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霧が晴れる朝に
霧が晴れる朝に
Auteur: 冴木沙耶

第1話

Auteur: 冴木沙耶
【あの数年、私は実家からの仕送りを止められてた。彼は一日に3つもバイトを掛け持ちして、こっそり私の口座にお金を振り込んでくれてたんだ。私が寝ている間に、スマホの振込通知もメッセージも全部消して】

心臓が大きく跳ねた。

指先が冷えていく。震える手で画面をスクロールすると、投稿主が1枚の写真を添付していた。

写っているのは、キッチンで料理をする男の後ろ姿。そのそばにあるガラステーブルには、婚姻届受理証明書の上に、小さな勾玉のお守りのついている、赤いミサンガが2本並べて置かれていた。

それは私が17歳の頃、夜更かしをしながら少しずつ編んだものだった。作ったのは全部で3本。1本は私が、もう1本は祐一が身につけ、残る1本は、一番の親友だった鶴本美樹(つるもと みき)の手首に私が結んであげた。

頭の中で、何かが弾ける音がした。

これが現実だなんて信じたくない。

ただの偶然だろうか。編み方なら、真似できる人もいる。けれど、写真に写るあの後ろ姿だけは、たとえ何年経っていても見間違えるはずがない。

震える指で、そらんじられるほど記憶に刻み込まれた番号を打ち込んだ。

「どちら様ですか」

低く落ち着いた声。かつて誰よりも聞き慣れた、彼特有の素っ気なさが滲んでいた。

口を開いたが、自分の声は掠れて別人のようだった。

「私よ」

数秒の沈黙。彼は私の声に気づかなかった。かつては「お気に入り」に登録していたこの番号さえ、とうの昔に忘れてしまったのだ。

電話の奥から、軽い足音が近づいてくる。続いて、甘えるような女の声。

「ねえ、誰から?」

美樹だ。

祐一の声が、途端に甘く和らぐ。

「さあ。詐欺か何かだろ」

躊躇いもなく、通話は切られた。

私は一歩も動けなかった。力の抜けた手からスマホが滑り落ち、地面に落ちて乾いた音を立てた。

どうして?一体、何があったの?

私の恋人が、どうして私の親友と結婚しているの?

私はふらふらと街を彷徨った。行き交う車の音さえ耳に届かない。記憶ばかりがとめどなく溢れ出す。

昔の祐一は、手のつけられない不良だった。喧嘩に明け暮れ、テストの答案はいつも白紙。全身に棘をまとい、教師たちからも見放され、教室の一番後ろの席で半ば放置されていた。

けれど私だけは見捨てなかった。学年トップだった私は、彼に一目惚れしていたのだ。周囲の目など気にせず彼を追いかけた。

毎朝バスを乗り継いで街へ向かい、彼の好物の焼き餃子を買った。3年間バイト漬けになり、酒浸りの父親が作った借金を少しずつ肩代わりして完済した。

喧嘩の傷を手当てし、英単語を叩き込み、理系の問題集を無理やり解かせた。

鬱陶しがった彼に、手作りのノートを水たまりへ投げ捨てられたこともある。

私は泣かなかった。ただ泥水の中に足を踏み入れて拾い上げ、汚れを拭い、再び彼へ差し出した。

彼が私に初めて頭を下げたのは、その時だ。目を赤くして悪態をつきながらも、その夜のうちに、泥だらけの問題集を最後まで解き終えていた。

その後、私は心臓の発作を起こした。運悪く、その日は防災訓練中でエレベーターが止まっており、私は5階で動けなくなっていた。彼は避難する人の波に逆らって駆け上がってくると、私を背負い、階段を一気に駆け下りた。

焦った彼は、踊り場で派手に転んだ。階段の角に膝をぶつけ、血を滲ませていた。それでも歯を食いしばり、額に冷や汗を浮かべながら、こう言ったのだ。

「霧子。俺の背中は、いつだってお前の安全地帯だ。俺がいる限り、二度とお前の心臓に無理はさせない」

なのに今、その背中は美樹のものだ。彼の優しさも気遣いも、毎日の食事の世話まで、すべて彼女へと注がれている。

日が暮れ、街灯が次々と灯る。吹きつける夜風に全身が冷えきっていく。18歳のこの身体は、見知らぬ4年後の世界にどうしようもなく拒絶されているようだった。

ビジネスホテルに入り、フロントで身分証を提示した。

フロント係は端末でそれを確認すると、困惑した顔で返してきた。

「申し訳ございません。こちらの身分証明書は、端末で読み取ると無効と表示されまして、このままではご宿泊の手続きを承ることができません」

無効?

私は呆然とし、カウンターの縁を指先で強く掴んだ。

「何かの間違いじゃないですか?無効になるような手続きをした覚えはありません」

「こちらでは、無効になっている理由までは分かりかねます。恐れ入りますが、発行元の窓口へお問い合わせいただけますか」

追い出されるようにホテルを後にした私は、身分証の登録状況を確認するため、市役所へと駆け込んだ。

窓口の職員は端末で何度も照会したあと、戸惑ったような表情で私を見た。

「野秋霧子さん……で、間違いありませんね?」

「はい」

職員はしばらく言葉を選んでから、信じがたいことを告げた。

「戸籍を確認したところ、野秋さんは2年前に亡くなったことになっています。死亡届が受理され、戸籍にも死亡の記載があります」

頭の中が真っ白になった。

「そんなはずありません。私はこうして生きています」

「こちらも、明らかに通常ではない状況だと思います。受理された死亡届の内容を確認したうえで、警察にもご相談いただく必要があります」

蛍光灯の白い光の下で、手足の先から急速に熱が奪われていく。

死亡届が出されているということは、未来の私は、すでに死んでいる……?

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