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第19話

Author: 黒崎 燕
紗英は完全に狂ってしまった。

もともと紗英は精神病院から逃げ出した人間であり、今回光希を傷つけたことで、結衣が簡単に許すはずもなかった。

結局、陽向が必死に懇願したことで、結衣は彼女を黒澤家本邸の最上階の屋根裏部屋に閉じ込め、毎日監視者をつけ、二度と好き勝手な行動を取らせないようにした。

一方、入院中の光希の容体も安定せず、結衣はほとんどの時間を病院で付き添いに費やしていたため、紗英のことにはほとんど気を配らなかった。

屋敷の使用人たちも紗英を嫌っており、その扱いは極めて雑だった。

毎日決まった二食を届けるだけで、紗英がそれを口にするかどうかは誰も気にしなかった。

ある日、一人の使用人が、三日分の食事がそのまま手つかずで残っていることに気がついた。

慌てて扉を開けて中に入ると、紗英は梁に首を吊っており、すでに事切れていた。

使用人たちは皆驚き、すぐに結衣に報告した。

結衣がその知らせを受けた時、悔しさに歯を食いしばった。「急いで火葬して、適当な場所に埋めてしまいなさい!」

彼女は今でも深く後悔していた。かつて自分が選んで紗英を息子のもとへ送り込んだ結果、この女が最終的に光希を死にかけさせたのだ。

それを思うと、結衣はまた歯を食いしばった。

紗英の遺灰はあっさりと埋葬された。埋葬の日、陽向だけが密かに参列した。

血は争えぬものだ。どれだけ紗英が恐ろしくても、陽向には彼女を独りきりで逝かせることはできなかった。

彼は小さな体で紗英の墓石の前にひざまずき、しばらく静かに手を合わせると、そのまま一度も振り返らずにその場を去った。

松本家のA国支社は正式に琴音が引き継ぐこととなった。

莉子も遊び疲れて、直人とともに古城へ戻り、ついでに黒澤家の消息を琴音に伝えた。

「今は光希が昏睡状態で、黒澤家にはまとめ役がいない。どんどん衰退してるわ」と、莉子は思わず感嘆した。

琴音は莉子の話を聞きながらも、心の中は不思議なほど穏やかだった。

かつては光希を心底から愛し、全てを捧げ、絶望も苦しみも味わった。

しかし今、彼が昏睡していると聞いても、心にはただ安堵が広がった。

きっと、これが運命の定めなのだろう。

二人の縁も、ようやく終わりを迎えたのだ。

けれど結局、誰も望んだものを手に入れれなかった。

「琴音、帰国して彼の様子を見てみない?」莉子
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