーカーの令嬢の真珠さんは、関東への進出を目指す会社の意向で、営業のため東京に足を運ぶ機会が増えていた。明るく社交的な彼女の名前を聞いて、私は少しだけ心が軽くなるのを感じた。このところ気分が落ちていて、自分から外に出かけることはなくなっていた。北條先生の教室に来るか、家で静かに過ごすかの二択。レッスンの時以外は、神宮寺家の人たち以外と会話をする機会さえ失われていたのだ。(いつまでも沈んでいるのは良くないわ……。北條先生にも余計なご心配をおかけしているし、早く気持ちを切り替えなくちゃ)自分に言い聞かせてはいるが、あれから二か月足らずの間に瑛斗の熱愛記事は三回も世に発表された。その中には、あの日、神宮寺家のポストに直接放り込まれていた写真も使用されている。